| クルーゲの磁化状態の6段階 |
| 第1段階 |
体温上昇感を伴う覚醒状態(Wachsein mit einem Gefühl erhöhter
Wärme) |
| 第2段階 |
半醒半睡(Halbschlaf) |
| 第3段階 |
内界暗黒(innere Dunkelheit) |
| 第4段階 |
内界明澄(innere Klarheit) |
| 第5段階 |
自己内規(Selbstbeschauumg) |
| 第6段階 |
全面的明澄(allgemeine Klarheit) |
- ケルナー(ユスティーヌス Justinus Kerner
1786-1862) ヴェルテンベルク公国の小都市ヴァインスベルクの市専従医。医者兼詩人。医学者としてはボツリヌス病にあたる食中毒の最初の記載をした人。1826年フリーデリケ・ハウフェを治療。また、『墨滴図形集(Klecksographien)』を出版し、これが後にロールシャッハのインクブロットテストを考案する時のインスピレーションとなる。
- ゴーティエ(Gauthier) フランスにおける磁気術研究者。
- ザイク(J.K.Zeig)ゼイクとも。ミルトン・エリクソン最晩年の弟子で、現在はミリトンエリクソン財団代表。38歳の時ミルトン・エリクソンの遺志を継いで、心理療法の学派の枠を撤廃した心理療法の国際会議を開催した。当時最高齢は83歳のカール・ロジャースであったという。この試みは我が国でも「21世紀の心理療法」として出版されている。
- シビル・・・米国で詳細な記述が小説として出版された多重人格者。著明な分析家コーネリア・ウィルバー女史の分析治療を受けて治癒したと言われる。日本での本の名前は「失われた私」。
- ジャネ(ジュール)ピエール・ジャネの弟。医師。シャルコーの患者であったブラウンシュ・ヴィトマンが一時サルペトリエールを抜け出してオテル・ディウー病院に収容された時に彼女を診察した。ヴィトマンにもう一つの人格ブラウンシュ2号が存在することを発見した。いわゆる今日の二重人格。
- ジャネ(ピエール1859-)パリのリュクサンブール公園に近いマダーム街46番地に生まれる。初級学校はサント・バルブ・デ・シャン学院である。この学校はロヨラ・ザビエル・カルバンらを輩出した由緒ある高い教育水準の学校である。ジャネははにかみ屋の少年だった。15歳頃鬱状態となるが乗り越え。1878年大学入学資格試験に合格、1880年文学士。1881年科学系の大学入学資格者の資格を得る・・・この年はパリ万博の年である。1882年哲学教授資格試験に2位で合格・・・この年はシャルコーの論文が科学アカデミーで朗読されたことである。
- シャルコー(ジャン=マルタンJan-Martin Charcot 1825-1893)
フランスはサルペトリエール学派の筆頭。パリ生まれ。馬車製造人の子として生まれる。当初は病理解剖学者。36歳(1862年)でサルペトリエール病院の医長となり、転機が訪れる。当時のサルペトリエール病院は古く、4・5000人の貧しい老婦人を収容している医療養老院に成り果てていた。神経学者デュシェンヌに啓発され、詳細な病歴を取り剖検を命じ、実験室を開設。1862年〜1870年の間のシャルコーの発見はシャルコーを当代切っての神経学者とした。1870年女性痙攣患者用とした特別病棟の医長を兼務。癲癇性発作と癲癇を覚えたヒステリー(転換)患者の発作との鑑別法の発見に尽力した。
1878年催眠の三段階を発見(現在では否定されている)。1882年、科学アカデミーにてその論文を朗読し、メスメル以来1世紀催眠を否定してきたフランス科学アカデミーに催眠を科学として認めさせた。
1884・1885年外傷性麻痺(paralyses
traumatiques)についての研究を行う。
シャルコーは非常に博識の人で、ダンテをイタリア語、シェイクスピアを英語でそらんじ、ドイツ語・スペイン語を読むことがで来た。当時としては離れ業である。
シャルコーは旧式のサルペトリエール病院を治療用・教育用・研究用の施設を各々新設した。いくつかの実験施設・写真サービス部門・眼科・耳鼻科、後には病理解剖博物館、男性患者をも受け入れる外来施設、巨大な講堂を追加した。弟子にはブールヌヴィル、ピートル、ジョフロワ、コタール、ジル・ドゥラ・トゥレット、メイジュ、ポール・リシェール、スーク、ピエール=マリー、レイモン、ババンスキなどがいた。
諸国の王や大公の侍医となることはもちろん、時には腹心となっていることは周知であった。ブラジル皇帝ペドロ二世はシャルコー邸を訪問し、シャルコーにビリヤードの相手をさせ、サルペトリエールの講義を聴講した。ウィーンのベーネディクトとも知己で、稀な神経麻痺にベーネディクト症候群の名を与えている。ロシアでの知名度は高く、皇帝一家の顧問医として何度もロシアに招かれ、フランス首相ガンベッタとロシアのニコライ大公との非公式会談の根回しをしてのちの露仏同盟締結のきっかけを作ったという。
1881年ロンドンでの学会では脊髄癆性関節症を示説し、嵐のような拍手で迎えられた。1882年催眠術に関する有名な論文でその声望は頂点に達した。
