2007年4月の開設者うらみ日記


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4月30日(月)【ここまでは2008.09.27更新】
 連休3日目。7時半に起きてしまい、寝不足と不健康な生活がたたり右肩の凝りが頭痛に発展。それでもがんばってブクオフにいらない本をトートバッグ1杯分売り(んーいわゆるひとつのヒートストーンにウォーターですね)得た金でコミック専用ボックス2箱買って帰ってNHKで大嶺初登板観ながら片付けの続きをしたり頭痛で唸りつつゴロ寝したり。ホークスを出てったズレータがマウンドに駆け寄りピンチの大嶺の肩を抱いて何か話しかけるシーンにちょっと萌える。大嶺に負けはつかなかったが、無死満塁でもっと図に乗り畳み掛けられるえげつなさがあれば勝てた試合。ズレータを見習え。夕食にパン3個買ったけど2個しか食べられず、シャワー浴びてクスリ飲んで20時過ぎにはとっとと就寝。
4月29日(日)
 連休2日目。今日はもうすこし生産的に時間を使えればイイナ……と思いつつ起きたらもう10時だし。はあ。トースト食って教会行ってスーパーで焼きそばと多用途ボックス4箱買って帰って家にとじこもりNack5サンデーライオンズ聴きながら本の片付け。夕食は適当なスーパー弁当。ビデオも観る。『ゲキレンジャー』。しゃべるゾウが「お魚ちゃ〜ん」とか言ってるのを見てると『モンティ・パイソン人生狂想曲』の折り返し点みたいだ。伊藤かずえがボンデージスーツでムチをぱしーん。賽の河原で石積んでるようなはてしない作業についつい25時半まで没頭。
4月28日(土)
 連休1日目。0700起床。『パワパフZ』観てシャワー。朝食は例によってトーストとコーヒー。
 洗濯して『ケロロ』終わってから髪を切り、西武ドームで今季初観戦。昼飯に内野自由で和田スペシャル弁当「和田ベン」。ごはんにカルビと大根のナマスとゼンマイと和田のカードが乗っかって1000円。食材的にはワダベンというよりニダベンですな。口中があぶらっぽくなり、ホットコーヒーも所望。試合前の国歌演奏で立つ人がすごく増えてて驚いた。
 試合は宏之が踏ん張れず小刻みに失点、0-3から5回表せっかく2点返し反撃ムードが出てきたのに(ただしタイムリー打った今江が二塁近辺で逡巡し三塁アウトで盛り上がりも中ぐらいなりおらが春)、その裏G・G・佐藤に3ラン食らってジエンド。平尾の好守備で三塁線長打2本は損したし。
 試合中盤から森の木々がざんわざんわ言い出す。風がドーム内にも遠慮なく吹き込み気温もぐんぐん下がり、ビールがぜんぜん売れなくて売り子さんたちが困っていた。7回表が終わったところでトイレに立つと、まとまった雨が降ってくる。ぎゃあー洗濯物があー。2-7で惨敗と同時に帰る。うー身体も心も寒いー。ズレータの応援歌、「青ざむナスビー」としか聞こえなかったのだがw、のちに調べたところによると「バモサムライズリー」とコールするらしい。
 車内でストンと眠り、あやうく所沢で寝過ごしかける。帰るとカラダが冷えきってると同時にフラボノくさくなってた。あの山風を浴びまくったせいだな。ポテチをヤケ食いしたら夕飯を食べ忘れる。不健康。
 なにもやる気がせず、ただTVつけて『地球へ』とかダラダラ観る状態。ところでなぜ『地球へ』の主題歌はダカーポじゃないのだ。毎週アレかけたら視聴者がみんなガン泣きするからという配慮か。かみほーむ、とぅーてーらー♪と思ったら『世界ふしぎ発見』で『時かけ』のBGMが使われてて泣くパブロフドッグ。先週のモナコ→『コメットさん☆』コンボと言い、2週連続で泣かされてどうする。
 シャワー浴びてる最中にやっと脳の配線が繋がり、嘘屋チャットのことを思い出しあわてて接続。2530頃まで。
4月27日(金)
 以前ご本を担当させていただいたM先生率いる中世音楽専門の合唱団から、もったいなくも定演の招待状が届く。今回はちょうどと学会の例会とぶつかっているのを幸い、例会で上京される学会随一の音楽通・明木先生にナンパメールを出してみる。我が表の顔と裏の顔が邂逅する一瞬。
 しかしふと思えば、出版社で編集をやりながら、と学会々員という立場を全く利用してねーのは、編集者としてどうなのよと。まぁそれ言ったらS先生やK先生の職場からも学会関係の本は出てませんけど。そもそも俺、十何年もコミケにサークル参加しているんだから、普通だったらそのポジションを活かしていくらでもオタがらみの企画連発してどっかどっかヒット飛ばしてウハウハ言ってしかるべきでしょ? 晴海以来のキャリアを全く平和利用していないどころかカミングアウトもできない職場って、もったいねえなあ。つくづく人脈とか経験を実益に転換できない性分。そう思うと、表の顔と裏の顔を直結させて学術的業績も積み重ねている明木先生はすごいよなと。本名で学会誌に原稿書けないうちは、二つの顔を融合させるのはムリか。
 昼、昇龍軒でチャーハン。アバコの3階でジュース買ったら、ちびまる子ちゃんの収録やってた。

 16時過ぎ頃からやたらヘリコプターのローター音がばらばらばらばらうるせえので、またJRの線路でも陥没したかと思ったら、山手線なんかよりもっとずっと近場だった。明治通りと諏訪通りの交差点そばのオリムピックが燃えてるんだと。17時過ぎネットニュースを見るとまだ「延焼中」とあったから、なんか長引きそうな予感。原因は何だ。地下鉄工事現場が爆発でもしたか。消防車のサイレン音が何度も何度も聞こえ、窓から早稲田通りを見ると下り方向の車がのろのろとしか動いていない。現場は交差点近辺だから車はもう大渋滞だろうな。
 帰りはバスなんか乗ったら大変なことになるという判断と野次馬根性により、爆音の下、諏訪通りを歩いて帰ることにする。諏訪通りも早稲田通りと同じく北へ向かう下り車線はちっとも動いてなくて、シビレを切らせた車がアバコのあたりからちらほらUターン、おそらく脇道から箱根山を登り迂回にかかるのか。馬場方向へ歩を進めて行くと、学習院女子大の校門前に日テレのアンテナ車が停まっていたのを皮切りに、TV局やラジオ局の中継車がぽこぽこ駐車し、いそいそと電源ケーブルの設置作業にかかっていた。いろんな社の腕章やIDカードぶらさげた人たちが祭りの準備のようにたったか走るのを尻目に、通行人はいたってのんきに歩いている。爆音はやまず、車も流れず。
 現場の交差点に着くと中継車のかわりに赤い大型車がずらりと並び、炎こそ吹いてはいないものの火元はまだもくもくと煙をあげていた。スモークオンザウォーター。燃えてるのが1階店鋪部分なもんで、ハシゴ車による派手な放水はなく、夕張炭坑を水没させるみたいなかんじで水をどぼどぼ流し込むような形の地味な消火活動になってる模様。明治通りの火元に面したブロックはロープが張られ完全遮断、そのロープサイドではものすごい数の野次馬が写真を撮っていた。辛うじて通れる新宿方面への道と諏訪通りも、信号はオールレッド、有人交通整理でちまちま車をさばいている状態。カメラも携帯電話も持ってないので、野次馬かきわけ水でびしょびしょの交差点を渡る。
 火元の裏口にあたる路地の入り口にもロープが張られ、ちょっと野次馬がたまっていた。ロープの奥では、こちらからももくもく上がる黒煙をボンベ背負った消防士さんの集団が取り囲んでいるところを、はす向かいの家の敷地に置かれたゴジラでも照らしそうなでかい照光機がこうこうと照らしていた。明治通りで隔てられてるならともかく、こんな狭い道をはさんでいいかんじに燻されている向かいの一般住宅の住人は生きた心地もしないだろう。
 大通り沿いよりもかえってこっちのほうが場面としては臨場感があり、ここでは俺も思わず野次馬の仲間入りを果たす。さすがにこんな穴場を見逃す奴はいないと見えて、「読売新聞」と書かれた脚立に座ったカメラマンが火元に狙いを定めて何かを待っていた。霞んだ月と量産型エヴァンゲリオンのように現場を囲んで空中停止するヘリの群れに見下ろされながら見物してると、マスコミの取材が来たので逃げる。俺にマイクを向けるな。
 古本屋に寄り道して帰る。
4月26日(木)
 バージニア工科大学の銃乱射事件以来、ずっと悩み続けている。
 さても「趙承熙(チョ・スンヒ)」とは替え歌にしにくい名前の犯罪者が出て来てくれたもんで。小癪なことこの上ない。
 朝方、やっと「チョ・スンヒ」と「ボーンフリー」が似ていることに気がつき、職場行く前にざざっと歌ってみる。

《行け! ボーンフリー》

きみはきいたか あのたわごとを
でかい自己愛 キモいなワロス
半万年もの ながいうらみの
目をさまされた 火病民族
チョ・スンヒ チョ・スンヒ
二丁拳銃だ ビデオレターだ
撃て! 撃て! 撃て!
セクシー脳内彼女
妄想半島人 チョ・スンヒ

きみはみたか 爆笑ビデオ
いまのアメリカ 住みにくそうだ
寮や校舎で たすけをもとめ
にげまどってる 工科大生
チョ・スンチ チョ・スンヒ
金持ちを おいはらえ
撃て! 撃て! 撃て!
セクシー脳内彼女
妄想半島人 チョ・スンヒ

きみはどうする やはり撃つだろ
銃がなくても やることおなじ
火病の爆発 DQNが暴走
私は自称イエス・キリスト
チョ・スンヒ チョ・スンヒ
銃器買うぜ ニダーが狂う
撃て! 撃て! 撃て!
セクシー脳内彼女
妄想半島人 チョ・スンヒ♪

……という歌をmixi日記に書き込んで仕事。昼休み、家賃振り込んだのちモスでフレッシュバーガーといういつものコンボ。mixi覗いたら、2丁拳銃の人(本物)が足あとつけてて驚いた。たぶんコンビ名で日記検索かけてひっかかってしまったんだと思う。悪いことをしたかもしれない。でもしょうがないでしょあいつの主兵装二丁拳銃だったんだし。
 午後、すごく眠くなる。と思ったら1500頃雨どざー。通り雨らしくすぐ上がり、東の空にすごく低い虹がかかる。夜、新宿に出て、新宿書店でティアマガと『シグルイ』8巻、紀伊国屋で『オタク論!』買って、職場の先輩とやんばる(カウンター席しかないほうじゃなくて、最近その近所に移転してきたちゃんとした店のほう)でごはん。げぷー。

