BACK    TOP

佐々木俊尚 Toshinao Sasaki


 オープンソースを媒介に、アジア域内経済の再編が加速しようとしている。
 ――いや、そこまで断言するのは時期尚早だろうか。しかし東アジア各国のIT担当省庁が、オープンソースの海外戦略に大きく力を傾けつつあるのは間違いない。青山学院大大学院の井田昌之教授が説明する。
「米国経済圏、欧州経済圏にならびうるアジア経済圏の中で、オープンソースで役割を果たそうとする日本政府は、東南アジア諸国連合(ASEAN)、中国、韓国などとの連携を重視するねらいを持っている。アジアの中で日本がリーダーになって各国を支えながら、その中で日本の役割を担っていくという動きが政府の中で具体的に現れはじめている」

オープンソースっていったい何?

 そもそもオープンソースとは何だろうか。
 ひとことで言えば、ソフトウェアを開発する際にそのソースコードを無償公開し、世界中のプログラマーが誰でも自由にそのソフトを改良して配布することを認めている枠組みのことだ。マイクロソフトの「ウインドウズ」をはじめとする大半のソフトのように、企業の社員プログラマーが守秘義務に守られた中でソフトを開発していくクローズドな仕組みとは、対極にあるといっていい。
 オープンソースがビジネスの世界で騒がれるようになったのはごく最近だが、その歴史は実は古い。発祥は、米マサチューセッツ工科大のリチャード・ストールマンが「ソフトウェアは人類共通の文化資産として、フリーソフトウェアとして無償公開されるべきだ」とする宣言を発表した1984年にまでさかのぼる。この思想は先端的なプログラマーたちの熱い支持を集めたが、その反商業的な思想はビジネスの世界では受け入れられず、大きな勢力にはならなかった。
 流れが大きく変わったのは、90年代に入ってフィンランドのヘルシンキ大学生だったリーナス・トーバルズが、オープンソースのOS(基本ソフト)であるリナックスを生み出してからだ。当初からきわめて完成度が高かったこのOSは、ストールマンたちがそれまでに作り上げてきていたぼう大な数の無償のアプリケーション(応用ソフト)群と結びつき、サーバーOS市場で爆発的に普及した。それまでサーバー向けのOSといえば、IT各社が自社開発した「商用UNIX」と言われる製品と、マイクロソフトのウインドウズサーバーの2強が市場を取り合う構図だった。だがそこにリナックスを中心とするオープンソースOSが参入し、市場は一挙に混沌とした状態へとなだれ込んだのである。
 さらに昨年秋、総務省が電子政府に適したセキュリティの高いOSの調査費を来年度予算に概算要求したという報道が大きく扱われたことから、日本のIT業界でもオープンソース熱が急激に高まった。当初からオープンソース系のOSに注力してきたサンマイクロシステムズの中村彰二朗・ソリューション営業本部統括部長は「昨年来、さまざまな動きが同時に起こり始め、1社に独占させないという流れが生まれ始めた。今後は、これまで大型汎用機(メーンフレーム)一辺倒だった日本の基幹業務系システムもオープン系にリプレースされていくのではないか」と解説する。

オープンソースの持つ本当の意味

 オープンソースのメリットについて、多くのメディアはお題目のように「値段が安い」「セキュリティが高い」と説明している。決して間違いではないが、実のところ正しくもない。確かにリナックスなどは根幹部分は無償配布されているが、企業や政府が導入する際は応用ソフトの購入費が必要になるし、運用コストも小さくない。ウインドウズと比べれば、「若干は安くなる」という程度だ。セキュリティに関しても、ソースコードが公開されていることで欠陥を発見しやすいというメリットはあるものの、「オープンソースだからセキュリティが高い」というのはあまりに短絡的に過ぎるだろう。
 では、オープンソースの本当のメリットとは何だろうか。井田教授は「オープンソースの重要な本質のひとつに、その多様性ということがある。多様性がなければ、創造性は生まれない」と指摘する。ITが社会に普及し、ネットバブルが世間を覆った90年代後半、「市場を占有したものがすべてを得る」という理論がおおっぴらに語られ、どの企業もウインドウズのような市場独占モデルを夢見た。だが特定の1社がソフトウェアを寡占する状態は、顧客の側には決して幸福はもたらさない。導入コストも上がり、製品の選択の余地もなくなるからだ。価格が高止まりしてしまっているウインドウズの例を見れば、それは明らかだろう。そしてそうした弊害に人々が気づき始めた時に、タイミング良くリナックスが登場してきたというわけだ。

