エルサレムのコミケに
行ってきました!


 生活に密接した労働以外に無駄なエネルギーを向ける余裕のある先進諸国を中心に、今や世界共通語になりつつある「オタク」。アメリカには既に日本産のものより濃いオタクがうじゃうじゃ生息している事など、様々なサブカルメディアにて既知の諸君も多いだろう。
 てなわけで先日、イスラエルに旅行した折り、当地在住ユダヤ人オタク最大の祭典として国内では有名(らしい)な「COMIC SHALOM」に一般参加した。珍しいので、土産話がてらに少々レポートさせていただく。

 場所はエルサレムのヘブライ大学総合体育館(なんとリベラルな国!)。サークル数1000前後、落ち着いた空気は日本のコミティアに近いが、10代以降の年代がほとんど見られない極端に若い参加者構成(多くの参加者は徴兵を境に足を洗ってしまうらしい)だけはまるでシティの小型版である。
 意外なことに、イスラエルの同人事情は驚くほど日本のそれに似ている。すなわち、欧米のオタクが日本のヒーローものアニメや特撮に傾倒しているのとは対照的に、彼ら、いや、彼女らの主流はやおいであった。
 ヘブル語の台詞はさっぱり分からないものの、売られている本の中身は大抵、線の細い男同士が絡んだマンガ。絵を追うだけで、絵柄こそ微妙に違えど日本でさんざん目にしたパターンは瞭然である。ヘブル語同人誌は日本と同じく右開きなので、よけいに郷愁がこみ上げてくる。
 日本独特と思われた「やおい」の感性が異民族によって忠実に再現された事に、正直驚きを禁じ得ない。妙な所で日ユ同祖論の傍証を見出した気分だ。
 同じやおいでも民族性というか国民性がよく出ているのが創作系で、軍隊キブツ(共同農場)を舞台にした作品群が目立った。共同生活の場が多いのはやおい作家にとっては好都合である。日本産アニメ等のパロディらしき本はごく少数だった。こちらには日本の番組やマンガ商業誌がほとんど輸入されていないため、描き手も読み手も少ないのだろう。

 特に我が目を疑ったのが、聖書(基督教で言う「旧約聖書」)のキャラを使ったやおいの多さである。なんとか人名だけ解読したのだが、目立つのは順当というかありがちというか「ヨナタン×ダビデ」本(ヨナタンは古代イスラエル王国初代王サウルの王子。ダビデはサウルの臣下で、のち二代目の王となるユダヤ最大の英雄)。
 たしかにこの2人は聖書の記述を読むだけでもホモより仲が良く、出会いのシーンからして「ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した」ときたもんだ(「サムエル記 上」第18章1節)。さらに、ダビデの名声をねたむサウル王を絡めた愛憎うずまく三角関係は、われわれ現代人の妄想をすらそそらせる。とどめにヨナタンの戦死を悼んだダビデの詩には

 「兄弟ヨナタンよ、まことの喜び
  女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を」

なんて、時代を3000年先取りしたフレーズまで実在するほど(「サムエル記 下」第1章26節)。逆になぜ日本でメジャーカップルにならないか不思議なくらいである。
 他にも「エリヤ×エリシャ」の預言者師弟タッグや、分裂王国時代のロイヤルカップル「アハブ王×ヨシャファト王」などが、ちょうど日本の歴史系やおいのような感覚で描かれている。
 ユダヤの律法では男色は死刑(「レビ記」20章13節)なだけに、どのカップリングにもインモラルな緊張感と陰靡な熱情が漂い、日本のあっけらかんとしたやおいとはひと味違う、通好みな雰囲気の作品が多かった。
 なお、「新約聖書」に題材を求めた本もあり、「ナザレのイエス×イスカリオテのユダ」本(当然「裏切り」は痴話喧嘩のもつれ)にはさすがの私もひっくり返った。やっぱし、異教には容赦ないなぁ。

 それにしても、神ヤハウェを除く聖典の登場人物を平然とおちょくる彼女たちのドライな感覚。神以外のものを絶対視しない唯一神教の真髄を見た思いである。やおい本に対してすぐ「○○さんをホモ扱いするな!」と怒り狂う日本の熱狂主義者たちにとっても、見習うべき所がありそうだ。

 遠く中東に花開いた悪の華の、永遠に咲き誇らんことを。ごめん全部嘘。

(1998年冬・『大宗教学第拾弐號』初出)