サルラックの歴史
ドルドーニュ川の北の堤に、ケルト族は占領地の本拠とするため居留地を設けた。
これがサルラックの起源であり、その後次第に発展し、寺院や水道施設、3万人
収容の円形野外劇場を持つ、アキテーヌでも有数の町として知られるようになった。
しかし、3世紀にアレマン族に占領されて以来、町は衰退の一途をたどる。5世紀
ゴート族はアキテーヌ全域を占領し、最後はプロバンスまで拡大してローマゴール人
を駆逐してしまった。サルラックの町は蛮族の度重なる猛攻を受け、全く無名の町に
なってしまい、この状況は聖ピエールが町を蘇らすまで続いたのである。
キリスト教がペリゴールへ入ったのはシャルル大帝の時代で、彼はベネディクト派
修道院の経済的基盤の確立に努めた。しかし、彼の死後、ノルマン人の進入によりド
ルドーニュ川沿いが侵略され、教会や修道院が略奪され破壊された。
9世紀後半になると、キリスト教の建築物が次々と再建され、次の200年間で千
を超える教会、修道院などの宗教的建物がペリゴールに湧き出づるように建築された。
この建築様式がロマネスク様式と呼ばれている。
12世紀に聖ピエールによって建てられた修道院は、サルラックの町の西端の丘の
頂上に立っている。そこから、下を流れるドルドーニュの渓谷の向こうに広がった、
うねりのある丘の眺めは素晴らしいものである。元の修道院は100年戦争で相当被
害を受けたが、18世紀には殆ど完全に修復された。
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Sarllac