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はじめに
人間である限り、「生老病死」から私たちは逃れられません。
「腱鞘炎」の問題は、単なるきっかけです。「老い」や「病」を迎えることになった場合にどうしたらよいかというのは、生きている限り誰にでも共通の問題です。
自分にそういう問題がふりかかってきたときに、この「腱鞘炎闘病記」を、少しでも思い出してもらえればいいなと思います。
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01...腱鞘炎になった原因 私は以前、とある小売業に従事していました。
扱う商品が重いのですが、忙しいときは一度に複数の商品をまとめて持ち、受け渡すという作業をしていました。
2002年の9月、利き手である右手首に痛みを感じたのはそんな作業中のことでした。
一方、私は商品をコンピュータに入力するという作業も行っていました。一般的に、コンピューター作業において、画面上のポインタを動かすためにはマウスを振り回します。が、私が仕事先で扱っていたものは、省スペース設計のマウスで、トラックボールを親指で転がすことによってポインタを動かすというものでした。
そのマウスで作業し続けていたことも、手首を痛める原因でした。
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02...最初の自助努力
それでも9月中は日常生活に支障はなく、まさか腱鞘炎とは思ってもいなかったし、また腱鞘炎についての正しい知識もなかったので、湿布を貼ったり、塗り薬を塗って寝る程度で済ませていました。
しかし10月に入ると、思ったよりも状態がひどくなってきたのです。しかも運の悪いことに、私が勤めていた小売店は10月末から11月始めが一年で一番の繁忙期。毎日忙しく休みの日も疲れて医者に行くどころではありませんでした。
そうこうしているうちに、新たな弊害も出てきました。手首の痛みをかばうからか、肘まわりの筋肉まで痛み出してきたのです。しかし、私は11月の中旬に初めて医者へかかるまで、自力でなんとかするしかないと、痛みを我慢しながら独断での治療を試みたのです。
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03...市販の薬を使う
まず私がやったことは、とにかくスースーする薬を塗布し、サポーターで固定する、ということでした。
湿布には温湿布・冷湿布二種類ありますが、さすがのインターネットをもってしても、温めてはいけないとか、いや温めた方がいいとか、正確な情報を得ることはできませんでした。そこで私は仕事帰りに薬局へ行き、どちらがいいのか薬剤師に尋ねてみました。しかし、
「最終的には自分が気持ちいいと思うほう」
というのが薬剤師の解答でした。そして「湿布で良くならないようなら病院へ」と言われてしまい、その頃そろそろ日常生活に支障が出てきていた私は、事態の重さにいよいよ青ざめてしまったのです。
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お世話になったサポーター
(特に手の甲用!) |
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04...限界
しかし繁忙期が去るまでは、医者に行く気力も時間もなく、私は次々と薬を買ってくるしかありませんでした。湿布が切れたら、塗り薬、それも少しでも効きそうなものを薬局の棚から選んでいました。知人にもらったお灸もやりました。そして一組しかないサポーターは毎晩洗濯しなければなりませんでした。
もうこの頃になると、何もしなくても痛くて、痛みのあまり眠れない日もありました。どうしてこんな目に、と思い、風呂で号泣したこともあります。もちろんコンピューター作業は左手一本で行うしかありませんでした。
そして繁忙期が過ぎた11月20日、私はようやく近所の整形外科の門を叩いたのです。
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05...一軒目の整形外科
最初に行ったのは、近所のT整形外科というところでした。ホームページもちゃんとしたのを持っていて、最新設備が整っていると宣伝していたのですが、私はなぜか一抹の不安を覚えていました。しかし近所には、整形外科はそのT整形外科一軒しかないので、しかたなくそこへ行きました。
すると案の定、入った途端雰囲気の悪さを感じました。ちゃんとしたレントゲン技師まで雇っていましたが、働いている人がみんなぎすぎすした感じだったし、何よりも「あー、ここはだめだ」と思わされたのは、高齢者の送迎に際しての態度です。
えてしてリハビリテーション科(理学療法のシステム)のある整形外科には、高齢者が骨粗鬆症やその他諸々の治療のため集まってきます。T整形外科も例外ではなく、またそこでは、そういった高齢者の送迎もマイクロバスで行っています。もちろんそれはなかなかできることではないし、大変いいことなのですが、「送ってやるんだからさっさとしろ」という態度、そしてまるで彼らが幼稚園児か何かであるかのような、そんな態度で接するのはいかがなもんでしょう。
