第三章 大嘗祭の認識のされ方

CHAPTER THREE
" Recognition to the Daijo Sai "


 1 「英国王の即位と似たようなもの」か?
 2 英国王権
 3 即位儀礼の文脈
 −−「英国王の即位と似たようなもの」か?−−

 一般の大嘗祭に対する認識は、ほぼ政府見解に準ずるものである。すなわち、「伝統的な収穫儀礼」。もちろんこれが本質から大きく外れているだけでなく、大嘗祭の権威そのものを地に落としてしまう無礼千万な認識であるとは、既に述べてきた。(政府見解はどちらかといえば新嘗祭の定義に近いものがある。)
 しかし庶民の間にも、大嘗祭についてもっと考えなければならない、とする動きが存在した事も事実である。ただ、惜しむらくは彼らの勉強の方向性が、とにかく「批判」よりも「非難」に終始した事である。
 大嘗祭を批判する人々の論点は様々である。だが一方、大嘗祭を「非難」する人々は、大方「政教分離の原則」なる旗印を掲げ、大嘗祭を攻撃していた。
 すると大嘗祭の弁護人達は言い返す。「政」と「教」がなぜ分離されなければならないのか?、と。ある意味においては真理である。「政教分離」という発想は、日本人の中から生まれたものではない。逆に、気を抜くとどこまでも「政教一致」へと転がっていくのが日本の伝統である事は、第二章で既に述べた。
 そう、「政教分離」という「文字」そのものを拠り所にする日本人は、かえってその政教分離の正当性を問われた途端、何も言えなくなるのである。どんなに立派な憲法を持とうが、その憲法の根底に流れる理念を内面化できていない限り、何の役にも立ちはしない。かくして、大方の日本人は、大嘗祭のあり方を黙認せざるを得なくなる。
 なぜ政教分離にこだわる必要がある?そもそも政教分離がなされている世界がどこにある?王がある限り、政治と宗教は王において合一するではないか。……
 しばしば日本の皇室は、イギリスの王室と比較される。どちらも宗教的権威と結びつき、宗教儀礼を持つ。とくに、日本の即位儀礼と、英国の戴冠式とは、よく引合いに出された。日本のそれの正当化のために。私自身1年前、即位の礼の正当性についての文章を書いた時、「英国王の戴冠式と似たようなものだ」との形容をしてしまった前科を持つ。それはともかく……

「大嘗祭に宗教的要素があり、宗教的起源を有することは否定できない。しかしその宗教性は、悠遠の太古に発する日本の民族信仰に基づくもので、仏教の渡来によって生じた神道の語の意味するよりも遥かな昔から行われてきたところである。イギリス国王の戴冠式やアメリカ合衆国の大統領就任式が宗教儀礼を以て行われていながら、政教分離の対象となっていないのと同様に、大嘗祭に於ける宗教的意義は、特定の教団とかかわるものでも、憲法第二十条にいう宗教的活動にあたるものでもなく、民間土俗のニイナメ儀礼にも通じる、日本の文化伝統を支える基盤であった。少なくとも民族のアイデンティティを確認することのできる最高の儀礼であることは間違いない。(1)
 このような見解はおもに神道側の研究者などから出される。大嘗祭をはっきり宗教的儀礼と捉えた上で、宗教的であることそのものを肯定する、本当に大嘗祭を愛している者の見方である。政教分離の必然性そのものを問う点で、日本政府 の公式見解などよりもはるかに明快であり、日本人の心情にも訴えるようだ。
 聖書に手を置き、キリストの名における宣誓をする米大統領就任式。英国教会の大主教が司式し、キリスト教に基づく様々な儀式を執行する戴冠式。これらのキリスト教的儀礼は、キリスト教国の国民の心意を一つに結びつける装置として機能する。同様に、日本の神道的、いや、民族信仰的儀礼も、日本人の心意を一つに結びつける装置となされるべきである。……神道学者・真弓常忠の主張である。
 しかし、これらの論議が、欧米型権力者と天皇と、両者の性格の間にある一つの決定的な差異を無視した所から始まっている事は否めない。それを把握せねば、両者の即位儀礼を冷静に比較研究する事もできない。ひいては「政教分離」のコ ンテクストさえも永遠に見つからないであろう。
 では、その天皇と似ていると言われる英国王について少々言及し、その上で天皇との差異をはっきりさせてみたい。

 