 ところで今回のボウリング・フォー・バージニアに対して韓国人の起こすさまざまな謝罪行動、よく観察しておくといいですよ。韓国人にとってどういう行動が「謝罪」に見えるのか。日本人がどういう行動をしてみせれば、韓国人は「謝罪した」と認めてくれるのか。今度の顛末を観察してれば、そのへんのヒントがいろいろと掴めるかもしれませんよ。
 在米韓国人教会が信徒ら800人で32日間(犠牲者32人にちなんで)のリレー断食をするという。32日を800人で割った時の1人アタマのノルマを計算するといろいろツッコミたくなるが、そこをグッと押さえて、さっそく学んでみようじゃないか。たとえば従軍慰安婦の人数分の日数だけ国民総出でリレー断食とかどうだw
 ともかく見せていただこうじゃあないですか、謝罪の見本を。
 最終的に「アメリカ銃社会のせいだ」とか「日帝のせいだ」とか他人のせいにして被害者ヅラするようなら、我々もたぶん同じ理屈で言い張れば全部ゆるしてもらえるのでしょう。

 「同胞が外国で事件を起こしたケース」というと、韓国のことばかり言ってはいられない。日本だって佐川君事件があったじゃないか。われわれ日本国民も、同胞の起こした事件への謝罪の意を込めて、事件以来ずっと人肉限定の断食を続けてますなそういえば。
 冗談はともかく、あの時パリで日本人排斥運動が起こったとか日本人が後ろ指さされたとかいう話はそういえば聞かなかったな。まぁパリはもともと自分の耳切るオランダ人とか変なのがうじゃうじゃいる土地柄だし、人1人食べたぐらいじゃ目立たなかったんじゃないか。そもそも食べられたのだってフランス人じゃなかったし。今回の事件にたとえたらチョ・スンヒがリトルチャイナで華僑をジェノサイドしたようなもんで、フランス国民も「だから何」程度の感情しか持たなかったのだろう。おかげであの時は日本も別に謝罪する必要がなかったとか。
4月25日(水)
 朝、雨。仕事。デザイナさんとこへ行ったり。昼飯、コンビニで鳥&ハンバーグ弁当。定時退。夕食、パン屋のパン。

 江戸時代、キリシタンバテレンの教えを罵倒しまくる「排耶書」という文学ジャンルがあった。禁教開始から維新期に至るまで長期にわたり、幕臣から仏教徒からころびバテレンに至るまで様々な立場の著者により書かれてきた「排耶書」は、たしかに当時までに伝わってきていたキリスト教教理をよく勉強し、下手なキリシタン以上に信仰書を読み込み細部に至るまで突っ込んだ考察をしている。しかし、いかんせん「研究」ではなく最初からキリスト教をボロクソ言う目的で書かれている上、なんせキリシタン側から反論されるおそれがないもんだから(反論したほうは即刻死刑ですから)自分の思い込みを好き勝手書けるわけで、内容的にはこれアンチ系ブログ並みのムチャクチャな誤解曲解飛躍捏造のオンパレード。そのバイアスかかりまくった筆致は、現代の目から読むとなかなかオモシロいというか「まぁ落ち着け」と言いたくなるです。
 それでも江戸時代は喜んで読まれており、その主たる読者は当時のインテリ層だったというのを読んで、ああさもありなんと思った。ニーチェやマルクスが19世紀末以降のヨーロッパで喜んで読まれたのも、実はそういうとこがあったりして、と。「宗教批判してる俺って近代的〜♪」みたいなかんじで。まあいいけど。
4月24日(火)【ここまでは2008.09.23更新】
 しごと。昼、大昌苑で焼肉定食がつがつ。

 帰りぱらぱら小雨が降ってきたので西早稲田のバス停に行くと、どこからどう見ても楳図かずおな年恰好ヘアスタイルの初老男性が、縫い目の派手な濃グレーのジャケットとヨレヨレの細いジーパン着て、茶色の皮カバンを肩にかけ、蛍光黄緑のTBSの紙バッグを下げて、学生たちのバス待ち列に並んでいた。
 でも、楳図かずおがこんな普通の服を着ているだろうか。(いやこれでも歳にしてはずいぶん若作りなファッションだが。)ひょっとしてジャケットの下は大変な柄のシャツが。でも後ろからだとシャツの柄どころかそもそも服着てるのかどうかすら確認するすべはない。バスも満員で、とてもスキを見て前に回るどころではない。
 だいたい中央線沿線なら分かるがなぜ早稲田なんかに楳図が出現する。土地柄永井豪ちゃんや藤子Aなら全く意外性はないのだがなぜ楳図。よしんば本人だとしても、なぜ高田馬場行きバスに乗る。巣に帰るなら地下鉄東西線だろ。
 そして困ったことに俺、楳図かずおの顔をよく覚えてないし。目の前でグワシとかやってアイデンティファイする手段もあるけど、たぶん俺がその方法をやってゆるされたのは30年前までだろう。(今おっさんがやったら普通に不審者。)
 ああ気になる気になる、と隣のかりあげパーマを気にしてるうちにバスは高田馬場に着いてしまい、尾行もできぬまま未確認楳図物体はJR方面へ消えて行った。

 こういう本当にどうでもいいオチもない話を書いていると、ああ日記だなあという気分になってくる。
 あとで聞いた話によると、本当に本人よく高田馬場に出没するそうで。しまった本物だったか。

 さぼてんでエビヒレ丼買って食って寝る。
4月23日(月)
 人差し指がまだ痛む。去年の夏、背中をやっちゃった時にもらったスティック糊みたいな鎮痛消炎薬を塗ってみたらけっこう効く。フェルビナクパワー。
 職場への道すがら選挙速報見る。民主党新人当選。心配していた一人会派の人たちも当選。共産党も前回の自民党大型選挙違反大会補欠選挙の時にちゃっかり得た議席数をがっちりキープ。一方、前回壊滅した自民党は捲土重来ならず。ただし公明党は若手への代替わり成功。どこでも公明党はしぶとい。
 しごと。鼻がちょっとアレルギー気味。超巨大本入荷。さっそく埼玉と北海道へ発送、ドイツにも空輸。
 昼、稲郷で日替わり定食(鳥チリとコロッケ)を頼んだら、混んでいたせいかいつまでたってもごはんが出てこない。しかも隣のテーブルの集団がみんなスモーカーで、もくもくたなびく紫煙が過敏になった鼻を不用意にくすぐり、洟が出る。それを必死にハンカチで抑えていると、そのテーブルのおっさんの一人が「タバコも認められない世の中になっちまったなー」みたいなことを聞こえよがしにボヤきやがる。ちょっとムカついた。俺も喫煙者をゴミ扱いしようという気はさらさらない。父親と弟がヘビースモーカーだからヤニには慣れている。今日はたまたまアレルギーで我慢ができなくなっただけだ。そっちがプカプカモク吸ってる権利も認めるから、こっちが煙を防ぐ権利も認めてくれ。この世で何が腹立つって、被害者ヅラして好き勝手振る舞い、自分自身がまた別の被害者を発生させていることに無自覚な奴というのが、一番腹が立つ。結局ごはん出て来たのが1255。うがーとかき込みダッシュで職場へ戻る。
 ヤニ責めで鼻が悪化し、たまらず最終兵器ストナリニ使用。午後は脳味噌ほわ〜ん。アンティフォナ「Nigra Sum Sed Formosa」(私は黒いが美しい、旧約聖書雅歌1章4節より)ってマイメロの歌じゃろかー、とか、もうくだらないことしか考えられなくなってしまた。
 夜、業界の勉強会に出て2100帰る。

 ひょんなことから統一地方選後半戦・最大のマッチメイクとなった長崎市長選。殺された前市長の娘婿がかわりに急遽出馬したものの、さすがに弔い合戦にしてもあまりに時間がなくあえなく落選。妻(つまり前市長の娘)が「こんなひどい仕打ちを受けるなんて」と失神。そういうことではないと思うが。

 『サンダーバード』の替え歌であのJR北陸線サンダーバードレイプ事件の歌を作るのは、やっぱ人としてよくないことだと思う。素材としてはあまりにできすぎなだけに。♪呼ーんーでいるあの声ーはー、SOSーだー♪
4月22日(日)
 石ノ森章太郎が自ら原作を手がけた最晩年の作にして、のちの『仮面ライダークウガ』の石ノ森自身による草稿とも位置づけられるあの伝説の作品が、ついにDVD化の運びとなった。
 警察はおろか国家も歯が立たない戦闘力を持ちながら、世界征服など定番の野望に一切関心を払わず、全くの酔狂としか思えない方法で人々を襲うことそれ自体を目的とする「愉快犯」的悪の組織。目的なき凶悪犯罪が増加する21世紀現代社会において最もリアリティある「悪」像を、1980年代前半の時点ですでに描写していた石ノ森の慧眼には、今さらながら驚かされる。
 それに立ち向かうヒーローの動機も、ヒーローの悲哀や個人的復讐心ではない。たまたま訪れた地で事件に巻き込まれただけなのに、「みんなの笑顔を守りたい」というただそれだけの理由で、わざわざ自分が傷つく必要はないのに何の見返りもなく笑顔で戦い続けるのだ。
 そんな、人間を愛するヒーローも、悪の組織に唆された人間と心ならずも戦わねばならないこともある。そんな時も彼は、どんな悪人でもあっさり死刑にしたりなどせず、更正の希望を捨てずその戦いをもって改心させようとする。「悪人もまた人なり」。現代、創作作品でも現実社会でもこれほどのヒューマニズムを見られないようになって久しい。
 愉快犯を相手に、みんなの笑顔を守るため戦う屈託のないヒーロー。石ノ森章太郎が造り上げた「仮面ライダー」のコンセプトを破壊した『クウガ』には放映当時から「石ノ森ライダーらしくない」と批判が殺到した。だが、実は他でもない石ノ森自身がそのコンセプトを最晩年に根底から覆していたことを示す歴史資料としても、本作のDVD化は極めて高い学術的価値を持つ。石ノ森作品愛好家だけでなく、東映特撮の系譜を研究する者なら必携のアイテムであろう。


