現在控訴中のマンション建築反対訴訟

HOMEルポルタージュ「原告の請求を棄却する」サイパン渡航記株式会社 ソフィックスに対する事情説明要請2007年Hawaii渡航記Hawaii tripアット・ホームページ@nifty波乗り三昧


 判決の日

原告の請求を棄却する。俺は、目を疑った。しかし、判決主文の下にはそう書かれていた。体中から憤りがこみ上げてくるのが分かる。一方で何故か頭は極めて冷静であった。敗訴。信じられない事実ではあるが、現実は直視せざるを得ない。このままでは絶対に済まされない。自己の真実を立証するためにも、そしてやっとの思いで手に入れた、自宅のためにも、俺は戦う。戦って真実を立証するんだ。そう、控訴をするんだ。
第1回口頭弁論では、裁判長は俺に対し、被告が誠意を持って工事をすれば済む事なのではないですか、といっていた。俺は納得いかなかったから、いえ、既に損害が発生しているので訴訟は続ける旨答えた。平成15年2月24日のことだった。地方公共団体に対する開発許可書取消請求と、マンション建築工事会社に対する損害賠償請求を、同時に行った訴訟であった。勝算はあると信じて疑わなかった。建築工事着工前に行った、事前説明会の会場で、建築会社側は住民側の要望はほとんど受け入れない旨回答していたし、市が発行した開発許可書の条件の履行すら出来ない旨回答していたし、工事が進行するにつれ、実際に擁壁が損傷していたし、被告の損害賠償責任は免れない状態であったからだ。
平成13年の4月のことだった。大規模な駐車場を取り壊し、7階建てのマンションを建築するので、事前説明会を開催するため、町内会館に召集を受けたのは。第1回目は何かしら用事があったため、2回目の説明会から出席した。町内会館なんて入るのは初めてだった。そもそも転居して5年間も住んでいたが、町内会館なんて存在すら知らなかった。昔の小学校のような下駄箱があり、奥に疲れた畳が敷かれた部屋があった。まぁそんなもんだろう。1人年間1,800円の町内会費で賄っている場所だ、あること自体も不思議なくらいだ。俺は、だいたいこういう会議においては、一番前に座ることにしている。奥にいると意見をさえぎられたり、資料が不足したりするからだ。相手側は建築会社ではなく、代理人と設計業者だった。前回の説明から始まったが、住民側は端から敵対ムードが漂っており、空きあらば文句の1つや2ついってやろうという意気込みが感じられた。
案の定説明が始まると、観念的な反対意見が飛び交った。ほとんどが自分の利益を何とかしろというもので、かつ根拠を明示しないから、建設会社の代理人が簡単に否定し、出来ませんという回答しかえられない。こりゃいかん。こんな質問ばかりでは、相手の思う壺だ。ここは論理的に質問を展開し、法的根拠により自己の権利を主張しなければ駄目だ。おおよそこんな雰囲気が予想されたので、小六法で都市計画法と民法・建築基準法の関連する部分を抜書きし、手元に用意しておいた。不平不満が一段落した時、やおら質問を始めた。先ずこのような大規模住宅の建築については、地方公共団体の許可が必要なはずであるが、その提出がされていないことを、問いただした。その時許可書が手渡された。之がキーだ。之を根拠に俺たち近隣住民は、建築会社に対し自己の利益を主張できるのだ。そもそも前回は何をやっていたのだ。町内会長は出席してたんだろうに。
この説明会は気になることが多かった。冒頭町内会長が言ったことは、このジュースは建築会社の代理人からの差し入れです。皆さん心に留めて置いてください。相手方の説明を終えた後、町内会長は現行の建築基準法では、容積率と建蔽率が基準を満たしていれば、大規模集合住宅の建築は可能なのです。残念ながらこの工事は法的要件を充足しているので、我々が反対をしても建築は可能なのです。
おっさん、馬鹿なこといってんじゃねぇーよっ…。俺は心の中で叫んだ。あんたは町内会長だぜっ。町内の住民の利益を考えて、町内の住民の利益を実現するくらいの気持ちがなきゃ、肩書きだけの町内会長じゃねぇーか。そんなこともわかんないなら、とっとと辞めちまえ。説明が進むにつれて、ますますおかしな発言が出てくる。この工事に伴い、東京ガスの本線が引かれるというのは本当ですか。東京ガスが引かれるのは、我々の長年の夢なんです。はぁっ…???相手に有利になる質問してどうすんだ、このおばさん。んっ…。町内会長の奥さんじゃないの。正気なのかね。いや、おかしい。そういえば、確か町内会長の家は、目の前のマンションが建築された時、東京ガスを引いているはずだ。ということは、今回の工事で東京ガスの本線が引かれても、別になんら関係ないはずだし、既に東京ガスが引かれているなら、夢のわけはないはずだ。之は裏があるな。俺の感は鋭いんだぜ。とにかく調査する必要があるな。