やはり開業医というものは、院長の善し悪しで全体が決まると言っても過言ではない。私は、「失礼します。こんにちは」と言って入室しても無視され、「初めまして。お願いします」と言っても見向きもしない、挙げ句の果てに、レントゲンを四枚も撮ったのに人の話も聞かずちょっと手首を持ち上げただけで「腱鞘炎だね。薬出しとくから」と言って診察を終了するような傲慢な医者にはその日限りかかりませんでした。
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06...二軒目の整形外科
T整形外科で出されたのは、痛み止めの飲み薬(+痛み止めによって胃が荒れるのを防ぐための胃薬)と「イドメシンコーワクリーム」という塗り薬でした。塗り薬はいいとしても、私は、痛み止めの飲み薬なんか一時的な解決にしかならないと思ったし、インターネットでもそういう意見が多数あったので、全部飲み終わった時点で即、次の整形外科の門を叩きました。
二軒目は、実家に住んでいた頃お世話になっていたM整形外科です。実家の者も普段からお世話になっているので、気が楽でした。私は、T整形外科で出してもらった薬の解説書を先生に見せ、「先生に言ってもしょうがないんだけど……」とT整形外科の非道を訴えました。先生は「これもいい薬なんですけどね」と言っていましたが、私の様子を見て違う薬を出してくれました。レントゲンも割愛してくれました。
しかし、残念ながらM整形外科でも、最初は痛み止め(+胃薬)を飲むようにという指示から始まりました。やはりインターネットでかねてから調べていたように、西洋医学の立場では「まず飲み薬」というのが主流であるようです。ちなみに、逆に、東洋医学を基本とする鍼灸等なら治りが早いという意見もありますが、この場合は保険がきかないことが多いので、たとえば一回6,000円、ということにもなりかねません。
しかし、インターネット上の素人ページのいい点は、みんな経験談に基づき治って欲しい一心で書いている、そして図解もある、というところです。正しい情報が集まりにくかったりもしますが、多くのページを見て、同じような意見が多ければ信憑性もあろうかと思います。
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イドメシンコーワクリーム
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07...新しい塗り薬と近赤外線治療
M整形外科で塗り薬として新たに処方されたのは、「ボルタレン・ゲル」という薬です。「イドメシン」は擦り込む薬ですが、こちらは塗り広げる薬です。「イドメシン」のようにスースー感はありませんが、効き目はむしろこちらの方があるような気がします。ただしこちらは、塗ると白い膜のようなものができるので、夏場は「イドメシン」の方が助かります。
それからリハビリメニューも加わりました。「スーパーライザー」という近赤外線治療器を用いて、自分でおこないます。
これは、シャワーヘッドのような形をした器具の先端(直径約1.5cm)から赤外線が出て、それを決められた回数直接患部に当てて使います。
私の場合は腱のまわりと肘まわりを数分ずつやりました。これを週に一度、実家に帰るたびにやっていました。これがのちに三か月続くことになります。
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スーパーライザー(イメージ画像)
3秒当てて1秒休止。当てる箇所を少しずつずらしていきます。
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ボルタレン・ゲル
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08...決断
しかし実際のところ、週に一度じゃ足りないんです。いったんとことんまでひどくなってしまった腱鞘炎は、週一なんて生ぬるいこと言ってたんじゃ、仕事を続けながら治るわけない! しかも病気が治らないってことがどれほど不安か、みなさんには想像できるでしょうか。
私は先生に訴えました。本当に治るんでしょうかと。先生がきっぱりと言ったことは次の通りです。
「腱鞘炎は、手首の使いすぎで起こる病気です。ですから、使わなければ必ず治ります。でもそのためには、明日から、それが無理ならできるだけ早い内に、会社の上司にちゃんと言って、治るまで休む。それしかありません。これは "ドゥ・ケルヴァン病" というれっきとした病気です。必要なら診断書を書いてあげます」
治るまで休む――。簡単なことです。しかし、産休ならいざ知らず、いつ完治するのかもわからないのに仕事を休むのは正直言って困難でした。それで私は決断しました。仕事を辞めることを。M整形外科で治療を始めてすぐのことです。
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09...患って初めて知ること
2003年1月末で仕事を辞めると、右腕は少し楽になりました。しかしそれでも毎日の家事から解放されたわけではありません。いくら左手メインの生活に切り替えたからと言って、炊事、洗濯、掃除、その他何をするにも右手にだってそれなりの負担はかかります。服を着替えたり、髪を洗ったり、自分の身支度をするだけだって、右手は使うのです。
