−−原初からの変化に見る即位儀礼検証−−
APPENDIX
" The Daijo Sai, the Ceremony of the Kingship succession "
さきに少し触れた、英国の人類学者A. M. ホカートの『王権("KINGSHIP")』には、世界の各地域に見られる即位式の構造的類似性を探るガイドラインが提示してある。ホカート自身はおもに、自らがフィールドワークをこなしたフィジーやトンガなど太平洋諸部族や、古代インドなどを中心に検証の対象としている。
残念ながらこの本は、全編を通じて日本の天皇に言及した箇所はたった一箇所、「日本の古典は、彼らの天皇が太陽とある一柱の神の子孫であることをわれわれに思い起こさせる。(1)」とあるだけ。発行されたのが1927年、天皇率いる大日本帝国がまだ満州国もつくっていないころの話であるから、とりたてて興味深い研究対象とも思えなかったのかも知れない。彼は1939年、55歳の若さで死去しているが、あと十年長生きしていればきっとこの貴重な資料に飛びついた事であろう。
ここではおこがましくも、彼のガイドラインを借用させていただき、彼の成し得なかった「日本皇帝の即位儀礼の検証」に、及ばずながら挑戦しようと思う。ただ。彼がこの表を使った目的は、各地方の即位儀礼の類似点に着目し、それをそれぞれの儀礼が共通の起源を持つことの根拠としようとする所にある。が、ここでは日本の即位儀礼の分析という狭い目的に使わせてもらう。そこはお目こぼしを願おう。
A 理論では、王は@死に、A再生する。B神として。
B 準備段階として、王は断食し、他の禁欲生活を実践する。
C @供犠に参加資格のない、他所者、罪人、女子供は近づけず、何も知ら
されない。A武器を持った護衛が覗き見を防ぐ。
D 一種の安息日が守られる。人々は臨終のときのように沈黙し、静かにし
ている。
E 王は儀礼的な戦いをせねばならぬ。@武器によって、またはA儀礼によ
って戦い、B勝者となって出現する。
F 王は、@正しく統治するように戒められ、A彼はそうすることを約束す
る。
G 王は一種類か二種類の聖餐を受ける。
H 人々は、ある瞬間に、@わいせつな行為か、A悪ふざけを思うままに行
なう。
I 王は特別な服をまとわされる。
J 水で洗礼を受け、
K そして、塗油式を受ける。
L そのときには、ある人間が犠牲として殺される。
M 人々は騒音と歓呼の声をあげて喜び、
N 饗宴が催される。
O 王に王冠がかぶされる。
P 靴を履き、
Q 他にも王位の徴しとなる、剣、笏、指輪等を受け取る。
R そして、玉座に坐る。
S 王は、太陽が登るのを真似て、儀礼的に三歩進む。
T 最後に、自分の住居を回り、臣下から忠誠の誓いを受ける。
U 王は新しい名を受ける。
V 女王が、王と共に聖別される。
W 臣下か役人が、戴冠式のときか王の巡察の間に、聖別される。
X 儀礼に参加した人々は、神々の如く、ときには仮面をつけて、正装する。
Y 仮面は動物のもので、被り手とその動物が同一視されている。
Z 王は数回聖別される。その度に王権の段階を、一歩ずつ登っていく(2)。
上の要素を、天皇の即位儀礼がどれだけ満たしているか調べてみたい。その際、
古来綿々と受け継がれてきたもの‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥◎
間接的に関連するもの‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥○
もともとなかったが明治改変期などに付け加えられたもの‥‥‥‥‥△
消滅したか、もしくはもとから無かったもの‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥×
私の調査不足のせいか確認できなかったもの‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥?
待て、それはちょっと違うぞ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥★
と記号で分類する。
ちなみに「即位儀礼」と言うときは、践祚から大嘗祭まで、新天皇が全儀式を終えるまでの期間に行われる祭祀全てを含む。
◎A 冬至の夜の物忌みの後、「復活した太陽=日神とともに、若々しい新生
の穀童ニニギノミコトとしてこの現世に顕現(3)」する。
◎B 御禊(ごけい)。
◎C 大嘗宮の中で何が行われているのか、宮内庁は決して見せてくれない。
◎D ニヒナメの物忌み。
○E 戦いと言うよりは、そのあとの服属の儀礼として現われる。一部で有名
な隼人の犬声をバックに大嘗宮にのぼる天皇の姿は、勝者・征服者その
ものである。また饗宴の場で演じられる舞楽「太平楽」や「久米舞」な
ども、明らかに戦闘をモティーフとした踊りである。
○F 「即位の礼」紫宸殿の儀(今回は正殿の儀)において天皇は勅語を発す
る。ただし「正しく統治するように戒められ」て、それを「約束する」
という他律的な形はとらない。王が神を内包してしまったから、他者に
よって戒められる必要はない。誰が神を戒められようか?
