埼京震学舎 その華麗なる道程

または「人生のムダづかい」の一例


なお、歴史は後の研究により予告なしに修正される場合があります。

未来は変えるもの。過去はねぢまげるもの。
(『大宗教学第六号』より)



【1992年】
埼京震学舎、男の船出

8月某日ほんの気まぐれで結成。ためしにコミケに申し込んでみる。
11月某日当選したので機関誌をでっちあげる事に。30余の候補の中から、誌名は『大宗教学』に決定。
12月某日「コミックマーケット(以下CM)43」参加。
『大宗教学準備号』(24P・\150)50部と豆本『統一教』『ヘア』(各8P・\50)若干数を用意して、初のコミケに挑む。
たまたま宗教ネタの新刊を出していた【滝季山影一国際騒動局】の隣に配置されたおかげで、客のおこぼれをもらって3時間で完売(コバンザメ)。一同、早くも世間をナメはじめる。

【1993年】
埼京震学舎、初心を光速で忘れる

8月某日「CM44」参加。
『大宗教学第壱号(ザビエル日本侵攻444周年記念号)』(24P・\150)100部を投入、また完売。
ただし、主宰が単なる趣味で作った豆本『ながいまりこ結婚おめでと本』(8P.\50)はさっぱり売れず。
12月某日「CM45」参加。
『大宗教学第弐号』(24P・\150)100部を投入、また完売。
何かの手違いでお隣に配置された創作(少女)サークル【アーティスツカンパニー】さんには気の毒な事をした。

【1994年】
埼京震学舎、堕落への坂道

6月某日主宰、今度は伊良部萌え病が頂点に達し、ロッテギャグ本『美少女選手イーラーブーン』の編集を開始。他メンバーの不評を買う。
8月某日「CM46」1日目。プロ野球サークル【威風堂本舗】にお願いして『美少女選手イーラーブーン』を委託販売。ものすごく浮く。
8月某日同・2日目。『大宗教学第参号』(24P・\150)調子に乗って150部を投入。しかし、猛暑の影響か、初の完売逃し。
10月某日主宰の伊良部萌え収まる様子なく、ロッテギャグ本第2弾『コードネームはイーラーV』の編集を開始。
11月某日その余力で『大宗教学第四号』をやっつけ仕事で作る。他メンバー、呆れてモノが言えず。
12月某日「CM47」1日目、またプロ野球サークル【威風堂本舗】にて『コードネームはイーラーV』を委託販売。徹底的に浮く。
12月某日2日目、『大宗教学第四号』(24P・\150)今度は少し謙虚になって120部を投入。
しかし、2度目の完売逃し。
主宰、「フリーメーソンの陰謀」説を唱えるも相手にされずスネる。

【1995年】
埼京震学舎、メジャー昇格への好機を逃す(爆)

2月4日主宰、NIFTYSERVE(当時Nifty-serve)に入会。以後、ネタの仕入れなどに大いに役立つ。
3月20日地下鉄サリン事件。
3月22日オウムガサ入れ。
4月29日コミティアにて【カダフィ企画】および【滝季山影一国際騒動局】の軒下を借り、突発豆本『ヴァジラヤーナ大宗教学』(8P・\50)および『大宗教学第参号』『第四号』の在庫を頒布。どちらも飛ぶように売れる。両サークル様にはえらい迷惑をかけた。
5月4日「スーパーコミックシティ」にて【遊撃隊】、主催の赤ブーブー社に通報されて逮捕。結社員一同、ビビりまくる。
5月10日「SPA!」誌連載「中森文化新聞」の「世も末ニュースランキング」に『大宗教学第参号』が無断転載されていることが偶然発覚(メジャーデビュー(笑))。愛読者のどなたかが「中森文化新聞」に投書したらしい。もしあの時SPA!にコンタクトを取っていれば、『大宗教学』も「女子高生ゴリ子」(爆)程度にはメジャーになっていたかも。どっちがよかったかは歴史が判断してくれるだろう。
ちなみに、順位は堂々第3位。
5月某日仮想敵国【カダフィ企画】より、「サークルカットにチヅオを描いたら某イベント落とされちゃったッスよぉ〜」と暴露情報。一同、夏コミの抽選を思いビビる。
6月某日夏コミ当選。準備会の英断に、当分コミケに忠誠を誓うことを決議。
8月某日「CM48」2日め。ピエール瀧上氏と同盟締結。
8月某日「CM48」3日め。最新刊『大宗教学第伍号』(48P・\250)ほか既刊数種類と、委託で『かめさん』を並べる。しかし、芸能ブースじゃなかったせいか、思ったほどの売上増にはならず。以後の販売戦略にさまざまな戦訓を残すコミケとなった。
11月某日前回の戦訓により『大宗教学第六号』発行部数を抑える。
12月某日「CM49」2日め。『大宗教学第六号』(24P・\150)ほか在庫を売る。
夏以上のハイペースで売れ、2年ぶりに完売の美酒に酔う。
だが、買いそびれた常連客の悲しげな表情に心を痛めたメンバーの訴えにより、次回より「絶対完売しないぐらい刷る」ことを決議。イバラの道に足を踏み込む。