 −−英国王権−−

 イギリスは立憲君主国である、との誤解が日本には浸透している。が、実は英国には、成文「憲法」が存在しない。したがって国王の権限についても明文の規定がなく、すべては慣習法にしたがった流動的な解釈に終始する。
 そもそも英国には、はっきりした「主権在民」の意見がない。もちろん絶対王政を主張する者もいないが、大方の考えによると、「議会の中の国王(King in Parliament)」が主権の所有者である。政府の見解においても、英国は君主国であり、国王は行政府と司法府の首長(head)であり、立法府の不可欠の部分であり、全軍の最高司令官であり、英国教会の世俗的首長である。これで「神聖首長」の権能もつけば、明治憲法下の天皇とそっくりである。……ただしこれらの権限は、明治憲法のように明文化されていないため、あくまでたてまえ論にすぎない。天皇のように実質的権限を伴うものではない(2)
 英国王の実質的権限は、「権利章典」や「王位継承法」などの成文法で制限されている。有名な「権利章典」(1689年)が、立法権における議会の優位を確立、立法権限を王から人民に移行させた事はよく知られている。ただし行政権については成文法がないぶん、王の権限は大きい。王によっては行政にかなり口を出す。ヴィクトリア女王などがいい例である。英国王は現在の天皇より強い実質的政治権力を保有している(3)だが、あくまでも主権者は「議会の中の国王」。その意味するところは結局、王に対する議会の優位性であり、現代においてこの語の意味は、「国民主権」と本質的に何等変わる所はない。
 しかし、だからと言って王が無用の長物であるというわけではない。英国王には大切な存在理由がある。すなわち、「象徴機能」である。W.バジョットの古典「英国憲政論」でも指摘され、のちに「象徴天皇制」を確立する手本となったとされる、「目に見える統合の象徴(visible symbol of unity)」としての機能を、英国王は果たしている(4)このあたりにも、天皇と英国王を結びつける接点が見受けられる。
 まさに英国王は英国民統合の象徴であり、バジョットの言う英国国家構造の持つ、「尊厳的部分(dignified parts)」と「機能的部分(effective parts)」の二側面のうち前者の担い手であり、その「尊厳」という非合理的な役割によって、非合理ゆえに人々の本能に訴えかけ、「教養のない一般大衆」を統合するのである。
 大衆を統合するには、君主の象徴的役割(劇場的・演劇的役割)に期待するしかない。人間はかならずしも理性や打算だけで行動するとはかぎらない。むしろ往々にして本能や慣行などの非合理的な動機に拠って行動することが多い。……これがバジョットの大衆観だが、案外現代に於いても支持されている考えである(5)
 この、王の「象徴的役割」が最大限に生かされていたのが近代日本であった。それゆえ戦後、天皇の絶対的権威を目の当たりにした進駐軍は、日本占領政策を天皇制を保存したままで行った。天皇制を廃止した時の混乱を考えると、便宜上それよりも天皇制を利用したほうがはるかに占領政策がスムーズに行くことは明らかである。天皇の絶大な統制力を評したマッカーサー元帥の「天皇一人は二十個師団に相当する」との言葉は有名である。かくして、「象徴天皇制」という名目をかぶせられただけで正当化された天皇官僚制が戦後も生き残り、現在に至るまで日本を支配している。
 「象徴」の持つ意義は一般にはそう認められていない。現代しばしば言われる「天皇はただの象徴である」という科白に「象徴」軽視意識がありありと窺える。『ただの象徴(ONLY A SYMBOL)』と言う人は、象徴と記号(SIGN)を混同している。また本当の象徴が、その象徴する対象に現実に関わっていることを無視してはならない。……神学者P.ティリッヒの警告である。そして、この即位儀礼の前後、とくに昭和天皇の死去前後における日本の社会的・政治的出来事は、天皇制が決して「ただの象徴」ではないことを証明した(6)
 「統合の象徴」とはすなわち「支配の中心」にほかならない。英国の王は国民の統合の象徴であると同時に、イギリス連邦の統合の象徴でもあった。大英帝国時代、各植民地は国王の直接支配下にあったし、カナダやオーストラリアが自治領となったのちも、英国王はその自治領の元首の地位にとどまった。第一次大戦後には、国王は「連邦の結合の象徴」とされ、各自治領は「国王への共通の忠誠によって統合される」事になった(1931年ウェストミンスター法による)(7)

