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佐々木俊尚 Toshinao Sasaki


注目を集めるeラーニング市場の現状と課題

 インターネットで教師と生徒を結び、遠く離れた場所でも双方向の教育を行えるというeラーニング(電子学習)が注目を集めている。実際、さまざまな調査報告書には、今後eラーニング市場は大きく普及するというバラ色の将来像があふれている。たとえば経済産業省の外郭団体「先進学習基盤協議会」(ALIC)は、今年のeラーニング国内市場を約1700億円と推算。これが2010年には約6500億円に達すると予測している。市場調査会社のIDCジャパンも国内市場は06年に、01年の倍の約1500億円に達するとみている。
 こうした予測を後押ししているのは、ブロードバンドの圧倒的な普及だ。eラーニングを実現するためには、太い帯域の通信インフラを使ってフルカラーの動画や高品質な音声を自由にやりとりする必要がある。アナログモデムの細い回線では、実用的なeラーニングサービスを提供するのは事実上不可能だった。しかしADSLやFTTHの登場でブロードバンドが一気に普及し、加入世帯数は1000万を突破した。
 さらに政府も、e−Japan戦略の中で、重点計画のひとつとしてeラーニングの支援を盛り込んでいる。
 普及の機は熟したともいえるのだろう。
 そしてこの状況に、教育業界――特に少子化によって市場の縮小を迫られている学習塾や予備校、受験出版などの業界もビビッドに反応した。主要な教育企業の多くが、伝統的なビジネスからeラーニングへと大きく舵を切り始めているのだ。
 たとえば受験参考書の老舗である旺文社は不採算部門の書籍・雑誌をリストラし、TOEICなどの英語資格を取るための社会人向け教育教材や子供向けの英語教材を、すべてeラーニング対応コンテンツに転換する方針を明らかにしている。また大手学習塾の中にも、教室で行われている授業をネット経由で提供するサービスをスタートさせるところが現れ始めている。少子化で子供の数が少なくなっていく中、eラーニングによって生徒を幅広く集めていこうという戦略といえる。
 こうした状況だけを見れば、電子教育市場は今後、爆発的に普及しそうに見える。
 しかし、筋書きはそう簡単には進みそうにない。
 電子教育ビジネスを行っているITメーカー社員が語る。
 「eラーニングは大きく分ければふたつの分野があります。ひとつは英語や受験学習などの個人向けビジネスで、もうひとつが企業向けの社内研修や従業員教育。現在マーケットが大きく立ち上がりつつあるのは後者であり、前者の英語教育などの分野はまだ市場といえるほどの規模にもなっていません」
 企業向けのeラーニングが活況を呈している理由は、明らかだ。企業が導入する最も大きなモチベーションは、教育コストの削減だろう。社員を1カ所に集めて行う研修には莫大な費用がかかる。担当している進行中の案件をストップさせ、研修に参加させる無駄も馬鹿にならない。貴重なビジネスチャンスを逸する可能性もある。企業にとっては、社員研修は面倒な労務問題のひとつだった。
 これに対し、eラーニングであれば社員が空いている時間を有効に活用して学習に取りかかることができ、交通費や宿泊費などもいっさいかからない。メソッドも平準化されており、教育内容や評価にばらつきが出てくる心配がないことも大きい。
 長引く不況の中、コスト削減が大命題となっている産業界で、eラーニングの普及は必然ともいえるのだ。実際、前出のALICも今年7月に刊行した「eラーニング白書2003/2004年版」の中で、企業内教育分野の成長が最も大きく、今後も市場の牽引役になると予測している。
 では、もうひとつの分野である語学学習などの個人向け分野はどうだろうか。
