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佐々木俊尚 Toshinao Sasaki
今年1月26日。「北朝鮮拉致被害者の家族連絡会」(家族会)の会合がこの日、東京・芝で開かれていた。横田めぐみさんの父滋さんが希望していた訪朝を見送る方針がこの場で決められ、直後の記者会見で発表された。民放の女性記者2人が相次いで「年末の段階では訪朝を希望していたが、心情が変化したのか?」という内容の質問を投げた。
滋さんが「心情的にはまったくかわっていません」と答える。拉致被害者の蓮池薫氏の兄で家族会事務局長の蓮池透氏が後に物議を醸すことになる発言をしたのは、このときだ。
「いま質問した人に聞きたいんだけど、横田さんを訪朝させたいんですか?」
質問した記者ふたりは「そういう意図ではありません。横田さん自身が相当にお悩みになったのではないかと思って」と答えた。しかし蓮池氏は、激高して叫んだという。「だからもう決まったって言ってるじゃないか!」「家族会で決めたって言ってるじゃないか!」
この会見に出席していた記者のひとりは「記者は当然の質問をしただけなのに、透氏はいったい何様のつもりだろう? 不愉快だった」と振り返った。
その2日後、東京・内幸町の日本プレスセンタービル。新聞、放送、出版などの各社、団体でつくるマスコミ倫理懇談会の例会が蓮池透氏を講師に招いて開かれた。しかし講演は、のっけから激しいマスコミ批判で終始した。
「日本テレビの『奥土親子の物語』という番組を見たときには正直言って吐き気がした。お涙ちょうだいの陳腐な番組だ」
「最近の朝日新聞を見ていると、好きな女性に本心を伝えられずに、回りくどく、インテリぶったうだつの上がらない男のようで哀れみさえ感じる。いっそのこと『北朝鮮大好き』『金正日万歳』とはっきり言ってしまった方がよい」
参加者の新聞社幹部が質問した。
「被害者全員が日本に帰ってくるように役立つ報道をするのは当然だと思う一方で、われわれは一面だけに偏らない報道をする役割を担っている。場合によっては被害者にとって不本意かもしれない報道もする必要があると思う。あなたは、それすら今は報道すべきではないとお考えか」
しかし、透氏はこう切り捨てた。
「拉致問題については、多様な意見というのはありえない」
思わず質問者が返す。「だとすると、あなたの意見は北朝鮮の言い分と変わらないような気がする」
大手メディアではほとんど報道されていないが、実は北朝鮮拉致問題をめぐり、記者会見や懇談会の席ではこうした激しい“戦い”が延々と繰り広げられている。しかもその戦いは、マスコミがかなり一方的にパンチを浴びせられ、サンドバッグになっている状態だ。たとえば週刊朝日が今年1月、地村保志夫妻に単独取材を敢行し、家族会と「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)から激しい批判を浴びた件。同誌の取材のあり方をめぐる議論はほとんど行われないまま、朝日側は全面屈服。編集長の停職処分などをいち早く発表してしまった。いったい拉致報道の現場で何が起きているのだろうか。
テレビのニュースを見ているだけでは気づかない事実だが、今回の報道では、実はかなり異常な取材ルールが取り決められている。
まず、帰国した被害者に対する個別取材の禁止。被害者の生の声は、ごくまれに行われる本人会見を除いては、家族が1日1回開く定例会見の場で伝えられることになっている。その数少ない本人会見でも、報道陣からの再質問は受け付けていない。事前に提出された質問内容のうち、本人が答えても良いと思った質問について答えるだけなのだ。
被害者の帰国当初から取材を続けてきたジャーナリストの小田桐誠氏が語る。「こんな状態で、本当に本人の生の声が国民に伝えられているのかどうか。最近では本人が家族にしゃべり、その家族が救う会のメンバーに話したことが救う会側から『本人の談話』として発表されるようなまるでリレーゲームのようなケースもあるほどだ」
この取材ルールが決まった経緯について蓮池透氏は、前出のマスコミ倫理懇談会で「被害者の帰国の際に集団的過熱取材(メディアスクラム)が起きるのではないかと懸念し、被害者の地元の新潟、福井の記者クラブと家族会の間を、救う会が仲介する形でルール作りを行った」と説明している。
しかし、報道側の受け止め方はかなり違っているようだ。ある全国紙社会部記者は「救う会は当初、自分たちが撮影したビデオ映像を渡すからいっさい被害者の取材もするなと言っていた。その扉をこじ開けるためには、ある程度の取り決めを行わざるを得なかった。メディア操作に長けた救う会の高等戦術にうまく乗せられた感じだ」と証言する。
とすると、救う会とマスコミのパワーバランスがこれほどまでに偏ってしまったのはなぜだろうか。
その原因のひとつは、メディア規制3法案とのからみだ。法案をめぐる議論が活発化する中、「拉致報道でメディアスクラムが問題になると、メディア規制へのお墨付きを与えてしまうことになる可能性があった」(小田桐氏)。その恐怖が、マスコミの取材にブレーキをかけたというわけだ。