早速インターネットで探偵事務所を調べる。インターネットの検索は便利である。何時でも何処でも、パソコンさえあれば、どんな情報でも入手が可能である。ネットサーフィン。サーフィンが切れた波を乗り継いで、自己実現を達成するかのように、インターネットのサーバーを乗り継いで、自分の目的を達成することだ。目的達成型の人間にとっては、非常に有難い道具である。パソコンはいわば文房具である。一昔前であれば、先ず行動を起こすに当たり、どのようにして必要な情報を入手すべきか、と言うことから始めなければならなかったから、目的達成までの道のりが長かった。パソコンのネットのお陰で、情報入手にかかわる時間が飛躍的に短くなり、情報を整理分析する時間を充実することが出来るようになった。いい事である。マッチサイトが100を超える。たった数秒の間に、100を超える興信所の一覧が出力されてくるのである。
今度は得意分野で、収賄・刑事捜査という項目を入れる。リストアップされた先数が絞り込まれる。30数社に限定されてきた。その中で、アンケートシートにより見積もり依頼が出来る数社に、調査内容を依頼する。回答が早い。1両日中には全社見積もりが返ってきた。15万円から60万円まで、見積もり金額もさまざまである。調査日数に応じて金額が加算される興信所もあり、また、調査の結果回答できない場合でも、基本手数料を徴収する興信所もあり、まちまちである。一番安いのはちと心配なので、2番目に安い20万円の見積もり提示をしてきた興信所に依頼する。流石にネットで検索した興信所だけあり、情報のやり取りは全てメールである。之は双方都合がいい。電話だと相手がいないと留守番電話であったり、通話中だと連絡が取れなかったり、未知の相手だと電話をする時間まで制限されてしまうし、情報のやり取りに時間が必要以上にかかってしまうからだ。メールは電話線さえあれば、何時でも何処でも相手に情報提供、依頼事項の通知が出来、間違えがない。世の中便利になったものである。
10日くらいの間に5回ほどメールが入っていた。あーなるほど、調査をするポイントというものがあるわけである。調査を依頼して2週間程度だっただろうか、興信所から調査成功の回答が入った。やはり…。指定口座に入金確認後回答メールを送ることが条件となった。早速現金を手配した。こういうヤバイ内容の依頼事項については、記録の残る口座から直接の振込みはまずいから、現金をこまめに下ろし、自動機から現金で振込みをした。何かマネーロンダリングみたいで一寸スリルがあった。別に悪いことに金を使っているわけじゃないけど、何かこうゾクゾクくるものがあった。その晩仕事から帰ったら1通のメールが届いていた。収賄容疑黒。収賄条件として、ガス工事の恩恵を住民に認識させることと、日照権の対象者を別枠にして早期に住民の反対運動の解決を図ること、といったことが記されていた。なるほど。
説明会の後で何度か書面を書いて、町内会長に依頼したが、日照権が大きな問題だとか言ってたし、建築基準法上マンションの建築は合法だから仕方ないという内容しか言わなかったし、挙句の果ては、留守番電話に、近日中に建築会社に依頼する内容について、詳細を明示しなければ、説明会の議題の対象としない、等と強硬なことをいっていた。そりゃそうだろう。あの説明会の場で、理論的な事情説明要請しているのは俺だけであり、建築会社の代理人にとって最も厄介な存在なんだから、俺の依頼事項を封じ込めば収賄条件成就というわけだ。何が町内会長だ、笑わせてくれるぜ。
そういえば、第3回の事前説明会の時、途中から日照権に関係のない住民は、帰ってもらって、日照権関連の被害者だけで打合せをして欲しいとか言ってたっけな。あの声は紛れもなく、町内会長の奥さんの声だった。日照権に全く関係ない町内会長の奥さんが、日照権に関係ある住民だけで詳細な打合せをしたい…。変じゃねーか。興信所の調査結果と事実関係を突き詰めると、筋が通ってくる。溝鼠ヤロウ。どの面下げて町内会長ですなんて言ってんだ。しかし、この町も従順なる市民の集まりなんだ。普通に考えれば、おかしいのは直ぐ分かるはずじゃねーか。本来住民の味方をすべき人間が、建築会社にとって有利な法規の説明したり、建築会社の提供する利便を夢だとか言ってるし、全く逆の態度で物事に取り組んでいるんだから、変だと思わないと。興信所で調査して裏を取るかどうかは別だけど。おまけに興信所で調査するには金がかかるし。ただ俺は、当初から損害賠償で調査費用を返してもらうつもりだったから、調査費用は必要経費という認識だった。交渉をするには、相手にとって不利益な事実を何処まで調べ上げるかがポイントになる以上、こういう違法行為の事実を調べ上げることは、交渉をこちらのペースに載せる上で最も必要なことだし。とりあえずジョーカーは手に入れた。後はいつ切るかが問題だな。きり方を間違えると20万円がパァーになっちまうかもしれないから。
しかしあのおっさんもいい歳ブッコイテよくやってくれるぜ。分譲しておそらく2〜30年経過して、町が出来上がり世代交代前の安定時期だから、住民も何も文句を言わないのをいい事に、ひでぇもんだぜ。之が世代交代後だとだいぶ様子が違ってくるんだけどね。新たに自分のものとなった場合、所有権に対する欲望が強く現れるから、自分の家に振動を与えるとか、騒音が酷いとか言うことが恒常的に発生すると、我慢が出来ず、町内会長は何をやっているんだということになるんだけどね。ちょうどいいときに町内会長を務めた。私腹を肥やすには十分な環境だったに違いない。
