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佐々木俊尚 Toshinao Sasaki
そもそもe-Japanとはいったい何だろう。その総体は巨大で、ひとことで説明するのは難しい。だが簡単に言えば、IT社会を実現するために政府が実施する法整備や施策の総称のことだ。そして当初2001年の「e-Japan重点計画」では220もの施策が発表され、さらに昨年の全面改訂版では施策数は318にもふくれ上っているから、いかに規模の大きいものかが想像できるのではないだろうか。
e-Japanを象徴するもっとも有名な言葉は「5年以内に世界最先端のIT国家となる」というものだろう。
その構想の源流は実は、はるか昔にまでさかのぼることができる。まだほとんどの日本人がインターネットを使ったことがなかった1994年、ITにとっては“古代”といってもいいほどの時代の話だ。当時の村山富市内閣が高度情報通信社会推進本部という組織を設置したのが、その先駆けと言えるだろう。だがこの当時は、まだ政府内部にも永田町にもIT(という言葉はまだ存在していなかった。『コンピュータ社会』といった用語が一般的だった)に対する理解度はきわめて低かったといっていい。国会議員のオフィスが入る議員会館で、インターネットに接続できる環境を持った事務所は皆無。パソコンを導入している議員事務所もまだ少数派だった。そんな状況だったから、この当時に設置された推進本部の有識者会議のメンバーも、漫画家や労働組合の幹部など今振り返れば「?」と思わせるような人選もあった。政府も何をどうすればいいのかよくわかっていなかったのかもしれない。
こうした手探りの状態から脱し、e-Japanの具体的な戦略が少しずつ見えてきたのは、森喜朗内閣が登場してからのことだ。小泉内閣と比較すればあまりにもイメージが悪く、「無責任」「失言ばかり」とさんざんな言われようだった森首相だが、国家のIT戦略をきちんと行動計画に落とし込んだ成果だけは歴史的にもっと評価されるべきかもしれない。もっとも、それは森首相個人の成果だったかと言われれば返答に詰まるのだが……。
ともかく、森政権の功績でもっとも大きかったのは、出井伸之・ソニーCEOを議長にしたIT戦略会議を立ち上げたことだった。メンバーには村井純慶応大教授や孫正義ソフトバンク会長、椎名武雄日本IBM最高顧問、そして後に経済財政政策担当大臣となる竹中平蔵・慶応大教授らITのことをきちんと分かっている役者がそろっていた。このスタッフィングの意味は大きい。それに加えて森内閣はIT担当相も設置し、実務レベルでも省庁が本腰を入れてIT施策に取り組む体勢づくりを行った。
これほどまでにドラスティックなIT政策を打ち出せた背景には、IT社会化に対する危機感がきわめて高かったことがある。
その最大の問題は当時、日本国内の電話料金が高止まりし、その結果、ダイアルアップが主流だったインターネットの接続料金もきわめて高い価格で推移していたことだった。2000年版の通信白書を読み返してみると、当時はニューヨークと東京で接続料金に2倍近くの差があったことがわかり、今更ながらに驚かされる。その後ADSLが普及し、ヤフーBBショックで価格破壊が進み、現在は東京が月額2000円台でADSLを使えるのに対し、ニューヨークは6000円近い値段。今ではその価格差は完全に逆転してしまったわけで、何とも隔世の感がある。
しかし当時は、「このまま進めば、日本はIT革命から完全に取り残される」という絶望的な危機感が政府内部やIT業界には蔓延していた。
これに加え、90年代後半から深刻化していた不況の時代状況も色濃く影を落としていた。当時は、こんな風なストーリーが信じられていたのだ――IT革命によって経済構造をがらりと変えてしまえば、このひどい不況から脱出できる。実際、米国も「ニューエコノミー」の名の下に80年代の悲惨な不況から脱却し、わが世の春を謳歌しているではないか――。そんなバラ色の夢が本気で信じられていたのだ。
しかしIT革命による景気浮揚というのは、実は幻想でしかなかった。それに人々が気づいたのは、2000年代に入ってネットバブル、ITバブルが崩壊してからのことになる。
