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佐々木俊尚 Toshinao Sasaki


 米国のパソコンメーカー、ゲートウェイが日本法人を閉鎖し、国内市場から撤退したのは2001年8月のことだった。ネットバブルが崩壊し、パソコン販売が厳しく冷え込み始めていた時期。業績が悪化していたとはいえ、国内のパソコン市場の一角を占めていたプレーヤーの退場には、IT業界関係者の多くが衝撃を受けた。元社員が当時を振り返る。
 「どのようにして日本でパソコンを売っていくのかというビジョンは日本ゲートウェイの経営陣には欠落しており、会社は迷走状態にあった」
 この元社員によると、撤退の直前、ゲートウェイのトレードマークでもあった牛のデザインを前面に出したイメージ戦略を展開しようという動きもあったという。だが米国本社からの「ゲートウェイはハイテク企業であり、そうしたイメージ戦略に堕落するべきではない」という意向で、このプロジェクトはあえなく潰えたとされる。パソコンがその後、加速度的にハイテク商品からコモディティ(日用品)へと変化していったことを思えば、この判断はあまりにも先見の明に欠けていたと言えないだろうか。
 この当時、経営不振に陥っていたゲートウェイは、日本以外もオーストラリア、シンガポール、マレーシアなどの現地法人を閉鎖。さらに欧州市場からも撤退し、米国市場への注力を発表していた。しかし2年を経た現在も、ゲートウェイの収益は回復していない。米調査会社ガートナーの統計によると、今年第2四半期の米国内パソコン出荷台数は、上位2位を占めるデル・コンピュータやヒューレット・パッカード(HP)が2ケタ台の伸び率を見せているのに対し、4位のゲートウェイは前年比24%もの減少。シェアも前年同期の6・1%から4・2%にまで落ち込んでいる。
 一方のデル・コンピュータ。グローバル市場、国内市場の双方を見ても、そのひとり勝ちぶりは鮮やかだ。
 今年の第1四半期(2〜4月)決算では、売上高は前年同期比18%増の95億3200万ドル、純利益は5億9800万ドルに達し、前年比31%もの増益となっている。この好調の背景には、アジアパシフィック地域で出荷台数が前年比40%増もの急成長を達成したことがある。マルチメディア総合研究所によると、2002年度の国内PCサーバの出荷台数でデルコンピュータだけが唯一、12・5%増と2ケタ成長を達成し、NEC、富士通に次ぐシェア3位にのし上がった。他のメーカーが軒並み売り上げを減らしている中で、際だった成長ぶりだった。
 その成功の秘訣は、すでにさまざまな場所で語られている。徹底的なサプライチェーンの見直しとサポート体制の充実。高い顧客満足度と圧倒的な低価格を同時に実現した。最先端のテクノロジーを使った突出した製品ではなく、オフィスでも家庭でも日用品として使いこなせる製品――それがデルの作るパソコンだった。その戦略は、IT不況によるパソコン市場の冷え込みと、コモディティ化によるパソコンの低価格化というふたつの大きな流れにきわめて的確にマッチしたといっていい。
 それに比べ、ゲートウェイの敗因は明らかだ。
 デルコンピュータが徹底的な生産管理によって低価格攻勢をかけ続けるのに引きずられ、価格競争に耐えきれなかった。世界的なパソコン不況の中で競合他社はソリューションビジネスへと傾斜していき、エンタープライズ分野で成功を収めていく中で、コンシューマー市場から離陸できなかったゲートウェイは、すべてが中途半端な形で終始した。いったい何が敗因だったのだろうか。
 そもそもゲートウェイが創業したのは、1985年。テッド・ウェイト氏がアイオワ州の農場を拠点にしてパソコンの販売をスタートさせた。白黒の牛柄模様の紙箱が印象的な同社のパソコンは、高性能・低価格を武器に80年代から90年代前半にかけてのパソコン市場を席巻。そして日本法人は1995年に設立された。折りしもウインドウズ95が発売され、国内でも空前のパソコンブームが訪れていた。ゲートウェイの製品は米国製という目新しさに加え、それまでの国内メーカーにはなかったサポート体制の充実がパソコンマニアに熱狂的に支持され、業績を伸ばしていった。
 その日本ゲートウェイが2000年代に入って経営を急激に悪化させた背景には、コンシューマー向けパソコンの市場が冷え込んでしまったことがある。撤退直前の2001年第1四半期には、日本法人は約6億円の経常赤字に落ち込んでいた。
 その状況の中で、ゲートウェイはエンドユーザーや中小企業向けのソリューションビジネスへの転身を図ろうとした。「ビヨンド・ザ・ボックス」(ボックスを越えて)と名づけた戦略を打ち出し、パソコンというハードウェアを販売するだけでなく、ソリューションも提供しようとしたのだ。
 このビジネスモデル転換には、先例がある。かつて世界最大のパソコンメーカーだったIBMがそうだ。同社は1999年にリテールから撤退し、企業向けのソリューションビジネスへと転換している。またデル・コンピュータも、企業向けにコンサルティングからシステム構築、運用までをトータルにサポートするビジネスを中核に据えており、大きな収益を上げるようになっている。HPや、後に同社と合併するコンパック・コンピュータも同じ戦略を採っていた。
 だがゲートウェイはこのパラダイムを、明らかに見誤った。同社は2001年夏、日本法人などの閉鎖とともにソリューションプロバイダへの転身を発表する。だが時はすでに遅し――ということだったのだろう。
 ゲートウェイの失敗には、他にもいくつかの複合的要因がある。日本のコンシューマー向けパソコンの市場は当時、NECや富士通などの大手が販売チャネルを握り、ブランドイメージも確立していた。高性能パソコンを次々と投入してマニア向けでは人気を集めたゲートウェイだが、一般消費者の支持を得るまでには至らなかった。
 後に同社のウェイトCEOは、米メディアの取材に「日本の市場に対応できなかった」「米国民に認知されているようなブランドイメージやパートナーシップを日本では獲得できなかった」と敗退の理由について語っている。
 同社のパソコンは最後まで、マニア向けの高性能な“玩具”だった。それはパソコンを「夢の機械」と考えた時代の名残でもあり、そしてゲートウェイが熱狂的に愛された理由にもなった。しかしその戦略は、パソコンが日用品化していく時代の中にあって、結果的にはゲートウェイの足を引っ張る結果となったのだ。