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佐々木俊尚 Toshinao Sasaki


 「陰の男」が、監視社会のボスとなって戻ってきた――。
 ジョン・ポインデクスター氏の名前に彼の名前に聞き覚えはないだろうか。レーガン政権の安全保障担当大統領顧問だった人物である。しかし彼の名前を一躍有名にしたのは、1986年のイラン・コントラ事件だろう。米政府がイランに武器を売却し、その代金をニカラグアの反政府ゲリラ「コントラ」にひそかに渡していたという事件で、その主犯のひとりとされたのが、海軍中将のポインデクスター氏だったのだ。
 一審の有罪判決は法的手続きの不備が原因で控訴審でくつがえり、最終的には無罪が確定したものの、ポインデクスター氏の名前は米国現代史の暗い陰を象徴する存在として人々の記憶に残っている。

帰ってきたイラン・コントラ事件の主役

 そのポインデクスター氏が驚くべきことに、昨年になって突如として政権中枢に復帰したのである。国防総省に新しく設置された情報認知局(IAO)という組織のトップに就いたのだ。
 そして彼が推進しているのが、完全情報認知システム(TIA)と呼ばれる巨大な監視システム。そしてのシステムが目指しているのは、人類がこれまで経験したことのないような完璧な監視社会なのである。
 その内容はすごい。社会保険、医療記録、出入国、教育などの公的な記録から、買い物や外食で使うクレジットカード、インターネットプロバイダーの利用履歴、旅行代理店での利用、アパートへの入居など、生活に関係するありとあらゆる記録がすべて政府のデータベースに蓄積されていくというのだ。従来、こうしたデータベースはクレジット会社や電話会社、自動車会社などそれぞれの企業が管理しており、顧客の個人情報が外部に漏れることはなかった。警察といえども、こうした個人情報を入手しようと思ったら、裁判所の捜索令状を必要としていたわけだ。ところが国防総省のTIA計画が実現すれば、個人情報は自動的に政府のデータベースに蓄積されていくことになってしまう。
 たとえばTIAを使って、あなたがあるありふれた日にどんな行動を取ったのかを調べるとしてみよう。
 午前中に都市銀行のATM(現金自動預け払い機)で現金を下ろし、その後ICカードを使って電車に乗り、着いた先の繁華街で昼ごろ、デパートとレストランでクレジットカードを使う。夕方に自宅でインターネットに接続し、旅行代理店のサイトでニューヨーク行きの航空券の予約を行っている――あなたがお金を使った先の店や企業のデータベースを取り込むことで、あなたのこうした行動を時系列にきれいに並べてしまうことができるのだ。プライバシーの秘匿も何も、あったものではない。個人の動向がすべて把握され、完全な監視社会が実現するというわけなのである。

個人情報はハードディスク1万個分

 そして、そこに蓄積される個人情報のサイズもばく大なものとなる。米国メディアの報道によれば、そのサイズは「ペタバイト」級になるという。ペタバイトというのは耳慣れない単位だが、パソコンのハードディスクのサイズなどで使うギガバイトの100万倍。最近のハードディスクは100ギガバイト程度の容量だから、TIAのデータベースのサイズは普通のハードディスクを1万個も並べた大きさになるというわけだ。想像を絶する巨大さではないだろうか。
 国防総省・国防高等研究計画庁(DARPA)の説明によると、TIAの目的は海外のテロリストをあぶり出して監視下に置き、彼らの計画を解読する方法に革命をもたらすものだという。具体的には、@重要性に応じて情報の収集範囲を簡単に広げることができるようになるAテロの明確な兆候が現れた場合、1時間以内に必要な警告を発することができるB過去に発生したテロ事件のパターンの90%をカバーし、パターン別に並べ替えて分析できるCテロ情報の共有や共同研究をしやすくすることで、研究者がさまざまな仮説を実際に実験できる環境を整える――などを目的として掲げている。

テロリストの行動がすべてあぶり出される

 実際、テロリストたちは計画を実行に移す前にさまざまな行動をとることがわかっている。9・11同時多発テロでも、主犯格のモハメド・アタ容疑者をはじめとする実行グループは新しいアパートに入居したり、パイロット養成学校に入校するなど活発に活動。その間、レンタカーや航空機などで米国内を頻繁に移動していた。こうした行動の痕跡はもちろん、学校の入校記録やレンタカー会社、航空会社の利用履歴などに個別には残っているが、それぞれの細かい記録だけではテロとは結びつきにくい。TIA構想は、こうした記録をすべてつきあわすことで、何らかのテロを計画しているテロリストグループの動きがあぶり出されてくるのではないか――という狙いから作られている。
 しかし、この計画に対しては反発が激しく、上院議会が今年に入って一時差し止めを決定するなど、米国内でも評価は大きく揺れている。
 しかし同種の計画や構想は、米政府が矢継ぎ早に繰り出してきておいる。TIAだけではないのだ。
 たとえば米運輸省運輸保安局が進めている乗客事前識別コンピューターシステム(CAPPS2)計画。航空チケットを予約した乗客の名前を、連邦捜査局(FBI)の犯罪者データベースをはじめ、税や社会保険、自動車登録、クレジット情報など政府が蓄積しているありとあらゆる個人情報と照合し、米国に出入国するテロリストを水際であぶり出そうというものだ。
 また「テロ脅威集積センター(TTIC)」という別の構想は、ブッシュ大統領が今年1月の一般教書演説の中で初めて言及した。政府のすべての組織と民間企業の情報を集めたデータベースを作り、テロの容疑者の情報を集めるというプロジェクトだ。具体的な内容はいっさい明らかにされていないが、TIAやCAPPS2と似たシステムであるのは間違いない。
 米国ではこうしたさまざまな監視システムが、重層的に市民生活を覆い尽くそうとしはじめている。テロ対策の名のもとに市民生活が一挙手一投足まで監視されていく――果たしてその先には何が待っているのだろうか。
(ジャーナリスト・佐々木俊尚)

■図版
国防総省の国防高等研究計画庁(DARPA)が公表している完全情報認知システム(TIA)の概念図