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佐々木俊尚 Toshinao Sasaki


「ダイオキシン―神話の終焉」が巻き起こした環境保護運動の限界

 今年3月に出版された「ダイオキシン―神話の終焉(おわり)」(日本評論社)という本が、環境保護運動に吹き荒ぶ嵐を巻き起こしている。書いたのは東京大生産技術研究所の渡辺正教授(生体機能化学)と目白大の林俊郎教授(応用微生物学)。その内容はきわめて過激だ。「サリンの2倍、青酸カリの1000倍の猛毒」と喧伝されてきたダイオキシンの危険性について「根も葉もない妄想であり、ダイオキシン対策に巨費を投じるのはカネの無駄」と切って捨てているのだ。
 この本が、これまでダイオキシン運動に取り組んできた環境保護運動家たちをどれほどまでに刺激したか、ご想像いただけるだろうか。
 その前にまず、この本の主張をまとめておこう。
 第一に、毒性の問題。実験から、たとえばモルモットの致死量は体重1キロあたり60万ピコグラム(ピコグラムは1兆分の1グラム)と実測されている。体重50キロのヒトなら3000万ピコグラムだ。渡辺教授は「ダイオキシンの摂取は95%が食品からで、人間は1日にせいぜい100ピコグラム程度のダイオキシンしか摂取していない。致死量に達するには30万日かかる計算になる」と話す。
 ダイオキシンの危険性としては、環境ホルモン(内分泌かく乱物質)としての慢性毒性もある。一時話題になった精子の減少やアレルギー、発ガン性などの増加だ。だが渡辺教授らは「もし仮にガン死やアレルギー疾患、精子の減少がここ数年増加しているとしたら、ダイオキシンとの因果関係はないと言っているのに等しいダイオキシンの環境中の濃度は年々減り続けているからだ」という。実際、厚生労働省などの調査結果では、母乳や食品中のダイオキシン濃度は1970年代以降、一貫して減り続けている。
 なぜだろうか。横浜国立大の益永茂樹教授と中西準子教授は90年代末、東京湾などの堆積物のダイオキシンを調べ、その90%以上が農薬に起因するものであることを突き止めた。1960年代に使われた農薬の残留物や工業用のPCBが大量に土壌に放出され、現在も環境中に滞留している。渡辺教授らは「これに比べれば、焼却炉から放出されるダイオキシンはわずかでしかない」という。
 ダイオキシンといえば、焼却炉から排出されるものだというのが定説だった。このために2000年にダイオキシン特別措置法が施行され、焼却炉を高価なハイテク設備のものへと置き換えることが求められてきた。その総予算は莫大な金額に上り、全国で約40兆円に達しているという試算もある。だがもし、この本の主張通り、焼却炉由来のダイオキシンが微々たる量にすぎず、しかもそのリスクもきわめて低いのであれば、巨額の公費はまったくの無駄だったことになる。
 この本に対する批判としては、毎日新聞の小島正美記者が同紙の「記者の目」(6月6日)で書いた記事がある。小島記者は「急性毒性の被害はこれまでの報告では生じていない。しかし、だからといって『なんでもない物質』といえるのだろうか」と批判。欧米での疫学調査で、ヒトの体内に存在するダイオキシンの10倍程度の少量でも脳神経系や生殖への影響があるという報告が出ていることを指摘した。一方、運動の理論的支柱である元高知大学学長、立川涼氏は「ダイオキシンのほとんどが農薬に由来するというのはまったくの間違い。焼却炉から排出されている部分が大きいのは間違いない」と益永・中西理論を真っ向から否定している。
 しかし結局のところ、この論争は「リスク」というものをどうとらえるかという哲学に行き着くのかもしれない。前出の小島記者は、環境省幹部の「被害がないから規制が不要なら、どんな化学物質でも規制は不要」というコメントを引用し、「被害が出てからでは遅い」と訴えた。また立川氏も「証拠がなければ何もできないという考え方は間違いで、予防原則が重要だ」と話す。一方、渡辺教授らのスタンスは、環境リスクはどんなものもゼロにするのは不可能であり、費用対効果とのバランスを考えていかなければいけないというスタンスだ。言い換えれば、リスクをいったいどれだけ減らせばわれわれは安心して暮らせるのか、という問題になるのだろう。
