BACK    TOP

佐々木俊尚 Toshinao Sasaki



『ユビキタス・コンピュータ革命―次世代社会の世界標準』
ユビキタス・コンピュータとは何を意味し、社会をどう変えていくのか。具体的なビジョンを明確に描いている。
著者:坂村健
角川oneテーマ21

 1980年代のTRONプロジェクト以来、一貫してユビキタス・コンピューティングを追求し続けてきた東京大の坂村健教授。その堅固な意志と、コンピューター社会のあり方に対する確固としたコンセプトは圧倒的だ。最先端のテクノロジーがどのように歴史を変え、どうパラダイムシフトを促していくのかというダイナミズムは、坂村教授ならではのものだ。
 この近著にも、そうした“坂本イズム”は隅々にまで行き渡っている。たとえば坂本教授は、ユビキタスコンピューティングが「モダンタイムス」的悲劇を解消すると説きあかす。「モダンタイムス」というのはご存じの通り、チャーリー・チャップリンの古典的喜劇映画だ。労働者が近代的なオートメーション工場で働かされているうちにどんどんマシンに呑み込まれていき、工場の歯車と化していく様子が描かれた。
 <それは科学技術自体の問題ではなく、その社会自体がハードワイヤードな社会だからいけないのである。電子技術の世界では、物理的配線で働きが決まり変更がきかない回路を「ハードワイヤード」と呼ぶ>
 だから工場の機械に無理矢理人間の側を合わせなければならなくなり、非人間的な状態が生まれてしまうというのだ。だがユビキタスコンピューティングでは、たとえば目が不自由であるとか高齢であるといった自分の身体条件を入力してあるモバイルデバイスを持ち歩き、券売機や改札などに近づくと、文字を大きくしたり、改札を通りやすくしてくれるなど、機械の側が自分の身体条件に応じた反応をしてくれる。
 <究極の目的は、ハードワイヤードな非人間性を打ち破り、個人個人の多様性に対応できるコンピュータ的柔軟性を社会の全体に行き渡らせる――いわば社会全体を「プログラマブル」にしようということなのである>
 同様に、社会を中央集権的・垂直統合的なシステムから水平分散型へと移行させるためにも、情報流通を分散して円滑にできるユビキタスコンピューティングはきわめて有効だと説くのだ。
 戦後、市民運動的な視点からは、情報技術やコンピューティングは常に「社会を非人間的にするもの」として遠ざけられてきた。それは日本におけるコンピュータ文化の成り立ちの問題でもあるし、また日本の技術者たちが社会問題に積極的に関わってこなかったためでもある。極端な二元主義に陥ってしまった市民運動の行き詰まりにも原因はあるだろう。
 しかし、ITと社会の関係がますます不可分になっていく中で、社会はどうITと折り合っていけばいいのか。無批判な技術信仰ではなく、しかし全否定でもない議論が求められている。この本は、その意味できわめて示唆に富んだ内容となっている。



『ユービック』
SF界の鬼才、フィリップ・K・ディックが超能力者と反超能力者の戦いをサスペンスフルに描いた傑作長編。鮮やかすぎる未来社会の姿は、1969年に書かれたとはとても思えない。

著者:フィリップ・K・ディック
訳者:浅倉久志
ハヤカワ文庫

 ユビキタス・コンピューティングについて語られるとき、必ず「監視社会につながるのではないか」という批判がついて回る。生活のあらゆる局面で使われる機器がすべてネットワークで接続され、それらが互いに情報を交換するというユビキタスは、確かに「すべての個人データが一元管理され、政府や大企業のサーバに集められる」というイメージにつながりやすい。
 おまけにユビキタスという言葉は、もともとは「神の遍在」という意味の宗教用語だ。全知全能の神がすべてを監視し、人間の行動を手のひらのうえで転がすというわけだ。
 ディックのSF小説『ユービック』は、この偏在する神のイメージを具体化させた悪夢のような小説だ。超能力者のパワーを無力化する不活性者たちが、宇宙船の爆発をきっかけに時間退行現象を起こした世界の中に引きずり込まれ、あらゆるモノや人がどんどん古くなっていく。それを矯正する唯一の特効薬は「ユービック」という名前のスプレー缶のみ。そして爆発で死んだはずのボスから、メッセージがさまざまな場所に届く。スーパーで偶然商品を手に取れば、そのラベルにボスのメッセージが書かれ、店で釣りを受け取ると、その硬貨にはボスの肖像画が現れる。やがて死んだのはボスなのか、それとも本当は自分たちが死んで冥界を漂っているだけなのか、主人公の生のリアリティはどんどんわけがわからなくなっていき……。
 ありとあらゆる場所に届くボスからのメッセージは神の遍在を思い起こさせ、そして見えない力にからめとられていく主人公の姿は、「監視するユビキタス」をシンボリックに描いている。
 世界のすみずみにまで入り込み、すべてを見通している神の姿というのは確かに畏怖させるものがある。だが日本のユビキタス教祖である坂村健・東大教授は、「私のユビキタスは一神教の神ではなく、あくまでも日本の八百万の神が『そこにもいて、あそこにもいて、裏のネットワークで話し合っている』というイメージ」と語っている。ヤオヨロズのユビキタス――日本人にはこちらの方が、ずっと受け入れやすいだろう。