 ……よし、こんなふうに紹介しておけば、誰かだまされて買う人がいるかもしれんな。『星雲仮面マシンマン』DVD

 1巻12話入り9800円+税。全35話だからたぶん3巻出るのかな。わりとお値打ち価格かも。大野雄二の音楽、天本英世の怪演、曽我町子の声が入ってなにげに豪華だし。映像特典はオモチャのCMとか希望ー。
 それにしてもサブタイトル見てるだけでワクワクしてくる。普通の人には「実写版『チャージマン研』」というニュアンスで視聴されてしまいそうだ。<実際近いものはあるが。<一緒にするな不敬者。まぁ『チャージマン「健」』ということで。ただ微妙に違う点は、『チャー研』が本心では王道的ハードSFヒーローものを意図しながら技術とかいろんな理由で結果としてズッコケてしまってるのに対し、『マシンマン』は最初からトボケた感じを狙ったら意図した以上にトボケてしまったとこかもしれん。
 1984年当時と言えば、のちにオタクと呼ばれる高年齢特撮視聴層が増加、アニメも特撮もハードなお話がもてはやされ、視聴者だけでなく製作者側にもそういう作品への指向が流行していました。そんな中、どんなに笑われてもあえて毎回幼稚園バスをジャックするかのごとく「子供にとってリアルな恐怖」を煽る話を連発、「幼児向け特撮番組」を指向してみせた『マシンマン』の先見性(というか早すぎた警告)。「子供番組は誰のためのものなのか」。当時子供でもないのに勝手に観て勝手にゲラゲラ笑っていた視聴者の一人として、今回のDVD化は考えを改める機会としなければならないのかもしれない。なんちゃって。
 それはそれとしてあの温室からひっぺがしたようなビニールマントや、段ボールかぶってマシンマンのコスプレする小野寺丈、幼稚園からやり直すトンチンカンなど数々の迷場面を観てしまったらやっぱ笑いを抑え切れないんだろうな。潮健児(当時は潮建志)先生が演じたバット男なんか、資料見ると右腕のバットに「BAT」って書いてあるし……「しり」と書いてある尻じゃないんだから……。ああ8月が待ちどおしいー。

 話は変わってバージニア工科大学の銃乱射事件。論点がまた銃社会がどうのこうの、銃規制の是非があーだこーだという話になって、事件の本質から議論がどんどん乖離していってる模様。
 「銃」と言うからなんか特別な響きが出てきて冷静に問題を論じられなくなるのかもしれない。そこでいったん「銃」を「包丁」に一括置換してみるテスト

 包丁規制派による「包丁で人が殺されるのは包丁があるせいだから包丁を規制しろ」という意見は正論のように見えるが、実はこれってちょっと論点がズレていると思う。
 包丁がなくても人殺す奴は殺す。やろうと思えば自作爆弾でも何でも用意して学校持ち込んで、いくらでも無差別殺傷事件は起こせます。平和な日本でもハイスクールスチューデントが学校吹っ飛ばした事件が最近あったじゃないですか。ゆりかもめ爆破しようとした餓鬼とか。
 かと言って、包丁擁護派による「みんなが包丁を持っていれば今回の事件は起きなかった」というのも詭弁じゃないか。
 包丁を持っていれば本当に包丁の使用を抑止できるだろうか。
 最初から死なばもろともな覚悟のヤケクソな相手に包丁を向けて抑止力になるだろうか。よほど力量の差がなければ、へっぴり腰で立ち向かってもかえって犠牲者を増やすだけです。
 そういう場合でも、包丁擁護派は「自分の身は自分で守るのが原則だから相手を倒せなかったヘナチョコが悪い」と言うのだろうか。

 包丁以上に、銃は先制攻撃が有利な兵器である。
 いくらこちらが銃を所持していても、すでに安全装置も外し撃鉄も下ろした銃を構えたきちがいが突然乗り込んできたら、そいつが発砲するより先に射撃・制圧することはできない。せいぜいとっさにどっか遮蔽物に隠れ、同じ部屋にいる他人がズガガガガガと射殺されている間に銃を構え反撃するのが最良の対応だろう。それでも「銃乱射事件」そのものを抑止することは、タイムリープでもしないかぎり不可能である。

 ここで逆に犯人君の立場になってみる。
 もし、自分以外の学生もファカルティーも学校職員も誰も彼も銃を持っていたとしたら? そりゃまあ反撃されるのは痛いしひとおもいに死ねない可能性が極めて大きいから嫌です。そういう状況になったら、堂々と教室乗り込んで銃を乱射するというかっこいい虐殺手段はとりません。
 というわけで、反撃されない時限爆弾か毒ガスでも使いまーす。
 ……なんだ、結局手段が変わるだけで、無差別殺人自体は抑止できないのか。

 包丁であれ銃であれ核であれ、いくらみんなが兵器を配備していても、結局「事件そのものの抑止」には役に立たないのである。
 銃を規制すれば、たしかに「銃による犯罪」は減るだろう。だがこうした「キチガイに刃物」的犯罪自体の総計は、手段を変えてほとんど同じ確率で発生するだろう。ためしに本当に銃を規制したら、今度は爆弾事件や毒物事件が増えると思います。

 すくなくとも今回の事件の場合、チョ・スンヒくんを凶行に走らせた原因とか、問題は銃の有無とは別の次元にあるような気がする。議論が「兵器所持の是非」にとどまっているかぎり、こうした事件に関してはなんの解決にもならないのである。
 今回の事件は、君ら銃規制派vs銃擁護派の戦場ではないと思う。

 同じ轍にはまったのが『ボウリング・フォー・コロンバイン』だ。
 あのコロラドのネオナチかぶれの餓鬼どもの事例も、銃がなければ別の方法でその青春の鬱憤を晴らしただけの話だ。なのになぜ、銃問題を考える映画の背骨にあの事件を持ち出したのか。おかげでドキュメント映画としてえらくとっちらかった作品になってしまった。
 もちろん、あの『サウスパーク』調の「1分で分かるアメリカ史」を上映するだけでもたぶん私は満足したかもしれません。「恐怖をベースにした文化」というキーワードを見せてくれただけでも、私はあの映画に1800円出した価値はあったと思います。
 だからこそ、その「恐怖」のテーマと、銃被害者連れてスーパーマーケットにイチャモンつけたりヘストンたんのお家に突撃して幼女写真お供えするパフォーマンスが、よく脳内で繋がらなくて(1回しか観てないせいかもしれませんが……)。そこが、私が「とっちらかった」と言った理由である。
 マイケル・ムーアが陥った罠に、またハマることはないってば。
 銃規制派は、こういう事件ではなく、強盗事件とか暴発事故とか、そっちのほうから攻めたほうが、話をややこしくしないと思いますよ。

 まあ、「銃」というわかりやすい、人間を殺戮するのにとても便利な道具さえなければ、奴らは青春の鬱憤をためこみウジウジしたまま何もせず生き延び、そのうち別の方面で生き甲斐を見い出すチャンスもあったかもしれない。
 そういう点では、銃規制論議もたしかに無意味ではない。
 だが、この種の事件に関しては銃の有無「だけ」に議論が終始してしまう現状を見ると、本当の問題をほったらかしたままみんな飽きて風化し、また同じ事件が起き、また同じ展開を繰り返すだけのような気がします。
 なんて言いますか、たとえば子供がいじめを苦に首吊ったのを見て、いじめの事実を全くほったらかしたまま「ロープを規制しろ」「いやロープは悪くない」と国を二分して言い合っているような、そんな隔靴掻痒の印象を受けるんですよ。いや銃はロープより危険だと言われたら立つ瀬はないですがもののたとえとして。
 私だって、銃はまちがいなく規制されるべきだし、独立戦争時代の「民兵」を想定して作られた憲法修正第二条(市民の自衛権)は西部劇の無法状態ならともかく法治国家においてはもはや時代遅れだと思っています。別に無防備マンの回し者ではありませんが。
 しかし、アメリカよりちょっと高いぐらいの銃所有率を誇り国民の自衛意識も高いスイスで、人口あたり被射殺者の割合がアメリカの何十分の1しかいない現状を見ると、その原因を全て「銃の存在」に還元するのは一種の思考停止なんじゃないかな……という気がするだけです。この、アメリカだけが「銃所有割合に対する銃撃死割合」が突出して高いという点は『ボウリング・フォー・コロンバイン』でも、隣国カナダの例を引いてちょっとだけ語られていました。
 アメリカでは「犯罪者による射殺」だけでなく、バトンルージュの服部君事件のような「過剰自衛する側による射殺」も少なからず起きている、そのあたりにこのアメリカ特有の現象を解くヒントがあるように思います。

 それはそれとして、不謹慎だとは思いつつもチョ・スンヒたんのナルシス全開フォト集を目にするたび、プププと笑いがこみあげてくるのだよう。
 自殺なんかせずぜひ生き恥をさらしてほしかった。
 簡単に自殺できるという点では、銃は無粋なアイテムであるな。

 全く関係ないけど、サルコジ大統領候補ってボビーに似てるなあ。イタリア系?

 異国の選挙より自分とこの選挙。というわけで投票日当日になって調べもの。無所属の右派・左派会派なんて知らなかったー。市議会レベルでは、ほんとに普段からヲチしてないと誰が保守で誰が革新かなんてわかんねーよー。肩がこる。スーパーで買った鳥弁当もぐもぐ。午後になってやっと投票に出かけるひきこもり。曇り空なれど風がなまあたたかい。気圧のせいか。1500-1630昼寝。つけっぱなしにしてた伊集院ラジオが泣ける。右手人差し指の付け根の関節が痛い。マウスのクリックしすぎか。今日は『風林火山』特に繰り上げ放映なし。都知事選以外はどうでもよかったらしい統一地方選。カレーパンとリンゴクリームパンもぐもぐ。選挙結果、特に面白きこともなく。
4月21日(土)
 いつものサタデーモーニング。サルサの残りをトーストにつけてブランチ。一日かけて、日記、2006年9月1〜15日分までUP。借金完済はもう絶望的ですな
 『世界ふしぎ発見』モナコ。冒頭、モナコの空撮映像が出たところで『コメットさん☆』の最終回がフラッシュバックし、パブロフの犬のごとく涙。おまけにヨットハーバーまで映った日にゃもう、TBSによるわしらへのピンポイント催涙弾かと。「あはっ!」(号泣)。
4月20日(金)
 今朝はちょっとあたたかくなった。また例のでかい原稿の整理。昼、紅梅でカツカレー丼。さすがにげーぷ。原稿整理、夕方までかかる。やっぱりいつも通り3日がかりになったか。はひぃ。書くほうはもっと大変だろうが。
 バンチとまんがくらぶオリジナル読みながらのんびり帰宅。くらオリの「8年前」競作企画、『ほんわかぱっぱ』のアレにはたまげた。そんな裏設定が!? そして『けものとチャット』のダブルニャーはいいのか大丈夫なのかみずしな先生。

