![]() |
私の都電6152 このページは「さかぽよすのページ」内のコンテンツです。 著者・管理人:さかぽよす |
(「さかぽよすのページ」総数)
|
amazon「都電」の検索結果 |
も く じ
※都電6152号とは
昭和24年7月1日に日本車輌で誕生したもので、290両制作された都電6000形の152番目の車両。昭和24年7月30日に大久保営業所に配属されたが、昭和25年10月19日に青山営業所に所属され長らく渋谷〜新橋間等で活躍、昭和43年1月11日にまた大久保営業所に戻ったが、短期間のうちに青山、そして同年4月29日に錦糸堀営業所、昭和46年に荒川営業所へ転属となった。昭和30年代後半に雨樋が、昭和40年代に側面窓ガラスがアルミサッシ化されて保護棒が付けられた。
昭和53年4月の荒川線ワンマン化まで旅客車両として活躍したが、6152だけは原型のまま応急車として残されることとなった。その際座席を撤去、救援用の機材を搭載し、台車もD−10からD−16(元6191号車のもの。6191は現在府中市健康センター交通遊園内に保存されており、保存車の台車がD−10であることから、その台車が6152号のオリジナルのものと考えられる)に交換され、更に昭和58年には車輪の軸受けを、保守が難しい平軸受けから容易なコロ軸受にされた。しかしこの時期はほとんど走行しておらず、車庫の中にいたまま検査だけは受けた、そんな状態が続いた。
それが再び脚光を浴びるようになったのは昭和62年9月の「秋の全国交通安全運動」の際、座席を取り付け、車内ステップを埋めて「ギャラリー号」として走行したことに始まった。当時はレトロブームかつ好景気で、昭和63年6月にアルナ工機に入場してMG(補助発電機)や保安ブレーキ、放送装置の取りつけを行い、塗装も昭和20年代後半風の、いわゆる「金太郎塗り」になった。そして昭和63年9月20日から動態保存的な運用を開始した。
6152号の諸元(動態保存運転時)
| 自重 | 16.0t |
| 定員 | 96人(座席22人) |
| 寸法 | 全長12,300mm×幅2,210mm×高さ3,400mm (高さはビューゲル折り畳み時) |
| 制御器 | KR−8 (直接式) |
| 主電動機 | NE60(60KW)×2 (昭和58年以降) |
| 台車 | D−16 (ホイルベース1,350mm、車輪径660mm、昭和53年以降) |
| 制動方式 | 直通空気、電気 |
| 製造年 | 昭和24年(1949年) |
| 製造所 | 日本車輌 |
このWebページはリンクフリーです。
リンクを貼られた方は、事後でも結構ですからメールを下さい。
このページにある文書・写真の無断転載を禁じます。
拙著の紹介
写真集 都電9000形登場
写真集 パスモ・さくら 都電7022旧塗装
いずれも2007.4刊行・上記リンク先のみで購入が出来ます。
|
|
丸ノ内線の赤い電車 |
新幹線0系研究のページ |
魔法使いサリーのページ |
| ご利用上の注意 | 更新履歴 | |
| さかぽよすのページ(トップ) | メールはトップから | |