【1996年】
埼京震学舎、マンネリ化計画

8月某日『大宗教学第七号 新世紀末エヴァゲンリオン』発行。「ンゲリ」じゃなくて「ゲンリ」。
8月某日「CM50」最終日。嘘ロゴの出来がよすぎて、ほとんどの読者は「エヴァゲンリオン」と読めなかったらしい。「新世紀『末』」も気付かない奴ばっかしだし。くそー。それはそれとして売れ行きは良好。
11月某日主宰、滝季山影一先生のマンガと諸星大二郎「生命の樹」のコラージュを『大宗教学第八号 グル岩石日記』用に製作。コミティアで滝季山先生ご本人に使用許諾申請をしたところ、「私が使う!」と言われ版下を没収される。
12月某日こんどは大村イワオにハマった主宰、『にせ甲子園ストーリー 大村巌』製作に全精力を投入。
残りカスのような余力で『大宗教学第八号』編集。投げやりな表紙だけでそのモチベーションの低さが看取される。
おまけに編集終了したとたんにペルー大使公邸占拠事件が起こり、結社員一同悔しがる。
12月某日「CM51」最終日。そんな体たらくだったのに加え、ブース前の扉が行列用に開放されモロ北風が吹き込む極寒地獄のせいで、あんまし売れなかった。
主宰ひとりだけ、滝季山影一先生の新刊の裏表紙に自作のコラージュが使用されていて随喜の涙にむせぶ。クレジットは主宰名じゃなくてサークル名義だったということで辛くも議会の追及をかわす。
12月某日新田五郎氏の告発により、「中森文化新聞」2度目の『大宗教学』無断転載が発覚。
今度は『第七号』の表紙と、P.20のネタ「1999年」が載せられる。
なお、順位は23位。24位にはまほろびちゃんの「オウム点取り占い」がランクイン。

【1997年】
埼京震学舎、地獄へ道づれ(アナザワンバイツァダスッ、アァオ!)

4月某日主宰、『ヘルメス』観賞。人として最低の道に目覚める。同じ頃、ピカチュウにもハマり、人格の分裂に拍車がかかる。
6月某日酒鬼薔薇事件
7月某日「酒鬼薔薇」と「ヘルメス」の二大看板を掲げ、満を持して『大宗教学第九号』倍増頁で編集。
8月某日「CM52」初日。【すらいむはうす】のけふりん氏・小泉理紗子氏(【広岡グループ】)と同盟。
8月某日同・最終日。『大宗教学第九号』(48P・\250)卑怯な表紙に人気集中。もっと刷っとけばよかった。
12月某日『大宗教学第拾号』通常版(24P・\150)で編集。編集完了直後に「でんのうせんしポリゴン」事件が起こり、結社員一同地団駄を踏む。
12月某日「CM53」最終日。『大宗教学第拾号』のひどい表紙が【団結小屋】の王猛烈先生にバカウケし、主宰感激。ウパー! 突発的に出したピカチュウ折り紙セット(放映再開祈願・千羽ピカチュウ製作用)は案外売れず。

