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佐々木俊尚 Toshinao Sasaki
「e-Japan2で激変する業界構造とビジネスチャンス 連載第3回 国産牛肉の追跡から始める食の安全」
狂牛病(BSE)騒動をきっかけに、食肉を中心とする食品の安全性の問題が大きな注目を集めた。e-Japanの「先導的取り組み」のひとつである食分野でも、目標の第1に次のような計画が掲げられている。
<2004年までに、100%の国産牛について個体識別番号によって移動履歴を追跡できる体制を整備し、2005年までに国産牛の精肉について、生産履歴情報がインターネット等で確認できる体制を整備する。牛肉以外の食品については、その特性に応じたトレーサビリティシステムを早期に開発し、対応する>
その戦略に基づき、今年12月には牛肉管理履歴法(通称・トレーサビリティ法)が施行され、国内で生産される牛肉に10ケタの個体識別番号の表示が義務づけられる。来年末には、売っている肉に添付されているデータを、インターネットで調べられるようになるというわけだ。
トレーサビリティ自体はバーコードなどのレガシーな方法でも実現可能だが、e-Japan構想はこのトレーサビリティシステムを無線IDタグによって実現することを視野に入れている。世の中に存在するすべての食品をユニークなIDで識別し、無線で管理するようにしてしまおうというわけだ。実現すれば、いったいどんなことが起きるのだろうか。
思い切って簡略化してしまえば、それは流通から「曖昧さ」を消し去ってしまうということになる。たとえばわれわれが近所のスーパーの棚に並んでいる加工食品を手に取ったとき、その加工食品がどんな原材料を使い、誰が生産してどのように運ばれてきたのか、わかるすべはまったくなかった。
流通企業の側にとっても、状況はあまり変わらない。自社が販売する製品がいったいどの程度の数が現実に売れ残っており、いつごろ棚から売り切れるのかは、専門家の職人芸的なカンに頼るしかなかった。
だが無線IDタグの出現で、こうした状況は大きく変わる。IDタグによって商品が管理されることで、流通のすみずみまでが見えるようになる。
しかし、問題は山積している。まず第一に、日本の複雑化した流通をどう整理し、すっきりと無線IDタグを導入していくのかという問題だ。多段階化した日本の流通の回りくどさは、世界的にも有名だ。細分化された規格が、その複雑さに輪をかけている。中間マージンの大きさも尋常ではなく、生産農家が受け取れるのは、小売価格のわずか2割強程度だとされている。
1990年代末のネットバブル全盛期、“IT革命”という言葉がもてはやされ、その核心は「流通の中抜き」だと言われた。イーコマースの出現により、生産者・製造業者と消費者がインターネットによって直接結ばれ、流通コストの削減が進むという筋書きだ。
このモデルは決して間違っていたわけではなく、今でも十分に通用する――いや、通用させるべき課題だ。だが現状では、食品の分野における流通の複雑さの解消は進んでいるとはいいがたい。
この問題が解消しない限り、無線IDタグによるトレーサビリティの導入は難しい。
たとえば、現段階でもっともトレーサビリティの先端を走っているはずの食肉業界。だがこの業界でもっとも消費者に近い焼肉店の業界団体、全国焼肉協会の担当者はこう打ち明ける。
「食肉が流通加工された段階で、どのようにしてそのトレーサビリティ情報を川下に位置するわれわれの方に流してくるのか。その調整が現実にはまだまったく進んでいない。大手企業などではITを導入して独自の自社専用トレーサビリティシステムを作り上げているところもあり、そうした社との調整もどうなるかわからない」
ITシステムを導入するには、当然のごとく大きなコストがかかる。焼肉業界でも将来的にはITを活用し、スマートで簡略化されたトレーサビリティシステムを作り上げることを目標にしている。しかし複雑な流通の中で、どのようなシステムがデファクトスタンダードにになるのかが不透明な状況では、軽はずみにシステムを導入するわけにはいかないというのが本音のようだ。焼肉業界では、当面はバーコードを使った簡単な仕組みだけを導入し、IT導入については様子見を続けるという。「政府は『焼肉に付加価値がつくのだから、価格に転嫁しろ』と無責任なことを言ってくるのだけれど、そんなに簡単にはいかない。バーコードを手作業で処理するのはたいへんな作業だが、当面はそれで続けるしかない」と全国焼肉協会の担当者は憤然とする。