- シャルピニョン(Charpignion) フランスにおける磁気術研究者。
- シュブルール(Chevreul)1833年にこっくりさんの棒や振り子の方向が無意識裡に施術者の隠れた意向に左右されることを証明していた。
- デーヴィス(Andrew Jackson Davis)
アメリカの磁気術支持者。毎日自分自身に磁気術を施し、トランスの中で霊界に関する啓示を口述して大冊をものにして成功し、米国における心霊術普及の糸口となった。
- テスト(Teste) フランスにおける磁気術研究者。
- デスピーヌ(Despine)
- デュポテ(Dupote)
- デュラン”大物”(Durand<de Gros>)
- ドゥルーズ(Deleuze)
フランス磁気術復興の功績があるとされる人物。パリで成功し公開講義を行った。明晰で構成の優れた教科書を著した。ドゥルーズは”奇跡治療”の時代はメスメルやビュイゼギュールとともに去り、洗練され標準化された技術の時代が到来した、と言っている。また、当時の”流体派””心霊派””中間派”の三者間の論争は過去の遺物と述べた。人工夢遊病中に生じる諸現象を見事に記載し、いわゆる超自然現象には懐疑的で、磁気術には種々の危険があると警告した。
- ドナート(Donato)19世紀ベルギー・フランス・イタリアで活躍した大興行催眠術師。
- ナッセ(Nasse) ドイツ・メスメリスト
- 成瀬悟策 九州大学名誉教授。日本における心理系の催眠の大家。東京教育大学卒。「催眠」「催眠面接法」「教育催眠学」など著書多数。池見酉次郎らと「日本催眠医学心理学会」を立ち上げ、学術面からの催眠研究に尽力した。後に「臨床動作法」を確立し、晩年はそちらに重心が移り、催眠・トランスからは離れる傾向にあった。多くの優秀な弟子を輩出し、鶴光代、宮田啓一、田嶌誠一、田中新正、針塚進、門前進ら弟子の数多くを大学教授に育て、その枚挙にはいとまがない。その意味でも日本の心理学会では重鎮である。
- ノワゼ
フランス陸軍の将校。ファリア師の公開実験を見たことがある。1819年にベルトランの知遇を得、ベルトランに流体説が正しくないことを認めさせた事情を述べている。35年かけて限定版の教科書を出版し、この教説はリエボーに継承された。
- ハートランド(Hartland) John Hartland(1901-1977):英国の医師(一般内科→精神科)。イングランド中部の工業地帯West
Bromwichにて当初一般内科医として活躍していた。1939年王立海軍に志願したが英国中部の爆撃後、赤十字の活動などをしている内に催眠現象に興味を持つようになった。その後精神科の訓練を積み、英国、米国、フランス、スウェーデン、オーストラリア、シンガポールなどで催眠の講演やデモンストレーションを行った。英国催眠医歯学会(the
British Society of Medical and Dental Hypnosis)に貢献し、雑誌「British
Journal of Medical hypnosis」を編集した。米国旅行の際ミルトン・エリクソンの知己を得た。1966年に発刊された「Hartland's
Medical and Dental Hypnosis」は評価が高く、第4版を重ねるに至っている。
- バーバー(Joseph Barber) 著書「Hypnosis and suggestion in
the treatment of pain」を編集した。
- パサヴァーン(Passavant) ドイツ・メスメリスト
- ハンセン(Hansen) 19世紀のドイツの大興行催眠術師。
- ピュイゼギュール
- ファリア師(Abbé Faria)
ポルトガル人司祭。異色の人。インドから来たバラモンと称した。1813年にパリで超覚醒睡眠(Sommeil
lucide)に関する公開講義を行い、物理的流体論と”交流”論を批判し、じか過程は本質的に多くを治療者よりも被治療者に負うものであると主張した。あるタイプの人間は磁化されやすいと講義し、そういう人を天然幻視者(épopte
naturel仏 natürlicher
Visionär独)と名づけた。パリで活躍したがあまりフランス語は上手ではなかった。催眠法は、患者を座りごこちの良い椅子に座らせ、術者は手を開き腕をあげ、患者にそれをじっと見つめさせてから大声で「眠れ!」と命ずるものであった。ジャネによればナンシー学派の真の父祖とされる。後催眠暗示に関しても完璧な知識をもっていたと言われる。
- 福来友吉
東京大学心理学助教授だった。明治時代に活躍。名著「催眠心理学」等を著す。医学だけでなく心理学の立場から、科学的に催眠現象を追究したが、千里眼などを研究したため、東大を追放された。福来の失脚により日本の催眠研究は100年遅れたのではないかとさえいわれる。福来の名誉のために付言すれば、クールゲの第6段階に全面的明澄というものがあり、これはいわゆる千里眼に相当する。福来としては先行研究をよく調べた上での検証だったように思われ、追放の処置は可哀想でもある。ちなみに彼の被験者が現代のホラー「リング」の「貞子」のモデルといわれる。