とはいえ、目先の景気浮揚だけがe-Japanの目的だけではない。その意味で、当初とはe-Japanに関する政府の内心の目論見は変わってきているのかもしれない。だが目先の景気浮揚という短期的な目論見が消滅した今だからこそ、IT社会化という長期的なビジョンの持つ意味の重要さが改めて問い直されているということも言えるのかもしれないのだ。
この不況の中で、政府が国家予算を使ってe-Japan戦略を進めてきたことのメリットとデメリットは改めてきちんと認識しておく必要があるだろう。
デメリットと言えるのは、この3年間に施策の改定は行われたとはいえ、戦略そのものの軌道修正がきちんと行われてこなかったことだ。これはある種、「軌道修正はできない」っていう官僚の習い性のようなものが遠因にあるといえるだろう。しかしITバブル崩壊時にe-Japanの何らかの見直しはするべきだったのではないかという指摘は少なからずあるし、IT不況のために民需が縮小し、電子政府事業などでふんだんな予算がついているe-JapanにIT企業が群がってしまう構図になってしまっているという問題、ITゼネコンを生み出してしまっているのではないかという問題もある。つまり。e-Japanが苦境に陥ったIT企業の救済策に陥ってしまっているのではないかという批判だ。
逆に、そうやって不況に影響を受けずに社会のIT化を着実に推進してこれたことに関しては、肯定的な見方もある。政府の施策だからこそできた規制緩和や事業は少なくなく、この着実さがあったからこそ、ブロードバンドの普及も圧倒的なスピードで進めてくることができたと言えるのだ。
こうした功と罪に関しては、これから長い期間をかけて検証されていくことになるのだろう。
■ブロードバンド
たいへんな勢いでブロードバンドの普及が進んでいる。
この2月末の数字では、DSLが約659万人。FTTHの26万人とCATVの203万人を合わせると、888万人にまでなっている。e-Japan戦略では2001年当初、「2005年までに光ファイバーなどの超高速通信網を1000万世帯、ADSLなどの高速通信回線を3000万世帯に普及させる」という目標を掲げていたことを考えれば、目標年まであと2年を残してのこの成績は、予想以上の好成績といってもいいだろう。もっとも官僚はかなり欲張りというか、「目標達成」という言葉に弱い。これだけの成果でも十分だと思われるのに、さらに別のデータも出してきている。888万人という実際の加入数だけでなく「利用可能世帯数」という数字も使って、「光ファイバーは1600万世帯、ADSLは3500万世帯で利用可能になっている」と説明しているのだ。この数字を根拠にすれば、e-Japan戦略の当初目標はとっくに突破してしまってることになる。
ADSL3500万世帯というのは実現すれば、たいへんな数だ。世帯普及率は75%の大台に達してしまい、“ブロードバンド先進国”の韓国(世帯普及率は約70%)を追い抜いてしまうことになる。もちろん実加入数がそこまでのクリティカルマス(臨界点)に達するには、まだもう少し時間がかかるだろうし、「利用可能世帯数」などという数字があまりにも一人歩きしてしまうと、逆に「ではなぜ実加入数はそれほど低く抑えられているのか?」という批判を生じかねない。とはいえ、それにしてもADSLのサービスが国内で始まった2000年末ごろを振り返ると隔世の感があるのはまがうことのない事実ではある。
ではなぜ、ブロードバンドはここまで普及することができたのだろう。政府関係者は「e-Japan戦略により、規制緩和で条件を整えることができたからだ」と胸を張る。確かにe-japan戦略の果たした役割はきわめて大きい。しかしそれは必要条件ではあったが、必ずしも十分条件ではなかったとも言える。いくつかの要因が、複合的にからんでいたのだ。
まず第一に政府の果たした役割を見ると、e-Japanを中核とするIT戦略に基づいてアンバンドルとコロケーションのルールがきちんと作られたことが大きい。アンバンドルとは、光ファイバーの芯線そのものを貸し出す「ダークファイバー」や、光ファイバーの一定の波長だけを貸し出す「波長貸し」などを総称した呼び方のこと。またコロケーションは、DSLAMなどのDSL機器を電話局などの施設内に置く場所を貸し出すことを意味する。通常、ADSLのサービスを提供するためには、加入者宅から電話局までの銅線、電話局内のDSLAM設置スペース、そしてDSLAMからプロバイダまでの中継系の回線の3つが必要になる。しかしアンバンドルとコロケーションでNTTから安く回線やスペースを借りることができれば、すべてNTTにおんぶにだっこで非常に安価にADSLサービスを提供できるようになる。そして安価にアンバンドルとコロケーションを行えるルールを、e-Japan戦略を推し進めていた政府が用意してくれたのだ。
