覚醒新世紀上祐史浩著 東山出版(発売:白順社) 2002年11月発行 四六判 400ページ 本体1800円+税 先日のアメリカ合衆国によるイラク征伐は、国連の権威を地に落とし、中東にさらなる政情不安を生み、古代メソポタミアの至宝を略奪で散逸させるなど多くの犠牲をはらいながら、一応の終結をみた。 この悲惨な戦争の中、視聴者の心をなごませる一服の清涼剤として世界中の人気者となったのが、外国の報道陣を前に根拠のない強気コメントを連発し、「コミカル・アル」と呼ばれたアル・サハフ情報相である。米軍のエイブラムスが疾駆する街をバックになおも「バグダッドは平和だ」と言い張る姿に「サハフ後ろ後ろー!」とTVの前でツッコんだ視聴者も多かったことだろう。彼はフセイン政権の閣僚という地位にありながら、バグダッド陥落後も「ただの意味不明なことをわめくスポークスマン」という扱いで米軍の指名手配リストにも載らず、あろうことか彼をコメンテーターとして雇いたいという米のTV局まで出てきたそうだ。 一方、我が国でも「コミカル・アル」に負けないアイドルというか妄言芸人が一世を風靡した。そう、あのオウム真理教(現:アーレフ)の広報部長として大活躍したマイトレーヤ正大師こと上祐史浩である。 帰るところのないサハフにひきかえ、上祐は1999年末の出所後、空爆されることもなく生き残ったオウムにのうのうと復帰。ムショ帰りでハクをつけたおかげか2002年から教団代表におさまって、本を書いたりHPを作ったりと今も元気に地下活動を繰り広げている。 どうも世の中、「広報担当」には甘い顔をしてしまう傾向があるようだ。どんな時でも外部からの批判の矢面に立ち、組織をかばいだてしてウソをつかなきゃならない、その損な役回りに、同じく「組織」の中で生きる人たちからの同情票が集まってしまうのかもしれない。かような世情を鑑みるに、実はナチスのゲッベルス宣伝相も自殺することはなかったんじゃないかという気がしてくる。 それはともかく、その和製コミカル・アルが刊行した2冊めの単行本が、今回紹介する『覚醒新世紀』である。 版元の東山出版は、ダミーどころか明らかにオウムの子会社であり、現在社長を務めている出家信者カーマ・アニッチャ・パンニャッタ・パンニャーヤ・ムッタ・デーヴァこと福井利器の名が「発行者」として奥付に明記されている。デーヴァ福井と言えば、例の『痛快!トンデモ活用術』(1997年)を出した「なあぷる」に関わっていたことでも知られている。 ……あれ? 「なあぷる」って「ウチは脱会者が社会復帰のために作った出版社で教団とは無関係」と言い張ってませんでしたか? それで『トンデモ本1999』(光文社)の山本会長の記事にも「ウチはダミー企業じゃない」と修正要求してきたんじゃなかったっけ? そして福井利器も、自分が関係者であることをひた隠しにして、「河上イチロー」と名乗って自らのサイトで「なあぷるはオウムじゃない、日刊スポーツは信用するな」と論陣をはっていたのである。そこまでしておきながら、今さらよくもいけしゃあしゃあと上祐の本なんか出せたものだ。 出版者もアレなら著者もアレだ。 上祐出所時の教団発表によれば、上祐から「自らが犯した罪を深く反省し、責任をとって教団内での『正大師』の称号及びその地位を象徴する緑のクルタを返上したい」との申し出があったそうだが、書影で一目瞭然なように、表紙でえらそうに腕を組みポーズをとる上祐は、あいかわらず昔同様エメラルドグリーンのクルタを着ている。著者プロフィールにもいまだに「マイトレーヤ正大師」と書いているし。あんのじょう反省なんぞ口だけだったようである。 なお、本書に載っている著者の略歴は1993年のロシア巡業からすぐ2000年のアレフ立ち上げにまで飛ぶ。その間の2度のサリン事件も、広島刑務所でクサい飯食ってたことも全く書いてない。修行時代のことも、麻原彰晃をグルと仰いでいたことなど一切触れておらず、いかにも一人で黙々と修行して一人で解脱を果たしたかのような書き方である。 表紙と見返しをめくると、いきなり岩の上で上半身裸で座禅組む上祐のカラー写真が目に飛び込む。まつ毛だけでなく乳毛も長いんですね。かつての上祐ギャルなら悶絶必至の一品であろう。他にも湖に浸かって合掌してたり、弟子にシャクティパットしてたり、ダライ・ラマなど外国のえらい坊さんと一緒に写ってたり……と、なんだか既視感を覚える写真が満載。