- フーフェラント兄弟(Hufeland) ドイツ・メスメリスト
- フリートリッヒ(カール) バーデン辺境伯。1786年ピュイゼギュール侯爵が連隊長をしていたストラスブールの、メスメリスト協会に視察団を送り、自領に動物磁気術を導入している。
- ブレイド(James Braid)
英国マンチェスターの外科医。催眠にhypnotismという命名を行った。1841年11月フランスの磁気術師ラフォンテーヌの公開実験を見て感銘を受けた。動物磁気に対し流体説を取らず脳生理学に基づく新理論を提案。ファリア師やベルトランの凝視法を用いた。
- フロイト:精神分析の祖。シャルコーを訪れその講義を受けたとも言うが、催眠は下手だったようだ。代わりに自由連想法を開発した。フロイトが催眠を離れたことは精神医学・心理学の歴史から見て非常に大きな影響があり、以後催眠は、ヒルガードやミルトン・エリクソンの登場まで下火となる。
- ベックマン(Böckmann)
カールスルーエ出身の物理学者。1787年に雑誌『磁気睡眠=夢遊病学宝函(Archiv für Magnetismus und
Somnambulismus)』を創刊。
- ベルトラン(アレクサンドルAlexandre Bertrand)p88.
医師・工学技師の訓練を受けた人。その立場から科学的・実験的研究法をとるべきだという観点から動物磁気に接近しようとした。教科書Traité(提要)を形にす。後催眠暗示に関しても完璧な知識をもっていたと言われる。ジャネによると、ベルトランの仕事は誰よりも優れている、と評価され、催眠現象の科学的研究に着手したのはベルトランだと考えられた。
- ベルネイム(イポリート Hippolyte Bernheim 1840-1919)
ナンシー学派のリーダー。アルザス州人。
- ベルンハイム→ベルネイムを訳す際に使われた異名。明治時代の本にはベルンハイムの名前でも記載が多い。→ベルネイムを見よ。
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- 村上辰午郎(むらかみたつごろう)明治〜昭和初期に活躍。教師。教育現場に催眠を導入し、記憶増進、悪癖矯正などの効果があることを説いた。医学・心理学とはまた異なり、中学校校長の立場で教育現場からの発信者として貴重な人物である。当時から催眠術という言葉は市井の怪しげな催眠家に汚濁されていた模様で、その混同を嫌い「村上式注意術」と命名した。「最新式催眠術」「最新式実験催眠術講義」など名著がある。
- メスメル(フランツ・アントン):動物磁気の創始者にして、ウィーン大学医学部卒という立場から、催眠を現代医学に導入した人。しかし本人は動物に「動物磁気」というものが本当にあると信じていた。この説はラボアジエやフランクリンら、ルイ16世の科学アカデミーによって否定され、ウィーン・パリで活躍した彼も晩年はふるわず、寂しい死を迎えたという。ピュイゼギュール侯爵ら優秀な弟子を持ち、その流れはリエボーらに受け継がれていった。
- モントルヴェル(タルディフ・ドゥ Tardif de Montrevel)
1758年に磁気睡眠状態にある人も軽はずみな磁気術師の反倫理的命令に抵抗できる能力は完全に残っていると強調した。
- ラース(ヴィクトル:Victor
Race) ピュイゼギュール侯爵の領民で、被験者。磁気睡眠の患者第一号。ピュイゼギュールは彼から多くを学び、被験者としての貢献度は高い。
- ラフォンテーヌ(Lafontaine) フランスにおける磁気術研究者。急進貴族。イギリスに渡り、ブレイドに催眠を教授した。
- リエボー(オギュスト・アンブロアズ Auguste Ambroise Liébealt 1823-1904)
ナンシー学派の開祖。フランス・ロレーヌ州の貧農の12番目の子。懸命に勉強し、ポン=ヴァンサンの医師となる。磁気術で治療する患者からは払えるだけしか治療費を取らなかった。また、著書が10年で1冊しか売れなかった。1882年ベルネイムと運命的な出会いをする。
- リシェ(シャルル) ノーベル賞生理学者。
- ヴォールファールト(Wolfart)
ドイツ・メスメリスト。1811年動物磁気に多くを割く雑誌『アスクレペイオン』Askläpeionを発刊。フラウンフェルトFraunfeldに赴きメルメルを訪れメスメル最後の未刊草稿を持ち帰った。
まだまだ、作成道半ばです。この人が載っていない、載せるべき、という方は以下までお知らせ下さい。出来れば、名前だけでなく、生没年、出身、業績、その記載の出典までご教示下さいますと助かります。なお、治療・治療法のご相談に関してはお受けいたしかねますのでご了承下さい。
松原 慎: mxg04503@cocoa.freemail.ne.jp
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