ADSLに関しては、e-Japan戦略がスタートした2001年よりずっと以前、1999年12月から東京めたりっく通信がサービスを開始していた。しかし当時、東京めたりっくはサービスを開始するに当たり、NTT東日本の頑強な抵抗にあってたいへんな苦労の連続だったのだ。同社からの工事の申し込みを1件1件、申請用紙のファクス受信でしか受け付けないといった今では想像もできないような嫌がらせが横行し、当然のように普及のスピードもかなり低調だった。
この状況が変わり始めたのはe-Japan戦略が発表される前年、2000年後半に森首相の諮問機関であるIT戦略会議が本格的に始動し始めてからだ。注目すべきなのは、このメンバーにソフトバンクの孫正義会長やNTTの宮津純一郎社長(当時)が入っていたことだろう。当時の戦略会議を知る関係者によれば、ヤフーBBのADSL事業をすでに立ち上げていた孫社長がIT戦略会議の席上でADSLに対する規制緩和を強烈にぶち上げ、政治力も駆使して安価なコロケーションやアンバンドルを推進させ、そして同じ戦略会議のメンバーに入っていたNTTの宮津社長もその政治力に巻き込まれていったのではないかという。そして戦略会議の中枢や政府側もADSLの普及が日本のブロードバンド実現の最短距離であることは承知しており、だからこそあえて孫社長の戦術に乗っかったのではないか――というのだ。
NTT側の抵抗はなかったのだろうか。
実はこの時期、NTTは別に大きな問題を抱えていた。第二電電など他の通信会社がNTTの電話網を利用する際に支払う回線利用料――いわゆる「接続料」問題がそれである。日本の電話料金が高止まりしているのは、NTTがきわめて高額の接続料を設定しているからだと米国が批判し、日米間での交渉が98年から2000年にかけて行われていた。この料金が値下げされてしまうかどうかがNTTにとっての最大の問題だった。収入源が削られるというのは死活問題だからだ。そんな大きな悩みを抱えていたNTTにとっては、東京めたりっくやヤフーBBなどのベンチャー企業が立ち上げたばかりで、海とも山ともしれないADSL事業など、はっきり言ってどうでもいい問題だったのだ。関係者によれば、NTTは接続料交渉を優位に運ぶため、その“身代わり”として安価なコロケーションとアンバンドルを飲んだ、という証言もある。当時のNTTは、まさかADSLがこれだけ普及するとは思っていなかったのだろう。NTTのそもそもの構想は、まずアナログ電話をすべてISDNに移行させ、光ファイバーの敷設をじっくりと進め、その後でゆっくりとラストワンマイルもFTTHに移していく――という軟着陸的構図だった。だから東京めたりっく通信のADSLが登場したときは、NTTは「これから光ファイバーの時代に入っていくのに、アナログ回線を利用して時代に逆行するようなADSLは許せない」という姿勢だったわけだ。NTTもまさかその後、自社もADSL事業に参入し、ソフトバンクとの間で血みどろの消耗戦争を繰り広げることになるとは想像もしていなかっただろう。
いずれにせよ、ADLSを中心とするブロードバンドの普及は、e-Japanによる条件整備に加え、NTT側が無防備だったことがその原動力になったと言える。
そしてもうひとつ、忘れてはならないのは、ヤフーBBによる価格破壊だ。あの強烈なデフレ価格がなければ、ADSLもここまで普及しなかったはずだ。その意味でヤフーBBの功績というのは非常に大きい。
その価格の秘密はどこにあったのだろうか。ソフトバンクのコストダウン努力ももちろん少なくない。しかしそれに加え、やはい安価なアンバンドルを利用できたことは大きい。自前で回線を引く必要がなく、値段の安いNTTの設備を使えたからこそ、あの値段は実現できたとも言える。そう考えれば、あの衝撃的な値段でADSLを提供できる条件を整備してくれたe-Japan戦略の役割はやはり大きかったと言わざるを得ない。ブロードバンドの普及に関して言えば、政府がe-Japan戦略で進めた施策は非常に功を奏したといえるだろう。
■教育
