アンチエイジング(9)

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西 条 俊 生 / Shunsei Saijo WEB

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更新日 2009-08-07 | 作成日 2008-06-26

part_9  自力と他力。天が決めた事


 自分の人生は自分の力で切り開け、と若い時に教えられた事がある。自分もそのように信じ努力してきたこともあるが、歳を重ねるにつれ自分の力ではどうにもならないことがあると知る。いや、むしろ自分の力はちっぽけなもので、どうにもならない事の方が多いと思うようになった。とはいえ、なんでも運命のせいにするわけにはいかない。我々は常に右か左か選択をせまられている。時にはそのいかんによって、自分の望みが達成されたり、失敗に終わったりもする。このことは、仏教的な言い方をすれば、自力本願他力本願ということになるだろう。
 私は時々感じるのだが、自分の人生は決められているように思う。だから一見偶然におこったことも実は必然であると。つまり、私の人生はすべて必然でなるべくしてなった、またなっていると。何故そう思うかは説明できない、感じる事なので・・・。まぁ、そう思った方が気が楽ということもある。例えば悪い事に大ケガをしてしまったとする。なるべくしてなったと思えば、怒りも落胆も薄らぐし、逆に1000万円の宝くじが当たったようなラッキーな事があったとしても、我を忘れ必要異以上にのぼせることもない。
h8.jpg つまり、他力でいれば、自分の感情に振り回されず、比較的平常でいられるということである。すべては天の采配である。天に抗うことは出来ないので、むしろそれはどんな意味や問題を、天が自分に与えているのかと考えたりもするようになった。しかしだからといって、私は運命論者ではない。すべては運命だと諦めるほど諦観はしていない。結構ジタバタしている。ただ広い意味で偶然は無いだろうなと思っている。偶然、腹をこわしたではなく、食べ物が悪かったという因果律は当然あるとして、会いたいと思っていた人とバッタリ道で会い、シンクロニシティがおこっても、それは驚きはするが、会うべくして会ったのだと考えてしまうのは、私が“縁”を信じているからだろう。またそう考えた方が人生は面白く豊かであると思うのだ。
 結論的に言えば、大きな意味で(巨視的に)人生を捉えれば、人の運命は天によって決められているということだ。そして、主観的(自己意識)では、一寸先は闇であり、何があってもおかしくないのが人の生であるということ。他力と自力は決して矛盾するわけでない。自分で何かを起こせば、その結果が必ず返ってくるが、そのこと事態はすべて天の采配であるということだ。だから良い結果になれば、素直に喜び、悪い結果が出てもガッカリはするだろうが、社会のせいにしたり、自分を責める必要もないのだ。すべては天が決めたことなのだから。
 アンチエイジングのスタンスからこの意味をとらえると、いらぬ心配をしたり、不安になったりして余分なストレスを溜めることは無い。泣いたり笑ったりしていくのが人生だと思い、その日その時間を楽しむことが溌剌とした人となり、幸せになるこつだろう。

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