事前説明会も回を重ねるに従って、建築会社側のターゲットは定まってくる。そのターゲットに何とか俺も入ってきた。許可書条件第8項に近隣住民と十分打合せをし、安全に留意する旨定められているが、履行できないということは、許可書条件違反となり、解除条件にしたがって、開発許可書が取消になるはずですね。ジョーカーを切る前に、スペードのエースを切ってやった。建築会社代理人が宙を仰いでいる。ふふふっ…。ざまーみさらせっ…。暫し沈黙となった。近隣住民でこんなこと言っても分かる人間なんていないだろう。奴にとって今まで、事前説明会を代理で受持って、こんな嫌な質問をした相手もそうそういなかったことだろう。奴がこっちを見た。その件については、後日お伺いをさせていただいて、お話をさせて頂きたいと思いますがいかがですか。ほぉーっ…。スペードのエースの割には、いきなり白旗の準備かよ。さて、どうするかな。一応単身なので、メールを入れて頂ければ、回答する旨伝えた。口頭で言った言わないとなったら不利だし、とりあえず書面として残るメールでやり取りするか。
町内会での事前説明会は、住民からの要望事項について、十分な回答があったわけではないが、いつの間にかフェードアウトしてしまった。そりゃそうだろう、住民が側の仲介者である町内会長が収賄やってて、早期に厄介な問題を終了させなければならない役目を担っているんだから。そして、その事実を知っているのは俺1人だけだし。あのおっさんにしてみれば、町内会長という引導をちらつかせ、泣き寝入りさせればいいわけだから、建築会社にとって厄介な事項は、力づくで押さえ込むしかないわけだ。そして、それができる地位を有している。なんていう町内会だ。この世の中は、おおよそ従順な市民を食い物にしている奴がのさばっている。ひょっとすると、それくらいのえげつなさがなければ、生き残っていけないのかもしれない。世の中廃れたものだ。職場でも、私生活でも協調性という言葉の元に、独裁者の意見がまかり通っているような気がする。
協調性、この言葉の本来の意味は何なのだろうか。協調とは、力と心を合わせて事に当たるという意味である。力や心を合わせて行うこと、公の利益に結びつくもの、公共の福祉の実現といったことなのだろうか。しかし、協調性という言葉が出てくるのは、私的利害が対立した時が多い。おおよそそのような時は、企業の長が言っていることに、社員が従うことや、こういった町内会の説明会などのような私的団体で、その長の意見を他の住民が従うことが協調性とされることが、ほとんどである。それは、独裁主義といっていいようなものである。
第2次世界大戦の時に、天皇絶対主義で、天皇を頂点とする三角形で、序列的軍国主義により培った、独裁主義的思想が今もなお健在なのだろうか。おおよそ大企業においては、管理職・中間管理職が大勢いて、トップダウン的経営方針を、下々に絶対服従させる、いわば軍国主義的な縦社会がまかり通っているのも事実だし。そして、その思想に従わない従業員は、組織力でつぶしにかかるわけである。協調性がないという理由の元に。そのような仕打ちをあからさまに見せ付けられている以上、わけの分からない協調性という名の下に、嫌でも従う人間が増加するわけである。変なところで突っ張って、手痛い仕打ちを受けたくないし、突っ張って得られる満足感と、手痛い仕打ちを天秤にかけ、その時の我慢と思い込んで、服従してしまうのである。
一時だけの我慢というのは大きな間違えである。下々の人間が従うと分かれば、独裁者はますます頭に乗るわけである。独裁主義とは、おそらくこのようなスキームで出来上がっていくのであろう。そしてこの独裁主義は、雪達磨式に独裁者の私腹を肥やし、下々の人間の犠牲の上に成り立っていくのである。1人1人の損害の程度が小さいから、気がつかない者も多く、無頓着な下々の者が多ければ多いほど、独裁者の私腹は大きくなり、更に力を付けることとなるのである。ひとつの小さな出来事と思っているようであるが、全体で見れば物凄い損失であり、自己にとっての悪循環を自分で容認していると同時に、組織全体が悪循環に陥っているのである。



 独裁主義

独裁主義の厄介なところは、一旦築き上げられると、関係者全員が築き上げられた事実に、服従せざるを得ないような状態となってしまうことだ。これを降出しに戻すには、個々の人間に自己の権利が何であり、何に基づいて権利が与えられており、権利はどのようにして行使するかを、納得させなければならない。その上で、独裁者に従うということは、手痛い仕打ちから逃れられるということではなく、自己の権利を継続的に侵害され続けるということであることを、説得させなければならない。そして、全員で力をあわせて、正しい方向に物事を進めるよう、努力しなければならないのである。
