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佐々木俊尚 Toshinao Sasaki
「IP電話」が、日本の通信業界を根底から変えようとしている。100年の歴史を誇るNTTの電話網に、ついに終焉の日が訪れようとしているのだ。果たしてNTTは生き残ることができるのだろうか?
NTTグループに激震が走っている。
グループの売り上げは今年9月の中間決算で、1952年に旧電信電話公社が発足して以来、初めての減収を記録した。その最大の原因は、音声通話の電話の収入が激減したことだ。音声収入は今年4月から9月までの6カ月間で、3兆3800億円。昨年の同じ時期と比べると、何と約1700億円も少なくなっている。しかもこれは一時的な数字とは見られていない。今年4月には、同社の小出寛治取締役が記者会見で「固定電話の収入は、今後3年間で1兆円程度減るだろう」とコメントしているのだ。
あるいは、さる11月25日のNTTグループ戦略発表。
「われわれはブロードバンドのビジネスでは、完全にワン・オブ・ゼムだと思っている。圧倒的な支配力、影響力があるとは思っていない」
和田紀夫NTT社長のあまりにも弱気すぎる発言に、詰めかけた報道陣も驚いた。これが本当に、日本の通信業界で圧倒的な影響力を誇ってきたあのガリバー企業なのだろうか。
自宅に電話を引いてもらうために何カ月も順番待ちをしたあの懐かしい電電公社時代からずっと、NTTは日本の電話のすべてを握ってきた。しかしそのNTTの電話が、今や使われなくなりつつあるというのだ。
自宅の電話が使われなくなる時代に
あるIT業界アナリストが説明する。
「NTTの音声通話の減収は、昨年から徐々に起き始めたようです。その最大の原因は、人々のコミュニケーションが固定の電話から携帯電話や電子メールに移ってきたことにあると見られています」
確かに、周囲を見渡してみても仕事や遊びでも自宅の電話を使う機会は何だか前より少なくなっている。急がないときは電子メールで、急ぎの時や待ち合わせは携帯電話で――というのが最近の日本人の一般的な連絡手段となっている。
そしてNTTの固定電話網に対する激しい向かい風が、もうひとつある。それが、これから加速度的に普及すると見られている「IP電話」なのである。IP電話によって、NTTの従来型の電話網は壊滅的打撃を受けるのではないかとさえ言われているのだ。100年間にわたって日本の通信を支えてきたインフラが、消滅の危機に立たされているのである。
ではそのIP電話とはいったい、どんなものだろうか。
導入がきわめて簡単なIP電話
神奈川県に住む会社員、山下洋一郎さん(31)は最近、自宅にIP電話を導入した。使い方は拍子抜けするほど簡単だった。加入電話線に、ADSLモデムをつなぐ。この機械に、今まで使っていた普通のコードレス電話機をモジュラーケーブルを使って接続しただけだ。あとは普通の電話と同じように、どこにでも電話をかけることができる。今までと違うのは、電話料金が格安になったことだ。全国どこにかけても、3分7・5円。NTTの3分8円の市内通話よりも安い。さらに同じIP電話会社に加入している会員同士なら、何と無料で通話できてしまう。山下さんは長野市に住んでいる恋人と遠距離恋愛しているが、「電話代が一気に安くあがるようになった。今まで月額1万5000円前後払っていたのが、2000円程度で済むようになった」という。
巨額のコストがかかる日本の電話システム
IP電話とは、いったいどんな仕組みで動いているのだろうか。
その前にまず、普通の加入電話の仕組みを説明してみよう。たとえば自宅の加入電話から、隣の市に住む両親宅に電話をかけたとする。自宅の電話はまず最寄りの電話局の「交換機」と呼ばれる巨大な設備につながり、回路を1本確保する。さらにこの交換機は同じようにして隣の市の電話局の交換機に回路をつなぎ、この交換機から両親宅の電話にまた回路を接続し、そして最後に両親宅の電話のベルを鳴らす。つまり交換機から交換機へと次々にスイッチを入れていくことで、電話をかけた先までの回路を順に確保していくのである。
この交換機はべらぼうに高価で、1台数億円もする。おまけに誰かが電話をかけるごとに回路を独占してしまうから、膨大な数の回線を用意しなければいけない。そうしないと「輻輳(ふくそう)」と言って、後からかけた電話がつながらなくなってしまう。人気コンサートのチケット予約などで電話が集中し、局所的にかかりにくくなってしまったという話はお聞きになったことがあるだろう。あれが輻輳だ。
ともかく、そう考えると固定電話網というのは、いかにカネのかかる巨大な設備かは理解いただけるのではないか。
IP電話はインターネットの仕組みを使う
それに対して、IP電話はどうか。
IPとはインターネット・プロトコルの略。プロトコルは「手順」「手続き」などと訳される。つまりIP電話は、インターネットの仕組みを使った電話という意味だ。このため、非常に安価にシステムが作れてしまうのである。
インターネットのメリットのひとつとして、電子メールを送ったり、ホームページを読んだり、映像や画像をダウンロードしたり……といったことを多くの人が同時にできてしまえることがある。極端に言えば、たくさんのデータが流れても大丈夫な太い光ファイバーを1本引いておけば、それだけで何千人や何万人もの人が同時にインターネットを利用できてしまう。IP電話は、こうした電子メールや映像データと同じように、電話の音声データをインターネットの仕組みを利用して流してしまおうというものなのだ。
回線の数が少なくてすむだけではない。電話交換機と同じ役割を持つ「ルーター」というIP電話の設備は、インターネットで大量に使われているため値段が安く、1台数百万円程度。こうした低いコストが、IP電話の価格を押し下げている。
3年後には650万回線に?