【今日の寝言】
 「自分の能力を世のため人のために活かさねば!」と熱望する殊勝な人ほど、うかつに変なニセ世直し活動に身を投じ、結果として何もしない以上に世に害悪をもたらす可能性がある。
 だから、あわてんな。
 動くべき時にはイヤでも動かなきゃならなくなるから待ってろ。
 それまで日々精進して力をたくわえてろ。
4月19日(木)
 今日もくそ寒い。とうとうマフラー引っ張り出す(まだクリーニングに出してなくてよかった)。昨日届いたでかい原稿の整理に追われる。
 昼、焼肉定食。読売新聞の長崎銃撃事件記事、亡くなった市長の紹介文中「反核運動」に一言も触れてないのが面白い。もちろん今回の政治性もなんにもないあほ事件をそっち方向に持っていくのもなんか違うけど、かえって全く言及しないのもこれはこれで怪しいというか、いらん邪推がムクムクとわいてくるのである。
 午後、外で会議。陽は差してきたが気温はあいかわらず。職場に戻ると、健保で注文してた薬品類と血圧計が届いていた。血圧計は親から頼まれていた品。チャンピオン読みながら帰る。まっすぐ帰宅せず、バス乗って実家へ寄り道し、血圧計をデリバリー。残りごはんでもあればまたタダメシにあずかれたのだが残念ながらジャーはからっぽ。まんじゅうとか夕食にならなそうなものばかり掠奪して帰宅。

 先日の日記で「そういえば神道は教団として戦争責任を表明したことってあるんだろうか」とかひどいことを書いたら、神道関係のマイミクさんから「たぶん、ないでしょうね」とコメントを頂戴する。コメントしにくいコメントどうもありがとうございます。まあキリスト教や仏教といった他の宗教も、教派ごとに戦責告白をしてはいるものの、以後の安全対策にどこまで本気で力を入れているのかと言われたら返す言葉もない状態ですから。
 逆境の中で自分たちの宗団を生き残らせるため、信仰を曲げてまで天皇崇拝・戦争協力を押し付けるお上に妥協し膝を屈した当時の宗教指導者たちを、完全断罪することができないというのは、人情として当然である。しかしだからと言って、過去の失敗の過程そのものを不問に付し、一切反省・検証することなく忘却の彼方に葬り去ってしまっては、また同じアヤマチを繰り返すことになる。
 逆に「戦争責任を追及しよう」と言う人たちのアプローチも、「責任追及」イコール「個人攻撃」みたいなことになって(宗派全体を漠然と覆っていた「時代の空気」を検証するよりも、指導的立場にあった特定個人の言行に矛先を向けたほうが的が絞れて攻撃しやすいし)、結局問題の本質を見失う。
 まあこの「個人攻撃指向」は日本にかぎらずジャーナリズムの陥りやすい欠点でして。
 戦後の天皇制問題も「天皇制批判」が天皇個人ないし皇室への限定的な攻撃にすりかわった時点で、議論は袋小路に入るべくして入ったように思います。「天皇制」ってのはお上への付和雷同・少数者の排斥など日本人のDNAに刻み付けられた習性の総称であって天皇本人はその象徴にすぎず、いくら皇室を廃止しようとその思考パターンはいささかも揺るがない。それなのに、戦後アホの一つ覚えのようにサヨクは天皇個人をいじめる一方でもっと広く日本人全体(自分自身も含む)が問われなければいけない肝心なとこをほっぽって、結果日本人のメンタリティは明治以来全く変わらないまま21世紀を迎えてしまいましたとさ。
 侵略戦争にせよ防衛戦争にせよ、「大国難に立ち向かおう!」という時に日本という国がどうなるか。戦争中にもかかわらず、イラクで戦死した兵士の母が反戦運動のシンボルになれるアメリカは、まだまだ健全だと思う。日本だったら周囲の圧力で無理矢理「軍神の母」として祭り上げられ一生何も発言できなくなるのがオチだろう。「戦争のできる国」にしたいなら、まず、「戦争中も思想の自由が保障される国」にするのが先だと思います。
 前の戦争で自分らが何をしたか、何をしなかったか。それを一番検証してほしい人たちが一番検証を怠っている現状では、おちおち戦争もしてられません。
4月18日(水)
 春は名のみのめっさ寒い中、仕事に行く。昨日の打ち合わせの事後処理。昼、たかはしで紅ジャケ焼き定食。塩ジャケが辛い。舌が薄味に慣れきってしまっていたらしい。午後、大きな雑誌原稿が届く。ざっくざっくと下ごしらえだけして帰宅。なんかふぬけて、トーストにサルサのっけて食べて、あとカレーパン1個。

 昨夜の長崎シューティングセレナーデ(←さだまさしに謝れ)の件。「よりによって選挙期間中に」と言いたいところだが、犯人側の立場としては、居場所を特定しやすい選挙期間中(なんたって選挙事務所にあんなバカでかい表札立ててんだから分かりやすいことこの上ない)を狙うというのは実は常套なところかもしれん。ひょっとしたら、日曜日選挙戦始まって駅前にどーんと看板立ったのを見て「あんにゃろアソコにいるのかよーし待ち伏せして撃ったれ」と犯行を思い立ち、ハジキ調達するのにちょっと時間がかかって火曜日DQNもといドキュン……という経過なのではないかと。思えば選挙運動も命がけなのであるなあ。ローマ法王みたいに常時防弾ガラスの中で辻説法するわけにもいかんし。
 しかし犯人の供述が本当だとしたら、市長さんもとんだとばっちりで。道路の穴に車がハマって市役所に怒鳴り込んだら門前払いされて腹いせに、って、市長本人ぜんぜん関係ないじゃん! こういう奴には長崎なんかではなくぜひ東京で車乗って適当なボコボコ路面でコケていただいて腹いせに現職都知事を……はっ! 今私何か言いました?
 でもまあ殺害動機はどうあれ、ああいう活動をしていた重要なキーパーソンだった政治家さんが1人いなくなるということは、必然的に政治思想方面にも影響を及ぼすかもしれない。歴史は案外くだらない事件をきっかけに動いたりするもんですから。サラエボ事件とか。
4月17日(火)
 今日も冷える。また雨降りそうなんで傘用意。いったん職場にカバン置いて歯科検診。戻ってから上司と連れ立ち藤沢へ。
 作家のI先生宅を訪問。雑誌連載時からかなりの反響があったが、まぁ何と言うか、戦争が「銃後の」人間をどう狂わせていくか、という実例を集めた、げんなりするような企画の打ち合わせ。神社参拝強制、「天皇機関説」バッシング、といった一連の日本の国粋主義化は、決してお上からのお仕着せで一方向から浸透したわけではなく、下々の一般市民もマスコミも嬉々としてその片棒を担ぎ、大政翼賛的合同教団に参加しなかった小教派や宣教団を率先して迫害していたことがよく分かる本である。
 15年ぐらい前だったらこんな本出したって「まさか戦後半世紀も経ってこんなことは二度と起こるわけないだろ我々はそんなにバカじゃねえ」と鼻で笑われるだけだったかもしれない。だが、戦前の「神社参拝・宮城遥拝強制」問題は、今や現実に「日の丸・君が代強制」問題として甦りつつある。実際、戦前当時から「別に神社参拝ぐらいすればいいのに何を意固地になってんだ」という意見もあった。だが、逆を返せば「じゃあなんで神社参拝しなかったぐらいで逮捕・投獄・拷問までされなきゃならないんだ?」とも言える。同様に現在だって、冷静に考えれば「なんで君が代歌わなかったぐらいで処分されなきゃならないんだ?」とならんか? 俺、何かおかしいこと言ってる? でも現在は俺のほうが頭おかしいらしい。みんな「日教組が気に食わない」というのは分かるが、「敵の敵は味方」程度の感覚で、今の日の丸・君が代強制の動きをヘラヘラ見逃していると、知らぬ間にとんでもない引き返し不能点を通過することになるのではないか。
 さらに我々は、世界一物質文明が進み住民も理性的と思われた国ただ一度のテロで正気を失い、こないだ謝罪反省したばかりの戦時中の日系人排斥政策と全く同じ(いやもっとひどい)抑圧措置をアラブ系住民に対して加え出し今日に至る、そんな大変な事例が21世紀の御代にもなって展開している現場を目の当たりにしている。大義名分の前には、あのアメリカですら狂うのだ。ましてやさらに民度の低い日本がまた狂い出さないと誰が言えるか。言える人はよほど「日本人」という生き物を買い被っている。東京にテポドンが落ちても、日本人は冷静でいられると思うか。「いや俺たちは冷静ですよ?」と言いながら新大久保で在日コリアンを血祭りにあげそうなんですけど。もちろん都知事が先陣切って。
 そういう意味でも、「今」というこの時期、この本を出す価値は大いにある。
 ……そういえば神社神道は教団として戦争責任を表明したことってあるんだろうか。戦責告白とまではいかなくても、文部省ではなく内務省の管轄下で特権的扱いを受け、結果として戦争の片棒を担いだ「痛み」というものを、少しは意識しているんだろうか。それとも、全部国家神道におしつけて知らんぷり?
 それにしても、ちょっと前までは逆に、「自由主義史観」みたいな話をちょっと口走っただけでウヨクだ何だとボコ殴りにされたもんですけどね。あの時代にネットがあったら、ネチズンは正反対な(そしてそれはそれで危険な)方向に偏っていたと思う。
 左右どっちに傾くにせよ、「時代の空気」みたいなものをカサに着た大多数が少数意見を抑圧し、建設的な議論すらさせなくする。その気風自体が日本大衆の最大の問題だと思う。基本的に「正しいか正しくないか」ではなく、「みんなからカッコイイと思われるか思われないか」で主義主張をコロコロ変えるし。私もヒトのことは言えませんが。
 そういう意味では、どんなにカッコ悪いと言われても街頭に立ち続けた赤尾敏先生の、時代を超越したゆるぎない信念には敬意を表したい。今の世に赤尾先生が生きていらっしゃったら……また左翼に戻られそうだが。

 なんかアメリカで銃乱射事件があったとか。わーアメリカこわいなー銃社会やだなーとか言ってたら、夜になって日本でも長崎で選挙活動中の現職市長が射殺、というとんでもないニュース速報。この事件が、のちに日本史の年表に太字で書かれるか、単なる時事で終わるかは、今後の歴史の行く末次第と。
4月16日(月)【ここまでは2008.09.07更新】
 夜中暑くてふとんひっぺがしてしまい、朝方になって気温がまた下がって風邪模様クラクラ。きのう座りっぱなしだった後遺症で太もも軽く筋肉痛。新聞今朝も来ず。仕事。昼前、しとしとと雨降り出す。昼食は昇龍軒でチャーハン。
 午後、大学時代の恩師・K名誉教授来訪。日本音楽学会の会長も務めた高名な先生だが、在学中はそんなことつゆ知らず、純然たる趣味で「西洋音楽史」の講議を履修しつつ、そのにこやかな歳を経た亀のような風貌を似顔絵にして陰で他のファカルティーとともに4コママンガのキャラにして遊んでいた。なんて奴だ。もちろん顔以上に授業ははるかに面白かった。私の脳内に貯蔵されている西洋音楽関連の教養はほぼこの先生の講議で得たものをベースにしていると言っていい。で、音楽専攻でもない怪しいガキが毎回狭い本館401号教室の最前列砂かぶりに座って聴講してたもんで、先生のほうもすっかりこっちの顔を覚えてしまった次第。もし私が音友とかそっち関係の版元に入ってたらこの人脈だけで学費のモトは取ったようなもんだが、あいにく音楽と関係ありそでなさそで微妙にあるかな程度の職場なので、あまり教え子ヅラして先生に迷惑かけることもなく今日まで来ている。
 今回は私の立てた企画ではなく、音楽マニアの上司の企画打ち合わせに同席。まぁ実務作業は私がやらされる気配濃厚だが。しかし学者とマニアの会話は傍で傍聴しててもついていくのがせいいっぱい、というか内容は大筋しか分かりません。乏しい教養でなんとか企画の学術的意義が理解できただけでもよしとします。
 ニシンの塩焼きと切り干し大根買って帰る。夕刊も来ず。