 しかしこの本が今年1月に出版されて以降、環境運動サイドに巻き起こった反発は、こうした議論とはほど遠いものだった。読売新聞と東京新聞がいち早く書評で取り上げると、ダイオキシン問題を取り上げてきた環境保護運動の側は両社への抗議を呼びかけた。「専門家やゴミ問題に関心のある人にとってはバカバカしいとすませることができるかもしれませんが、一般の方が書評を読まれた場合、信じてしまう可能性が十分あります」
 ついでダイオキシン運動の中核的存在ともいうべき「止めよう!ダイオキシン汚染関東ネット」の藤原寿和事務局長が、月刊誌「自然と人間」4月号に「ダイオキシンは危険ではないという珍説」という文章を寄稿。「政治的なバイアスのかかった偏った独断的な見方で書かれた本だといっても過言ではない」「学者としてどれだけ事実関係を精査したうえでこの本を書いたのか極めて疑わしく、いかがわしい箇所が随所にある」と批判した。
 関東ネットは6月末、渡辺教授ら公開質問書も送った。「私たちがダイオキシン特措法の制定に向けて、どれだけ専門家や行政の担当者に協力を要請してきたか、貴殿らは外野席にいて関心を持っていなかったのではないか。専門家の協力を必要としている時には黙して語らず、これから抜本的対策を政府に講じさせようという矢先に貴殿らはそれに水を差すように本を出版された」。文面からは、感情的な反発がにじみ出ているようにも見える。「珍説」「バカバカしい」と口では罵りながらも、内心は本の指摘について深刻に受け止めていたということだろうか。運動に携わってきたメンバーのひとりは「正直なところ、本の指摘が科学的に本当に正しいのかどうかはよくわからない。しかし著者が東大の教授でもあり、とてもじゃないが無視できないと思った」と述懐する。一方で、運動サイドの中には、あえて同書を無視しようという動きもあったのは事実だ。別の関係者は「運動のメンバーには『御用学者の書いたような本をわざわざ買って読んで、儲けさせる必要はないだろう』と言い放つ人も少なくなかった」と打ち明ける。
 そうこうするうち、環境運動の間には妙な噂も流れはじめる。渡辺教授が「悪者扱いされてきた塩化ビニールを減らしてもダイオキシン排出量は減らない」と主張していることに「著者らは塩ビ業界からカネをもらっているのではないか」。あるいは農薬やPCBがダイオキシンの発生源だとしていることに、「PCB処理を推進している政府が黒幕だ」……。渡辺教授は「わたしは政府からも塩ビ業界からもカネをもらっていない」と反論している。もっとも、塩ビ業界側はこの本の登場を大喜びしたのも事実。業界関係者のひとりは「塩ビ製品の不買運動まで起こされ、われわれが塩ビは無実だと主張してもまったく聞き入れてもらえなかった。すごく痛快な内容の本です」と話す。
 今回の件は、ダイオキシンの是非について議論を戦わす絶好の機会だったはずだ。しかし運動サイドの動きは、あえてそうした真っ向勝負を避けてしまっているようにも見える。運動に科学的な批判が起こされたのであれば、科学的論理で反駁するのがありうべき道だったのではないだろうか。藤原事務局長は「主張を異にするからと言って、レッテル貼りをして無視したり、切り捨てて終わりにしょうとするのは決して生産的ではない。それは自戒の念も含めて、私も反省しなければいけない。もっときちんと議論していくべきだと思う」と話すのだ。

 また渡辺教授が、ダイオキシンの環境ホルモン的な毒性について「環境ホルモンの影響として指摘されている知能の低下、行動異常はひょっとしたら家庭・学校の教育の問題ではないか」「心配されているのは女性ホルモン(エストロゲン)作用だが、日本人は大豆から大量の植物エストロゲンを摂取しており、逆に日本人の健康を守っている気配もある」と指摘していることに対し、小島記者は憤る。「ダイオキシンが取るに足らない物質どころか、むしろプラスだというなら、カネミ油症の人たちが摂取した量を渡辺先生のご家族がぜひ摂取してほしい。環境ホルモンによる行動異常などのリスクは動物実験から導かれた結果であり、現実の犯罪や非行の原因としてあげているわけではない。家庭や教育の問題が関係しているのは当たり前のことだ。動物実験や易学調査の結果から、どういう予防措置を引き出すかが問われているのであり、それを解明するのが科学者だと思う」