しかし、今の町内会の実態では、難しいだろうな。自己の権利を理解しようとする意識がないし、町内会長は善良ないい人という認識が浸透しているし、一部の住民を除いて、こんな説明会をしても、体制に影響はないという意識が強すぎる。7月工事着工までに、住民全員の意思統一を図り、問題解決をするのは俺一人の力では無理だ。一人で全面対決か。手元にジョーカーはあるし、相手方も白旗の準備をしているし、何とかなるかもしれない。とりあえず建築会社代理人からのメールを待つか。
暫くして代理人からメールが届いた。メールというのは便利な反面、ドライになりすぎるという面がある。特に俺みたいに、単刀直入に物事をズバズバいう人間にとっては、最初から切り札を出してしまうという、失態を犯してしまうことがある。自信がありすぎたのかもしれない。相手が歩み寄ってきているということと、強い手札を手中に握っているという事実があったため。サイは投げられた。そして、相手は回答をしなかった。全面戦争の開始である。
先ず行政に許可書の取消を要請しなければならない。黙っていれば、既成事実としてマンションが建てられ竣工すれば、取壊しの損失と、周辺住民の遺失利益の関係を点敏な掛け、社会損失が少ない方法が裁決されるからである。大体こういう緊急な事態を行政に要請しても、義務がないとか、行政庁には権限がないとか言って、逃げ回るものである。今回もそうだった。最初は、近隣住民の要望が採り入れられないからと言って、開発許可書の取消条件の対象とはならない、と言っていた。解除条件だとか、都市計画法第81条3項の規定によるとか言うと、行政庁に権限がないといい始めた。おおよそ無責任行政の最たるものである。最後は開発許可書の取消に付いては、県の開発審査会が窓口であり、市には取消権限がないと回答してきた。之は、虚偽の回答である。地方自治法ならびに自治立法である県条例により、都市計画法の権限が譲渡された場合は、取消権も譲渡され市が行使すべき権限であるからである。無責任行政だけでなく、無能行政でもあるわけである。
無能行政庁である市を相手にしても、これ以上進展が望めないと確信した俺は、県に対し開発審査会の手続きについて、照会をする。そもそもサラリーマンというのは、行政庁が業務受付をしている時間帯は、仕事をしていないと給与がもらえないため、行政庁と交渉するにはメールが必要不可欠となる。この点現在のネット社会は便利である。ほぼ全ての行政庁がホームページを開設しており、意見を言うための専用メールアドレスも設けている。民間会社でれば、サシアタリ客様相談室といったセクションに相当するのだろうか。
論点を整理して、法律上問題がありそうな照会文を作成したためか、県からは意外なほど早く回答が帰ってきた。手続きをする上で必要な書類・提出時期・提出先といった内容が書かれた書類も送られてきた。とりあえず対応方法は分かった。これから書類を作成し、提出をしなければならない。必要書類を県に提出しなければ、土俵に上がれないわけだから。審査請求書というものは、必要的記載事項を記載すればいいだけであり、ものの1時間程度で作成できた。まぁ之を作るのに1週間もかかるようだったら、行政に対する不服申立などする者はほとんどいないだろう。1時間程度で作成可能であっても、大半の人間は行政庁に言っても無駄だと思って、何もせず泣き寝入りを決め込むものだから。
審査請求書を作成し、必要書類を添付してメールで内容の確認を依頼した。必要的記載事項が明記されており、形式上問題ない旨確認する。この辺が役所の役所たる由縁である。書類を提出しても、必要的記載事項が明記されていない場合、審査の前段階で棄却されてしまうわけであるから。そもそも、このような仕組みになっていると、申請書類といったものを、職業上作成している場合でないと、要領を得ず時間がかかる割りに、先方が要求している内容の申請書が出来ず、やっと書類が出来上がって提出しても、必要的記載事項不明確で、審査の対象外となってしまうのである。役所が相手となると、戦いの労力が半端ではない。
審査請求書は受理された。市も言い訳をしていれば収まると思っていたところに、審査請求書が提出されたものだから、対応に苦慮したに違いない。因みに地方自治法では、このような請求が生じた場合は、議会を開催し議決をしなければならないとなっている。当然であろう。地方公共団体は、憲法によりその組織及び運営については、地方自治の本旨に従い、法律で定める旨規定されている。地方自治の本旨とは、住民自治と団体自治であり、住民自治は、地域住民が地域の行政需要に付き、自己の意思に基づき自己の責任において充足することをいい、団体自治とは、国から独立した行政機関を設置し、自己の事務を自己の機関により、自己の責任において達成することとしている。本件においては、地域の行政需要として、地域住民が従来享受していた人格権とも言える、静寂・平穏に生活する権利が、マンション建築工事により、侵害されるわけであり、住民自治の観点から、行政庁がしかるべき対応を取る義務があるわけである。即ち、住民が振動・騒音による被害を受けまた、交通上の安全が侵害されることが明白であり、その救済を行政庁に求めているにも係らず、義務がないだ県の審査が必要だなどと寝ぼけている以上、所定の手続きにより行政庁に審査請求をすれば、議事機関としての議会が内容を確認し、対応方法を議決する義務があるものである。