 朝●の契約が先月で切れ、以来新聞を読んでいない。電車に新聞を持ち込まないと、本の読破スピードが格段に上がる(『オウム裁判傍笑記』をこんなに早く読めたのもそのせいだ)。でもせっかく今月から始まった唐沢先生の書評を読めないのは残念。
 先週金曜日、やっと勧誘員が来たので、半年契約。5月からの契約で、今月末まではサービスで届けてくれるという。
 以来今日まで、一度も届けられていない。
ついにしびれを切らせ、今日の帰宅後、配達センターに電話。 電話したらおっさんが朝夕刊とティッシュ箱持って飛んできた。明日からは無事届くと思う。ひょっとしたら隣の一軒家にでもまちがって放り込んでいたのではないかという疑惑が。というわけで、ああ久しぶりの「ののちゃん」。ああ一面に「折々のうた」がない。
 新聞がないと選挙の結果も党派勢力の動きとか具体的なところが分からないわ『のだめカンタービレ』の放映時間もいちいちフジのHPで調べないとだわ、なんだかんだで不便なものでした。実はかなり新聞依存症が進行していた模様です。やっぱ私のような携帯電話も持たない旧人類に新聞は総合情報ツールとして不可欠なようです。新聞読んでない人というのはどうやって広汎な分野にわたる情報を効率よく仕入れているのか。そうか、宮城まり子ってもう80歳なんだ……。
 そしてさっそく今日の夕刊に、盗作デジタルエロ小説でおなじみの自称女子高校生・綾波美夏のニュースが載っていた。実は男だったのは「まあそうだろうな」と別に驚かなかったが、リアル高校生だったとは……。そうかこいつ高校生のくせにmixi入ってたのか。男子高校生がブログで「私の●毛売ります」とか書いてたのか。なかなかmixi退会しなかったのもブログ閉じなかったのも、単にどうしたらいいか分からなくなって立ち往生してただけか。「エロ小説に埋もれながらネカマになってブログで陰毛通販する男子高校生」の姿を想像すると、心底あわれをもよおします。mixiの事件コミュで 事件経過を見ながら、えらく安達O先生が犯人本人に対して甘いなーと思ってたら、そういうことでしたか。安達先生が刑事告訴を見送った気持ちもなんとなく分かります。
 こういうニュース聞くと、私が高校生の時分にインターネットがなくて本当によかったと心から思います。ファンロードにだって今から思い返すと死にたくなるような投稿をしまくってたのに、もし検閲の目が一切ないブログを立ち上げた日には、どれだけ恥を電子化していたことかと想像すると。まぁどっちみち貧乏で専用PCなんか買ってもらえなかったでしょうが。

 ああやっぱり新聞は読んでおくもんだと。
4月15日(日)
 『マイメロすっきり』。小暮モテてるー! 背まで高うなってるー! 二人称が「駆」になってるー! 浦沢義雄的展開だプンプーン! 柊しゃまがいないからクロミとバクは物件探しー! 今回は特にバーババク変形の意味なしー! 「わたしたちもたべてー」がなんかこないだ観た「ひげ太夫」の動物っぽい。ぶちかまし以外の方法で解決するのはイイなあ。「歴史認識でスッキリ!」とかも何とかならんかのう。
 日記のレイアウト変更作業をしながら『伊集院光日曜日の秘密基地』「おバ歌謡」特集聴く。死ぬほど笑いながら、そういえばここ何ヶ月か「爆笑」というものをしてなかったことに気づく。
 もひとつそういえば昨日今日と新聞が届いてない。
4月14日(土)
 0700起床。朝から『パワパフZ』観る。以降ダラダラと過ごす。
 ビデオで 『のだめ』。指、正確なのは評価するが、ピアニシモでもフォルテシモでも同じアクションというのはやっぱり気になる。特にピアノは見た目で分かりやすいから。
 リアルタイムで『地球へ…』。OPがハイファイセットの名曲じゃなかったのは残念。当然ながら映画よりじっくりと展開。空飛びながら実体弾を撃ちまくるキャリアが反動でちょっとずつだだだだだだと減速し僚機に追い抜かれていくのはイイ。『のだめ』観た後だけになおさら。

【今日の人格障害者福祉】

 昨年暮れ、mixiで大学の後輩に見つかってしまい、マイミクになった。
 冬コミ、その後輩が年下っぽい男を連れて店にやってきた。
 「彼氏」と自称していた。
 後輩は「彼氏じゃない」と言っていた。
 その自称彼氏とは挨拶以外何も会話を交わしていない。
 正月、その「彼氏」からいきなりマイミク申請が来た。
 なんか俺の妖怪レーダーにビビッと来るものがあったので、申請は無視した。
 その後、大学の友人たちのトップページを見たら、複数名のマイミク一覧にその男が入っていた。
 どうも後輩のマイミクを片っ端から自分のマイミクにしているのではないか。
 妖怪レーダーにひっかかった気持ち悪さはコレだったか。
 ちょっと怖くなった。
 しばらく後、後輩はその男と別れたらしい。
 以来、その男は後輩の日記にあれこれ暴言を書き散らすようになった。
 それでも後輩はその男をマイミクから外さなかった。
 その後もmixi内外でさまざまな嫌がらせ行為は続いたらしい。
 ついにマイミクから外された。
 それでも状況はあまり変わらなかったらしい。
 なんでこの期に及んで日記を「全体に公開」のままにしてるのか分からなかった。いや分かるけど、でもそういう場合じゃないだろう。
 アクセスブロックぐらいはかけてるんだろうな。
 友人たちの日記を見ると、その元彼が平然とコメントをつけている。
 友人たちは基本的に無視の方向らしいがマイミク外すほどでもない。
 人格障害者を下手に刺激すると自分にもとばっちりが来るしな。
 今朝、後輩が「mixi退会します」と日記を書いていた。
 地雷バトンかと思ったらマジ日記だった。
 その元彼から個人情報バラすと脅されているとか。
 早く親御さんにでも相談して警察行けばいいのに。まあ警察は実際の事件にならないと動かないからどうしようもないのだが。でも精神科の診断書とかつければ立派に傷害事件として立件できるんじゃないかと思うけど。

 ふつう障害者というのは人に迷惑かけない(かけたくてもかけられない)ので「福祉」とか「援助」とかいう発想が出てくる。
 だが同じ「障害」でも、人格障害者だけは例外的に、他者に思いきり迷惑をかける。
 視覚障害者が子供を育てても視覚障害者にはならんが、人格障害者が育てた子供は人格障害を引き継ぎ被害を拡大再生産する可能性が少なからずある。
 身体障害者や精神障害者は見た目で分かるから就職などにおいて差別され、結果的に社会の中核を担うポジションに立つ確率は非常に低い。しかし、人格障害者は見た目で分からない場合が多いので、特定方面の能力に秀でていればすんなり社会に入り込み、中核を担い、五体満足な肉体と優秀な能力を用いてその危険性を十二分に発揮することがままある。

 しかし、ベンチャー起業や戦時の国家首脳など、ある程度の人格障害者でなければ社会を動かすような仕事はできないという面もあり……。うーん。

 後輩の「ミクやめます」日記は1時間ほどで消えた。

 私の立場では何もできんが、なんとかならんもんかのう。

 「心までか●わになるな!」(川上哲治@『アストロ球団』)
4月13日(金)
 戦前戦中、(別に天皇自身が望んだわけでもないのに)天皇神格化して御真影とか飾らせて宮城遥拝させて、従わない人間を非国民非国民とバッシングしていた人たちと。
 戦後、(別にGHQが何も言ってないのに)教科書にスミ塗らせて回った人たちって。
 同一人物のような気がする。
 ……前にも書いたかもしんないけど、こうした付和雷同気質あらばこそ、日本はイラクのような内戦状態にならずにすんだわけであるが。でもなんとも釈然としない。

 「戦争」という狂騒状態が、国家だけでなく国民の末端までも如何に狂わせていくか。
 そのいい実例を、現在進行形でアメリカがこれでもかと見せつけてくれているのに、それでも日本は戦争をしたがるのか。
 したいんだろうな。

 都合の悪い歴史(事実)を隠蔽した次に来るのは、
 都合のいい歴史(物語)の捏造。

 頭痛の中そんなことばかり考えていた。定時退社。1900前、新聞勧誘員が来る。契約は5月からということで、今月末まではサービスで届けてくれるという。パン食べて寝る。
4月12日(木)
 昨日までの体力抜けぐあいが、やっと通常のヘロヘロ状態ぐらいにまで戻ってきた。バイオリズムのせいか時々こういう期間がある。仕事。さらに回復傾向に拍車をかけるべく昼は大昌苑で豚トロ定食ビタミンB1&脂肪分補給。

 いろいろ読みながら、「無防備マーン」という在り方は、自国に引きこもる場合ではなく、むしろ外地に出て行ってコミュニティ植民する場合においてはアリなのではないか、という気がしてくる。
 移民などのように平和的浸透を目指すなら、「我々は別に武力侵攻しに来たわけじゃないんですよー」という態度を示し先住民の信頼を得る戦略の、何がおかしいというのか。われわれだって、ご近所にオープンフィールドの農場ができるのと、がっちがちに防備固めた要塞ができるのとでは、確実に心証が違ってくるだろう。
 ……それを「自国防衛」にまで適用しようとすると話がおかしくなるんだけどね。壁もカギもない家は、ドロボウを誘致しやすく、ご近所にとってもかえって防犯上迷惑だったりするし。
 いずれにせよ、過剰に自分を捨てず、かと言って意識を自分のことにばかり集中せず、マクロな目とミクロな目双方を兼ね備え「周囲の中の自分」という視点で自らの在り方を顧みることが大事ってことで。「周囲の状況の中で、ここで自分がどう動けば周囲がどう動き、状況がうまく回るか」。自分自身も盤上のコマの一つにした上でのチェスプレイ。国際関係から人間関係まで、当然と言えば当然のことなんだけど。


