催眠人名辞典
クルーゲの磁化状態の6段階
第1段階 体温上昇感を伴う覚醒状態(Wachsein mit einem Gefühl erhöhter Wärme)
第2段階 半醒半睡(Halbschlaf)
第3段階 内界暗黒(innere Dunkelheit)
第4段階 内界明澄(innere Klarheit)
第5段階 自己内規(Selbstbeschauumg)
第6段階 全面的明澄(allgemeine Klarheit)

        フランスはサルペトリエール学派の筆頭。パリ生まれ。馬車製造人の子として生まれる。当初は病理解剖学者。36歳(1862年)でサルペトリエール病院の医長となり、転機が訪れる。当時のサルペトリエール病院は古く、4・5000人の貧しい老婦人を収容している医療養老院に成り果てていた。神経学者デュシェンヌに啓発され、詳細な病歴を取り剖検を命じ、実験室を開設。1862年〜1870年の間のシャルコーの発見はシャルコーを当代切っての神経学者とした。1870年女性痙攣患者用とした特別病棟の医長を兼務。癲癇性発作と癲癇を覚えたヒステリー(転換)患者の発作との鑑別法の発見に尽力した。

        1878年催眠の三段階を発見(現在では否定されている)。1882年、科学アカデミーにてその論文を朗読し、メスメル以来1世紀催眠を否定してきたフランス科学アカデミーに催眠を科学として認めさせた。

        1884・1885年外傷性麻痺(paralyses traumatiques)についての研究を行う。

        シャルコーは非常に博識の人で、ダンテをイタリア語、シェイクスピアを英語でそらんじ、ドイツ語・スペイン語を読むことがで来た。当時としては離れ業である。

        シャルコーは旧式のサルペトリエール病院を治療用・教育用・研究用の施設を各々新設した。いくつかの実験施設・写真サービス部門・眼科・耳鼻科、後には病理解剖博物館、男性患者をも受け入れる外来施設、巨大な講堂を追加した。弟子にはブールヌヴィル、ピートル、ジョフロワ、コタール、ジル・ドゥラ・トゥレット、メイジュ、ポール・リシェール、スーク、ピエール=マリー、レイモン、ババンスキなどがいた。

        諸国の王や大公の侍医となることはもちろん、時には腹心となっていることは周知であった。ブラジル皇帝ペドロ二世はシャルコー邸を訪問し、シャルコーにビリヤードの相手をさせ、サルペトリエールの講義を聴講した。ウィーンのベーネディクトとも知己で、稀な神経麻痺にベーネディクト症候群の名を与えている。ロシアでの知名度は高く、皇帝一家の顧問医として何度もロシアに招かれ、フランス首相ガンベッタとロシアのニコライ大公との非公式会談の根回しをしてのちの露仏同盟締結のきっかけを作ったという。

        1881年ロンドンでの学会では脊髄癆性関節症を示説し、嵐のような拍手で迎えられた。1882年催眠術に関する有名な論文でその声望は頂点に達した。

 

 

        フランス磁気術復興の功績があるとされる人物。パリで成功し公開講義を行った。明晰で構成の優れた教科書を著した。ドゥルーズは”奇跡治療”の時代はメスメルやビュイゼギュールとともに去り、洗練され標準化された技術の時代が到来した、と言っている。また、当時の”流体派””心霊派””中間派”の三者間の論争は過去の遺物と述べた。人工夢遊病中に生じる諸現象を見事に記載し、いわゆる超自然現象には懐疑的で、磁気術には種々の危険があると警告した。

        フランス陸軍の将校。ファリア師の公開実験を見たことがある。1819年にベルトランの知遇を得、ベルトランに流体説が正しくないことを認めさせた事情を述べている。35年かけて限定版の教科書を出版し、この教説はリエボーに継承された。

        ポルトガル人司祭。異色の人。インドから来たバラモンと称した。1813年にパリで超覚醒睡眠(Sommeil lucide)に関する公開講義を行い、物理的流体論と”交流”論を批判し、じか過程は本質的に多くを治療者よりも被治療者に負うものであると主張した。あるタイプの人間は磁化されやすいと講義し、そういう人を天然幻視者(épopte naturel仏 natürlicher Visionär独)と名づけた。パリで活躍したがあまりフランス語は上手ではなかった。催眠法は、患者を座りごこちの良い椅子に座らせ、術者は手を開き腕をあげ、患者にそれをじっと見つめさせてから大声で「眠れ!」と命ずるものであった。ジャネによればナンシー学派の真の父祖とされる。後催眠暗示に関しても完璧な知識をもっていたと言われる。

        カールスルーエ出身の物理学者。1787年に雑誌『磁気睡眠=夢遊病学宝函(Archiv für Magnetismus und Somnambulismus)』を創刊。

        

        医師・工学技師の訓練を受けた人。その立場から科学的・実験的研究法をとるべきだという観点から動物磁気に接近しようとした。教科書Traité(提要)を形にす。後催眠暗示に関しても完璧な知識をもっていたと言われる。ジャネによると、ベルトランの仕事は誰よりも優れている、と評価され、催眠現象の科学的研究に着手したのはベルトランだと考えられた。

        ナンシー学派のリーダー。アルザス州人。

 

 

        1758年に磁気睡眠状態にある人も軽はずみな磁気術師の反倫理的命令に抵抗できる能力は完全に残っていると強調した。

        ナンシー学派の開祖。フランス・ロレーヌ州の貧農の12番目の子。懸命に勉強し、ポン=ヴァンサンの医師となる。磁気術で治療する患者からは払えるだけしか治療費を取らなかった。また、著書が10年で1冊しか売れなかった。1882年ベルネイムと運命的な出会いをする。

 

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松原 慎: mxg04503@cocoa.freemail.ne.jp

 
 

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