普段、みなさんは利き手にかかる負担のことを考えることがあるでしょうか? 私はありませんでした。しかし、痛みを伴うと「腱」というものが、想像以上の働きをしていることがわかります。本当に、実に様々な動きに伴って痛みが発生する。これはまさしく、「腱」がそれだけ働いているという何よりの証拠でしょう。
また、私はそれまで考えもしなかったことに気が付きました。それは「左右の手は夫婦」ということ。夫婦両輪、とよく言いますが、まさしくそれだ! と思ったのです。普段稼いでる方が急に倒れる、そうすると、もう片方が自然と「よっしゃ次はワイの番や〜!」と頑張る。助け合って生きている姿が、夫婦の姿と重なったのです。今でも、私の不器用な左手は右手に代わっていろんな場面で活躍しています。特に、マウス操作。もうこれは一生右手にその座を譲ることはないでしょう。
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10...三軒目の整形外科
さて、仕事を辞めて一か月が経ちました。しかし、たとえスーパーライザーと言えども、週一の治療では、次の週が来るまでの間に痛みが元に戻ってしまう。かといって、週に何度も実家近くのM整形外科へ通うのは困難です。そこで私はまた新たな決断に迫られました。
その結果、私はM先生にお願いして、唯一我が家の近所に残されている、「T」とは別の整形外科に紹介状を書いてもらうことにしたのです。それは総合病院内の整形外科、という選択肢でした。
さきほども言ったとおり、我が家の周辺にはなぜか整形外科は「T」一軒しかないのです(歯医者は五万とあるのに!)。そんなわけで、残る道はそれひとつ。私は彷徨える腱鞘炎人でした。
しかぁーし!! あれは忘れもしない3月3日。今度こそはと希望に燃えて行った三軒目の整形外科、T病院、そこは総合病院だけあってリハビリ科がなかったのです!!(波音最大量でお願いしますドドーン!)。……みなさんも、整形外科の役割分担は「総合病院=手術、開業医=リハビリ」と覚えておきましょう。
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11...三軒目の医師に教えてもらったこと
けれどもT病院で担当になったS先生は大変親切な方で、時間をかけて、わざわざペンで自分の腱に絵を書いてまで、腱鞘炎についての説明をしてくれました。
また、M先生の紹介状によって、肘まわりの筋肉の痛みはいわゆる「テニス肘」であることが判明しました。こちらの方の症状を改善するストレッチも教えてくれました。それも下に記載しています。入浴中にやってみて、と言われました。
さてさて、これはこれで大きな前進でした。三軒も病院を回っただけのことはあり、腱鞘炎の実体がよーく解りました。しかし、その時の正直な気持ちとして「ああ、これで振り出しに戻ったな……」という嘆息の気持ちだったことも隠しきれない事実です。
それで私はまた新たな病院を紹介してもらうことになったのですが、私はS先生にそれまでの道のりを話し、実名を出して「T」はイヤです、ということを伝えました。
そして最終的に紹介してもらったのが、現在も通い続けているO整形外科です。
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12...やっと巡り逢った四軒目の整形外科
T病院のS先生や看護師の方も、T整形外科の話を聞いて「気持ちはわかるよ〜」という顔をしていました。しかし今度紹介してもらったO整形外科の先生は「きちんと患者の話も聞くし、親切で、T病院にも患者を紹介してくれる」とS先生や看護師さんもイチオシ。電車で3駅も離れていますが、M整形外科へ通うよりはましだし、もはやそんなことを言っている場合ではありません。それで私はO整形外科に決めたのです。
二日後の3月5日、私は早速O整形外科へ行きました。そして待合室で少し待って、ようやく院長のS先生とご対面。すると、なんということでしょう!(別の意味で波音最大量でお願いしますドドーン!) イケメン先生じゃ〜! うれしーっ! 病院を何軒も渡り歩いた末のご褒美だぜ〜! ……その時私は「整形外科はもう一生ここでいい」と思ったのでした。
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「SSP療法」とは。
刺さない鍼治療。吸盤を患部に直接貼り付け、そこへ低周波の電気を流すことによって、鍼治療と同じような効果を得ることができる東洋医学の見地から生まれた療法。 |
13...現在に至るまで
さて話を本題に戻すと、まずS先生に聞かれたことは「患ってどのくらい?」ということでした。私が感情を込めて「もう半年なんですぅ」とそれまでの窮状を訴えると、先生からは「あ、なんだまだ半年か」とのお答え。私が「えっ? 半年って短い方なんですか?」と問うと、「そうだねー。短い方だねー」とは仰いましたが、なんと「でも半年でも長いって思っちゃうよねー」と今までどんな医師からも聞いたことのないすんばらしいフォローのひとことを添えてくださいました。