【今日の「日本人の宗教観」その1】

 朝のNHKニュース観てたら。

 「メキシコでは、キリスト教で最も重要なお祭り、
 キリストの魂の復活を祝うイースターが祝われています。」

 ……「『魂の』復活」、ですか。
 NHK的コードでは「復活」なんて非科学的なことは言っちゃいけないというわけですかそうですか。
 それともニュース原稿書いた人がムスリムか幸福の科学の会員なのか。統一協会という線も。
 いちおう宗教の教義は変にアレンジせず普通に紹介してあげてよ……。
 これでいくとお釈迦様のエピソードも
 「生まれてから7歩歩いて天上天下唯我独尊と言った『ように見えた』」
と紹介されるのだろうか。


【今日の「日本人の宗教観」その2】

 赤龍館さんの「トールキン関連本の紹介」に、例の本がエントリーされてたのを発見する。編集作業中より「赤龍館でバカにされないような本を作ろう」を合言葉に訳語や引用にも気をつけて原著の間違いまでチェックしてがんばって作った本だったので、感慨深いものあり。
 で、なんとレビューされるのか楽しみだったのだが。

 作品の中にキリスト教的世界観を読みとり、キリスト教作家としてのトールキンの実像を浮き彫りにする解説書とのこと。
 トールキンとキリスト教を結びつけた翻訳本の第3弾。作品の引用に既存訳を使っているのはよいが、この手の本はもういいような…

 「第3弾」……。
 「この手の本はもういいような…。」……。

 よほど「第1弾」と「第2弾」が期待はずれだったのだろうが……。
 きっとあの本とあの本のことを言ってるのでしょうけど……。
 「トールキン」「キリスト教」の二題噺ってだけでアレと同列に扱われちゃったみたいで、けっこうショボーン。

 こっちの本は、大学で長年トールキンやってきた現代英米文学のえらい学者さん(日本では知られてませんけどアメリカの濃いトールキニアンなら大概知ってるはず)の書いた、きちんとした文学論だったんだけどなあ。
 「トールキンは自分の作品世界が自分のキリスト教信仰と矛盾しないことを公言していた」ことはよく知られているけど、じゃあ具体的に指輪やシルマリルのどこがキリスト教なのか、その世界観がどうキリスト教なのか。そこを逐一解説した、たぶん日本語で読めるまとまった文献としては初の出版だと思ったんだけどなあ。「この手の本はもういい」と言われるほど、先行類書ってあったっけ? 俺が知らないだけですか?

 思うに、日本のトールキニアンは、そもそも「トールキン作品がキリスト教的世界観と無縁じゃない」という一般常識を指摘・具体的に例示されること自体がお気に召さないのかもしれないなあ。
 資本主義も共産主義も、社会福祉もカウンセリングも大学制度も、キリスト教文化圏で生まれた全てのものを、キリスト教を抜きにして自国に持ち込もうとしてわけわかんなくしてしまうのが日本人の特徴だからなあ。和魂洋才。
 「宗教と縁がある」=「恥ずかしいこと」みたいに捉える感覚は、まぁ先進国の国民は多かれ少なかれ持ってるもんですが、日本は特にその傾向が甚だしい。冠婚葬祭とかもともと宗教儀式だったものすらどんどん脱宗教化しようとするし。
 そこまで宗教色を忌避しながら、バカカルトや宗教まがいの変なセミナーや嘘健康番組にひっかかる確率は決して他の先進諸国より低くはない(むしろ高いぐらい)んですから何をか言わんやですが。さっきの「冠婚葬祭」だって、唯物論に従えば葬式なんかやる意味はないのだが、なぜかそこまで徹底しないところを見ると、やっぱ「おぼろげな宗教意識」は捨てきれないんですよね。そのへんにバカ宗教の付け入る隙が生じるのであるがそれは別の話。

 たしかにトールキンの作品はC.S.ルイスみたいに露骨な寓話じゃないから、「キリスト教とは関係ねー」という解釈を許す余地はあります。
 「キリスト教が誕生する以前のはるか昔の歴史を語った物語だからキリスト教とは関係ない」という主張は欧米でもやっぱよく出てくるそうです。ディズニーなんかその露骨な寓話である『ナルニア』すら「キリスト教とは関係ないお話」と言い張ってますし。いわんや『指輪』をや。
 でもなんでトールキンが「キリスト教作家」だったら都合が悪いと思うのか。
 たとえばバッハの作品はルター派の信仰と切り離せない。バッハが音楽を軽視する啓蒙主義や音楽を否定する敬虔主義とバトルしながら作った宗教曲を、お前ら宗教曲と知った上でアレルギーもなく平気で聴くじゃん。聴きながらキリスト教ウンチクのひとつふたつひねくり出して悦に入ったりするじゃん。なぜトールキンはそういう読み方しちゃいけないのか。
 ……逆を言えば私のほうが極端に宗教アレルギーなさすぎなのかもしれませんが。腹にサナダムシでもいるのかもしれません。

 まーなんだかんだ言って、その作品がどういう背景を基盤に作られたか知らなくても、作品は楽しめますけどね。神戸監督やおけやあきら先生の思想背景なんか知らなくても『コメットさん☆』は面白いし。そういうことですか。
 「一つの指輪」を核兵器のメタファーだと解釈して「ガンダルフを大統領に」キャンペーンを張った60年代米国の大学生とか、お話を作者の意図と違う方向に解釈(ないし単純化・矮小化)するのはまあ勝手と言えば勝手なんですが。

 でも、ただお話読んでワーイと楽しむならそれでもいいですけど。
 ある程度作品世界を研究しようというなら、そういう視点は無視できないと思います。
 キリスト教を無視して英米文学を研究するって、仏教を無視して『西遊記』を研究するぐらい無茶な話だと思います。

 これまでブログや愛読者カードでわりと好意的な感想ばかり読んできただけに、大御所にうってかわってせつない評をつけられると、必要以上にショボーンとなってしまうのだよう。
 せめて「コンチクショー今に見てやがれギャフンと言うような本作ってやる」と闘志を燃やしてみることにする。
 次にトールキン本作るのは何百年後か知りませんが。
 てゆうか、これまでさんざん他人の本を作者の意図とは違った読み方ばかりしてきたバチが当たったのかもしれませんw。人を笑わば穴二つ。
4月11日(水)
   教科書検定「自決強制」検閲ネタでバカ画像作ってみた。ってセリフ2箇所変えただけじゃんか。

【今日の寝言】
 誤解を怖れずに言えば、「グノーシスは宗教界のヤンキーである」という仮説。
 実際のところもっとシンプルなはずのユダヤ教やキリスト教の世界観を、わざわざくそむずかしく解釈し把握し直した上で、「こんなムズカシイ真理を理解できた俺ってスゲエ」と階段100段抜かしで神の域へとジャンプし、真理のグノーシスに目覚めぬ無知蒙昧な世人を見下す。現代だと、密教にのめりこんだ末に「選民」化したオウムとかを思い浮かべていただいたほうがイメージしやすいかもしれない。
 そして、「俺たちは上の世代のオタクとは違う」と無闇に自分らを特別視したがる若い世代のプチインテリオタクも、そうしたグノーシス的ヤンキーの一種かもしれない。で、上の世代に対する自分らの特異性・優位性を担保してくれるような東浩紀とかの言説をチヤホヤすると。シンプルなことをわざわざくそむずかしく解釈し、結局わけわかんなくなり論理がバーストするまでこねくり回し……。
 ま、グノーシストが世界をどう解釈しようと、世界の構造はなんら変わりやせず、あいかわらず日は昇りまた沈み、薔薇の木に薔薇の花咲き、オタクはコミケに集まるだけなんだけど。
4月10日(火)
 朝方健康診断のため新宿へ寄り道。特に異常なし。
 パン買って1030重役出勤すると、敷地内でなんか大掛かりな撮影の準備をしている。ちょうどばったり会っただんつまさんの話によるとキムタクが来るらしい。どうりで警備員の数が異常に多いわけだ。仕事をしながら窓の外を観察。マイク付き釣り竿などの録音設備がなかったところを見ると、どうもドラマや映画ではなく車の広告写真っぽい。2、30人はいようかという大勢のスタッフが照明を中心に山のような機材を設営し、キムタクダミーの人を使った入念なカメラテストの末、午後かなり回ったところでようやく本物のキムタクらしき人出現。ダミーじゃないキムタクが赤い車に乗ったところをぱしゃと撮影したと思ったら、魔法のように機材が撤収され、30分もせずに窓の外はいつもの駐車場に戻っていた。プロの仕事を見た。

 帰宅。mixi逍遥。まさか「もちろん、性的な意味で。」コミュがあるとは思いませんでした。すでに「コメットさん☆」コミュの参加者数を超えてるしw

> 管理人は元ネタのことを全く知らないので詳しい人どなたか
> 説明をお願いします。もちろん、性的な意味で。

 というのもなかなかいい度胸だと思わないでもないが。ともかく、『マイメロ』のような凶悪…もとい、すばらしい原作があってこそ、俊俊さんの同じ意味ですばらしいマスターピースも誕生し得たのであろうとしみじみ思う。いいぞがんばれもっとやれ!(アニメスタッフも俊俊さんも)。

【今日の寝言】
 「話される言葉」と「書かれる言葉」の効果の違いについて、ふと無意味に考えてみた。

 テキストとしての言語は、目から入ってくる。
 かたや音声としての言語は、耳から入ってくる。
 視覚情報は、受け手が能動的に「見よう」と思わなければ知覚できない。
 しかし聴覚情報は、そこまで能動的なアクションを必要としない。
 目は限定された視野しかなく、視線の向いた特定方向以外の情報は何も感知し得ない、その上目をつぶってしまえば何も見えなくなる。
 しかし、耳はどっちを向いてても周囲の音が全て聞こえるし、寝ててさえもある程度聞こえる。視覚に訴える目覚まし時計が存在しない所以である。
 テキストは、相手に「読もう」という意志がなければ、何ギガバイト費やそうと1文字たりとも読んでもらえない。
 しかし音声は、再生さえすれば、聞こうという意志のない者にもある程度聞かせることができる。

 俺のことが好きな人間、俺のことを知りたがっている人間には、テキストを提示すれば事足りる。黙っててもみんな読んでくれますから。
 しかし、テキストには、俺のこと嫌いな人間、俺のことを何とも思っていない人間、俺に近づきたくもない人間を振り向かせる力はない。
 話者に対していい感情を持っていない人間、関心すら抱いていない人間に向けて、言葉で何らかのメッセージを伝えるには、「書かれた言葉」ではなく「語られた言葉」でなければ伝わりやしない。

 文章を書くスキルに関しては一般人よりはマシかもしれんが、発声法とか話術とか喋りのスキル全般に関しては身体障害者レベルの俺には、自分をうさんくさくうとましく思っている不特定多数に何かを伝えるだけの力はないのであるな。

