闇
「闇夜より無暗が怖い」という警句があります。
まさに現代人にぴったりの言葉ではないかと思っています。
真の闇は、本当に怖いものです。今からウン十年前の高校生の頃、
年に何回も週末1泊2日、独りで近くの山に登り、
野宿して夜を過ごしました。月のない夜の山道は、
懐中電灯なしでは蹴躓いて転んでしまいます。
懐中電灯の明かりがあったとしても、
昔のものはそう遠くまで照らす力はありません。わずかな距離で、
光はその力を失い、闇に溶け込んでしまいます。灯火を消すと、
文字通り漆黒の闇に包まれます。自分のいる間近の周囲に、
得体の知れない何者かがいるような気配を感じます。
ツエルトテントの外を見ても真っ暗で、
闇が膨らんで向かってくるような感じです。
あわてて寝袋の中で丸まっていましたが、
自分の卑小さを否応もなく感じました。最初の山行きの時には、
曇りの日だったせいもあって、月も星もなく、真っ暗で、
来なければよかったとしきりに後悔しました。
怖くてとても眠気など感じませんでしたが、
いつの間にか眠ったのでしょう。朝を迎え、目覚めると、
かなり近くまで木ネズミが来ていて、
私の夜食の食べ残しのフランスパンのかけらを頬張っているのを見
ることができました。
その後、どういうわけか凝りずに、何回もこうした山行きをし、
野宿を繰り返しました。
周囲に街灯も家やビルの明かりもないため、
月や星はとても明るく見えました。
都市生活の中で見るのと比べて、
何倍もの輝きで見ることができました。
希望の星という言葉を実感することができる明るさでした。
闇は、考えたり自身を見つめるのには、
とても良い環境を提供してくれます。むしろ闇は、
自身に自然に向き合える場になります。心の闇ではない真の闇は、
生きることや死ということをも自然に考えさせてくれます。
また謙虚さや誠実さ、愛について、
人としての生き方を考えさせてくれもしました。
1条の光を手がかりに、
闇の中でも一歩踏み出す勇気も与えられたと思います。
一条の光の外は闇で見えません。
奥秩父を縦走していたときの体験ですが、
台風一過の倒木のために、太い樹が何本も何本も倒れていて、
山道をさえぎっており、四方八方道を探したことがありました。
崩れた急な場所もあり、
樹の枝を伝って少し降りてみたりしました。
翌日はよく晴れていました、
たまたま前夜懐中電灯の明かりでは見えなかった急な場所を見て、
びっくりしました。前夜、見えていたら、
恐怖でとても近づく気にもならない崖でした。
少なくとも数十メートル以上のものでした。
なんとそこを降りてみようとしていたわけです。ぞっとしました。
一条の明かりの照らすところだけしか見えないために、
恐怖することなく、ここからは道に出そうもないな、
とって返そうと、余裕でよじ登って戻ったのです。
見ず知らずの幸せでした。
闇は、
私にいろいろなことを気づかせ考えさせる時空を与えてくれました
。そしてこうした闇というものが、一番暗くなるのは、
夜明け前のときだということも知りました。
引きこもりやうつのクライエントは、
申し合わせたように窓を閉め、
カーテンも閉め切った室内で過ごしています。
昼夜逆転もこの傾向の延長でしょう。
あたかも自分を見つめるために、闇なるものを、
なんとか作ろうとしているようです。しかし、
真の闇を求めるためには不十分です。
今の室内灯は明るすぎますし、電気を消しても、
カーテンを通して街灯や隣家の明かりが差し込み、
部屋を中途半端な暗さにしかしてくれません。
光の当たる場所だけを見つめることができません。
明るさと闇の境界線もありません。
こころをはっきりと思い極めることができないのです。
本当の闇を失った現代の社会は、
希望の星をも失ってしまったようです。
連載133
up 2009/06/15
-