しかしもうひとつ、マスコミ側には言葉にできない大きなハンディキャップがあった。それは日本のメディアが負っていた途方もない“原罪”といえるかもしれない。つまり、新聞やテレビなどの大手マスコミは過去、長い期間にわたって拉致問題を黙殺し続けてきたのだ。いや、拉致問題だけでなく、北朝鮮報道そのものがある種のタブーだったといっていい。全国紙の元記者が証言する。
「1994年に『北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会』が結成された際、朝鮮総連の妨害で設立集会が流れた。その騒動を取材して出稿したところ、社会部長から『おまえは朝鮮総連とケンカする気か!』と怒鳴りつけられたことがあります。当時の北朝鮮報道はそんなレベルでした」
そして拉致被害者の家族たちも、同様にマスコミに黙殺され続けた。記者会見を開いても誰も出席せず、記事も出ないという日々が10年以上も続いたわけだ。1988年から拉致問題を調査し、家族の会を作り上げる中心となった救う会幹事の兵本達吉氏は話す。
「確かに蓮池透さんたちのマスコミ批判は激しいかもしれない。でもその背景には、長年の苦労がある。私のところにも過去、たとえば朝日新聞の論説委員チームや社会部チームが何十回も繰り返し取材にやってきた。それなのに、彼らは一度も記事にしてくれない。問うと『内部的な事情がありまして』と言う。われわれは、そんなマスコミと渡り合ってきたんです」
マスコミが北朝鮮のタブー視を続ける中、孤立した拉致被害者の家族たちは兵本氏を介して雑誌「現代コリア」の佐藤克己氏らと結びつく。そして1997年、佐藤氏らが「救う会」を立ち上げ、そして西村真悟氏や平沢勝栄氏といった国会議員らを結びつけて「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(拉致議連)の結成へとつながっていく。この年には家族会、「救う会」、そして拉致議連という強い同志的結びつきを持った“三位一体”がほぼ完成したというわけだ。
ジャーナリストの小田桐氏は「家族会の人々は、マスコミから無視される怖さを痛いほど知っている。それだけにメディアに露出しなくなってしまうことを恐れ、何とか報道してほしいと願っている。その気持ちが過激なメディア批判に走らせている原動力のひとつかもしれない」と指摘する。
前出の社会部記者が言う。「われわれは拉致問題を何も報道してこなかったという悔いにも似た気分の中で昨年9月の小泉訪朝を迎え、信じられないことに北朝鮮の金正日総書記が拉致を認めてしまった。多くの記者が動揺していたと思う」
そんな中で迎えたのが、家族の最初の記者会見だった。8人死亡という衝撃的な事実を知らされた家族に対し、報道陣から「どのように外務省から伝えられたのですか」と質問が飛ぶ。拉致議連の議員のひとりが怒鳴り声を上げた。「きさま、人間として心があるのか! どうしてそんなことが聞けるんだ!」
その恫喝が、その後のマスコミと被害者側との力関係を決定づけた――会見に出ていた記者のひとりは、そう振り返った。「マスコミの側は『取材として必要なファクトだ』と議論すべきだったのに、虚を突かれ、挫折感と無力感に支配される中で何の反論もできなかったんです」
だがその「挫折感に支配されている」はずのマスコミは、拉致報道が過熱するにつれて奇妙な方向へと走り始めることになる。そのひとつが、週刊金曜日が11月に掲載した曽我ひとみさん夫娘インタビューだった。その取材の是非は置いておくとしても、週刊金曜日が開いた記者会見は前代未聞の“口論会見”となった。
記者「曽我さんがどんな気持ちだったかわかってるんですか?」
週刊金曜日・黒川宣之編集主幹「あなたはわかるんですか?」
記者「なぜ曽我さんの覚悟や気持ちを北朝鮮にきちんと伝えてこないんだ!」
別の記者「そりゃ外務省のやることだろう」
黒川主幹「子供は取材しない方がいいと思って申し込んだら、曽我さんの夫が娘を連れてきただけだ。だからキム・ヘギョンのインタビューとは違う」
朝日の記者「ちょっと待ってくれ。キム・ヘギョンインタビューの何がいけないと言うんだ? どこが違うんだ」
出席した記者のひとりは後に「何ともおぞましいものを見せられた気分だった」と振り返った。“恨15年”のマスコミへのルサンチマンの中で、マスコミ戦略を考え抜いてきた家族たち。それに対し、拉致報道の取材体制を再度議論すべき時期に、お互いを罵倒しあうことしかできないマスコミ各社。その対峙の構図は、確かになんともおぞましい光景にも思える。
拉致問題を担当している週刊誌記者は、自戒の念を込めてこう語った。
「救う会とべったりの関係になって情報を垂れ流しているメディアと、批判を恐れて腰の引けてしまっているメディア。どちらも取材対象ときちんと向き合っているとは言えない。日本のマスコミが五十数年をかけて培ってきた戦後のジャーナリズムは、いったい何だったのだろうかと今さらながらに思う」