【1998年】
埼京震学舎、暗黒への発展

3月某日主宰、職場のマックで某有名DTPソフトをいじる。気に入ったようだ。
5月某日埼京震学舎工房、移転。
5月某日仮想敵国【カダフィ企画】、ウィンドウズマシン導入の情報。危機感を強めた議会、国防政策をめぐり議論紛糾。主宰「前向きに善処します」と答弁し、大ブーイング。
7月某日『大宗教学第拾壱号』、特に理由もないがたまたまネタが多かったため倍増頁(48P・\250)で発行。
主宰、職場のマックを「練習」と称して一部版下作製に使用。結社員の反応は良好。
編集完了直後に和歌山カレー事件が起こり、結社員一同また地団駄を踏む。なんでやねん(涙)。主宰、その悔しさを表紙にぶつける。
8月某日「CM54」初日。オウムウォッチャーサークルの老舗【M/Pマニュファクチュア】主宰・まほろびちゃんと歴史的会見。
8月某日主宰、博覧強記で知られる作家・唐沢俊一先生と謁見。『大宗教学』のバックナンバーを「第参號」あたりから揃えている、とカムアウトされ、トシちゃん25歳級の大感激。この場で死んでいればしあわせな一生だったかも知れない>主宰。
8月某日「CM54」最終日。まほろびちゃんの「オウム点取り占い」を委託。
記録的な猛暑の影響でどうにも客の食いが悪く、売り子もへたばり、予想を絶するほど売れ残る。隣に配置された【カダフィ企画】は元気だというのに、とほほ……。
だが、贈呈先にはおおむね好評だったということで、一同、甲子園の砂をかき集める高校球児のようにお互いを慰め合う。「慰め合う」と言ってもエティーなことをしたわけではないぞ。
8月某日仮想敵国【カダフィ企画】、HP開設の情報。もはや一刻の猶予もない。
9月某日主宰、Macintosh G3 DT300ほか周辺機器を購入。占めて50万。
議会で領収書を提出、結社員から袋だたきに遭う。
12月某日『大宗教学第拾弐号 踊る大宗教学』、変則150%増量(36P・\200)で編集発行。今度も締切り直後にイラク空爆が起こり、とりあえず地団駄踏んでみる。
12月某日「CM55」。また【カダフィ企画】の隣に配置される。どうやら準備会には「同類」と思われているらしい。そのうちウチがカダフィのダミーサークルと判断されて落とされやしないかと気が気ではない。非武装緩衝地帯をはさみ、両軍の緊張が高まる。
コサキンサークル全滅を受け、リスナーズアイテムの委託を受け付ける。
気候は快適、売れ行きもまずまず。

【1999年】
埼京震学舎、そして伝説へ

1月10日当HP開設。もっぱら主宰のグチを全世界に発信する恥さらし場として濫用される。
1月17日「サンシャインクリエイション」委託参加。突発新刊あり。
2月11日埼京震学舎工房、また移転。
3月14日「サンシャインクリエイション」委託参加。また突発新刊あり。元気だな。
4月某日『亜砒酸トリック林夫妻』がチェーンメールになっていたことが発覚。ムキー!
5月某日「COMITIA48」委託参加。コミティアにしては売れる。
8月某日『ミニコミ魂』(晶文社)に『大宗教学』の書評掲載。ハズカシイ。
7月某日『大宗教学第拾参号 なんで来ねーんだ大王号』、倍増頁(48P・\250)もノストラダムスネタほとんどゼロで発行。『ミニコミ魂』の広告も掲載。
8月某日「CM56」最終日。売り上げは夏にしては好調、ただし『ミニコミ魂』掲載の影響は特に反映していない模様。そんなもんだい。
8月29日「COMITIA49」委託参加。
11月7日「COMITIA50」委託参加。
12月某日『大宗教学第拾四号 上祐出所記念号(大嘘)』、無謀にも冬号としては初の倍増ページversion(48P・\250)で編集発行。コミケ初日の朝まで製本に追われる。
12月某日「CM57」最終日。『大宗教学第拾四号』160部投入。気候やや寒冷なれど、売れ行き好調(残部9部)。