 政治的な統合に加えてもうひとつ忘れてはならないのが、国教会の首長としての、宗教的な統合の象徴としての機能だ。それが最も顕在化するのが、戴冠式である。最近では1953年、エリザベスU世の戴冠式が行われたが、この宗教儀式は、テレビ中継も手伝って、「伝統」に目のないイギリス国民を夢中にさせた(8)
 戴冠式はウェストミンスター寺院で行われ、司式の主役は国教会の聖的首長、カンタベリー大主教。聖書・聖体器・聖杯を並べ、大主教が「神の秩序の下で地上王権の存在を確認」する入祭文を読み、王は「神の法と福音の言葉を全力を尽くして守り、国教たる英国聖公会及びその聖職者の権利を保護する事」を誓う。次に王はヤコブが枕にしたという「スクーンの石」をはめこんだ椅子に座り、油を塗られ、王剣・王珠・王笏を奉献される。そして大主教が聖エドワード冠を王の頭にかぶせ、会衆は一斉にGod Save the King(またはQueen)を唱和する。とことんキリスト教一色に染められた儀式である(9)
 少なくともテキストとしての戴冠式は、大嘗祭などの日本の即位儀礼と同種の構造を有している。もしくは、表面上は同様の機能を果たしている。のだが、ここで両者の決定的な差異を見過ごすわけにはいかない。それは、基盤となる各宗教の性格の違い、そして、それぞれの宗教に基づいた「王のあり方」そのものの違いである。

 


 −−即位儀礼の文脈−−

 英国王は聖公会の首長。日本の天皇は神道の最高神官。おのおのの国の宗教界における最高権力者同士である。その点について見る限り、双方の性格は非常に似ている。しかし、その王権を支える宗教イデオロギーの次元においては、重大かつ決定的な違いがあるのである。
 英国王権を支えるのは聖公会、つまりキリスト教である。天皇の権威を支えてきたのは神道である。この両者の水と油ごとき性格の違いは改めて述べるまでもない。日本人が欧米人を理解できず、欧米人が日本人を理解できない現状を造りだしている根源がここにある。そして、それぞれの王権の性格を根本的にたがえる最も重大な要素がこれである。
 キリスト教的王は基本的に「神のエージェント」である。王は唯一の絶対者たる神から王権を受け、神の御心に従う統治をするよう義務づけられる。実際の歴史で彼らが本当に神意にかなう統治をしてきたのか、と言われたら素直に肯定する事は出来ない。が、ともかく彼らが、「神」と別個の存在であった事は歴史を通しての事実である。いかに絶大な権力を持とうとも、王は「人間」、その認識は決して揺るぐ事はなかった。
 それに対し、神道(国家神道)においては、王(天皇)イコール「カミ」である。アマテラスのエージェントなどと言ったら怒られてしまう。彼はカミの子、すなわちカミそのものである。それも最高神の子孫である。えらくない筈がない。
 もっとも、日本のカミは基本的に人間(日本人)と直結している。日本では、少々エキセントリックな人間や、功績のあった人間は簡単に「カミ」よばわりされる。戦前には、戦死者は全てカミになった。また古代の豪族達は、大抵その始祖を神々のうちの一柱ということにしていた。古代ギリシャ・ローマの貴族もやった事である。多神教の世界では、カミの子孫などうじゃうじゃいるのである。日本人はみんなカミの子なのである。昭和天皇の例の「人間宣言」が如何に実体の無いものであるか分かるだろう(10)そもそも日本人自体「人間」ではないのだから。
 それはさておき、この差は、即位儀式の根本的なコンセプトにもあらわれている。英国戴冠式はさきにも述べたように国教会の「聖的」首長、カンタベリー大主教が司式する。つまり、王とは別人格の神権代行者が、王権を新王に授けるのである。それを最も明確に表している儀礼が、大主教による「戴冠」である。王冠こそ、人が神より授けられる王権の象徴なのである。
 一方、天皇は全ての儀式を単独で行なう。別人格の神権代行者など必要ない。いや、いたらかえって変なのである。彼自身が古来より神権を持っているのだから。……裏を返せば、イギリスから見れば天皇の即位式は、戴冠式と言うよりも大主教の就任式と同列に比較すべきなのかも知れない。ここに天皇の位置づけのあやふやさが見うけられる。ともあれ、天皇の即位式は「カミがカミ自身に王権を授ける儀式」なのである。そのためか、天皇は「王冠」を持たない。ナポレオンのように自分の手で王冠をかぶる儀礼など、あったって何の意義も持たない。古代すでに廃絶したか、もともと存在しなかったか、どちらかであろう。「一人だけの大嘗祭」と「戴冠式なき即位の礼」とは、天皇のありかたを非常に特徴的にとらえている。
 それでもこの「天皇=最高神」という信仰は、中世・近世まではまだ無害なものだった。日本のカミは唯一どころか八百万柱もいる。だいたい「一柱、二柱」と神様を数える単位があるなど、唯一神教圏の人々が聞いたら目を剥くであろう。その八百万の神々がパンテオン(体系)を造っている。で、そのパンテオンの頂点におわす最高神がアマテラスだが、どうも絶対神とは呼び難い。弟の乱暴にヒス起こして太陽を隠してしまい、神々の饗宴でおびき出されるようなカミを絶対者にしてたら、人類はたまったものではない。そんなカミの子孫もまた、絶対視されうるものではなかった。天武天皇や後醍醐天皇などに見られた、臣下を引きつける絶対者的パワーは、あくまでも彼ら「個人」のカリスマによるものであり、天皇「家」という家系自体にそこまでカリスマがあったわけではない。
 しかし、近世末期に日本の神観念が変化していくと、この「王イコール神」という信仰が徐々に危険な香りを漂わせ始めるのである。まず、本居宣長がそれまでの仏教や儒教と融合した神道を批判、神道の純粋蒸留を目指した。それとともに彼は最高神アマテラスとその子孫である皇室の崇拝を説いた(11)
 そして宣長の継承者(自称)平田篤胤は、「神道をモチーフにしたキリスト教のパロディ」とも言うべき復古神道を開いた。彼は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)に主宰神としての位置を与え、大国主神(オオクニヌシノカミ)を死後審判のカミとするなど、それまでの神道にはなかった教理の数々を取り入れて行った(12)それもどうやら、如何なるルートで入手したのか、中国で布教に励んでいたカトリック宣教師の著作を、ほぼ丸写ししたらしい。現在なら「著作的人格権侵害」といった所だろうか。彼の神道に対する最近の国学者の評価は総じて否定的であり、それ以上に現在でもなおキリスト教関係者の大ひんしゅくを買っている。
 しかし、篤胤の一神教的神道は民間に多くの信奉者を得、幕末の尊皇倒幕運動の重要なイデオロギーとなったのである。またこの時点で、ついに天皇は唯一神的な権威を持ち始めた。ここに天皇の絶対性が完成を見たのである。……せっかくのキリスト教思想が、日本に持ち込まれた途端に、イギリス的王権を生み出すどころか、全く逆の方向に利用されてしまったのである。

