| 松原秀樹先生連載97 |
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認知と情動の関係
ものごとの認識の仕方、認知と情動も密接に関係している。昔のことを思い出して話している人を観察するとその時の経験や体験された情動反応を同時に示していることがわかります。このように、本人が体験したことをその後どう考え認知しているかを知ることは、情動との関係を考えていく上で大切なポイントになります。直接であれ間接であれその行動の結果に対してある認知をもち、そしてその認知が次の刺激事態となって将来の行動に影響していくものです。不安という問題を取り上げてみても、今現在ではなくより先の近い未来に対して不安は形成され、その否定的な行動の結果予測によって、今ここでの行動が非合理に自己規制されていくのです。例えば毎月の給与が減額されるあるいは支給が遅れそうだという情報だけによっても、急速に仕事へのモチベーションは低下するし、人間関係においても、予想した対応がしてもらえないと知った場合には抑うつ的状態に陥りやすいことはよく知られています。
困難な状況に対して、漠然としたことばをいつもの認知図式の中で使っていると、具体的解決アイディアも、解決しようという意欲さえも次第に出なくなってしまうものです。たとえば、夕食の料理に何を作ろうかと考える場合に、昨日は肉だった、一昨日は魚だったと考えるならば、今日の夕食は野菜しかイメージの中に残らなくなり、アイディアが出なくなってきます。同じ夕食を何にしようと考えたとしても、昨日は豚肉の生姜いためだった、一昨日は白身の煮魚だったと考えるならば、今日の献立は、肉でもいろいろなものがありますし、魚でもそうですから、野菜を加えてたくさんの種類がイメージできるようになるのです。
このように、問題の解決は認知の影響が大きいということも理解できるでしょう。そこには、情報が不足していることによる問題、誤認しているための問題、そしてさらには無知のために形成される認知の問題もあります。誤った情報や予測、認知の偏り、囚われや、非合理的な思考、知的条件も情動と密接に関係していることが臨床場面では多く観察されています。ある特定の対象に対して怒りが持続している、今後も続くであろうと予測されるということは、怒りを持ち続けてよいという理由、つまり認知条件が存在するからで続いているのです。その理由が壊されたり、変更せざるを得なくなると、怒りは終息せざるを得ません。
情動のセルフ・コントロールの上で、認知条件の操作は欠かすことができないことを述べてきましたが、問題とすべき情動を持ち続けているクライエントの論理的矛盾、不適切さや非合理さをはっきりとさせ、環境への認知、自己の身体への認知や自分自身のおこなっている対処行動への認知のからみを解くことなどによって、問題の処理や効果的な対処を導いたりしていくことが必要になってきます。さらに、クライエントが自分に対するポジティブな自己イメージをもっているか否か、という自己教示上の問題点もあります。さらに、対処行動の上での吟味が必要になります。それらは、目標の立て方が、自己の努力水準や能力に適したものを設定する習慣ができているかどうかという問題です。目標達成のための方法や手段の学習は十分であるかどうか、準備やまたその判断や評価力は適切であるかないかなどの問題、問題解決に要するエネルギーは十分に用意されているか、その補給について段取りよくしているかどうかなどなどについてです。
このように対処行動、問題解決能力における諸側面についての吟味が効果的な援助のためには当然必要とされる作業です。そして、「自分でコントロールが困難な問題を抱えたときに、他者の援助を得ることは決して恥ずべきことではない」という考え方を育てていく必要もあります。とくに紹介されてきたり、周囲の人々に促されて来たケースに対して、このような健全な依存についての教育していくことは大切だと考えています。困った時に他者の援助を得て新しい学習をし、そのプロセスを通して自己の成長を来すべく努力していくことは、いずれの年代や時期であろうとも、成熟を目指すためには必須の心構えであるべきだと思っているからです。
up 2007/05/10