脱米国支配の武器として

 話を戻そう。
 そうした状況の中、21世紀を迎えるころから欧州を中心とした各国政府は、先を争ってオープンソース導入へと走り始めた。それぞれの思惑は微妙に異なるものの、大きな原動力となっているのは、政府の業務をすべて電子化していくという電子政府計画を、マイクロソフト1社に依存することへの危機感だ。そしてさらに大きな枠組みで見れば、米国の経済支配からの脱却であるとも言える。90年代半ば以降の10年、日本では「バブル崩壊後の失われた10年」だったが、欧州にとってはマイクロソフト・インテル連合――いわゆる「ウインテル帝国」に自国のIT産業を蹂躙され、苦杯をなめさせられ続けた10年でもあったのである。
 その事情は、東アジアでも同じだ。そしてその米国との対立軸をもっとも鮮明にしているのは、中国なのである。
 中国政府は99年にいち早く「紅旗リナックス」という製品プロジェクトを政府科学院が中心となって立ち上げ、開発に全力を挙げてきた。さらに昨年になって「揚帆リナックス」「起帆リナックス」など別のプロジェクトも次々とスタートさせている。各国のオープンソース事情に詳しい三菱総合研究所主任研究員の比屋根一雄氏が解説する。
 「揚帆リナックスの目標は明確で、デスクトップパソコン用のOSである『ウインドウズ98』とまったく同じものを自国で作ってしまおうという発想。サーバーOSからパソコンのOS、そしてLSIまですべて自国で開発・生産し、IT産業を米国の支配から完全に独立させようという強烈な意志を持って進めているようだ」

当面の目標は“日中韓三国同盟”

 では日本はどうか。ようやく昨年秋以降になって、政府がオープンソース戦略に本腰を入れ始めた。
 その軸は、大きく分けて3つある。まず第一に、先に挙げた総務省の電子政府構想での取り組み。第二は、経済産業省の通称「産総研モルモットプロジェクト」と呼ばれる計画だ。独立行政法人・産業技術総合研究所にリナックスを導入し、1000人規模の実証実験を行って、人材や技術を民間に移転していこうという狙いだ。
 そして第三が、経産省が進めようとしているオープンソースの海外戦略なのである。その皮切りが、この3月4日から3日間にわたってタイのプーケットで開かれた「アジア・オープンソースソフトウェア・シンポジウム」だった。ASEAN各国と日中韓が参加したこのシンポジウムの主催は財団法人・国際情報化協力センター(CICC)。だが実際には経産省商務情報局がが企画立案し、費用も負担している。
 同省幹部が説明する。
 「昨年10月、ASEANのITワーキンググループであるeASEANの課長級会合でこのシンポジウムを提案したところ、非常に大きな反応があった。購買力平価から考えるとウインドウズはASEAN諸国にとってはきわめて高価格なため、各国ともオープンソースの価格の安さに魅力を感じているようだった」
 オープンソースの安価なコストだけにアジア諸国の注目が集まることには、経産省としては本意ではない。しかし「低価格」を突破口にすることで政府レベルや業界レベル、プログラマーのコミュニティーレベルでオープンソースの流れを作り出し、アジア域内にある種の「オープンソース経済圏」をまとめ上げようという意向が経産省にはあるようだ。
 「ITの力をASEAN諸国にもつけていただくことで、長期的な経済連携を進めていこうという意味を持っている」(経産省幹部)
 とはいえ、経産省の戦略の当面の狙いは、ASEANではない。同省幹部は「日中韓なに台湾を加えた4カ国・地域とASEANの間には、技術力やオープンソースの理解度にかなりの差がある。まずASEANには技術援助的に意識啓発と情報提供を進め、その一方で中韓台とプロジェクトを組んでオープンソースの技術協力を進めていく」と話す。その具体的プランが、日中韓の“3国同盟”によるオープンソースソフトの開発計画だ。日本の社団法人・情報サービス産業協会(JISA)と韓国の情報産業連合会、中国の中国ソフトウェア産業協会がそれぞれ窓口となって、すでにプロジェクトは動きはじめている。

