松原秀樹先生連載114

 

肩や首の凝り



学生時代に聞いた話です。この話をしてくれたのはフランス人の教授でした。私は、第二外国語として履修したのはドイツ語でしたので、フランス語はまったくわかりません。その教授は日本に来てすでに15年を過ぎた方でしたので、十二分に日本語を習熟されていましたので、このときの会話は日本語でした。日本に来るまでは、肩凝りや首の凝りなどはまったく感じたことがなかったのに、日本語を覚えてから、肩凝りを覚えるようになったとの話でした。フランス語の日常語には、首や肩の凝りということばがないのだということでした。肩凝りという日本語を知ってから、凝るようになった、と話していました。当時は、「へー、そうなんだ」程度の理解でしたが、その後、臨床経験を積んでくるうちに、このときの話が、重要な示唆を与えてくれました。

それは、身体の症状であっても、こころの問題であっても、ことばが与えられていないことは、意識の上での問題にはならないのだということです。「知らぬが仏、見ぬが神」という諺もありますが、ことばが与えられたものを人は意識し考える対象にするのです。過去のことでもことばが与えられているものだけを考えます、ことばが与えられていないものが意識されることは、非常に稀なことなのです。困ったり、悩んだり恨んだりしていることでも、その思いえがくときに使われていることば、ことばが与えられた事柄でしかその問題を認識していないし、それ以上を考えていないのです。実際の記憶には、もっと膨大な情報があるはずなのに、ことばが与えられているものしか、考える対象になっていないものなのです。

 

 

連載115

 

 

up 2008/06/04

 

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