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佐々木俊尚 Toshinao Sasaki


 1999年に「ニュースステーション」(テレビ朝日系)の報道をきっかけに起きた埼玉県所沢市のダイオキシン騒動。「所沢のホウレンソウから高濃度のダイオキシンが検出された」と報じられ、大騒ぎになったのを覚えている人も多いだろう。メディアのありかたや中立性などこの“事件”が引き起こした影響は少なくなかった。しかしこの騒動をきっかけにマスコミが集中豪雨的なダイオキシン報道を行うようになり、わずか半年後の99年秋には議員立法によるダイオキシン法が成立する結果となった。
 あれから4年。ゴミ焼却施設からのダイオキシン排出を規制した同法の効果もあって、ダイオキシンの国内排出量は年々減り続けている。昨年末に判明した2001年の排出量は97年当時と比べると約77%減というから、立派な数字である。そしてダイオキシン問題自体もあまりマスコミでは報道されなくなり、問題そのものが風化していくことを危惧する声も市民運動サイドからは出ていたほどだった。
 しかし今年に入り、その冷め切ったダイオキシン問題を根底からひっくり返すような衝撃的な事態が突如として勃発した。
 その震源地は「ダイオキシン 神話の終焉」という刺激的なタイトルの書物――渡辺正・東大教授(生体機能化学)と林俊郎・目白大教授(応用微生物学)の共著で、今年1月末に日本評論社から出版された1冊の本なのである。
 同書はダイオキシン問題について、「ダイオキシンの危険性は誇大妄想であり、莫大な予算をつぎ込んでゴミ焼却施設を作り直そうというダイオキシン法は、亡国の法でしかない」と一刀両断に切り捨てているのだ。
 渡辺教授らの主張をわかりやすくまとめてみると、次のようになる。

 (1)ダイオキシンの毒性は誤解されている?
 ダイオキシンといえば、「サリンの2倍、青酸カリの1000倍」という毒性の強さが強調されることが多い。しかし渡辺教授らは、こう説明する。
 「動物実験でのモルモットの数値などで比較すれば、確かに毒性の強さはそうした数字になる。だが人間がダイオキシンを摂取するのは95%が食品経由だから、土壌にダイオキシンがあったからといっても恐れる必要はない。そして致死量の60万ピコグラム/キログラムを体に取り込もうとすると、820年分の食事を一気食いしなければいけない計算になる」
 リスクとしては、限りなく低いというのだ。ある毒物が人間にとって危険かどうかは、体内に取り込んだ量や体の中に蓄積された濃度で考えるべきであって、絶対的な致死量はあまり意味がない。
 「もし絶対的な致死量を問題にするのであれば、アルコールの致死量は成人でわずか400グラム程度。普通の人が飲む量の数倍程度で、危険性はダイオキシンよりもはるかに高い。そもそもダイオキシンは山火事でも発生する物質で、3億年前から自然界に存在していた。摂取量が危険ラインを超えなければ問題ない」
 と渡辺教授らは主張する。

 (2)ダイオキシンの主な発生源は焼却炉ではない?
 環境省などの調査では、空気中に放出されるダイオキシンの発生源は94%が焼却炉からとされている。だが渡辺教授らは、土壌や湖水などに蓄積しているダイオキシンのほとんどは焼却炉からではなく、1960年代〜70年代に使われた農薬の残留物や工業用のPCBが発生源という。
 これらの農薬からは当時、約600キログラムものばく大な量のダイオキシンが土壌に放出されたとされている。横浜国立大の益永茂樹教授と中西準子教授が1998年から2000年にかけ、東京湾や島根県・宍道湖の堆積物を分析して調べた結果、この中に含まれているダイオキシン重量の90%以上が農薬によるものであることを突き止めたという。
 渡辺教授は「農薬からのダイオキシンに比べれば、焼却炉から放出されているダイオキシン量はごくわずかでしかない。われわれの体内に入ってくるダイオキシンは、農薬の不純物として環境に出た後、食物連鎖を通って近海魚などの食品に入ったものが主体だ」と話す。

 (3)ハイテク焼却炉は予算の無駄遣い?
 ダイオキシン特措法は、ごみ焼却施設のダイオキシン排出基準を定めている。従来型の焼却炉では排出基準を守ることはできず、数百億円と高額なハイテク焼却炉に作り替えなければいけない。こうした大型の焼却炉を全国に設置するコストは計40兆円にも上るという試算もあり、不況で財政状況の厳しい各市町村に大きな財政負担を強いる結果となっている。

 (4)「ダイオキシンで新生児死亡率が上がっている」説はウソ?
 「産廃銀座」などと呼ばれ、産業廃棄物処理場が集中する埼玉県所沢市周辺では1990年代後半、産廃の焼却施設が増えるに連れて新生児の死亡率が高まっている――とされ、ダイオキシン被害の具体的な証拠としてクローズアップされてきた。だが広く出回っているこの死亡率グラフについて、渡辺教授らは、
 「実際の死亡率ではなく、埼玉県全体の死亡率と比較した対県比率でグラフを作り、死亡率が半減した時期の数字も掲載していない。さらに計算のもとになっている母集団の数がきわめて少なく、死亡率の向上というのは統計学的にはゆらぎの範囲内でしかない」
 と指摘。実際には、死亡率が上がっている形跡はどこにも見えない、と断じている。