e-Japan戦略では、ブロードバンドの普及の次に教育・人材の育成を掲げており、きわめて重要視されてきた分野のひとつだ。2001年当初のe-Japan重点計画でも、「すべての小中高等学校へのネット接続」や「すべての公立学校教員(約90万人)がコンピュータの活用能力を身につけるなど、全教員のIT活用指導力向上」などといった施策が発表された。
そして翌2002年の改訂版「重点計画2002」では、2005年までに全国の公立小中高等学校の全教室45万にインターネット接続できる環境を整備する」とさらに一歩踏み込んだ。
このe-Japanの教育政策は、新学習指導要領に基づいて昨年から今年にかけて小中高等学校でスタートしている新教育過程と密接な関係を持っている。この新教育課程では、「総合的な学習の時間」という科目の中でパソコンやインターネットを利用することになっているのだ。また中学校では技術家庭科の中で「情報とコンピューター」という単元が大きく扱われるようになり、高校では必修の普通教科として「情報」が新しく設けられた。
e-Japan戦略の目玉のひとつである「全教室のインターネット接続」は、こうしたIT教育を支えるインフラとして考えられているというわけだ。e-Japanではもうひとつの学校政策として「2005年度までに、コンピュータ教室における1人に1台使える環境を作る。普通教室にも整備し、パソコン1台あたり児童・生徒5.4人の割合を達成する」と掲げている。実現すれば一般的なIT企業並み……とまでは言えないものの、ひと昔前の大企業並みぐらいのパソコン環境はできあがることになる。
とはいえ、じゃあそれでいったい何を誰が教えるのか――というソフト面の話になると、かなりお寒い現実が広がっている。
教育現場で長くパソコン教育を実践してきた中学教諭は、「これまでパソコンを使った教育といえば、好きな先生が自分で努力して模索してきただけ。個人的な努力に負っていたのが現実」と話す。新教育課程でコンピュータ授業が必修になり、促成栽培的に教員向けのさまざまな講習会が開かれるようになってはいる。しかし今までパソコンもろくに触って来なかった中高年の教員がいきなり情報の授業を行えるようになれるかといえば、かなり心許ない。おまけに都道府県や市町村の教育委員会レベルでIT教育の取り組みが必要になり、これまで学校現場でパソコンを使って授業を行っていた教師の多くが教育委員会に異動させられ、学校現場ではパソコンをまともに操作できる人がいなくなってしまった――という笑うに笑えない状況さえ生まれているという。
教科の内容そのものの問題もある。IT教育に詳しい朝日大学の奥山徹教授は「たとえば新しく高校の必修科目になった『情報A』では、パソコンの操作方法やアプリケーションの使い方を覚えるだけ。アルゴリズムの考え方やコンピュータをどのように応用できるのかなど、ロジックの部分をきちんと教える視点が完全に抜け落ちている」と指摘する。
さらに、全教室にインターネット接続を導入するというインフラ整備にも、実は問題がある。それはセキュリティだ。
奥山教授は「中学や高校になると、教師の能力を遙かに凌駕するハッカー的なコンピュータスキルを持った生徒がたくさんいる。そういった生徒がネット接続された教室内のパソコンを自由に操作し、いたずらなどを行ったとしても、教師にはまったく何が起きているのかわからない――といったことになる可能性もある」と警告する。実際、「全教室にネット接続を」という重点計画が発表された昨年以降、セキュリティ業界では「実現すれば、発信元が学校になっているアタックやDDOS(分散型サービス拒否)攻撃が多発するのではないか」という不穏な推測がささやかれている。
■電子政府
電子政府と電子自治体。e-Japan戦略の中でももっとも大きなカネが動き、それだけにIT業界からももっとも注目を集めている政策だ。電子政府というのは、政府調達や申請、認可手続きをインターネットで行えるようにする仕組み。また電子自治体は電子政府の自治体版で、主に住民向けにワンストップの行政サービスを提供しようというものだ。昨年、プライバシー保護の観点から問題化した住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)も、e-Japanの電子自治体政策のひとつである。