法律は面白い。極めて論理的であり、一見独立しているような法律相互間が、実は憲法という日本国の最高法規により統制され、見事に調和をなしひとつの体系が出来ているからである。まぁ中には違憲立法に抵触している法律もあるが。俺は法律を調べた。先ず自己の権利を主張するには、実際に自分がおかれている状況を正確に調査分析し、自己に認められている権利・義務関係を整理する必要があるからである。近代法治国家においては、クリーンハンドの原則というものがあり、権利を主張するものは、義務を十分履行していなければならないからである。例えば、いかがわしい風俗営業店に言ってボッタクリにあったとしよう。この場合、そもそも法律上問題がある、いかがわしい風俗店に行っていることが問題であり、そのようなリスクある行為の代償として、高額な請求を受けたとしても、全額が賠償請求できるものではない、というものである。まぁ市政に対しては、市県民税が給与から自動引落され納付しており、犯罪を犯したわけでもなく、法律上問題ある行為をとっているわけでもないことから、クリーンハンドの原則には抵触しないようだ。
憲法には2つの柱となる権利が規定されている。第25条の生存権と第29条の財産権である。そしてこの2つの権利の優劣関係は、憲法第29条2項に定めるとおり、生存権が優位しているのである。財産権は公共の福祉に反しない限りにおいて、認められているのである。ここは、大きなポイントとなる。マンション建築にあたり、建設会社が建築予定地を購入すれば、当然自己所有の土地に対し建築をする権利が生じてくるのである。ただし、この権利というのは、近隣住民の公共の福祉に反しない限りにおいて、認められるに過ぎない。福祉とは、多くの人の幸福である。俺が住んでいるこの町は、近隣に大規模商業施設などなく、アパートですら少ない閑静な住宅街である。近隣の9割以上は個建て住宅であり、ほぼ同規模の敷地上に、同規模の民家が立ち並ぶ、極めて閑静な住宅街である。道幅は約4mであり、マンション建築予定地よりも先は、道幅が2m程度と狭くなるため、大型車輌の走行はほとんどなく、平日・休日に係らず、通行する車輌数は少なく平穏静寂なところである。このような環境においては、平穏に静寂・安全な生活空間が、人格権として与えられているものであり、マンション建築工事により、4t以上の車輌が5分に一回走行し、歩いていても感じる振動が発生し、掃除機をかけているような騒音を発する行為は、社会通念上許容し得ないものである。ましてや、20度を超える坂の頂上・ふもとに、警備員を配置するよう要請しても配置しない旨回答しており、安全性を侵害することすら明白である。たとえ短期間であっても、人格権を侵害されることによる損害は甚大であり、財産権を盾に生存権を侵害する行為は赦されないのである。論理的根拠はほぼ完成した。
発許可書を取消しすることが恥とばかりに、言い訳を強調する。一体何なんだこの審査会は。法治国家の行政手続とは思えない審査会である。それに期間がかかりすぎる。口頭弁論が行われたのは、審査請求をしてから実に3ヵ月後である。
審査請求に来た行政庁の担当者も見るからに馬鹿面こいてるし、発言内容が単調で中身がない。単純に自己に責任がないという言い訳が主体であり、行政指導の内容ならびに、都市計画法に基づき発行した許可書の条件は、解除条件ではなく訓示であるという証言をしている。許可書に条件と明示している以上、その内容は条件であり、訓示事項と明記しているものが訓示事項である。市長の印鑑が押してある許可書である。地域住民の権利を保護するための許可書である。その内容を発行後に条件から訓示事項に格下げされたのであれば、地域住民の権利は保護されるはずがない。
しかしこの証言にも問題があるのである。この証言によれば、許可書に記載した条件は訓示事項であり、行政行為の相手方が履行しなくても行政庁は責任を負わず、許可書取消という行政庁の権限行使が作為義務にならないといっているのである。関西空港訴訟において、騒音・振動から開放された平穏静寂な生活を享受することは、人格権として認められている。本件においてはこの人格権が侵害されるのであるから、行政庁は地方自治法違反となるのである。地方自治法では、地方公共団体は住民に義務を果たす時、もしくは住民の権利を制限する時は、法律に特別な定めがある場合を除いて、条例によらなければならないとしている。本件において建築会社が取っている行為は、都市計画法に基づく許可書条件に反する行為であり、市の行政指導に反する行為であり、このような行為が適法であるはずはなくまた、自治立法である条例に適合するはずもない。よって違法行為なのである。