 非常に過激な内容の本である。本の中で書かれている科学的立証の真偽は置いておくとしても、その主張の背景にある考え方は、非常に重要な問題をはらんでいる。それは、環境破壊のリスクマネジメント(リスク管理)をどうとらえるか、という根元的な問題だ。
 渡辺教授は、
 「環境問題ではリスクとベネフィット(便益)のバランスを考えなければいけない。ダイオキシンなどのリスクを完全にゼロにするというのは不可能で、費用対効果を考えながらリスクを減らしていくという発想が必要だ。ダイオキシンだけでなく、環境全体のリスクを減らしていかなければならないと思う」
 と指摘する。現在の環境保護運動には、こうした考え方が不足しているというのだ。

 しかしその一方で、この刺激的な内容の本が、ダイオキシン問題に長年取り組んできた環境保護運動をどれだけ刺激したかは想像に難くない。
 「止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク」の藤原寿和事務局長は、
 「仮にも学者の肩書きで、あんな風に無責任に言いっぱなしの本を出版されるというのはいかがなものか。本の内容も、急性毒性をことさらに否定することで、ダイオキシンの持つ慢性毒性の問題から読者の目をそらしてしまっている」
 と批判する。先に挙げたダイオキシンの発生源の問題についても、益永教授らの研究結果だけを取り上げ、これまでダイオキシン問題に取り組んできた他の研究者らの成果を無視しているのも問題ではないか、と藤原事務局長は指摘するのだ。
 運動サイドでは、著者に関するさまざまな憶測や風評も乱れ飛んだ。本の中で「塩ビ(ポリ塩化ビニル)を減らしてもダイオキシンの排出量は減らない」と書かれていることを取り上げ、
 「塩ビ業界からカネをもらっているのではないか」
 といった声が出た。ダイオキシンの発生源を焼却炉ではなく農薬やPCBに求めていることにも、
 「未処理のまま放置されているPCBの処理を国が進めようとしており、その先兵として利用されているのでは」
 などと言う人まで現れた。
 渡辺教授はこれらの憶測を一笑に付しているが、それだけ運動サイドからの反発は凄まじかったと言うことだろう。著者のインタビューや書評を載せた東京新聞、読売新聞などのメディアに対し、「反論の意見も掲載するべきだ」と抗議文を送る動きも出たほどだ。
 こうした中、藤原事務局長らは6月はじめ、この問題に関する討論会を開催。渡辺教授と林教授に文書で参加を呼びかけたが、2人は「書面のやりとりで十分意を尽くせると思う」という回答を寄せ、出席を拒否した。議論が生まれるどころか、対立だけがいっそう深まる様相を見せている。
 渡辺教授は「環境保護団体側が主催した討論会では、つるし上げにされてしまう可能性がある」と出席拒否の理由を話し、
 「ダイオキシンのために無駄な予算が使われていくことが看過できないと考えたのが、この本を書いた理由。ダイオキシン問題に取り組んできた人たちに対しケンカを売るつもりはない」
 という。一方の藤原事務局長は、
 「ダイオキシンの被害は大きいという研究成果と、今回の渡辺教授らの指摘と、研究者の間で意見はまっぷたつに分かれてしまっている。運動の側としても、果たしてどちらを信じればいいのかという気持ちだ。公正なジャッジの下でその真偽をきちんと検証してもらえるような場があればいいのだが……」
 と困惑顔だ。

 逆にこの本が、新たな「反ダイオキシン」「反環境保護」のブームを作ってしまうのではないかという危惧もささやかれはじめている。
 ある環境保護運動家の自宅に、この本の書評のコピーを入れた嫌がらせともとれる郵便が送られてくるようになったという話もある。産廃処理業者が住民に対して本を振りかざし、ゴミ焼却の正当性を言いつのる、という場面も出てきているという。
 産業廃棄物の焼却灰が長年にわたって放置され、問題化している静岡市吉津地区。
 住民側が民間のダイオキシン分析機関として有名な環境総合研究所に土壌調査を依頼したところ、環境基準の3倍以上にもなる3326ピコグラムのダイオキシンが検出された。この問題で市の今後の対応を説明する住民説明会が今年3月に開かれたが、その席上、市幹部が「ダイオキシン 神話の終焉」を見せて「(ダイオキシンの被害は)マスコミが書きすぎている。決して危険なものではないことがこの本で分かるから、ぜひ読むべきだ」と勧めたという。
 地元でこの問題に取り組んでいる恩田侑布子さんは、
 「幹部は『わたしの手元にもあるので、ほしい方には貸してあげます』とまで言って説明会で延々と本の紹介を続けた。ダイオキシン法に則って仕事を進めるべき行政が、同法を批判している本を勧めるというのは問題ではないでしょうか」
 と訴える。「今年1月に本が刊行されてから、市の姿勢が明らかに後ろ向きに変化した」とも言う。当の幹部は、
 「体調が悪いと訴える方がいたので、ダイオキシンで急に体調が悪くなることはないということを説明するために数分間、本の紹介をしただけですが、誤解が生じた点は申し訳ないと思ってます。この本によって市の対策が変化したというようなことは一切ありません」
 と話している。
 渡辺教授と林教授に、このような事態が生じているという話をすると、二人とも絶句した。
 「そういうことが起きるのは、われわれの望んでいることではないのですが……」(渡辺教授)。
 この本が金科玉条のように「反ダイオキシン」のバイブルとして利用される――そんな事態を招いてしまうとしたら、日本の環境保護の将来は絶望的だといっても過言ではないだろう。藤原事務局長は「市民と行政の間、市民と学者の間、そして学者と学者の間など、さまざまな立場の人たちがきちんとした議論をする場がこの国には決定的に欠けているのではないかとも思う。ある種のディスコミュニケーションが日本を覆っているように見える」と嘆息する。
 この本をきっかけに、ダイオキシンや環境保護全般を見据えた議論がさらに深まり、よりよい状況が生まれることを望むばかりだ。