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地域の歴史特集「塩の道」を掲載しました!
No.048/2003.11.20
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地域の歴史特集として、今回は平成2年に大槌町生涯学習講座で講演された「塩の道」を掲載しました。
当時の生活の様子等もいろいろ紹介されています。ご覧ください。ただ、塩の道の地図がなく少々残念でした。今後入手できましたら掲載していきたいと思います。”目次”は次の通りです。
【塩の道−前編−】
1.道はいつ頃拓かれたか
2.塩と道
3.軍事の道
【塩の道−中編−】
4.金沢街道(土坂峠を越えて川井へ)
5.大槌街道(界木峠を越えて遠野へ)
6.浪板の製塩
【塩の道−後編−】
7.一里塚について
8.芳形の句碑
9.芳形の茶屋跡
10.和山の三軒茶屋
11.石碑の解説
【塩の道を行く、「駄賃付」と言われる馬の隊列】
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地域の歴史特集「塩の道」を作成中!
No.047/2003.11.17
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地域の歴史特集として、平成2年に大槌町生涯学習講座で講演された「塩の道」を紹介したと思います。
◆ その昔、浪板海岸の海水を煮つめて作られた塩は、内陸地方の遠野、花巻、江刺などへ運ばれていました。
建武の頃(1335)、遠野にはすでに市が立っていたという記録があり、内陸と沿岸部の中間位置にある遠野は中継商業地として栄えていました。浪板海岸の塩は、大槌と遠野を結ぶ大槌街道を経て運ばれていたようです。大槌街道のほかにも、川井へ抜ける金沢街道や一里塚について紹介されています。
◆ 塩の他にも、昆布や魚など海産物が大槌側から運ばれ、遠野側からは米・雑穀・日用品などが運ばれていました。その際、海産物を包む”五十集俵”(いさばたわら:カヤで編んだもの)や、馬方が荷主から運賃をもらい荷物を運ぶ”駄賃付”(だちんづけ)等も紹介されています。
◆ 浪板海岸での製塩と”塩の道”は、明治時代まで、栄えてにぎわっていたようです。しかし、明治時代末期に塩は専売制となり、浪板海岸での製塩は廃止となり、また輸送の主役は、鉄道や船となり、馬方の”駄賃付”は消えていきました
◆「塩の道」はただいま作成中で、近日中に掲載いたします。ご期待ください。
今回の「塩の道」、前回の「近代製鉄の夜明け」ともに感じることは、それぞれの時代の中で、それぞれが栄えた時があった。しかし、時代の変遷・変換の中で、消えていったものが多くあるという事です。現代に照らし合わせますと、日本全国が高度経済成長で栄えた時代は終り、今は何かと苦しい変換の時です。それは今までの歴史の変換の時と同様とも思えます。私達はこれら歴史から学び、次の時代に生かしていかなければならないのかもしれません。
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