流通の問題については、e-Japanでもトレーサビリティと並んで大きな重点が置かれている。
<目標 2005年度までに、食品流通業者のおおむね半数程度が電子的な取引を実現することにより、物流、在庫等の流通コストを削減し、食品流通に係わる事業者の競争力を強化する(後略)>
この目標の下で、農林水産省は野菜や食肉、水産物、花など生鮮食料品のEDI(電子データ交換)標準を踏まえた商品物流管理のシステムを開発し、普及の促進を図るとしている。その手法としては開発の助成と研修・教育が中心となるとみられているが、果たしてこの政策によって流通の構造が変えられるかどうかは疑問だ。
とはいえ、e-Japan第二ステージの眼目は、政府主導ではなく民間の力によって社会全体のIT化を進めるというものだ。トレーサビリティの導入をきっかけに、サプライチェーンの垂直統合がドラスティックに起きる可能性はあり得ない話ではない。
ただ、あまりにも統合が過度に進んでしまう事態ともなれば、今度は別の問題が生じてくる可能性もある。もっとも心配されるのは、プライバシーの侵害だ。たとえば特定の食品――仮に1個のトマトを仮定してみよう。
トレーサビリティーが確立した流通システムの中では、そのトマトがどの産地の何という農家で作られ、どの程度の量の農薬が使われたかがすべて把握される。そしてどのような青果市場を経由し、スーパーマーケットの棚やレストランのテーブルにまでどうやって運ばれたのかもすべてデータとして管理される。
となると、次にやってくるのは、「誰がそのトマトを最終的に買い、食べたのか」という情報の管理だ。垂直統合された巨大な流通企業は、より効率的に流通システムをブラッシュアップするため、顧客への的確なマーケティングを必要とする。何歳ぐらいのどのような社会階層の人がそのトマトを購入しているのかを把握し、その情報をトレーサビリティーシステムと統合させれば、あらゆる人たちに、好みに合わせたどんぴしゃりのトマトを届けられるようになるのも夢ではない。
しかしこのようにしてトレーサビリティ情報と消費者のマーケティングデータが統合されていくことは、個人情報の侵害につながりかねない。流通が可視化され、透明になっていくということは、その流通の末端にあるわれわれの生活をも可視化の波に呑み込まれていく可能性をはらんでいるということなのだ。
話を戻そう。
無線IDタグを中核としたトレーサビリティシステムの導入には、もうひとつ大きなハードルがある。それが、規格の標準化の問題だ。
すでにオートIDセンターとユビキタスIDセンターというふたつの規格が登場している。トレーサビリティの分野では、実証実験をすでに実施しているユビキタスIDセンターが一歩先んじてはいるが、米ウォルマートなどが参加しているオートIDセンターはグローバルスタンダードの地位を奪う可能性があり、どちらが最終的に優位になるのかはまだ判然としない。経済産業省はさらに別の規格を検討しているという情報もあり、問題は政府を巻き込んで複雑化しそうな勢いだ。そして無線IDタグが農産物や食肉業界に本格的に導入されることになってこれば、今度は農林水産省が黙ってみてはいないだろう。また運送業界にからんでくる部分については、国土交通省の縄張りに入り込んでくることになる。そんな混迷した状況にでもなれば、想像しただけでもうんざりしてしまうが……これら関係省庁の垣根を取り払い、統一規格をきちんと作り上げることができるかどうか。無線IDタグが素直に離陸できるかどうかは、こうした規格が統合に向けて歩み寄りの姿勢を見せられるかどうかにも大きくかかってくるだろう。
■トレーサビリティデータベースの可能性
食の分野でe-Japangが実現しようとしているのは、つまりところ流通の革命である。複雑で不透明な食品の流通を一新し、消費者が安心して食べ物を購入できる仕組みを作り上げようということだ。
その基本を押さえておかなければ、トレーサビリティという言葉だけがひとり歩きし、結果的に魂のこもっていない制度になってしまいかねない。外形的事実だけをやたらと重んじる日本社会では、こうした失敗は過去に数え切れないほどある。
青果物の生産履歴情報で先駆的な取り組みを続けているスーパーマーケット、イオンの高橋博・農産商品開発部長は語る。
「トレーサビリティという言葉が流行しているが、その定義は今もはっきりしない。いったいどこまでの情報を管理すれば、安全、安心といえるのか。その担保をきちんと考えないといけない」