とりまとめているのは総務省だ。同省によれば、政府の申請、認可手続きの電子化率は昨年度末で54%。今年度中には98%にまで達し、約1万3000件の手続きがオンラインで行えるようになるという。また自治体レベルの電子化は今後本格化する見通しだが、同省によると、02年から05年の間に生まれる電子自治体の市場規模は約2兆5000億円。政府の電子化よりも全体の規模はずっと大きいものになるとみられている。たいへんなカネが動くことになるのだ。実際、IT大手各社は社内に「e-Japan戦略推進部」「e-Japan推進本部」といった名称で専門部署を設置し、自治体からの受注合戦にしのぎを削っている。
しかしこの電子政府・電子自治体、数あるe-Japan戦略の施策の中でも、かなり問題が多いと言わざるをえない。
特に問題となっているのは、電子自治体。人材が豊富な中央官庁と異なり、市町村レベルとなるとIT――しかも基幹系のシステムが理解できる人材はかなり乏しい。電子自治体を推進しようと思っても、現実にはそれを回していくスタッフが見つからないのが実態なのだ。結局、大手ITメーカーなどにシステムを丸投げし、そうした大手メーカーが地場のIT企業に下請けさせてシステムを開発・運用させるという構図になってしまうのだ。いわゆる“ITゼネコン”化である。
ある独立系IT企業のe-Japan担当者は打ち明ける。
「自治体の基幹系システムはどこも富士通、NEC、日立製作所、それにNTTの4大グループががっちりと握ってしまっている。メーンフレームで組まれたシステムの仕様は受注メーカー側しか把握しておらず、自治体側の担当者さえよくわかっていない。他の企業グループが参入するのはきわめて難しい」
さらには入札の仕組みにも問題がある。問題の多い安値落札システムが相も変わらず採用されているため、初期導入の際に安値で入札し、保守運用でガッポリ儲けるといういびつなビジネスが今も横行しているのだ。いや、ITバブルの崩壊で民需が縮小し、e-JapanがらみのビジネスがIT業界の“救世主”となりつつある現状では、そうした手法はますます増えているといっていいかもしれない。
こうした批判に応えて中央官庁では、CIO(統括技術責任者)制度の導入や、技術力なども評価基準に取り入れた新たな入札システムの採用などに動き出している。また自治体側も、独立系のIT企業と組んで地場企業の技術者養成に乗り出すなどさまざまな方策を打ち出しつつある。だがこうした取り組みが成果を生み出すのは、かなり先のことになりそうだ。
e-Japanの電子自治体政策については、ほかにも問題が山積している。たとえばLGWAN(Local Government Wide Area Network)。全国約3300の自治体を専用回線で相互接続し、これに中央官庁の霞ヶ関WANもつないでしまおうという壮大な構想で、2001年秋から整備が始められた。ところがこのLGWANに接続するためのシステムを整備するには数千万円もかかり、予算規模が数億円の町村となると手が届かないレベルだ。実際、今年3月に総務省がまとめた調査結果によれば、LGWANに接続している区市町村はわずか351。全体の1割にしか達していなかった。個人がネット経由で自治体に申請する場合には、このLGWAN経由で電子認証を行う必要があるのだという。わずか1割の自治体しか接続しておらず、国民の大半が電子認証を利用できないというのでは、電子政府・電子自治体の完全な実現は難しいのではないだろうか。
■第二ステージへ
政府は5月15日、e-Japan戦略の第2ステージとなる全面改訂版「IT基本戦略U」案を発表した。今後、パブリックコメント手続きにより同案に対する国民の意見を広く募集し、6月下旬に政府方針として正式決定することになる。
政府は2001年にe-Japan戦略をスタートさせ、主にITのインフラ整備を中心にさまざまな施策を進めてきた。「5年以内に3000万世帯への高速インターネット接続、1000万世帯に超高速インターネット接続を実現させる」「5年以内に世界最先端のIT国家を実現する」などとした“公約”はあまりにも有名だ。当時は「夢物語のような目標」と現実味のなさが批判もされたが、その後の2年間でブロードバンドは爆発的に普及。この公約には追いつかなかったものの、1000万世帯がADSLなどでブロードバンドに加入しており、現実に世界最先端のインフラを実現させてしまった。
