| 松原秀樹先生連載128 |
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不安のときの回避行動とその後の認知への影響
不安ということは、人間の脳がここまで巨大に発達したための副産物であるという話しを、大脳生理学の研究者から聞いたことがあります。前にも書きましたが、不安というものは、思考能力が発達しないと持てないものなのです。
不安は、困ったパターンをも成立させていくものなのです。バスに乗るのが怖いクライエントがいました。バスに乗るときには若干の緊張があるものの、何事もなく乗っていられるのにかかわらず、目的地までかなり近づいたところで、急に強い不安が押し寄せてきて、もたなくなり、目的のバス停よりも一つ手前のバス停で結局降りてしまっているというパターンがありました。「バスが段々混んできた」「バス停間の区間が長いところが近づいてくる」「ここで降りないと先が怖い」などなど、こうした考えに負けて降りた結果、「だめな私」「治らない私」と、さらに自己処罰を繰り返していました。こうして自己認識の劣等化をはかり、負け犬意識の強化をしてしまっていたのです。むしろバスに乗る前に、1つ手前のバス停で降りて、健康のために歩くぞとこころに決めてバスに乗り込むようにすることが自己卑下にならないために役に立つ対応、処方法と言えるでしょう。
日々の戦いに命を掛け、周囲に生命の現実的な危険を常に抱えていた戦国時代の武士たちは、毎日が不安の連続であって、幸せや安定などを感じることなく生きていたのでしょうか。いいえ、彼らは楽しみ、満足し、きわめて現実的に生きていたと思えます。もちろん危機に対しては、彼らはとても敏感だったことでしょう。しかし彼らは、「危険」は恐ろしいものであるという感覚や考え方で生きてはいなかったと思われるのです。危険を十分に考慮し、その具体的な対策を立てつづけていく習慣、即時に具体的に対処していく習慣がしっかりとできていたと思われます。もし対策がどうしても立たないような場合には、その状況を極力利用し、すこしでも有利になるようにと考えていたと思われます。どんなに困った現実を前にしても、冷徹に見据え、厳密に計算し、それらを乗り越える道を模索していたことでしょう。
こうした戦国時代の武士たちに、恐怖心が欠如していると考えるのは明らかに間違いです。恐れる時には人並み以上に恐れる現実家だったと思います。彼らが決してしなかったことは、不安障害のクライエントのする恐怖の先取りです。先取り、つまり起こるかもしれない恐怖場面をこころに描き、際限もなく膨らんでくる恐れに包み込まれてしまうことはなかったようです。こうした恐怖の先取りは意味がないということを知っていたから、実感していたからでしょう。むしろ恐怖の先取りをしていると、最悪の結果を、族滅をも招き寄せてしまうからです。「その時はその時、今は今」これが現実家の発想です。だからこそ、未来の危険は、今ここでの安寧を少しも妨げるものではなかったのでしょう。
up 2009/05/13