 ……いや、別に徹夜で書いたラブレターで洟をかまれたとかいうわけではなく、統一地方選挙関連のネタというわけでもなく、こないだ借りた『神様の食卓』読んでてふと思っただけです。全く内容とは関係ないんですけどね。
 こっちのことをうさんくさいなあと思っている人間を引き込むにはやっぱ喋りのスキルだよなと、読みながらしみじみと。
 いやそもそも書くほうのスキルだってダメダメじゃん。
 人間の会話というものが書けないから小説から漫才台本まで全くダメ。
 メールの返事や掲示板のレスすら億劫なコミュニケーション不全状態で。
 なんかもうどうしたらいいのかと俺。
4月9日(月)
 曇って気温もちょっと低めだが、コートまではいらなそう。しかし妙に眠い。目がしょぼつく。
 統一地方選挙。埼玉県議西1区(定数4:候補5)のイスとりゲーム、共産党が返り咲き、かわりに自民現職2人のうち片方が落ちる。つまんない都知事選にひきかえ、それ以外の地方ではじわじわと与党の凋落が進んでいる。再来週の市議会選挙、そして夏の参院選はどうなりますやら。
 仕事。ほぼ一日中会議。昼も会議室で弁当。1500過ぎ、どざーと大雨。
 明日は健康診断なので健康的に寝ておく。
4月8日(日)
 0800起床。さすがに体力が抜けてるかんじ。

 噂に聞いた『鬼太郎』観てみる。猫娘かわいいよ猫娘。前髪を適度にバラすだけでこんなに変わるもんなんですね。へそ出しルックでティッシュ配りはさすがにやりすぎかもしれませんが、個人的にはこっちにもいいぞその調子だもっとやれと心からの声援を送りたい気持ちでいっぱいです。そもそもツリ目三白眼娘フェチにはたまらんです、メテオさんとか『無敵看板娘ナパーム』の甲斐の妹とか。おやおや猫娘って鬼太郎より背が高いんですな。そうかそれで鬼太郎はゲタをw。鬼太郎のやつ口では父さん冗談はよしのすけとか言いつつ実は大いに脈があるんじゃねーか、と妄想して萌えてみます。脚本も(まだ1回しか観てませんが)それほど社会派社会派せず、現代的メッセージと水木マンガ的不条理さ(というかキモチ悪さ)のバランスを取ろうとがんばっている様子は窺えます。鶴岡法斎先生の評価が気になります。ゲスト妖怪にキンドコングが出たら欽ドン賞決定なんですが。

 『マイメロすっきり』。第2話でも、かわいそうなゾウはとことんかわいそうなことに! 「マイメロちゃんでスッキリ」、やっぱそういうことか! 欲望を満足させる方向でスッキリする方法もあるのか! つうかそれは文字どおり「もちろん、性的な意味で」のメタファーだろ! いいのか本当に!? そしてゾウ並みにかわいそうな扱いの小暮! ああもう黒い! 黒すぎる! 時間短縮されたぶん黒さもぎゅぎゅーっと凝縮されて、そろそろ事象の地平面が出現しそうだ! 脱出できねえー! バクに魔法をかけて変型・使役する新機軸にも期待が高まります。もはやバーバパパです。ダーちゃんがバクに消化されたのにいまだ活動を続ける手下たちには中核派かオウムのようなもの悲しさを感じますが、あのクロミのティアラがいっぱいになると復活するんですかねやっぱ。クロミも少しは懲りろ。

 イースター礼拝。教会で沖縄そばちょっと食べ、家に荷物置きに戻って、チャリで実家に帰って選挙。行楽日和のいい天気。ぽかぽか。今日は投票率低そうだなあ。ぽかぽか。

 スーパーでトンカツ弁当買って帰り、45分早くスタートの『風林火山』、これがもう「晴信×勘助」大爆発の鼻血ブーな回。混浴露天風呂にて乙女のごとき勘違いでおやかたさまに愛の告白をしてしまう純情勘助タソにハァハァ。その勘助の純情を「ばーか!」といじめもてあそぶおやかたさまの攻ぶりにも、それがしのやおい回路は萌え尽きるほどヒートしてござりまする。「気持ち悪いことを申すな!」。ああもうこいつらってば戦国の世に何をやっておるのか。やったらしいことしちゃってんだろこの助平がーチョンチョン! そりゃ晴信のヨメもあまりのアチチぶりに勘助にヤキモチ焼くってもんだ。やっぱ面白いよ『風林火山』。

 そんな萌え心に冷水をぶっかけるかのごとく、やっぱり都知事選は面白味のない結果になりそうだ。反石原票がこれだけ分散しちゃったらダメだろう。(どうせ黒川は反石原票バラけさすために出馬したグルだろうし。) せめてイエス様が出馬してれば。 あとの楽しみは外山恒一タソに冗談票が何票入るかですか。 あんのじょう投票率は東京以外低いし。
4月7日(土)
 0700起床。茗荷谷の教会で友人の結婚式の手伝い。
 そこからタクシーで池袋に出て、ホテルメトロポリタンで披露宴。こんな普通の披露宴に出るのは何年ぶりだろう。だいたい私の友人というとズボラというかめんどくさがりが多いので披露宴も学食で立食パーティーとか安上がりなのばっかりなので、たまにこういうコース料理が出て新郎新婦がキャンドルつけて回って友達がよってたかって作ったビデオを上映するようなベタな披露宴に出ると新鮮である。もちろんご祝儀もそれ相応に包む。さすがメトロポリタン、飯ウマー。新郎新婦は食べるヒマがなくてかわいそう。
 二次会会場のサンシャインに移動、催事場でやってた古本市にひっかかる。週刊ベースボールのBNが山ほど出てたが、目当ての号は見当たらず。イワオー。1700の開始ギリギリまでねばり、エレベーター昇ってクルーズクルーズにかけこむ。何しに来たんだおまえ。二次会はもう同窓会といった体で(新郎新婦は大学の同じサークルの先輩後輩なのである)、新婦のほうしか知らない学外友人の私はただごはんぱくぱく食べるだけ。つくづく何しに来たんだおまえ。新郎新婦はここでたらふく栄養補給できてちょうどよかったかもしれんが私はげーぷ。食べ過ぎによる下痢が心配で、特急で帰る。2000過ぎ帰宅。
 第36回嘘競演投票終了。こんなにもらっていいのか。かえって落ち込む。てゆうかクラウザーさんの中の人状態だ。僕がつきたかった嘘はこんなのじゃないのに……。

【今日の寝言】
 日本がこんなに右傾化したのは、中国韓国が反日教育やったりして日本を叩きまくったことへの反動がいいかげん臨界に達したせいのみならず、我が政府も叩かれるたびにその場しのぎの談話声明を繰り出し、かえって身動きが取れなくなってしまったことに対するイラ立ちもあろう。
 なんでだろうね。謝罪と補償を要求されたら、正直に「その償いとして我が国は戦後多額の円借款で貴国復興に尽力してきました」と実績をアピールすればいいのに。なぜしてこなかったのか。
 そして、本当に「侵略」を憎み、過去の自らの行為を反省するなら、「自らの侵略を悔いるだけに、中国がチベットや新彊ウイグルで同じ轍を踏んでいることを深く憂慮する」と言えばいいのに。それで中国が怒り出すようなら、彼らも結局日本のことをとやかく言えない同じ穴のムジナなのであって。
 ……そういう本音トークを言えないあたりを見ると、やっぱり我が国は、本気で過去を反省していないのかもしれない。
4月6日(金)【ここまでは2008.09.04更新】
 仕事。昼、銀行で3万円新券に。臨時出費大すぎ。コンビニでおにぎり3個。

 関西学院大学キリスト教と文化研究センター編『聖書の解釈と正典』(キリスト新聞社、2007年)ぱらぱら読む。
 辻学氏が指摘する、キリスト教徒がよくやりがちな「聖書の都合のいいとこはそのまんま受容し、都合悪いとこは『いやそれは当時の文脈に照らし云々』とぬかす二枚舌な読み方」(大意)って、なんか日本の西洋文化受容にそっくりだなと。資本主義とか哲学とか福祉とかカウンセリングとか社会システムとかはそのまんま受容するのに、その根底にあるハズのキリスト教のことは「いやそれは西洋と日本との文化の違いでムニャムニャ」と言って無視する。それで本当に資本主義の精神(蓄財だけではなくそれを公共の福祉のため有効に提供する)とかカウンセリングの「傾聴」の姿勢とかが理解できるのか? エントとトロルぐらいの別物にならんか? と思うのだが。

 「統一地方選挙」と言いながらニュースや新聞・雑誌やyoutubeには都知事選の候補ばっかり出るのでついつい忘れてしまいがちだが、うちの県も明後日選挙なんだよなそういえば。県議レベルだから政見放送も放映されないし、どんな候補が出ているのかすら分からないありさま。
http://www.senkyo.janjan.jp/prefecture/11.html
 うわ、半月後は市議会選挙もあるよ。

 東京都民のみなさんは、また向こう4年間うんこ味のカレーとカレー味のうんこのどっちを食わされ続けるかという苦渋の選択を迫られて大変だと思います。ちょっとした小国並みの人口と予算を掌握する王様の選挙ってことでマスコミも他の選挙以上に注目するのも分かります。
 でも、自分が投票もできない候補の政見ばっかり見せられてもなあ、と他の46道府県の人たちは内心思ってるんじゃないでしょうか。「東京の課題」は分かったけど、「おらが村の課題」は全然見えてこねえだ。もしかしたらおらが村は知らんうちに夕張市まであと5ミリの断崖絶壁に追い詰められているのかもしんねえだが、だとしてもなんの話題にもしてもらえねえだ。マスコミはきっと財政破綻した後で嬉々として飛びつくにちがいねえだ。だから破綻するまでは放置してるにちがいねえだ。そうですかそういうことですか。
 ……明後日は都知事選挙以外の投票率、めっちゃ低いんだろうなあ。
4月5日(木)
 今日も朝から冷える。たまっていた古紙をどーんと輪廻転生させ、ちょっと家が片付く。仕事。昼、志乃原で大せいろ。午後もだらだら仕事こなし普通に帰る。

 こないだ亡くなった鴨志田穣ってイワオの高校の先輩だったんだ……。別にそれがどうというわけではないが。
4月4日(水)
 何部屋もある家に住む夢をまた見る。壁という壁にたっぷり収納棚が設置してあって、もう本なんか置き放題ですよワワーイ。……私の深層心理の欲望ってわかりやすいなあ。