今回のIT基本戦略Uは、インフラ整備中心だった基本戦略からさらに一歩踏みだし、ITのコンテンツ面での普及を進めることが最大の眼目となっている。「IT利活用により、『元気・安心・感動・便利』社会を目指す」というスローガンはかなり恥ずかしい感じもするが、利用面の重視という方向性は間違ってはいないだろう。
その内容は多岐に渡っている。分野を医療・食・生活・中小企業金融・知・就労労働・行政サービスという7ジャンルに分け、次のような取り組みを打ち出している。
(1)医療 電子認証のインフラを作り、電子化したカルテをネット経由で他の病院などに転送できるようにする。これによって、たとえばかかりつけのホームドクターが、患者の他の病院での検査結果などを参照できるようになる。また健康保険の診療報酬業務をオンライン化し、合理化する。
(2)食 国産牛にIDをつけ、狂牛病などが発生したときにどこでその牛肉が生産されたがインターネットで確認できるようにする。他の食品についても同様の追跡システムを実現する。また食品流通の世界に電子商取引を実現させる。
(3)生活 お年寄りの家に安否確認やビデオ会話が可能なシステムを普及させる。ドアの施錠と連動した台所の消火確認や、ネットで注文した商品のITロッカーでの受け取り、犯罪・災害時の緊急通報システムの実現なども進める。
(4)中小企業金融 信用保証のシステムのオンライン化や電子手形サービス、売掛金のエスクローサービスなどの実現で、中小企業が融資を受けやすい環境を作る。
(5)知 インターネット経由での双方向遠隔授業を普及させる。またコンテンツの競争力を強化するため、クリエイターやプロデューサーを輩出させる教育環境を充実。デジタルコンテンツの著作権システムも整備する。
(6)就労・労働 電子的な手段で求人・求職情報を入手できるようにする。テレワーカー(ITを週に8時間以上活用し、時間や場所に制約されない働き方をする人)の制度の環境整備を行い、テレワーカーが就業人口の2割になることを目指す。
(7)行政サービス 24時間365日ノンストップのワンストップ行政サービスを実現する。行政の効率化を進め、予算を減らしてサービスを向上させる。
並べてみると分かるのは、実現の可能性がきわめて具体的かつ詳細である分野と、そうではない分野がくっきりと分かれてしまってることだ。たとえば医療や食、中小企業金融、行政サービスといった分野では、これから進めるべき政府の仕事はきわめて明確に述べられており、その内容も現実的で着実だ。
しかしその一方で、知や就労・労働などの分野はその理念は立派ではあるものの、あまりにも理念が先行していて現実味は乏しいと言わざるを得ない。たとえば知の分野ではクリエイターを輩出させるための教育環境に言及されているが、政府が音頭を取ったからといって優秀なクリエイターが続々と生まれてくるものなのだろうか。またコンテンツの著作権問題に関しても、日本の著作権の枠組みの複雑さと、インターネットコンテンツへの転用の難しさは以前から指摘されてきている。政府が率先して施策を進める以前に、テレビや出版などの業界内でまず決着すべき問題だろう。
就労・労働分野での「テレワーカー2割実現」という目標もそうだ。在宅勤務に関しては、もう10年以上前から促進が進められてきている。それが普及しないのはITの普及が遅れているためではなく、社会がそうした労働形態をどう受け止めるかという枠組みの問題だろう。
ファーストステージのインフラ整備と比べ、IT戦略のセカンドステージはITの利用面を全面に打ち出している。しかしこのレイヤーへと進んでくると、政府の仕事はますます難しくなってくる。政府内各官房IT対策室の関啓一郎・内閣参事官も本誌6月号のインタビューで、「われわれは今まで以上に難しいことにチャレンジしなくてはならなくなってきている。今後はより、民間に努力していただくことが必要になる」と話していた。今後は民間の努力を、政府がどう支え、そしてどの程度にまで成果を出していけるかという難しい局面に入ってきている。
■インタビュー
政府はこれまでのe-Japanの成果をどうとらえ、今後どの方向へと進もうとしているのだろうか。内閣官房IT担当室の関啓一郎・内閣参事官に聞いた。
――e-Japanがスタートしてから丸2年が経つわけですが、当初の段階と今ではかなりITをめぐる状況も変わってきていますね。