G-BOOK
トヨタ自動車が開始した車載端末向け情報ネットワークの新サービス。ラジオ並みの気軽さで利用できるシステムを目指している。
http://g-book.com/

 ユビキタスコンピューティングは、知らず知らずのうちにわれわれの生活に入り込みつつある。その全容が具体化するのはまだしばらく先になるとしても、ユビキタスの萌芽とでもいうべきデバイスやサービスは、少しずつ始まっている。それはiモードを中心とする携帯電話のインターネットサービスであり、JR東日本のSUICAなどの非接触型ICカードであり、あるいは商品につけるICタグなどもある。
 そのひとつが、自動車に搭載させるネットワーク端末。トヨタ自動車が昨年秋にスタートさせた車載端末向けの情報ネットワークサービス「G-BOOK」は、初めての本格的な“自動車ユビキタス”といえるものだ。
 ユビキタスにとってもっとも大切なのは、「必要なときに必要なだけ、すぐにネットに接続できること」といえるかもしれない。これまでの車載端末の多くが携帯電話をケーブル接続する仕組みになっていたのに対し、G-BOOKでは通信インフラにKDDIのCDMA2000 1xを使ったデータ通信モジュールを搭載し、144kbpsでいつでも通信できるようになった。
 コンテンツはレストランなどの周辺情報や地図、音楽データの配信、車両の位置情報の送受信、車両トラブルの救援などが用意されている。
 操作はタッチパネルか音声コマンドを使って入力できる。インターネットブラウザーにはPDAサイズの専用端末が用意され、G-BOOKとケーブル接続される仕組み。地図や音楽、動画など144kbpsで受信するのが難しい大きなデータは、SDカード経由でガソリンスタンドなどのキオスク端末からも取り込めるようになっている。


小田急グーパス
 小田急電鉄が今年2月から乗降客向けにスタートした、携帯電話のメール配信サービス。自動改札を通るとすぐにメールが来るので、「改札機がメールを送ってる」と勘違いしている人も多いとか。
http://www.goopas.jp/

 メールマガジンなど今さら新しくもないし、配信されるニュース自体も沿線のイベントやグルメ情報など、他と比べて飛び抜けた特徴があるわけではない。
 にも関わらず、このグーパスが注目を集めているのには理由がある。それはこのグーパスが、「駅の自動改札を抜けてから電車に乗るまで」という何ともニッチな時間帯をターゲットにした非常に巧妙なマーケティングを行っているからだ。
 小田急と自動改札機メーカーのオムロン、コンテンツ提供のぴあが共同開発した。自動改札に定期券を入れると、定期券利用者がどの駅を使ったのかというデータがオムロンのサーバに送られ、利用者が事前に登録していた携帯電話に瞬時にメールが送信される。メールが受信されるまではわずか5〜10秒程度。改札を通って、そろそろホームへの階段にさしかかろうかというあたりだ。たいていの利用者はホームに着いてから携帯電話を取り出し、電車が到着するまでのわずかな時間にメールを読む。都心に近い駅なら、ホームに滞留する時間はひとり平均1分程度。届くメールは100〜200文字。この短い時間に読むのには、ちょうどいい長さといえる。
 ユビキタスのサービスを担う1分野として、無線LANやBlutooth、携帯電話などを使った局所的な情報配信サービスがある。こうしたサービスのコンテンツの大半は地域のお店情報、イベント情報などで、「本当にそんなものを必要としている人がいるのか」という批判は根強い。だが利用者が急増しているグーパスの成功ぶりを見ると、問題はコンテンツの内容だけではなく、生活の中でニーズをどんな視点から見定めるかという必要性もあることに気づかされる。