いちいち画像スキャンするのも億劫なので載せないけど、かつてのオウム本に載っていた麻原のピンナップを、顔だけ全部上祐にすげ替えて作ったアイコラを想像していただきたい。 既視感は口絵だけではない。本文に入ってからもどこかで読んだような話を延々と読まされる。 まず第一章《覚醒と解脱の秘法を説く》は、シヴァ神だチァクラだクンダリニーだと、かつてのオウム本でアホほど書かれた世界観そのまんま。違うのは、ときどき挿入される写真が麻原じゃなくて上祐のどアップに差し替えられているところぐらい。どちらにしてもイヤなことは変わらないが。 新味らしいところと言えば、『ヴァジラヤーナサッチャ』など地下鉄サリン前後の出版物でも触れていた「アクエリアス時代がどーのこーの」というホロスコープな話が混ざってくるのだが、これもメチャクチャ。 なんでも上祐がヒンズー教の創世神話「乳海撹拌」のヴィジョンを夢ででも観たらしく、それに無理矢理ひっかけて「水瓶座の神話が乳海撹拌の神話に似てる」とか言うのだが(p.24-25)、ガニュメデスの神話と乳海撹拌の神話のどこが似てるんですか。「ネクタール(神酒)/アムリタ(甘露)」が出てくる以外ぜんっぜん符合するとこないと思うんですが。 「天球上のどこまでが魚座で、どこまでが水瓶座なのか全くはっきりしない」(p.107)というのも意味不明である。もしかしたらうお座とみなみのうお座(α星フォマルハウトがみずがめ座とくっついている)を混同してるのではないか。宇宙開発事業団の前歴が泣くぞ。 で、そのアクエリアンエイジの特徴であるところの「科学と宗教が融合していく例」として、上祐は、たとえば心臓移植を受けた人がドナーの記憶・意識を有するという事例を挙げている。『記憶する心臓』(角川書店、1998年)が元ネタだろうが、現在では「コミックバンチ」で連載中の北条司『エンジェルハート』でも当然のように基本設定に組み込まれているほどポピュラーな話である。ちなみに幸福の科学もこの話が大好きで、彼らの教義では「肉体と魂は死んでから24時間つながっているから、その間に臓器を取り出すとドナーが痛がってクライアントに霊障をもたらす」とものすごいことを主張している。では上祐はこのネタを持ち出して何と言ってるかというと…… この現象は、ヨーガの教義では容易に説明できる。というのは、ヨーガの教えでは、脳ではなく、通常は心臓にその人の真我(魂の根本)が宿っているとされ、心臓移植の際に、死んだ人の真我が心臓から離れない場合、移植先の肉体に入ることになるからである。なお、上記『記憶する心臓』を著したクレア・シルヴィアは、心肺同時移植手術を受けた後、それまで口にしたことのないビールやピーマン、ケンタッキーフライドチキンを突如食べたくなったことで異常に気づいたという。なるほど、好き嫌いって「魂の根本」にかかわる問題だったんですね。んなわけあるか。 そもそも、「二十一世紀において、科学は宗教を必要とし、宗教は科学を必要としている。」(p.118)なんて、化学兵器でテロ起こした宗教の連中に言われても出来の悪いブラックジョークにしか聞こえないんですが。科学を何に使うつもりですかあんたら。 第二章《覚醒への道》を読んで、さらに愕然とした。 既視感どころじゃない。25ページにわたるヨーガの解説の文言が、一部順番を入れ換えてはいるものの『生死を超える』改訂版(オウム出版、1988年)の当該コーナーそのまんまなのである。さすがに実演モデルの石井久子&大内利裕(どちらも元・オウム大幹部)の写真は使うわけにいかないのでイラストで書き直しているけど。「オウムの出版物は封印した」と言ってたのはどうしたオイ。 本書の後半を占める第三章《覚醒と幸福への道》第四章《レポート・人を超えたアレフの解脱者たち》には、在家信者と出家信者の体験談がズラリと並ぶ。この構成も『生死を超える』そっくり。内容も、我々だったらただの西手新九郎と片づけるような話をいちいち「私の見たヴィジョンは予言だった」と神秘体験にしてみたり、あいかわらずである。 それにしてもみごとに全編通してオウムのオの字も尊師のソの字も載ってない。やむなくオウム真理教時代のことに言及する時は一貫して「旧教団」と表現している。ヴィサーカー(注:ホーリーネーム)の体験談の中にある、ダライ・ラマに面会しにダラムサラに行った話(p.353-355)も、「マイトレーヤ正大師と一緒にダライ・ラマにお布施を届けに行った」と、あたかも上祐主導の旅だったかのように書かれているが、言うまでもなくヴィサーカーも上祐も、麻原のお伴としてついて行っただけである。