序章 大嘗祭とは?

INTRODUCTION
" What's the Daijo Sai ? "


 1991年11月23日。うららかな小春日和。
 あの、日本のインテリ層やマスコミ・宗教界を揺るがした大騒ぎから丁度1年。まだ1年しか過ぎていないにもかかわらず、あの頃、何が日本を騒がせていたのか、思い出す者は皆無に等しかった。もっともこの「激動の時代」とやらの中で、1年という時間は長すぎた。溢れるメディア、それをもってしても捌ききれない情報量。戦争、革命、地震に火山、人災天災アラカルト。昨晩の献立も覚えていられないこの時代、あの大嘗祭の事など誰が覚えていよう。それよりも有識者は内閣改変やソ連の動向に心を奪われ、大衆の関心は「即位の礼」1周年の翌日に発売されたアイドルの写真集に集中していた。
 あの騒動はいったい何だったのだろう。日の丸の小旗をはためかせながら走る小田急バスを眺めながら、三百六十五日も前の太古の昔に思いを馳せた。

 大嘗祭。

 何十億もの国家予算と、政府・民間双方における激しい議論とをつぎ込まれ、その全てを跡形もなく呑込んでしまった、ブラックホールのような儀礼。あの膨大な有形無形のエネルギーはどこへ消えていったのであろうか。結果として何が日本に残ったというのだろうか。それを問う者もまた今や皆無に等しい。
 「済んだ事を云々しても始まらない」「やってしまったものは仕方ないだろう」「何を今更」「くどい」「しつこい」「古い」「他に考えることはいくらでもあるのに」……我々は「議論停止」の呪文をいくつも知っている。我が国では、過去は反省するものにあらず、水に流すものである。そうでなくともこの情報過多の時代、あらゆる情報を記憶し吟味し議論しようとすれば三日で脳が破裂する。情報は、時代は、そして歴史は、眼前をごうごうと流れる濁流に等しい。
 しかし、そんな昨今の歴史のうねりの中でも、あれほど色々な形で我々を巻き込み、あれほど強く光り輝き、そしてあれほど見事に何の余韻も残さず消え去って行った、超新星を思わせるその落差の激しさは、尋常ではなかった。大嘗祭の何が人々を引き付け、騒がせ、闘わせ、忘れ去らせたのだろうか。
 そして、あれほど多くの人々が死守しようとしたイベントの事を、あっさりと「昔の話」として片づけてしまっていいのだろうか。

 大嘗祭とはいったい何だったのだろうか。
 

 「毎年十一月二十三日(勤労感謝の日)の夜に、宮中の神嘉殿にて、その年の新穀を天神地祇に奉られて、御親らも聞こしめす御儀である新嘗祭があるが、大嘗祭はご即位初の新嘗祭で、それはご一代一度の大儀としてとくに大々的に行われるものである(1)
 一般的な大嘗祭の「定義」は、ほぼこんな所である。毎年恒例の皇室の収穫祭である新嘗祭、それを新天皇が初めて司式する時は特別に「大嘗祭」と称される。これはいかなるスタンスから大嘗祭を捉える場合でも、異論はなかろう。
 しかし、大嘗祭の本質的「意義」という点になると、その認識はスタンスによって真っ向から対立しあうものとなる。「ただの収穫儀礼だ」「いや天皇神格化儀礼だ」、「太古からの伝統だ」「途中200年以上も中断していて何が伝統だ」、「特定宗教の儀礼じゃない」「いや、神道儀礼だから政教分離に反する」、「皇室最大の祭儀に国費を使わずしてどうする」「法に規定されていないのに国費を使っていいのか」、と議論は平行線を辿るばかり。学者の間でも未だに統一された見解が出されていないので、みんな自分の立場に都合のいい学説をクローズアップするしかない。賛成者は最も無難な学説を引いて大嘗祭を弁護し、反対者は最も糾弾し易い学説を前提として非難する。平行線を辿るわけである。
 また、近代以前にさかのぼって大嘗祭の意義を解明した所で、確かに考古学的な価値はあるだろうが、現在の大嘗祭のあり方にそのまま当てはめる事は出来ないはずだ。いちおう現代日本では、大嘗祭が生まれ、営まれてきた時代の天皇と、「人間宣言」後の天皇のあり方との間には、確固たる断絶がある、という事になっている。天皇が日本の主権者であった時代の大嘗祭と、主権が国民の手に渡された時代のそれとが、断絶どころか全く変わらぬ意義を共有するというならば、戦前と戦後との間にある筈の断絶も、単なる建前にすぎなくなる。
 日本国憲法下において、大嘗祭がその存在理由を喪失している事は、既に周知の事実である。現憲法のもとに再編成された「皇室典範」によれば、即位儀礼としては「即位の礼」のみが認められる(2)大嘗祭に関する規定などどこにもない。戦前まで行われてきた大嘗祭が、その意義において現憲法の理念に合致しない、との判断に基づいた処置に相違ない。それでも大嘗祭を公的行事として挙行したいのなら、現憲法に拠った「意義の再構成」が必要であろう。が、政府がその労をはらった気配はない。