Mark Weiser's home page
http://www.ubiq.com/weiser/

 マーク・ウェイザーは、ユビキタスコンピューティングの父と言われている。1952年生まれのウェイザーは、1988年から米ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)に勤務。ここで国防総省の資金援助を受けながら、コンピューティングの未来像についての研究を続けた。その成果が、「21世紀のコンピュータ」という題名でサイエンティフィック・アメリカンに掲載された論文だ。この中で、ユビキタスという言葉が初めて使われた。
 ウェイザーは後に、コンピュータの利用方法の「第3の波」がやってくると書いている。
 コンピュータの最初の波は、メインフレーム(大型汎用機)。タイムシェアリングなどによって、複数の利用者が1台のマシンを使う時代はコンピュータの黎明期から70年代まで、長く続いた。そして第2の波として、1人が1台のパソコンを利用する時代がやってくる。70年代、アップルのパーソナルコンピュータ発売によってこの時代は開始し、今も続いているといえる。そして将来、今度は1人が複数台のコンピュータを使う時代がやってくる。これがユビキタス時代だ。人間が何かをしたいときに、すぐに周囲にある情報ネットワークに小型デバイスなどを通じてアクセスできる。マシンに人を合わせるのではなく(そう、いちいちパソコンデスクの前に座ったり、操作に四苦八苦するのではなく)、人にマシンを合わせるという人間本意主義のコンピューティング環境を実現させようという考え方だ。
 ウェイザーは1999年4月に病死した。享年46歳。あまりにも早すぎる死だった。彼のウェブサイトは、今も生前のまま残されている。

■FREENETWORKS.ORG
ニューヨークのNYC WirelessやサンフランシスコのBAWUG、ヒューストンのHoustonWirelessなど全米各地のフリーネットグループに加え、フランスやチェコスロバキアなどの団体が作った無線LAN市民運動の連合体。
http://www.freenetworks.org/

 ユビキタスコンピューティングを実現するには、いつでもどこでも即座にネットワークに接続できる環境が整備される必要がある。日本では携帯電話がもっとも整備が進んでいるものの、現状の第2世代機ではあまりにも低速だ。おまけに回線交換にしても、パケット通信にしても、料金が高すぎる。今後は第3世代携帯電話の普及、もしくは無線LANのホットスポットがさらに提供エリアを拡大していくことが期待されている。
 そんな中で、無線LANのインフラを多くの人たちで共有して使い合おうという動きが日本でも広まりつつある。周辺機器メーカーのメルコが提唱している「FREE SPOT」や、京都のNPO法人の「みあこネット」などがそうだ。
 こうした動きは、やはり米国が先進的だ。
 CATVインターネットやADSLを導入しているユーザーが、無線LANのアクセスポイントを自宅の窓際などに設置し、通行人や近所の人など誰にでもインフラが使えるようにしようという運動だ。「フリーネット」「フリーワイヤレスネットワーク」などと呼ばれ、ある種市民運動的な展開になっている。ニューヨークや西海岸の都市部を中心に、急激に参加者を増やしつつあるという。たとえばFREENETWORKS.ORGに加盟しているグループのひとつ、ニューヨークを拠点に活動している「NYC Wireless」はマンハッタンを中心にユーザーを増やし、現在は常時50以上のアクセスポイントが稼働しているという。
 ユビキタスを神の監視ではなく、人々の手をつなぎ合う基盤として築いていくためには、こうした市民主導型のインフラ整備は重要な考え方になっていくかもしれない。


『ア・ラ・iモード――iモード流ネット生態系戦略』
 「iモード事件」の著書で有名な松永真理氏らとともにiモードを立ち上げた夏野剛氏が、iモードのビジネスモデルについて詳細に語る。
著者:夏野剛
発行:日経BP企画
発売:日経BP出版センター

 ユビキタスコンピューティングを実現するためには、さまざまな機器やサービスが相互にいつでもどこでも接続されなければいけない。メーカーや機種、OSの差が障壁になってしまうのでは、人間が中心にあるネットワークとは到底いえないだろう。
 そのひとつの試みが、さまざまな商品につけるICタグを標準化しようというオートIDセンターやユビキタスIDセンターなどの誕生だ。
 だがそうした機器やサービス、インフラの相互接続を、現実的なビジネスの場面で実現してしまっている存在がある。それがNTTドコモのiモードだ。
 インフラ会社である東京ガスとベンチャー企業双方での勤務経験を持つNTTドコモiモード企画部長の夏野剛氏が打ち出したモデルは、鮮やかだった。ドコモがコンテンツを買い取ってユーザーに提供するのではなく、ドコモがコンテンツ企業、サービス企業と協力して公式コンテンツを提供し、その情報量を分け合う。さまざまな企業のパワーを少しずつ集め、それによってiモードのマーケット自体を自律的に成長させていく。夏野氏が複雑系の思想からヒントを得たというそのモデルは、決して中央集権的ではない。パワーを分散させ、局所のすみずみにまでそのパワーを浸透させていくという哲学だ。マイクロソフトをはじめとする90年代のコンピュータ企業が垂直統合モデルを採用し、市場支配に突き進んだのに対し、iモードは21世紀型の“ユビキタス型ビジネス”とでもいえるコンセプトを目指そうとしているといえるのかもしれない。
 ユビキタス時代のネットワークを考えるうえで、夏野氏の哲学はきわめて多くの示唆に富んでいるといえるだろう。