残念ながら地方自治法の上記条文を確認したのは、開発審査会の裁決後であった。行政書士の資格取得試験勉強を始めてからであった。世の中があまりにも不条理であるため、資格取得をすることで、行政に対し適正な行政行動をとるよう意見を言える立場になる必要があると感じたから、行政書士の資格取得を決意したのである。意外にこれが後になり役立つのである。国家賠償法や地方自治法といった、本来一般市民にはなじみのない法律関係を学ぶ必要があったからである。また、行政法については概論から他国の法律史に至るまで幅広く学ぶことにより、法信義則が理解できたのである。法信義則は必要事項である。解釈が必要となった場合に、これが理解できていないと、誤った予測をしてしまいかねないからである。人間常に自己啓発は必要である。問題解決に当たっては、知識量が左右することが往々にして発生するからである。最低限の知識がなければ、問題解決策の構築すら出来ず、いつも迷宮入り課題ばかりとなってしまう。
自己啓発というと下級行政庁の職員の能力不足は最たるものであり、あの低い知識量とあの低次元の問題解決力では、市政の大半は迷宮入り課題となっているのではないかと思えてしまう。現に一旦発行した許可書については、地域住民が住民自治上問題があるといっているにもかかわらず、違法かつ条例・行政指導に反した言い訳により自己弁護をし、問題解決をしない姿勢に反映しているといえる。
開発審査会の裁決が出たのは、口頭弁論から更に2ヶ月が経過した11月であった。審査請求をしてから実に半年近い期間を必要とするのである。現在の建築技術であれば、マンション建築期間の半分が過ぎてしまう期間を必要とするのである。これは大いに問題がある。違法建築業者が、違法行為を行っていても誰も咎めることが出来ず、近隣住民が被害を受け続けてしまうからである。こんな馬鹿な現実があっていいのだろうか。
その内容も大いに問題があるものであった。後に法律学者間でも同様の内容が大問題であることを知り、開発審査会前に行政書士の資格取得の勉強を始めれば良かったと後悔したものである。即ち、行政訴訟や行政庁による審査会においては、原告的確が問題となり、法律等を極めて狭く解釈することで、原告不適格として訴訟の土台に載せないというのである。憲法第32条違反ではないかと思った。
憲法第32条では、何人も裁判所で裁判を受ける権利を有するとしている。また憲法第16条では、何人も損害の救済を請願する権利を規定している。第17条では公務員の不法行為で損害を受けたときは、賠償請求が出来る旨規定しているのである。このようにして、国民の権利保護・損害救済が保障されているにもかかわらず、原告不適格という内容で請求が棄却されるのであれば、憲法で保障された権利は形式に過ぎないものとなってしまう。それでなくても、行政庁の行為については、公定力といって一旦行われた行為は、違法であっても無効でなければ、行政行為の相手方は勿論・国家機関・第三者をも拘束し、有効な行政行為として承認し、従わなければならない効力を有しているのである。この行政行為を取消できるのは有権的機関である、処分庁と司法機関しかないのである。処分庁は無能行政であり、取消の可能性がないのであるから、司法機関により取消がされなかったら、国民の損害の救済手段は閉ざされてしまうのである。なんて不条理な世の中なのであろうか。


 開発審査会

裁決書の原告的確に係る理由には以下のように記載されていた。原告の居宅は工事現場から相当に離れており、騒音・振動の被害を受けるとはいえない。何を寝ぼけているんだ。俺は当初から建設工事自体の騒音・振動を問題としているのではない。俺の自宅の前面道路は20度の急勾配の坂道であり、4tもの大型工事車輌が5分に1度も走行をすれば、激しい騒音と振動が発生するといっているのである。また、坂の頂上付近や、「く」の字型に曲がった坂の麓付近は危険であるため、警備員を配置するよう要請したにもかかわらず、警備員は配置できないとして、周辺住民の安全性を侵害していると主張しているのである。俺の自宅が工事現場から300mはなれた場所に位置していることは、実際に居住している俺が100も承知である。要は工事車輌の走行に伴う損害について、審査請求をしているのである。
自動車工学を周知していれば、直ぐ分かる話であるが、車輌の振動・騒音はエンジン負荷の増加によりdbが高まるのである。車輌のエンジン負荷は、加速度に比例することが立証されており、坂道の走行であれば、当然にエンジン負荷が増加し、平坦な道路を走行するよりも騒音・振動が激しいことは明確な事実なのである。
そもそも建築工事にかかわる市の行政指導においても、工事車輌の騒音・振動には十分留意するよう定められており、また県の条例では騒音・振動にかかわる規制値が規定されており、トラック走行による騒音・振動の基準を遥かに下回るよう規定されているのである。即ち本件においては、自治立法である県条例違反行為であり、また市行政指導違反行為でもあるのである。何が原告不適格なのであるのか、全く納得いかないものである。このような馬鹿げた事実がまかり通る世の中であるから、法律学者が問題であると主張するのである。因みに裁決書の判決に対する理由については、工事車輌の走行により発生する騒音・振動にかかわる原告の被害についての見解は、全く明示されていないのである。何なんだ一体。原告の請求原因に対する見解が明示されず、論点ボケした事実に対し原告不適格を適用されたのでは、ルールなき戦いではないか。呆れてものも言えないというのは、こういうことを言うのであろう。