本当に“脱米国”を狙えるのか

 しかしこうした戦略には、今後大きな障壁も予想される。その最大のポイントは、日本政府が果たしてどこまで米国のくびきから逃れられるのか――というきわめて根源的な課題だ。
 前出の井田教授が指摘する。
「米国支配からの脱却の意志が明確な欧州や中国に比べ、日本では米国のご意向を伺って……という人が永田町にも霞ヶ関にも非常に多い。最近の例として聞いているのは昨年の国連大学で開かれた国際電気通信連盟(ITU)主催の環太平洋地域のシンポジウムでのことである。『アジアの発展のためにオープンソースを活用し、相互流通させよう』という一文を入れようとしたところ、米国だけが反対した。それでそれはとりやめになった。これが本当だとすれば、霞ヶ関からこうした対米追従的発想がなくならない限り、日本政府は米国との真の友好・協力関係を築けない」
 そのうえ、マイクロソフトは各国政府調達のオープンソース化の阻止に躍起になっており、ビル・ゲイツ会長も海外訪問を活発化させている。同社が将来、米商務省などを巻き込んで『ガイアツ』をかけてくる可能性は否定できないだろう。かつて日本は外圧に負け、国産OSであるトロンを闇に葬ってしまった前歴もある。同じ轍を繰り返さないという保証はあるだろうか。

省庁がオープンソースを支援するというジレンマ

 さらにもうひとつ、一連のオープンソース議論の中で忘れ去られている重要なテーマがある。
 それは官公庁という「お役所」が、果たしてオープンソースというきわめて自由な文化とうまくつきあっていけるのかどうかという問題だ。
 経産省は従来、情報処理振興事業協会(IPA)を通じ、企業に補助金を出すことでソフトの研究開発を支援してきた。だがオープンソースの中核は、ボランティア的な共同作業を行うプログラマーたちのコミュニティー(共同体)だ。従来の枠組みではオープンソースコミュニティーをうまく支援していくのは難しい。関係者のひとりは「個別のプログラマーに直接支援する方法を模索するなど、経産省としてもどう支援するのか考えあぐねているようだ」と話す。
 振り返ってみれば、省庁のソフト開発支援は過去、大半が失敗に終わっている。その最大の“前歴”は、旧通産省が1985年から5年間かけて取り組んだ「シグマ計画」だ。250億円もの巨費をかけ、国産の独自コンピューターを作ろうとした国家プロジェクトは、まったく何も生み出さないまま灰燼と帰した。経産省のオープンソース支援がうまく始動するかどうか、不安は尽きない。
 とはいえ、プログラマーたちを何らかの形で支援していこうという動きは少しずつ始まっている。たとえば昨年夏に作られたNPO「フリーソフトウェアイニシアティブ(FSIJ)」。オープンソースに関わっているプログラマーを組織し、コミュニティーの形成や情報交換、啓発活動などを支援するというこのNPOには、経産省も支援を表明している。こうした枠組みが窓口となり、プログラマーやコミュニティーに対する支援が実現していくという期待はできるだろう。いずれにせよ、まだ日本でもオープンソース文化は始まったばかりなのだ。