 また一方、儒教の影響も見逃せない。
 中国に、古来、儒教をもとにした一種の王権神授思想が存在していた事は第二章で紹介した。「中世ヨーロッパ的キリスト教」による王権神授説は単に、君主の権力の不可侵性・絶対性を正当化する論理として、つまり「秩序」原理としてのみ機能したが、儒教の王権神授思想はまったく逆の機能、「革命」思想の根拠として働いた。
 中国の儒教では、王朝の政治支配の正統性は「天命受託」「易姓革命」という二つの考え方に基礎を置いていた。「天命受託」とは、「王は『天』(一種の超越的存在)の命を受託して立派な政治を行わねばならない」とする思想である。そして「易姓革命」とは、「『天』は徳の高い者を『天子』として、子々孫々に至るまで万民を治める権能を与えるが、もしその家(=姓)に不徳の者が出た場合は、その命を改めて(革命)、別の家の者に下す」という思想である(13)
 王には善政を行なう「義務」が課せられているのである。そして、悪政を行なう王朝を打倒し、自らそれにとってかわる事は、中国に於いては正義なのである。もしくは、「これは革命だ」と言いくるめてしまえば、容易に王権纂奪を正当化できるのである。もちろん、纂奪したはいいが、善政を敷けなかった場合は、今度はいつ自分が「天」に見離されても、文句は言えない。西洋の「王が過ちをおかしても、それを罰しうるのは王に権力を与えた神のみであり、臣下が『選ばれた者』に反逆する事は涜神に値する」という甘ったれた王権神授説よりもはるかに合理的である。
 しかるに、東洋が誇る合理的思想体系たるこの儒教も、日本に輸入されるととたんに日本人(の支配層)に都合のいい解釈をなされてしまうのであった。宋の時代に発達した朱子学は、江戸時代の日本に取り入れられると、その形而上学的側面よりも、実践的な倫理の部分ばかりが吸収された。それも、かなり偏って。
 五倫(父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信)五常(仁、義、礼、智、信)などの徳目の中でも、とくにクローズアップされたのが「忠義」と「孝行」であった。もともと「忠義」とは、君臣関係を規制する「義」に対して忠実であれ、との意味だったのが、日本では「君主には無条件に忠実であれ」という読み替えがなされてしまった。「王、王たらざれば臣、臣たらず」の民族がそんな事を主張する筈はないのに。「孝行」も元は「人間の生命は自然による父子の結合が基本である」という哲学的思想だったのが、単なる「親孝行」の意味に矮小化されてしまったのである。そして、この「忠」「孝」がワンセットで強調された事から、親子の情の関係が人間関係一般にまで広く適用されるという事態が発生した。「親分−子分」「親方−子方」「大家−店子」といった具合いに、ひいては伝統的な「共同体」のタテの関係にまで無制限に拡大された。「封建時代の藩も、商人の家も、村落社会も、明治期の大日本帝国も、資本主義的諸企業も、官僚システムも、そして戦中の天皇を中心とした一大家族国家観も、結局、イエの拡大された擬制家族的な性格を帯びたものとなっていくのです。(14)かくして日本から「個」「個人の権利」という概念は消え去るのであった。
 さらに、くだんの「天命受託」「易姓革命」も、恐るべき曲解をされるのである。江戸時代前期の「代表的儒学者」新井白石は、「天命受託」を「『天子』たる天皇の命を受けた将軍が王道政治を行なう」と解釈した。稲垣久和氏に「イタリア人宣教師 G. B. シドッチ(1668-1714)を尋問し、創造主を否定したことで有名なあの」と枕詞をつけられたこの「儒学者」は、儒教の「天」の持つ超越性を、わざとごまかしてしまったのである(15)
 白石は「天命受託」を幕府権力の正統化に利用したが、その一方でこれを天皇の王権の正統化に使ったのが、朱子学者から転じて垂加神道を唱えた山崎闇斎である。彼は「天」の超越性を保ったはいいが、今度はそれをアマテラスの神勅や天孫降臨神話と結びつけてしまった。結局は超越的存在たる「天」を、現実の天皇と結びつける混同を行なうのである。しかも、天皇家の万世一系という血統主義を前面に押しだしている性格上、「易姓革命」のほうは完全に無視している(16)
 幕末期、この山崎闇斎の考えは水戸学に継承され、その流れから「国体」が生まれるのである。天皇王権と儒教とを融合させた国体思想は、近代、明治憲法と教育勅語という形で成文化され、今に至るまで日本人の精神形成に多大な影響を及ぼしているのである。