たとえるなら、犬が桃太郎のことを一言も書かないで「猿・雉を連れて鬼が島を攻めた」と手記を発表するようなもんである。キビダンゴ返せ。 こんな調子だから、当然、オウムのやらかした一連の事件のことなど一言も触れられていない。「上祐の著書を読んで入信した」という、あきらかに地下鉄サリン事件の後で入信した人のレポートにも、そのあたりの葛藤など全く記されておらず、ただ自分が修行で救われてどーのこーのという話に終始している。 一読してガックリきた。 変わってない。 あいつら、なんにも変わってない。 たしかに「麻原崇拝をやめた」というのは本当だったようだが、口絵のレア写真集が象徴しているように、以前まで麻原が占めていたポジションを上祐に差し替えただけで、オウムの修行体系や自分勝手な世界観は全く変わっちゃいない。上祐の言う「教団改革」てのは、ただの首すげ替えのことですか。 いやむしろ「麻原色の払拭」自体、一連の事件の責任を全て麻原や実行犯に負わせ、「私たち末端は何も知りませんでした事件とは何の関係もありません」と責任回避するための方便ではないか。教団名をオウムからアレフ(そしてさらにアーレフ)と変更したのも、同様に責任回避のためだろう。 げんに彼らのHPでは、オウムの犯罪に言及する時は「旧教団の一連の事件」という表現を使っている。「旧教団」と呼ぶことで「今の私たちとは関係ない」という心理的クッションを置いているのは明らかだ。なんのテライもなく「旧軍の蛮行」という表現を口にする人々の多くが、実は心の中では現在の自分たちと旧帝国陸海軍将兵との間の連続性を否定し、ホンネでは戦時中の出来事など全てヒトゴトだと思っているのと、きわめて似た現象である。 アーレフ同様、国の名前を「大日本帝国」から「日本国」に変え、半世紀謝罪し続けてきたのに、今なおアジア諸国からことあるごとに「過去の精算」を求められやいのやいのと責め立てられている我々としては、彼らのホンネを理解するのに難しくはなかろう。 アーレフ広報部のHPを開くと、トップページのいちばん目立つところに、事件被害者への賠償金支払い状況が、いつまでに何%達成されたとかまで事細かに記されている。だが、もっと大事な、被害者への謝罪の言葉や、逃亡中の指名手配犯への出頭呼びかけのページは、小さいリンク文字をもう1回か2回クリックしないと出てこない。 賠償金の支払いデータばかりこれ見よがしに貼っているのは、「旧団体オウム真理教事件が関与した一連の事件を否定し、その反省の上に立って」「過去の清算」(同HPより)をしているというよりも、単に「私たちはこれだけ戦後賠償金を支払ってるんですよ」と外部に向けて宣伝しているだけと思われてもしかたなかろう。 しかも、その賠償金は、現在の信者がつぎ込む高額のセミナー代やエンパワーメントを受けた時のお布施からまかなわれているのである。そのうち、事件後入信した信者たちから「事件と関係ない我々のお布施から、旧教団の賠償金が支払われるのはおかしい」という不満が吹き出すのではないか。いつか教団執行部がヴェルサイユ条約を破棄してきそうな気がしてならない。国家社会主義オウム労働者党ですか。 さる4月24日「旧教団元代表」に死刑が求刑された時も、アーレフ代表・上祐は信者に向けてこんなコメントを出している。 信者においては、来年にも予想される判決を前に、一人ひとりが心を整理して過去の清算に努め、二度と過ちを繰り返さないことを決意する一つのきっかけとしてほしいと思います。「心を整理」とはどういう整理ですか。 「過ち」って何を指してるんですか。 不祥事起こした企業がプレスリリースするコメント同様、みごとに具体性を欠くメッセージである。彼らは本当にどこまであの事件のことを我が事として考えているのだろう。いやほんと、このぶんだと何十年かしたら「地下鉄サリンはなかった!」とか言い出すリビジョニストが出てくるぞきっと。 トンデモ宗教界ではこの春、タマちゃん効果のおかげでにわかに「千乃正法」がクローズアップされたが、報道されないだけで老舗の連中も地道にがんばっているのである。 だが、がんばるならがんばるで、とりあえず『痛快トンデモ活用術』の件に関しては、と学会および光文社に対しそれなりのオトシマエをつけてほしいものである。『トンデモ本1999』再版時の修正だっていくら余計な製版代がかかったと思っているんだ。謝罪と賠償を要求する。 【初出:『と学会誌11』(2003年8月)、ちょっとだけ加筆】
|