これでやっと損害賠償請求訴訟ならびに、開発許可取消訴訟の提訴要件が整った。これもまた変な事実である。開発許可取消訴訟をする場合は、事前に処分庁もしくは処分庁の上級行政庁に審査請求を行わなければ、訴訟要件を得られないというのである。原告が違法状態の発生を認識してから、実に半年が経過しないと訴訟すら出来ないのである。これで更に訴訟に1年間の期間を必要とするわけであるから、マンション建築計画時から訴訟の判決言い渡しまでに、1年半の期間を必要とするわけである。即ち、どのような違法な建築行動をとり続けようと、取消訴訟の判決が言い渡される時点では、100所帯程度のマンションであれば、竣工しているのである。判決言い渡しの時点では訴えの利益が消滅しているのである。訴えの利益が消滅しているということは、訴訟の意味がなくなっていると言うことである。中小のマンション建築においては、違法行為が助長される由縁である。
当初俺はどのような形で訴訟をしようか悩んだ。市と県に対して開発許可書の取消を求める訴訟をするか、県に対する審査請求の取消と建築会社に対する損害賠償請求をするか、市に許可書取消を求め建築会社に損害賠償請求をするか、3つのいずれかにするか。当初市と県を相手に訴状を提出したが、訴訟に時間がかかり判決言い渡し時にはマンション竣工が目に見えていたので、建築会社を相手に加える必要があると考えた。問題は建築会社と市か県かのいずれにするかであった。俺は、県を相手にし開発審査請求の裁決取消が言い渡されれば、当然に開発許可書の取消がなされると思い、建築会社と県を相手に訴訟を行った。行政不服審査において原告不適格の裁決が出されてしまった以上、勝訴の可能性は高いとはいえなかった。しかし、判例等を見る限りでは、勝訴の可能性はありそうである。
世の中自分の思い通りにことは運ばないものである。建築会社のほうは当然に賠償請求権が発生するものの、行政庁については、ここでも適格要件が問題となった。今度は被告適格要件がないというものであった。全く行政法とはどうなっているのであろうか。逆から見れば、行政庁というのは極めて責任を取らずに済むところなのである。こんな煩雑な法体系を呈していれば、弁護士がついても敵わないではないか。そもそも行政法というのは、極めて行政庁にとって有利な法律である。再審査請求を求める行政庁を、裁決書に記載しなければならないとしながらも、記載相違があった場合でも行政庁はその責を負わないとしている。このような複雑な法体系をとっていて、行政庁が記載相違をしても責を負わず、原告は適格要件やら請求期間やらを問われ、何かひとつでも要件を充足していない場合は、棄却されるのでは、一方的に不公平ではないか。法人も人格を有する以上、基本的人権の尊重上、行政庁が一方的に有利な法律体系というのは、問題が大いにあると思われる。
先ず先方が主張してきたのは、都市計画法で規定している開発許可書の発行・取消については、県が市に権限を委譲しているため、県が当該処分庁ではなく、訴訟の被告適格ではないというものである。県条例により該当する市町村が列記されており、ホームページにより公開していると主張している。確かにホームページにより、当該条例は公開されている。しかし、このような条例については、一般市民にはなじみがなく、趣旨も知らなければ存在も周知するわけはない。政令指定都市においては、より地域住民に密着した最小単位の行政庁が、幅広く行政権限を有するよう、法律が県に権限を付与している事項に付き、市町村に権限を委譲しているのが趣旨であるらしい。
もし本件の趣旨が、より地域住民に密着した行政庁に、権限を以上しているのであれば、市が取り消し権限がないと主張することは、委譲された権限を放棄する行為であり、受託者の善良なる管理者としての、注意義務を逸脱した行為ではないか。
このような事実関係がまかり通る行政庁に対し、我々は納税義務があるということは、非常に腹立たしいことである。憲法前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民がこれを享受する。」とある。即ち、国政を主体とする行政行為は、国民の厳粛な信託により、行政庁が行使すると解されるため、地方自治においても、同様に国民に信託されたものと解されるものである。代表者が行う行政行為により発生する福利を享受する対価として、国民は納税をしているのであって、信託された行政行為を排除する代表者からは、福利など享受できるはずもなく、その対価としての納税義務だけが発生するというのは、極めておかしな理論なのである。
