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佐々木俊尚 Toshinao Sasaki


 ユニバーサルサービスという言葉がある。電話や電気、ガスなど社会の基本的なインフラを、すべての国民が均等かつ適切な価格で使えるようにするという考え方だ。この考え方のもとでは、ある地域では電気は使えるが、ある地域では電気は通じていない、といった不公平は許されない。電話も当然、ユニバーサルサービスのひとつだった。NTT――旧電信電話公社は長い年月をかけて多額の資金を注ぎ込み、全国津々浦々に固定電話網を張り巡らした。おかげでわれわれは全国どこに行っても、同じような料金で電話を使うことができるという贅沢を享受できるようになった。
 しかしブロードバンド時代になって、通信インフラにおけるユニバーサルサービスの枠組みは破綻しつつある。インターネット接続という新しいインフラの世界で、おびただしい不平等が生まれつつあるのだ。光収容のためにADSLが引けないといった今では懐かしい問題から始まり、最近ではFTTHをめぐる不平等がある。ギガビットイーサを導入している最先端のマンションが存在する一方で、ADSLもFTTHも導入できず、いまだにダイヤルアップで我慢を強いられているマンションもある。常時接続時代になってインターネットが生活にますます密着するようになっていく時代状況にあって、この不公平さは重大な問題をはらんでいるといえるだろう。
 そんな中で、入居者側が主導権を握り、マンションにFTTHを導入しようという動きがここにきて活発になってきている。

 千葉・幕張ニュータウンの一角。幕張メッセの偉容を望む国道14号沿いに、14階建ての幕張ファミールハイツは建っている。全4棟、総戸数576戸。1982年に入居開始したこの古いマンションで、通信インフラの問題が勃発したのは一昨年のことだった。折りからのブロードバンドの波に乗り、入居者たちがADSLを申し込もうとしたところ、ほとんどが「メタル回線の空きがない」という理由で断られたのだ。実はこの一帯は幕張メッセを中心に、全域がほぼ光化されていたのである。
 管理組合の理事会はネット接続問題を議題に載せるが、一部を除いて出席者たちの反応は鈍い。わずか2年前だが、2001年当時のITに対するリテラシーはどこでもその程度のものだったのだろう。背景には、費用負担の問題もあった。古いマンションはどこでも修繕の問題が悩みの種になっている。ブロードバンドに余計な費用を出そうなどという提案は、なかなか受け入れてもらえない。
 だが翌02年になると、状況は大きく変わり始めた。ブロードバンドという言葉が雪崩を打って、社会に浸透し始めたのだ。幕張ファミールハイツでもネット化への機運は高まってくる。理事会は委員を公募して「インターネットサービス導入検討特別委員会」(通称「BB委員会」)を作り、FTTHの可能性を探ることになった。
 第1回のBB委員会は02年6月に開かれた。委員会のルールは、最初から明快だった。

(1)管理組合にはいっさいの金銭負担を生じさせないこと。
(2)すべての世帯が平等に導入できるようにすること。
(3)導入したい人は自由に導入でき、しかし導入したくない人には不利益が生じさせないようにすること。
(4)すべての情報を公開すること。

 この4点がBB委員会に課せられた使命だった。委員のひとりは「金銭負担が生じるとなると、管理組合の総会にはからなければならない。だがすべての人が利用するわけではないインターネット接続で賛成を得るのは並大抵なことではない。総会に持っていかないことが大前提だった」と話す。
 そしてまるで直接民主制下における憲法を定めたかのようなこのルールは、その後のFTTH導入へと至る長いプロセスを貫く大きな原則となっていく。そしてこのルールに則って、メールや会合を通じて議論はきわめて活発に行われた。
 しかし幕張ファミールハイツには、重大な障害があった。FTTHを各戸に接続するためには、光信号をメディアコンバーターを使って電気信号に変換し、イーサネットケーブルを各戸に引き込まなければいけない。ところが建物内に縦に走る配管は細い電話線用のものしかなく、イーサネットを通す場所などどこにもない。困り果てていたところ、相談に乗っていた通信キャリア「つなぐネットコミュニケーションズ」の担当者が、図面を見ていて予備の配管を発見する。これで大きく道は開けた。
 予備配管はわずか直径31mmと細く、各戸にカテゴリ5のイーサネットを引き込むのは難しいと思われたが、これも上層階にスイッチングハブを置いて途中から分岐させるという“コロンブスの卵”的方法で回避。無事、100MbpsのFTTHを導入するメドは立った。

 こうした大規模マンションでのブロードバンド導入では、住民たちのリテラシーをどれだけ高めるかが重要な岐路になることもある。幕張ファミールハイツでFTTHの検討が進んでいた時期、実は多くの住民たちがこんな心配をしていた。
 「FTTHで新しいプロバイダになると、今まで使っていたプロバイダのメールは使えなくなるのでは?」
 もちろん、実際はそんなことはない。FTTH経由で他プロバイダのPOPサーバにメールを取りにいけばすむことだ。「つなぐネット」の担当者が説明してようやく委員の多くがほっと安心し、ひとりが「もう大丈夫!」と大きく書いた説明文を作成し、マンションの掲示板に貼りだした。
 そう、情報公開の原則も大きなファクターのひとつだった。「情報公開」を原則のひとつに掲げたBB委員会は、議論の途中経過から加入者数まですべての情報をウェブと建物内の掲示板を使って公開し続けた。この姿勢が、住民たちにとっての大きな安心材料のひとつになったのは間違いないだろう。
 「大規模マンションは長屋のようなもの。誰かがやってくれるだろうと思っていたら、何も始まらない。自分たちでまず行動を開始することが大切だと思う」と委員会のメンバーは話す。2003年の現時点では、FTTH導入を妨げるような技術的課題はほとんど消滅しているといっていい。あるFTTHキャリアの担当者は「大規模マンションであれば、まったく不可能ということはあり得ない。何らかの方法でブロードバンド接続は必ず導入できる」と話している。となると、あなたの住む大規模分譲マンションがブロードバンド化できるかどうかは、住民のコミュニティがどれだけ民主的かつ有機的に運営されているかにかかっているとも言える。大げさに言えば、マンション民主主義の試金石といっても過言ではない。