「大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを記念される儀式である。それは、皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である(3)
 日本政府が1989年12月21日に出した大嘗祭の意義に関する正式見解である。さらに「位置づけ」として、「宗教上の儀式としての性格を有する」と見られても仕方ないから「国事行為として行うことは困難である」けれども「一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる」それゆえ大嘗祭は「公的性格」を持ちその費用を「宮廷費から支出することが相当である」……との見解を示している(4)つまり、さすがに宗教的行事を「国事行為」として強行するのは無理がある、しかし皇室の「伝統的」儀式だから「公的性格」を持つ儀式であり、宮廷費(国費)を使っても差し支えない、という議論である。それなら逆に「大嘗祭は公的性格を持つが宗教的行事なので国費は使えない」という議論も成り立ちうる。その程度の論理である。
 「大嘗祭の本質を捉えよう」という真摯な姿勢は、この政府見解からは微塵も見いだせない。先述の「大嘗祭の意義」も、結局は公費支出の正当化への伏線作りに過ぎない。
 さすがにこれは大嘗祭反対派だけでなく、賛成派の神道関係者や研究者達からもひんしゅくを買った。神道の立場からすれば、憲法抵触・公金支出問題からして「『国事』たる以上に、遥かに高貴にして神聖な天下の重儀として行われるべき(5)大嘗祭を、世俗的な次元におとしめる議論であり、一方、学者たちにしてみれば、折口信夫説や柳田国男説など諸説ふんぷん、いまだに新解釈が生まれて来る状態の所に、勝手に「収穫儀礼である」などと学説を決定してしまう公権力の「学問への介入」は許し難いものがある(6)ともあれ、政府側のスタンスからは、大嘗祭を破壊こそすれ、その宗教的意義を解明することは期待できない。

 だいいち、なぜ「新天皇最初の新嘗祭」とやらがここまでクローズアップされるのだろうか。そこに、いつもの収穫祭とは大きく性格を異にした特別な意義が備わるためであろう。その意義をめぐる争いが、1年前の大論争であった。そして、少なくともその意義が、現代日本が理想(建前)とするあり方と大きく食い違っていたらしい。それ故に、その挙行の是非をめぐり膨大なエネルギーが費やされたのである。
 その意義こそが、日本の支配階級があの大日本帝国亡き後もなお守り続けようと画策する(らしい)、支配機構としての「天皇制」のエッセンスなのであろう。
 

 次の頁から、現在の大嘗祭が保有しているその特別な意義の一端でもひっつかんでやろうという、学士候補生にしては少々無謀な試みに挑戦したい。
 


 【注】

 1. 真弓常忠 『大嘗祭』 P.22 →本文へ戻る
 2. 「皇室典範」 第24条 →本文へ戻る
 3. 稲垣久和 『大嘗祭とキリスト者』 P.10 →本文へ戻る
 4. 弓削達 「1990年大嘗祭とキリスト教界」
        『キリスト教年鑑1991年版』所収 P.41 →本文へ戻る
 5. 『大嘗祭』 P.215 →本文へ戻る
 6. 「1990年大嘗祭とキリスト教界」 P.42。
     氏の論点はキリスト教関係者の中でも最も明快で、一般にも通用し得
    るものの一つである。ノンクリスチャンの人々にも安心しておすすめ出
    来る。 →本文へ戻る


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