IP電話は今後、たいへんな勢いで普及が見込まれている。たとえば昨年サービスを開始し、「全国どこでも3分20円」という価格で200万人もの加入者を獲得しているフュージョン・コミュニケーションズの電話も、IP電話を使ったものだ。ただ同社の現在の電話サービスは、NTTの加入者回線を一部利用しており、通話するたびにNTTに3分4・5円の「接続料」を支払わなければならない。それに対して、今年になって登場してきたソフトバンクの「BBフォン」などの新しいタイプのIP電話は、ADSLなどのブロードバンド回線を利用しており、NTTの加入者回線を使わないで済む仕組みになっている。このため価格をさらに下げることが可能になり、「3分7・5円」「会員同士なら無料」といった激安価格を実現できるようになった。
矢野経済研究所は、IP電話が2005年末までに650万回線に達すると予測している。現在、日本の国内で加入電話は5000万回線程度だから、相当に巨大な数字である。ユーザーの関心も高い。野村総合研究所の調査によると、インターネットの利用者のうち、ブロードバンドを利用している人は約37%。そのうち約50%の人がIP電話をすでに利用しているか、今後利用したいと答えている。現在のブロードバンド人口は、総務省発表で約600万人余りとされているから、単純に計算しても300万人の人がIP電話を使いたいと考えているわけだ。
インターネットのプロバイダー各社も動き始めている。孫正義氏率いるソフトバンクのBBフォンがIP電話の先駆的存在だが、これに対抗してこの11月には他の大手プロバイダー各社も相次いでサービス開始を発表している。
「050」番号の割り振りもスタート
とはいえ、現在のIP電話にはまだ問題がある。そのひとつが、電話番号を割り当てられていないことだ。電話番号がないと、こちらがかけることは可能でも、電話を受けることはできない。これではあまりにも使いづらく、普及への大きな妨げになっていた。
しかし、この問題も解消した。総務省がこの11月から、IP電話に「050−××××−××××」という電話番号の割り当てを開始したからだ。実際に050番号が使えるようになるのは来年夏以降とされているが、その時は一気にIP電話が普及する可能性がある。来年が「IP電話元年」と呼ばれるようになる可能性は高いだろう。
IP電話がどれだけ普及しようと、その通話料はNTTにはほとんど入ってこない。さらに事態が進めば、NTTの加入電話を解約し、IP電話だけを利用するという使い方も当たり前になってくる可能性がある。
IP電話が普及すれば、NTTの固定電話網が壊滅する――と言った意味がおわかりいただけるだろうか。
苦境にあえぐNTTグループ
もちろん、NTTも手をこまねいて見ているわけではない。今年4月には宮津純一郎NTT社長(当時)が中期経営計画の記者発表の席で、「従来型の固定電話網への投資は停止し、今後はIP網に切り替えていく」と宣言している。特に地域会社のNTT東西は、昨春以降、20万人中11万人を削減するという苛烈なリストラを断行。各地でさまざまな悲劇を引き起こしながら、ブロードバンドやIP電話を中心にした新しいビジネスへと移行しようともがき苦しんでいる。だがこの新しい業界には、ソフトバンクを初めとする競争相手が密集し、昔のような“ガリバー体制”は望むべくもない。
そしてこうしたNTTの凋落は、IT業界にも大きな影を落としている。その最大の影響を受けているのは、NECや富士通、日立製作所、沖電気工業など旧NTTファミリーといわれた大手電機メーカーだ。かつてNTTに納入される電話交換機は通信業界の花形とも言われる存在で、NTTファミリーがその大半を独占していた。しかし5000億円規模といわれたその市場も、昨年にはついに2000億円程度にまで落ち込んだ。NTTは交換機への投資は今後は行わない予定で、2、3年後には市場は数百億円にまで縮むのではないかと見られている。ひとつの大きな業界が、まるごと消滅してしまう――それほどのインパクトなのである。
NTTファミリーは、IP電話を支えるルーターなどの機器に軸足を移そうと苦闘を続けている。しかしルーター業界は、米国のシスコシステムズがシェアの半分以上を独占しており、圧倒的に米国優位の市場。これまで日本の狭い業界で、NTTのルールの中で戦ってきた日本のメーカーが切り込むのは困難を極めるとみられている。
ただでさえ、ITバブル崩壊の影響から脱しきれず、不況にあえいでいる日本のIT業界。しかし牽引力になってくれそうな米国も、最大の通信会社ワールドコムが破たんして「お先真っ暗」な状況が続いており、明るい材料は何もない、といったところなのだ。
NTTは従来型の交換機をあと10年は保守し続けるという。逆に言えば、あと10年で交換機の寿命がやってくるとも言える。そのころには、国内の電話すべてがIP電話になっているということなのだ。その時、NTT――そして日本のIT業界はどうなっているだろうか。