 いずれにせよ、天皇には「善政」を行なう義務はない。むしろ下々が天皇のために奴隷となるのが当り前なのであって、逆に天皇が下々のために奉仕するなど、言語道断である。全ての土地は天皇のもの、全ての人民も天皇のもの。全ては天皇が千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで「支配」する対象でしかない。それが律令制であり、近代天皇制である。
 旧約聖書の神は人間に「万物を治めよ」と指令した。この世界を「管理」するのが人間の義務である。人間は神の最高傑作たるこの世界を統治する権限を与えられた。それゆえ神の御心に叶うように、世界を管理せねばならない。
 だが反面、アマテラスはニニギノミコトに「豊饒」と「征服」を指令した。葦原の中つ国は、そして世界は支配と搾取との対象なのである。先住民族の駆逐も自然破壊も何のその。これが「天壌無窮の統治」の姿である。……そこが天皇制最大の問題なのである。
 それを日本人は未だ克服していない。なぜ克服しなければならないのか、それさえも分かっていない(教えられていない)のである。いや、自分達が克服すべきものが何なのか、そんなものがあった事さえ知らないのである。

 だから日本人は大嘗祭の本質を掴む事なく、1990年11月23日を迎えたのである。

 


 【注】

 1. 『大嘗祭』 P.210 →本文へ戻る
 2. 『世界の君主制』 1990 P.58 →本文へ戻る
 3. 同 P.59 →本文へ戻る
 4. 同 P.61 →本文へ戻る
 5. 中村政則 『象徴天皇制への道』 第IV章 「象徴の由来」 →本文へ戻る
 6. 古屋安雄 「社会的、政治的な視点から見た天皇制」より
        (『天皇制の検証』所収) P.43 →本文へ戻る
 7. 『世界の君主制』 P.61 →本文へ戻る
 8. 同 P.62 →本文へ戻る
 9. 『大嘗祭』 P.209 →本文へ戻る
10. 「天皇制の過去・現在・未来」P.177によると、昭和天皇自身、人間宣言
    をしたつもりはなかったらしい。彼は天皇家がアマテラスの子孫である、
    とのアイデンティティを終生保持していた。にもかかわらず例の宣言が
    勝手に「人間宣言」だと解釈され、勝手に歓迎されてしまっただけの話
    である。人のセリフを自分に都合よく解釈すると、とんでもない誤解を
    生み出す、といういい例である。 →本文へ戻る
11. 『大嘗祭とキリスト者』 P.80 →本文へ戻る
12. 同 P.80-81 →本文へ戻る
13. 同 P.70 →本文へ戻る
14. 同 →本文へ戻る
15. 同 P.71 →本文へ戻る
16. 同 →本文へ戻る


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