 きのうの統一協会幹部パラグアイで誘拐の件。原理の食口はどうでもいいが、それより一緒に拉致られた現地のおまわりさんが心配だ。彼女連れで、ニュースで「携帯電話で署に通報しようとした」とかのどかなことを言ってたので、たぶん非番だったのだろう。まあ下手に勤務中でピストルでも持ってたら銃撃戦で死者が出てたかもしれませんが。 原理社長サンと原理秘書は金の成る木ですから中世の戦争捕虜みたいに大事にされるでしょうけど、金持ちハポネと違って身代金取れるアテもないおまわりさんはどうなることか。
 mixiで、例の統一協会が何十年もダラダラ掘削中の日韓海底トンネルをパラグアイまで掘って救出したらどや、という案が出て大笑い。現在の写真も見てさらに大笑い。海底トンネルをユンボで掘るなーっ!! 開田先生たちが社会科見学に行ったらその場で笑い死にしそうなローテクぶりだ。オウムのかっこいい水中都市構想(ドラム缶と洗面器で潜水艦作って信者が溺死しかけた)とどっこいどっこいの計画性ですね。

 mixiといえば、上祐が今度は「オウムと密教の検証・総括」とかいう新しいコミュを作ったとか。「他宗派の人や学者がチヅオをほめそやしたから私はだまされたんだー責任者出てこーい」みたいな内容の上祐ワンマンショーになりそうですありがとうございます。

 それはそれとして仕事。昼は紅梅でタケノコごはん&サバおろし煮定食。春の味覚。普通に帰り、本屋で『と学会年鑑ORANGE』買う。年に一度の舞踏会に招待されなかった寂しさを覚えつつ。西友で不健康そうな満腹弁当買ってぱくぱく。
 夜、かなり冷え込む。雪降ったところもあるらしい。なかなか本格的春にはなってくれん。

【今日の読書】
 先週、古本屋のワゴンで買った『オウム裁判傍笑記』(青沼陽一郎著、2004年)を風のように読了。

 チヅオちゃん一審死刑判決から1ヶ月足らずの緊急出版なせいだろう、本文はなんのデザインワークらしいこともしてない43字×20行棒組み、挿絵も一切入ってない極めてシンプルなレイアウト。しかも336ページもあるのでかなり手こずるかと思ったら、意外にもサクサク読めてしまった。何も内容がオウムだからというわけではない(オウム本でもクソつまんなくて放り投げた本はいくらでもある、いやむしろそういう本のほうが大多数だ、特にオウムフィーバー当時の便乗本)。足掛け8年に及ぶ退屈きわまりないオウム法廷のエッセンスを的確に要約・編集し提示し得た著者の構成力と文章力の賜物である。

 ふつう「オウム裁判を本にしましたー」と言えば、被告や証人として登場したチヅオや弟子どもの言動にばかり注目し「キャラクター化」するもんである(実際、同じ著者が監修した例のフジで放映された法廷アニメはチヅオたちのキャラクター性を前面に押し出す作りになっていた)。新聞報道も、だいたい被告が何を言ったとかどんな奇行をしでかしたとか、珍獣オウムの連中がどんな芸を見せてくれるかにばかり注目していた。
 が、本書の大きな特徴は、そうした裁かれるオウム関係者だけでなく、裁く側の裁判官、検察、弁護団、刑務官に至るまで等しく「オウム法廷」という不条理劇のキャラクターとして描写しているところである。オウム法廷を担当した東京地裁刑事1部〜16部の各裁判長ごとにこんなに審理の指揮に違いというかクセがあるのかとか、チヅオにくっついた12人の国選弁護団のキャラ分けとか、普通のオウム本や新聞報道では書かれていなかった(しかし「オウム法廷」を研究する上では決して外せないはずの)情報が、本書にはうれしいぐらい詰まっている。長年(ほんとに長年)この不条理劇に付き合い、役者たちの台詞回し、性格、感情などなどをナマで見つめ続けた著者ならではの貴重な二次資料である。
 なぜチヅオ裁判が裁判としてのテイを成さず、多額の血税をドブに捨てて演じられた(257回にわたる一審公判で国選弁護団に食われた税金だけでも4億円を超える)長い不毛な不条理劇となりはてたのか。著者の怒りと呆れとメランコリーの入り交じった筆致が、そのしょーもない内幕を暴き出してくれるぞ。
 とりあえず、弁護団があんな戦術をとりやがった理由、ひいては被告とコミュニケーションすらとれなくなった理由もよーっく分かりましたなるほどなるほどそういうことですか。最後の被告人質問のくだりにはあたしも「バッキャロー、税金(カネ)かえせー!」と叫びたくなりましたよ。

 さてこの本、さっきも書いたように、挿絵が全くない。つまり、チヅオちゃんの面白答弁や不規則発言、意図不明の行動の数々を、読者は純粋にテキストだけで追体験することになる。
 それが非常に面白い効果を生み出していた。
 私はチヅオの言動が出てくるたびに、あの尊大なヒゲデブ麻原彰晃の姿ではなく、『神聖モテモテ王国』のファーザーの姿が脳裏に浮かんでしょうがなかった。
 ……そうか! そういうことか!
 「常識」と「非常識」の相克が生み出す異次元空間。
 「常識」が「非常識」を裁こうとするものの、「常識」の側が「常識」を振りかざせば振りかざすほど「非常識」を理解できなくなっていき、当事者には苛立ちを、傍観者には狂った笑いをもたらす発狂した世界。
 その点で、チヅオ裁判は『神聖モテモテ王国』である。
 日本語の文法すらおぼつかないくせにインチキ英語を駆使しトンチンカンな妄言をたれ流すチヅオと、チヅオの一審の大半に付き合ったせいで裁判が長引き出世まで遅れた阿部文洋裁判長のとほほな掛け合いなど、まさにファーザーとオンナスキーの親子の会話である。こいつらトンカツ食いながら裁判してるような気がしてきた。実際にファーザーが起訴されたらこんな法廷劇が繰り広げられるんだろうなあ。
 いやはや、現実世界で(脳病院でも阿片窟でもなく、よりによって法廷で)こういうマヌケな会話(いや会話にもなってないか)が交わされていたこと自体、奇跡空間である。
 チヅオ裁判、1回ぐらい傍聴しとけばよかったなあと今さらのように。

 そんなわけで、佐木隆三の『「オウム法廷」連続傍聴記』シリーズを読むほど気力とお金のない人には絶対オススメです。刊行時に定価で買って読んであげればよかったと後悔してます。

 そして、これだけ第一次資料にあたってきた人の結論が、俺の思いと同じだったのが、ちょっとうれしいというか、やっぱそうなのかというか。ご苦労様でした……。
4月3日(火)
 1000より巨大本の出張校正。印刷所でお弁当出してくれる。1730までみっちり。ああつかれた。
 帰りに馬場のラムタラで『マイメロ』第二期のDVD1,3-5巻を安売りしてたのでゲット。第一期は出るそばから定価で買っていたのだが、定価で買い揃えたあとでDVD BOX(特典になんとクルミ・ヌイのフィギュアつき)なんて出されちゃったもんで一気に購買意欲が吹っ飛び、第二期は買ってなかったのである。もうあんな悲しい思いはしたくないので。大人なんてきらいだ。
 『オウム裁判傍笑記』読みながら(面白えなあ)帰宅。西友のシャケ弁当もぐもぐ。

 パラグアイで統一協会幹部&秘書が誘拐の報。宗教差別というわけではないですが、申し訳ないがあまり気の毒な気がわいてこないのが正直なところ。
 そういえば1997年のアルバニアのネズミ講暴動ん時も邦人で最後までアルバニア国内にもたもた居座ってドイツ軍のヘリで脱出したのも統一協会の連中でしたし、なんであいつらはこう毎度毎度ややこしいところで活動するのかと。
 身代金払うならわしらの税金でなく自分らで払ってほしいもんです。まあそれもインチキ霊感商法や信者の奴隷労働で得たゼゼコなんだけどさ。とりあえずさらわれた社長がパラグアイで買い占めた教団用地を売却すれば15万ドルぐらい調達できんじゃねーの?
4月2日(月)
 今年度の仕事初め。ああもう4月か。先月はもうドタバタスタバタして2006年度の有給休暇を処理するヒマもなく。4月にでかい新刊を抱えてると大変だ。
 職場の人の親戚が交通事故死。これで2人目だという。やっぱり日本は車が多すぎると思う。
 明木先生より『楽は楽なりII』献呈本頂戴する。おそれおおすぎ(汗)。この「『いま』鳴ーるー汽ー笛ーはー」式の旁譜のアテ方、中国の音楽学者さんは今まで誰もああいう発想が出てこなかったのか。コロンブスの卵であるな。復元譜も三線引っぱり出して弾いてみたい。1曲目とかマザーグースっぽいメロディでイイなあ。
 昼はちょっとがっつり食べておこうと昇龍軒でチャーハンギョーザ。

 ふらふら帰り、西友の生姜焼き弁当もぐつきつつ昨日のビデオ観る。『電王』面白いよ『電王』。平成ライダーもやればできるじゃん。この調子で、また途中でメインライター総入れ替えなんてことにならず突っ走ってほしい。『マイメロ』10分バージョン第1話。マイメロも第三期。10分に短縮されてどうするどうなると不安がよぎったが、いざ放送始まってみたらそんな不安は銀河の彼方へ飛んで行ってしまいましたよ。だーははははサブタイの「お花畑でスッキリ」ってそういう意味かよ! 本当にサンリオは何も苦情言わないのか!? かわいそうなゾウ((C)俊俊さん)がついに餓死! 歌ちゃんもはや人類じゃねえー! 黒い! 黒すぎる! これなら満足だ! 『ロビーとケロビー』、つんくの主題歌はきっと辻だけでなく加護も歌うことになってたのだろう。
4月1日(日)
 鎌倉で恒例の『コメットさん☆』ファンのお花見。0710過ぎ出発。すごくいい天気。ビールがうまそう。0915にはすんなり鎌倉着。駅西口に出るとなぜかおまわりさんがいっぱい。まさかこんなところでオタク狩りじゃあるまいな。コンビニでごはんとポカリとメロンパン買って(酒は他の人がたんまり持ってくるだろうからめぐんでもらう算段)集合。今回はまたいつもの桜の木がぜんぜんないトイレ脇広場に戻り、いい天気の下、BGM流しつつ酒盛り。
 ふだん屋外で呑む習慣がないせいか、日なたで酒呑んでると頭が痛くなってくる。二次会には参加せず、くれじじさんと1616発臨時電車で帰る。これがなんと横浜から西国分寺を通って大宮まで出るというすごいコース取りの電車で、おかげで都心に出なくてすみ、ものの1時間半ちょいで所沢まで帰ってきてしまった。まさに星のトレイン。頭痛で寝ていて、どんな面白い径路を通ったのか見てなかったのがくやまれる。
 シャワーあびてナロンエースかっくらってベッドにもぐって、1800から翌0630までぐっすり。
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