そして塗り薬の継続と、新しい器具での治療が決まりました。塗り薬はそのまま「ボルタレン・ゲル」、そして新しいリハビリは「SSP」と呼ばれる理学療法器、及び「セラピア300」という赤外線治療器を用いた治療です。
これによって、実はなんと、その日の内に私は恒常的な激痛から解放されたのです。完治への希望が、初めて目に見えた瞬間でした。
その後も、一朝一夕には改善されないまでも、それまでの痛みは嘘のように縮小し、現在、私の右腕は岩石を穿つようにほんの少しずつですが快方へ向かっています。それに、何より助かっているのは、S先生が出してくれた「AZ WRAP」という手首を固定するサポーターの存在です。これによって毎日の生活もだいぶ楽になりました。
これから、いつまでS先生のもとにお世話になるのかわかりませんが、私はあきらめません。お金も時間もかかり(節約のため片道は3駅分歩いている!)、時々「これさえなければ」とヤケになることもあります。でも、しかたがない。もう少し頑張っていこうと思います――。
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↑「SSP」
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↑「 セラピア300」
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| ↑「AZ WRAP(アゼットラップ)」 |
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あとがき
2002年の9月以来半年間泥沼の中を這いずりまわり、ようやくめぐり逢ったS医師の元でリハビリを続けてさらに半年が過ぎました。今でも、直筆で字を書くのはメモ書き程度しかできません。しかし、それまで左手だけでしか打てなかったコンピュータのキーボードが、今では両手で打てるようになりました。
そう、この「さるねこカフェ」のサイトも、仕事を辞めてM整形外科でリハビリを続けているあいだ、毎日自室に閉じこもり、左手一本、一か月で仕上げた執念のサイトです。私にとっては、本当に大切なサイトです。また、それと同様に、左手だけでしかキーボードが打てなかったあいだ、私は大切な友人知人、それからサイトに協力していただくことになった方々へのメールもおろそかにはしませんでした。もちろん少ししか書けません。相手からメールが来れば返事も遅れます。でも、書いて伝える、それが私の最後に残された道だから書かないわけにはいかないのです。
創作活動もストップしていました。書きたくても書けないということに、どれほど苦しんだかわかりません。これは、創作に煮詰まって「書けないから書かない」というのとは全然違います。でも私は、これも書かずに想像を膨らませる時期だと思ってやり過ごすことにしました。
私は今でも、「本当に治るんでしょうか」という疑問はS医師に時々ぶつけています。しかし腱鞘炎というものは、先ほども言ったように、一朝一夕には治らないものなのです。
私は「腱鞘炎」の問題をずっと書いてきましたが、これは「腱鞘炎」のところをその他の病名に置きかえても変わりないことだと思います。
現役時代、「健康管理のできないヤツは無能力」と言い放つ人がまわりにたくさんいました。しかし私はそうは思いません。人間は万能ではありません。人間はちっぽけな生物の一種でしかない。故障もあれば病気もある、それが自然な姿だと私は思います。自分なりに一生懸命健康管理をした結果、それでも患ってしまったものはしかたがない。でも、重い病気は一度患ったら、なかなか治るものじゃない。それでも、みっともないくらい希望を持ったらいい。医師を即座に見限る強さ、医師を心から信頼する素直さ、そして気になったことは事の大小にかかわらず、すぐに医師・看護師・療法士・薬剤師等に質問する貪欲さ、この三つが病気を軽くしてくれるでしょう。
自分の足で医師を探してください。力になってくれる医師は必ずいます。自分の痛みは自分にしか解りません。自分で努力して、自分で道を拓くことはけっして無駄にはなりません。
最後に……。
いつも励ましてくれる実家の家族、友人知人やサイトの協力者の方々、そして誰より、私の文句を浴びるように聞いてくれる夫に、心から感謝してこの闘病記を締めたいと思います。どうもありがとう。読んでくださった一般の方々も、どうもありがとうございました。
2003年9月
石川よもぎ
追記
2002年9月からその後、約2年かけて私の腱鞘炎は完治しました。
O整形外科のS医師には本当に感謝です。
しかし!
2005年夏に出産し、あっさりと復活しました。しかも利き手ではない方の手首まで!
とりあえずボルタレン・ゲル+ラップバンドで凌いでいます。
なお、「病院を紹介して」というメールが大変多いですが、それについて。
腱鞘炎の治療は週に何度もリハビリに通わないと治りません。したがって、少しでも遠いと大変です。病院で選ぶより、ご自身に最も合った治療内容を探す方が先決ですので、私が通っている病院をご紹介することはいたしません。あらかじめご了承ください。
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