◎G 神饌、そして「斎庭の穂」の共食がこれに相当する。
★H 左翼ゲリラのテロがこれに相当する、かもしれない。
◎I この要素は、A(王の死と再生)と関わってくる。王は死に、ふたたび
母胎から生まれる。その子宮を象徴する衣服や布を王は儀礼の中でかぶ
り、そこから出て来る時、新しく生まれ変わるのである。折口信夫の
「真床追衾」説は、広く世界共通に見られるこの要素をふまえた上での
仮説である。あながち「詩人の幻想」と一蹴してしまえるものではない。
◎J 廻立殿(カイリュウデン)の儀。廻立殿に入った天皇は、小忌御湯(オ
ミノオンユ)に浸かり、祭服に着替える。
×K 旧約聖書にもあるように、ユダヤ・キリスト教世界では塗油式は神が王
に権能を与えるための儀式である。そんな意義を持った塗油式が天皇に
対してなされる可能性はあるまい。もうひとつはインド圏における、純
粋に清めの意味の塗油である。だが、日本の「清め」は水で十分だと考
えられていたのか、はたまた牧畜業・製油業が発展していなかったせい
か、いずれにしろ、塗油式の痕跡は見つけられなかった。
?L 「皇室典範」によると、先帝生存中の譲位は認められない。先帝の死が
即位の前提となる。また、「大喪の礼」は践祚のあとに行われている。
践祚から大嘗祭に至る即位期間の中に、先帝の葬儀が組み込まれている
のである。……さて?
◎M 即位の礼で臣下が「万歳」を奉唱する習慣は、遅くとも持統天皇の時代
から存在した。祝砲は近代になって西洋から取り入れたのだが。
◎N 大饗(大嘗会)。
×O 「日本の天皇は戴冠しない。ただ践祚するだけである。帝冠はない。(4)」
第三章でも述べたように、西洋の王のように法王(別人格の宗教的権威)
から帝冠を受ける儀式がない事の意味は大きい。政権と教権とを独り占
めしたがゆえの欠落である、とも言える。ちなみに、近世までは玉冠が
存在した。形状は中国風。しかし、「戴冠」の儀式の存在は確かめられ
ない。
?P 大嘗宮の寝座の傍らに、何故か「御沓」が備えてある。沓を使った儀礼
が行われる証拠(もしくは行われた名残)であろう。
◎Q 践祚。鏡、剣、曲玉のいわゆる「三種の神器」を継承する。この儀式は
もとは大嘗祭の中で行われていたが、後朱雀天皇(1036-45)のそれを最
後に「即位の礼」のほうに移されてしまった(5)。
◎R 高御座に登る。第二章でも述べたように、即位の礼のハイライトである。
○S 三歩進む儀式は見つからなかったが、太陽をまねている様子は各所に見
られる。大嘗宮の儀が悠紀殿(東側)→主基殿(西側)の順で行われる
のは太陽の運行を意識していると見られる。また即位の礼で、天皇が高
御座の後方から登ってくる"revelation"のシーンは、朝日の登るさまを
模倣している。なお、信憑性は殆どないが、明治天皇の即位礼で、南庭
に置かれた地球儀(この一回きりで廃止)の日本の所に新天皇が三度足
をあげ、西郷隆盛が非常に喜んだ、との伝承が伝えられている(6)。
★T 「即位の礼」の後のパレードが相当すると見られる。
○U 「天皇」の称号を受ける。また、死ぬ時も新たに追号を受ける。皇祖霊
の仲間入りをする事が、究極の「即位」なのかも知れない。
△V 近代、皇后もともに即位礼正殿の儀に参加するようになったのが、西洋
諸国の模倣であることは既に述べた所である。
★W 天皇のパレードを沿道で見送る人々は、厳重なみそぎ(ボディーチェッ
クとも言う)を受けなければならない。
◎X 神道風の正装。
?Y これに従えば隼人あたりは、犬の仮面を付けていた可能性がある。
◎Z 践祚、即位の礼、大嘗祭と、天皇は数回にわたって少しずつ王権を付着
させていく。
日本の即位儀礼は、とくに大嘗祭は、非常によく古代王権の即位儀礼の特徴を保存している。これほどの好成績はホカートの実例集にもなかった。
このシーラカンス的儀礼、次回はどれだけ原型を保持できるのだろうか、もしくはどれだけ破壊されるのだろうか。下手をすれば消滅の危険性もある。
今後とも、大嘗祭への人類学的アプローチは重要課題と思われる。
1. A. M. HOCART 『王権』 1927/86 P.22。
「太陽とある一柱の神」とは、天照大神(アマテラスオオミカミ)と
高皇産霊神(タカミムスビノカミ)のことである。さすが、フィジー等
と同じ太平洋の宗教という事で、神道の基本知識はしっかり仕入れてい
らっしゃったらしい。つくづく、氏が天皇をネタにされなかった事が悔
やまれる。(もし他に氏が神道について言及している著書なり論文なり
御存知の方は、ぜひともお教え戴きたい。) →本文へ戻る
2. 同上 P.88-89 →本文へ戻る
3. 『大嘗祭』 P.126 →本文へ戻る
4. 「即位の礼と大嘗祭を読む」 P.77 →本文へ戻る
5. 「大嘗祭−秘儀の全容」 P.45 →本文へ戻る
6. 『アサヒグラフ 臨時増刊』 P.127。
実際には地球儀の位置は天皇の所からは遠く、物理的に不可能である。
それにしても、お茶目な噂が立ったものである。 →本文へ戻る