【2000年】
埼京震学舎、伝説から幻滅へ

1月10日HP開設1周年。特に記念事業はなし。
2月6日主宰、第1回「著作権シンポジウム」傍聴。ヌルさに泣く。
2月13日「COMITIA51」委託参加。
3月某日主宰、長年の「研究成果」が認められ、突如と学会入会。学会内にかなり読者がいたのにびっくりするやら恐縮するやら。
3月某日主宰、リゾートコミケin沖縄一般参加。なぜサークル参加しなかったのかと議会の猛攻撃を受ける。すまん、気がついたら委託すら受付終了していたんだよおう。
5月5日「COMITIA52」委託参加。
5月7日「メンズコミックin名古屋」委託参加。超絶的に売れず、サークル史上最大の赤字を出す。
8月某日『大宗教学第拾伍号 でぶこの世界征服は無期延期中にょ号』、倍増頁(48P)に加え別冊付録(20P)までつける異例の号(頒価は付録込み\350)。主宰がアホほど替え歌を作りまくったのが原因。40曲も収録するんじゃねぇ。
8月13日「CM58」最終日。大雨、西館配置などにめげずそこそこ売れる。バトルウォッチャーパティオの本を委託(完売)。
主宰、図々しく『と学会誌8』に寄稿。
8月27日「COMITIA53」委託参加。
12月某日『大宗教学第拾六号』発行(40P・\200)。パンツおいはぎ事件に映画『太陽の法』に、ほとんど幸福の科学の布教誌と化した感(←どこが)。
12月30日「CM59」最終日。見込み以上に売り上げが伸び、数年ぶりの完売。主宰、閉会までの2時間、買えなかった客に頭を下げまくる。鈴之助氏の本を委託(完売)。

【2001年】
埼京震学舎、変わりばえなき新世紀

1月10日HP開設2周年。特に記念事業はなし。
2月11日「COMITIA55」委託参加。バックナンバー含め15冊売れる。
3月16日埼京震学舎工房、前線基地に機能移転。
5月4日「COMITIA56」委託参加。
8月某日『大宗教学第拾七号 安部英無罪判決記念号』発行(48P・\250)。こんどは「新しい教科書をつくる会」のPR誌に。
8月12日「CM60」最終日。新刊170冊投入して閉会30分前に完売。【色物技研】【烏龍電脳有限公司】のパロディPCエンブレム、【外道会館】のビデオを委託。
主宰、『と学会誌9』に寄稿。『ファミコマンドー竜』布教の役には立った模様。
9月2日「COMITIA57」委託参加。11冊売れる。
11月某日当HP、10万ヒット達成。
11月18日「COMITIA58」委託参加。2冊売れる。
12月某日『大宗教学第拾八号 アサー・ハッラーと信者の意地』発行(40P・\200)。当然ながらテロネタの山。
12月30日「CM61」最終日。初めて新刊200冊店頭投入。立地条件もよく、しかもカダフィ、滝季山氏の店と並んだおかげで激売れ、残部6部。いよいよ200冊時代に突入か。新田五郎さんの本、『と学会誌9』第2版を委託(いずれも完売)。

【2002年】
埼京震学舎、キリングミーソフトリー

1月10日HP開設3周年。特に記念事業はなし。
1月末日主宰、『と学会年鑑2002』(太田出版)に寄稿。原稿料で旧来の赤字を若干補填するも焼け石に水。
でも「大宗教学」の名を商業単行本に印刷させた功績はもっとほめてもらってもいいと思うの。
5月5日「COMITIA60」委託参加。13冊売れる。『年鑑2002』も3冊売る。
7月某日主宰、『と学会誌10』に寄稿。
8月某日『大宗教学第拾九号 アストロ教団』発行(48P・\300)。W杯ネタと児ポ法反対ネタたっぷり、そのかわり国内政治ネタ少なめ、これ最強。義によって「コメット☆ぱーてぃ」の応援チラシもはさみこみ。
8月11日「CM62」最終日。新刊200冊・旧刊60冊と未曾有の編成で挑むが大敗北。『と学会誌10』も少し売れ残る。異常な暑さと不快指数のせいということにしておく。バカはすぐ人のせいにして忘れた。
10月某日主宰、『と学会誌2002年冬の増刊号』に寄稿。
10月某日主宰、何を血迷ったか「コメット☆ぱーてぃ」サークル参加申し込み。
11月17日「COMITIA62」委託参加。初めて1冊も売れず、泣きながら帰る。
12月某日『大宗教学第弐拾号 ロード・オブ・ザ・ソンシ』発行(40P・\200)。誌面の半分を北朝鮮ネタが埋める。表紙を描くためにわざわざLOTRのDVDを買ったバカが約1名。経費かけすぎ。
12月30日「CM63」最終日。性懲りもなく新刊200冊・旧刊100冊持ち込み。立地条件は普通だったが、売れ行き上々、ほどよく余る。やっぱり夏の悪夢は猛暑のせいだ。『と学会誌』増刊号も約束した分は無事売り捌く。


そんなかんじで草の根NPOみたいに(実際NPOだけど)ホソボソとがんばってますのでハイ。



「埼京震学舎とは」トップに戻る