 前出のITメーカー社員は「市場規模ははっきりしないが、個人向けサービスがeラーニング全体に占める割合は1割程度ではないか」と言う。実際、日本通信教育連盟(ユーキャン)が昨年末に行ったインターネットのアンケート調査では、「eラーニングを知っている」と答えたのは全回答者数の6分の1しかなく、実際に取り組んでいる人はさらにその1割に過ぎなかった。順調に離陸しつつある企業向けサービスと比べれば、かなりお寒い状況にあるのは間違いなさそうだ。
 原因はどこにあるのだろうか。
 楽観的な分析としては、ブロードバンドの普及がまだ緒に就いたばかりで、eラーニングを普及させるまでに至っていないという見方がある。今後、ブロードバンドが生活に浸透していけば、英語の勉強などにeラーニングを利用する人はどんどん増えていくだろうというのだ。
 だがもっと厳しい見方もある。それはeラーニングという仕組みに内在する問題があるのではないかという分析だ。
 大阪市立大大学院の中野潔教授(都市情報学専攻)はeラーニングの伸び悩みの理由について、@eラーニングに携わっている人材の問題Aコストと規模の間にあるジレンマの問題B受講者のモチベーションの問題――などを指摘する。
 eラーニングには、講義全体の設計者や実際の講師、教材の作成者、脱落しそうな生徒を励ますクラスアドバイザーなどさまざまな人材が必要になる。だがこれだけの人材を集めるのは、現状のeラーニング業界ではきわめて難しいという。人材不足に対する不満が高まると、中途脱落者が急増するという結果に終わってしまうという。
 しかもこうした人材をきちんと投入できるのは、数千人以上の受講者が見込めるような大規模なコースに限られてしまう。中野教授は「これではテレビや雑誌と同じように、人気がとれるコースしか用意されなくなってしまい、小回りの利くeラーニングのメリットが薄れてしまう」と言う。
 受講者のモチベーションは、最も深刻な問題かもしれない。教師が目の前にいる学校の授業でも、寝てしまう生徒はいる。強制力のないeラーニングで、飽きずに受け続けるには、生徒の側に何らかの動機が必要になる。企業内研修では「会社の命令だから」「昇進に必要だから」という切実な動機があり、eラーニングの導入に役立っているともいえる。だが英語学習などで、こうしたモチベーションをどのようにして保つのか。
 中野教授は「財界が共同で語学のコースを開発し、語学学校に安価に配付する。さらに企業が福利厚生のマイレージを社員に配り、このマイレージで講義が受けられるようにして企業の福利厚生と教育費用の削減に結び付けるなど、複合的な取り組みで対処すれば活路は開けるかもしれない」と話す。
 講師の質の向上と、生徒のモチベーションを両立させようとする取り組みもいくつか始まっている。たとえばベンチャー企業「まなび」は通信インフラに国際電話を使い、コミュニティ型とでも呼べるオンライン英語学校「MANABI.st」を運営している。
 英語学校では講師の獲得が難問となっているが、「MANABI.st」はJETプログラムの経験者である北米在住の若者たちをネットワーク化。JETは国内の各市町村が外国の若者を招き、小中学校などで英語を教えさせるという事業で、OBは北米だけでも約2万人いるという。まなびの大塚雅文社長は「日本が好きで日本人と話したいというOBが多く、また弁護士やジャーナリスト、ホテルマネージャーなど多彩な職業の人がいるため、受講生の側のさまざまなニーズに対応しやすい」と話す。
 講義は国際電話で行われる。希望する講師をホームページで選び、あらかじめ用意された日時の中から希望の時間を選ぶと、北米在住の講師の側から直接国際電話がかかってくる仕組みだ。電話を待つという作業が生徒側にとっては強い義務感につながる。また顔が見えず、ボディランゲージも使えない緊張の中で授業が行われるため、生徒は必死になり、上達も早くなるというメリットもあるという。
 国際電話というインフラは一見、古くさい。しかしこのビジネスモデルは、eラーニングに内在する問題点にある種の解決方法を提示しているようにも見える。まだ黎明期にあるeラーニングの世界。今後はこうしたさまざまな試みによって、普及の道筋が探られていくことになるのだろう。