経塚山 春の里山ひっそり山行 

すっかり春になって日射しが明るく何となくうきうきしてしまいます。
渓流釣りも解禁。
藤原や御池は花一杯だろう、と思いを馳せながらも、目指したのは「経塚山」
霊仙の経塚山ではありません。鈴鹿山脈の南端、加太北在家の知る人も少ない里山です。

この山は通勤路の途中にあり、以前から気になっていました。名阪国道を大阪方面へ向かい、関トンネルを抜けると右前方に形の良く独立峰のように見えてきます。
旗山、烏山、仏が平、寒風と登り、この山は未踏です。西尾本には「地元杣人と一部篤志家の世界だろう。」との記述で、それならば「篤志家」になって登ってみることにしました。

名阪国道下り線から経塚山(中央)

メンバー 単独
山行日 2002年 3月3日
コース 駐車地 8:15--巡視路入り口 8:20---403P 8:45---鞍部 8:50---頂上9:30---(西尾根)---(植林帯急降下)---東海自然歩道 10:20---椿谷二俣 10:30---駐車地

前日

半ドンの仕事帰り、登り口の下見。なんと、下山してくる二人組がいる。「ひどい山だ。」と仰られる。聞けば、急登と風倒木に相当苦しめられたとのこと。コースは椿谷右俣から北尾根を登り、東南尾根鞍部から谷を下降したそうである。いろいろと話を伺って参考にさせていただいた。

登り口


石仏 本来の登り口

今の登り口
石仏の所からの地形図破線路は廃道化しているようだ。25号線の石仏と関西線の築堤下トンネルの間で、舗装した立派な林道が交わるところの広場に車を置く。よく見ると舗装した林道と、もう1本地道の林道(鎖がかけてある。)が交わっている。この地道の林道が登り口だ。林道をゆっくりと歩く。辺りは杉の植林帯で暗い森であるが、よく見てみると以前は田んぼだったようだ。石垣、用水路が残っている。減反で木を植えたのか、作り手がいなくなったので木を植えたのか、どちらにせよ山里での農業は今の政府が進める効率化、大規模経営とは正反対のものだ。でも、小さな農業が国土を守っていた。

鉄塔巡視路から403P 東南尾根

関西電力の巡視路の標識に「経塚山」と書いてあるところから山道に入り、しばらくは巡視路を行く。急登が続くが歩きやすい道が続く。ただし、暗い植林の道で展望は全くない。ただただ登る。ふと明るくなったと思ったら鉄塔の近くであった。そこからもうひとがんばりすると、地形図の403Pである。立派な松の木が立っている。ピークを越えて尾根からはずさぬように下る。ずるずるのひどい道。すぐ鞍部に着いた。紫の目印、赤テープがある。ここからしばらくは良く踏まれた良い道が続く。尾根をはずさぬように登っていく。所々に目印あり。だんだん傾斜がきつくなってくる。つらくなってくるが踏ん張りどころと登る。道はこの辺りでははっきりしない。高いところへ高いところへ導かれていく。傾斜が緩くなると、明るい尾根に出た。明るくなったのは木が倒れているから。1998年秋の台風は伊賀や亀山に50m以上の風をもたらした。今も倒れたままの木々がそこら中にある。そんな木が谷を埋めつくしていたり、尾根道では根こそぎ倒れて大きな穴が開いていたりする。
倒木の尾根 くぐって 越えて またいで くぐって 巻いて またくぐり、、、

やがて頂上へ

倒木の尾根を越えるとまたまた急傾斜。全山植林のようなこの山で自然林に変わったら頂上は近い。ひとがんばりすると頂上だった。頂上は広い平坦な台地。ただし、ここも植林帯なので暗く展望は全くない。もしここが他の山のように草原なら第1級の景色が広がっているはずなのに。そういえば下からここまでほとんど展望はなかった。
これが頂上
しばらく頂上周辺を歩き回り、経塚を探すが発見できず。

西尾根下降

この山の南西斜面は採石場となって見る影もない。頂上直下まで削り取られていて痛ましい。削られた上縁はカヤトが生えている。荒れている。植林とカヤトの境目を下降する。しばらくは下りやすい。とは行っても道があるわけでなく歩きやすい所を下っていくのだが。帰りのことを考えて、もし迷ってしまったときのことを考えて、目印を所々に付けた。
しばらくすると傾斜が急になり、斜面が荒れてきて、そのまま尾根を下りるのがつらくなってきた。現在地を地形図で確認。そこで、やや北側に派生した植林帯の中の尾根を下りていく。程なく水の音がして下の方に沢が見えた。最後は枝打ちした枝の上を滑りながら木につかまって下りると東海自然歩道に飛び出した。あとは歩きやすい道。駐車地までのんびりと歩く。北西風はかなり強く吹いているが、真冬の冷たさはもうどこにもない。のんびりと春を感じた。
林縁にスミレが咲いていた。

ほぼこの尾根のとおり歩いたことになる。


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