では何故このようなおかしな理論がまかり通るのであろうか。それは、先ほどらいから述べている通り、行政訴訟の原告には極めて多大な労力を費やさなければ、原告適格・被告適格等の立証が不可能であり、訴訟自体が門前払いされてしまうからである。タダならまだしも、訴訟費用は高額であり、それに費やす労力を費用換算した場合、その費用というものは絶大なものとなってしまう。このような絶大な費用がかかるにも拘らず、門前払いの可能性が極めて高ければ、誰も訴訟などしたがらないであろう。これが、おかしな理論を罷り通らせる理由なのである。


 行政庁

このような答弁が可能であれば、行政庁は自己が責任を取らなくて済む、自己にとり有利な条例のみを認識し、自己の責任回避策だけをとり続ければよいこととなる。そのようなことは断じて赦さざる行為である。行政庁の自己責任回避行為を食い止めるべく、戦わねばならないと俺は誓った。しかし、本件についてはかなり無理があった。問題となっている開発許可書の発行ならびに取消行為は、昭和40年代に県から市に対して委任されており、その後権限の委譲という手続きがなされている。また、権限の委譲にあたり、県は市の同意を必要としないとしている。権限の委任については、民法上受任者の同意を必要とするが、委譲の場合は民法上規定がないため、行政法上同意を必要としないとしている以上、委譲をした段階から県には権限がなくなり、全ての責任を市が負うこととなる。これでは理論的に勝訴の可能性はない。なんてこった。訴訟費用と切手代を溝に捨てたようなものではないか。ひでぇ話だ。
そもそも開発審査会にあたり、県の窓口担当者とは散々メールで取扱について確認していたにもかかわらず、民事訴訟の相手方については何等助成的指導がないということは、信義則上問題があるのではないか。今更言っても遅いことではあるが。
結局開発許可書取消請求については、マンション竣工後である平成15年7月に判決が言い渡された。原告全面敗訴。被告不適格である。即ちマンション竣工後のこの時点では、適格な被告である市に対する訴訟自体、訴えの利益がないため提訴すら出来ない状態なのである。これでは、弁護士に依頼しない訴訟では、訴訟の相手方すら特定できず、原告の勝訴などありえるはずはない。腹が立つだけで、やりようのない虚しさがこみ上げてくる。これでは、ごね得社会を醸成しているようなものではないか。民事訴訟は原告に立証責任がある。被害者に立証根拠を与えないよう違法行為をすれば、何等咎めようがない。また、何らかの立証根拠があったとしても、自己が責任を負わない根拠となる法規を明示するだけで、被告不適格となるわけである。
県に対する訴訟については、途中から裁判長が取下を要請してきた。取下げを要請された時点では、被告不適格が立証されており、勝訴の見込みはほとんどなかったが、市に対して取下げ要請が出来る旨の判決主文が欲しかったので、取下げはしなかった。
問題は建設会社に対する訴訟である。第2回口頭弁論以来暫くの間は、裁判長は被告に賠償責任ありと裁判所は見ています、といっていたからだ。口頭弁論が始まる頃、俺は町内会長の自宅に行き、建設会社が行った工事協定書違反行為について、詳細を確認した。これが以外にあったのだ。夜間に大型車輌を警備員なしで走行させ、近隣マンションの外壁に衝突し、大破させたという事故が発生していたことを知った。この件に関しては、当該車輌の運転手が、警察に対し虚偽の証言をし、マンション建築工事関連車輌の事故でないよう装ったのである。そのほか、日曜に音の出る工事をして、町内会長に厳重注意を受けていたことも発覚している。近隣住民の自宅駐車場で、工事車輌の洗車をし駐車場を汚すと同時に、駐車場のコンクリートにヒビが入ったという事実も確認している。トラックのドアミラーが兵に接触したといった軽微なものは別として、悪質勝つ故意の不祥事がかなり発生しているのである。これらの行為は、本来契約当事者の信義・誠実の原則から、制裁的処遇を課されるべき行為である。それが判決文の中では、一般の建設工事で発生する軽微な事故として認識されていた。過失事故であるならばまだしも、故意且つ悪意の可能性すらあるにもかかわらず、全く納得いかない判決である。
これには様々な法的根拠がある。民事の立証責任は原告側にあるためである。立証責任とは、原告が確認した事実の列記だけでは裁判所に承認されず、原告の確認した事実を、客観的に立証する事実が必要なのでる。例えば、振動を立証するのであれば、振動計測器の期間中データを提供するとか、騒音については、騒音計測器の期間中のデータを提供する、といったことが必要となるわけである。このような客観的証拠がない場合、被告が原告の主張を否定すると、被告の主張が優先し原告の立証不十分となり、客観的証拠なしで、原告の請求が棄却される訳である。
この場合原告の立証責任の重圧感が極めて高いことが容易に分かるであろう。一般人にとって、振動計測器や騒音計測器を設置するコスト負担は、到底不可能であるためである。このように考えると、環境破壊・生存権侵害にかかわる訴訟については、原告に課せられる立証責任の重圧が極めて高く、権利侵害行為に対する訴訟機会が排除されているといえよう。


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