e-Japanはもともとの発想はキャッチアップ戦略で、とにかく遅れないように頑張ろうという考え方が根底にあったわけです。遅れとは何を指しているのかと言えば、2000年当時の日本はインターネットの接続が従量制中心で、しかも料金が高かったというのがひとつ。それから政府や自治体への申請で書面や対面を必要とするものが多く、これがオンライン化を妨げているのではないかという認識があり、政府として何とかしなければならないと考えていた。
――これまでのe-Japan戦略を振り返って、どう総括されていますか。
この2年で何が起きたかといえば、光ファイバーに関しては世界最先端になりました。ADSLも加入可能世帯数が3500万を超え、料金が世界でもっとも安くなった。これによって当初の問題点のひとつは完全に消えたわけです。それから法制度を変え、民と民の間で書類を必要とするような申請関係の法律はすべてなくなり、民と官の間に関しても電子政府オンライン法によって手続きがオンラインでできるようになった。人材も550万人のIT講習などでレベルが上がり、学校でもインターネット接続がほぼ100%実現した。サプライサイドの環境はできあがってきたといっていいでしょう。
――ブロードバンドの普及に政府はどの程度の役割を果たしたと考えられていますか。
政府の役割はかなり大きかったと思っています。ADSLはサービスを提供しようと思ったらすぐにできるわけではなく、アンバンドリングやコロケーションなどの環境を整備するのが非常に重要なのです。各国ともこの整備を進めてきたのですが、日本はその中でもかなり早くから取り組みを進め、相当なスピードで実現することができた。もちろんソフトバンクをはじめとする民間の努力がなければこれほどまでの普及は実現できなかったわけですが、参入できる基盤として規制環境を整えてきたのは政府です。実際、ソフトバンクの孫正義社長も私に「ここまで(規制環境ができていなければ)ADSLをやる気はしなかった」と漏らしたことがあります。
――サプライサイドの環境はe-Japanのファーストステージで整った。では次はどうするか、ということになりますね。
e-Japan戦略を作って2年が経ち、最初の戦略を作ったときの状況とはかなり変わってきた。その状況変化を踏まえ、見直そうという声が戦略本部の中で上がってきたわけです。今年の夏に向け、有識者による専門調査会で新IT戦略の内容を詰めているところです。同時に新戦略をもとに各省庁で新たな施策を考えてもらい、e-Japan新重点計画として作業を進めてもらっているところです。
――どのような内容になるのでしょうか。
専門調査会の村井先生(村井純・慶応大学教授)もおっしゃっているのですが、ここまでブロードバンドが普及すればみんながインターネットを使ってくれるだろうと当初は思っていた。もちろん利用者数は増えてはいるけれど、それだけではないということがわかってきたわけです。そしてインターネットは使ってもらうことが目的なのではなく、それを使うことで日本をどうするか、ということを考えなければならない。IT革命によって日本をよくしたい、というのがそもそもの目的だったわけですから、今後はより形になる成果を求められる時期になってきていると言えます。それが新戦略にある「ITの利活用」という言葉になるわけです。たとえば現在、専門調査会で話し合われているのは、ITによるBPR(Business Process Reengineering:企業などで業務の内容やフロー、構造などを最適化すること)を徹底的に進めようといったことです。政府も民間も、業務の手続きの効率化をITによって進めることで競争率を高めていこうという考え方ですね。
ほかにも、ITを使った新しい産業群を作ろうという話。個人ベースでは、国民がITの公用を実感できるようなものを作らなければいけないという話。あるいは利活用だけでなく、ユビキタスネットワークなど新しい次世代の通信基盤の検討なども進めています。
――ITの利用の促進というレイヤーでは、政府主導でことを進めるのはかなり難しいのではないでしょうか。
それは確かにそうです。われわれは、今まで以上に難しいことにチャレンジしなくてはならなくなってきている。今後はより、民間に努力していただくことが必要になるでしょう。政府の仕事は100点が取れないとマスコミから批判され、国民からおしかりを受けることになってしまうので、つらいところです。しかし今回は、やや高い目標を掲げ、それに向かってみんなで頑張るのが大事だと思っています。極論すれば、100点は取れなくてもいいと思っている。頑張る過程の中で、とにかく80点でもいいから合格点を取って前に進んでいくのが大事だと考えています。