同社は取引先の農家と協力し、10年以上にわたって生産情報を手作業で台帳に管理するシステムを作り上げてきた。その成果は、有機農産物を中心としたイオンのプライベートブランド「グリーンアイ」に結実している。
しかし――と高橋氏は言う。「台帳には、たとえばある農家がAという農薬を何月何日にどれだけ使ったかが記載されている。しかしあくまで生産履歴情報管理でしかないトレーサビリティだけでは、たとえば農薬をどの程度撒いたかという農家からの情報をどこまで信じられるか、という問題には踏み込めない。そこに今の問題がある」
その意味で、トレーサビリティは「食の安心、安全」という大きなテーマの中にあるひとつの枠組みにすぎないということになるのだろう。
同社は今年、大日本印刷(DNP)と共同で、手作業でこれまで作っていた生産情報管理システムをIT化する事業に乗り出した。「青果物簡易記帳システム」という素っ気ないネーミングで呼ばれているそれは、きわめてわかりやすい仕組みを持っている。農家は農薬の種類や使用回数、有機農法の計画などの情報をファクスや携帯電話などでDNPに連絡。DNPはこの情報を電子化し、データベースに蓄積する。イオンはここから必要な情報を取り出し、スーパーの店頭やインターネット、商品パッケージでの情報公開などに活用するというものだ。
イオンが提携している圃場は数万カ所に上っており、紙の台帳での管理はすでに限界を超えていた。だから電子データ化による管理への移行はごく当たり前のことだったのだが、このDNPとの計画にはもうひとつ、大きなメリットがある。それはデータベースの共通化だ。
DNPが作り上げる生産情報のデータベースはイオンだけでなく、他の農業団体や生産者などにも提供され、さまざまな形で有効利用されていく。将来的には、他のスーパーマーケットともデータベースを共有することも不可能ではない。そのとき、イオンのデータベースが標準になるのか、あるいは別のデファクト戦争が起きるのかはまだわからない。しかしいずれにせよ、このようなスケールメリットが実現すれば、生産情報データベースを核とした農業の再編さえ視野に入ってくる。
■オークションは流通を変えるか
衛星通信を利用した中古車のオークションシステムで有名なオークネットは、1998年から花市場にも参入し、切り花のネットオークションを開催している。
同社の花オークションは、生産者側が最初にスタート価格を設定しておき、値段がどんどん下がっていく「セリ下げ」方式。希望の価格になったときに入札すれば、即座に落札できる。同社は毎週日火木曜日の午後から夜にかけてオークションを開き、出品数は1日1500以上に上るという。1出品あたりのセリ時間はわずか5.5秒といい、ネットオークションのスピードを最大限に生かしたシステムを作り上げている。
花のネットオークションは、生鮮商品の流通の仕組みを根底からひっくり返す可能性を秘めている。生産者は販売チャンスが広がり、買う側は購入の選択肢が多くなる。同社の担当者は「これまで地元の市場に出していた切り花を、遠隔地のバイヤーにも買ってもらえるようになる。地域ごとにバラバラだったセリの価格も平均化される」と話す。従来、地元の市場ではなかなか手に入らなかった珍しい花が、新鮮なうちに消費者に届けられるようにあるというメリットもある。
しかし、もっとも興味深いのは、同社が独自の基準で花の品質を評価するシステムを作り上げていることだ。どのような生育方法を採っているのか、農薬はどれだけ使っているのかといった情報を生産農家に用紙に書き込んでもらい、独自の配点方法で採点する。イオンが作り上げた野菜の生産情報台帳に近い存在といえるかもしれない。
オークネットはさらに独自の方法を使い、これまで切り花業界ではどの業者もまったく気にしていなかった「花の日持ち」評価も加えた。同社担当者は「これまでの切り花業界では、売るときにキレイなら十分、売った後までは知らないという考え方がまかり通っていた。しかし消費者の視点で見れば、日持ちがもっとも気になる評価点のひとつ」と話す。
花卉業界からは一部で猛反発を食ったというが、同社は「異業種参入だから可能になったこと。われわれは消費者のためにどんどんこうした手法を取り入れていく」と意に介さない。
ITの導入によって、流通の仕組みを根底から変えていく――オークネットの取り組みは、ある意味で本来的な“IT革命”に近いといえるだろう。そしてそのコンセプトは、イオンの考える食の安心の取り組みにも通じるものがある。トレーサビリティだけにこだわるのではなく、流通全体を見渡したシステム作りを組み立て直すところに、新たなビジネスは生まれてくるようだ。