■まとめ
2年間にわたって推進されてきたe-Japan戦略はわれわれの生活にどんな影響を与え、そしてこれからどこに向かって日本社会を導こうとしているのだろうか。
表1は、政府IT対策室がこれまでのe-Japanの成果として挙げている内容だ。読んでみればわかるとおり、いずれもキャッチアップ的な条件整備にとどまっている。もっとも大きな成果はADSLなどブロードバンドの爆発的な普及で、これに関しては前のページでも説明したように、政府の果たした役割は確かに大きい。総務省がNTT回線のアンバンドル政策を協力に推し進め、安価にダークファイバーなどを提供できる環境を整えなければ、ここまでADSLが普及することはなかっただろう。しかし逆の見方をすれば、実接続世帯数800万、接続可能世帯数3500万という数字は、ヤフーBBなどが価格破壊を起こしたサービスを投入した結果、世界でも例を見ない安価な回線料金に引きずられる形で加入者が増えていったのに過ぎない。ブロードバンド先進国である韓国が、オンラインゲームやビデオチャットなどのキラーコンテンツによってブロードバンド需要が喚起され、自律的に普及していったのと比べれば好対照なのだ。
あるNTT幹部は「ADSLの普及では韓国に遅れを取ったが、FTTHでは日本は十分巻き返すことができる。逆にADSLが普及し過ぎた韓国は、超高速の双方向ネットワークを実現するFTTHでは遅れを取る可能性は高い」と胸を張る。確かにインフラの条件面だけを見れば、日本にはFTTHが普及する土壌はすでにできあがっていると言っていいだろう。だがADSLの倍以上の料金がかかり、しかもスループット10Mbpsクラスの高速回線を必要とするようなキラーコンテンツが存在していない現状で、果たしてどれだけの人がADSLから光ファイバーに乗り換えるだろうか。
そう考えると、ブロードバンドに乗せるキラーコンテンツ・キラーソリューションの決定的な不在は、今後の日本のIT化の大きな足かせとなる可能性は少なくない。
同種の問題は、ブロードバンド以外のe-Japan戦略にも色濃く影を落としている。
たとえば電子自治体。制度面での整備は行われ、住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)も稼働し、電子申請もスタートしつつある。「国民がワンストップの行政サービスを受けるようになる」というコンセプトも立派だ。しかし冷静に考えてみてほしい。いったいどれだけの国民が、電子申請のシステムを必要としているのだろう? 多くの人は行政窓口との関わりといっても、ごくたまに住民票交付や免許更新などに利用する程度だ。年に数度の手続きのためにわざわざ電子認証の手続きを行い、面倒なわかりにくい作業をウェブ上で行う気になるだろうか? 果たして電子政府・電子自治体によって国民にどんなメリットが生じるのか。その具体的イメージは現状ではきわめて乏しい。
e-Japanの教育戦略も同様だ。学校現場にITを取り入れるという意気込みはすばらしいが、果たしてITの何を子供たちに教え、IT化によってどんな日本人を育てようとしているのかというビジョンはあまり見えてこない。
そうした批判に応えるように政府は今夏、e-Japan戦略を全面改定し、新しい基本方針「IT基本戦略U」を示すことになっている。
この新戦略では、「ITの利活用面の重視」が新たなe-Japanのステージとして掲げられる。つまり、コンテンツ重視の政策を全面に打ち出しているのだ。
次ページの関・IT対策室次長のインタビューにもあるように、コンテンツ主導による自律的なIT社会の成長には、政府が果たすことのできる役割は少ない。あくまで民間主導であるべきなのだ。そして新IT戦略では、民間が主導すべきIT活用の取り組みとして医療▽食▽生活▽中小企業金融▽学び▽知識・文化▽就労・労働▽行政サービス▽参画――の9つの分野を掲げている。
経済がデフレスパイラルに陥り、民需が縮小していく中で、民間のIT利用のパラダイムを新しいステージへと引き上げていくのは簡単ではないだろう。これまで一定の成果を挙げてきたe-Japanがどれだけ民間を巻き込んでいくことができるか――真価が問われるのはこれからだ。