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佐々木俊尚 Toshinao Sasaki


末期ガンの患者の激痛無惨 こんなに遅れている!日本の「痛み」治療

 末期がんの激痛――そのつらさ、苦しさは、がん患者本人でなければわからないだろう。それでもかつては我慢するしかなかったが、最近はモルヒネなどの医療麻薬を使って緩和する「疼痛治療」が普及しつつある。だが「日本はモルヒネを使った治療に関しては、最低の後進国。日本人のがんの激痛は、このままでは絶対になくならない」と現役の医師が、匿名を条件に証言した。医師が告発する恐るべき実態とは――。

 日本国内でがんで死亡する人は、年間30万人。そしてがん患者の8割は、がん細胞の増殖などによる特有の痛みを感じるとされている。
 「しかし日本では、患者からがんの痛みを除くことのできた割合『除痛率』が先進国の中で圧倒的に低く、わずか50%しかないんです。つまり半数の人は痛みを取り除かれず、苦痛を我慢して死んでいくということです」
 今回、痛み治療の問題点を告発したA医師が指摘する。A医師は麻酔医として、疼痛治療に長く携わってきた。
 A医師の指摘によれば、痛みがなくならない人はがん死者30万人の8割のうちの半分、約12万人に上る計算だ。毎年これだけの数の人が、激痛にのたうち回りながら人生を終わらせていくということなのである。
 欧米各国では、「除痛率」はきわめて高い。イギリスやドイツなどは90%以上を記録しているし、世界保健機構(WHO)が1990年に行った25カ国を対象にした調査では、がん疼痛治療法を熟知している国は平均して75%の除痛率を記録した。
 ところが日本では、これが悲しいほどに低い。国立がんセンター中央病院の平賀一陽手術部長が行った全国調査によると、除痛率はがんセンターでも60%程度。民間病院や大学病院ではもっと低く、50%程度にとどまっている。それでも調査を開始した1987年はわずか40数%しかなかったというのだから、少しは進歩したと言えるのかもしれない。それにしても、情けないばかりの低空飛行ではないか。
 痛み治療がどのぐらいきちんと行われているかを示すとされる、モルヒネの消費量でもこの実態は裏付けられている。国際麻薬統制委員会の97年の統計によれば、1日あたりのモルヒネの消費量はオーストラリア、カナダ、イギリス、米国などが上位を占めており、日本はトップのオーストラリアのわずかに8分の1しかない。
 WHOは1986年に発表した「がんの痛みからの解放」というガイドラインで、「がんの痛みの9割は抑えられる」と強調しているのである。こんな状況で、日本でも末期がんに犯された人が痛みのない状況で、安らかに最期を迎えられる時代がやって来るのだろうか。
 A医師は、
 「今のままでは、それは絶望的な状況です」
 と断言する。
 「麻薬に対する医師の無理解と誤解が蔓延し、おまけにそれを正すべき行政の側にもちぐはぐな対応に終始している。この状況が変わらない限り、きちんとした痛み治療の体制を作り上げるのは難しいでしょう」
 いったい、何が問題なのだろうか。
 その前にまず、がんの痛み治療とはどのようなものなのかを、簡単におさらいしておこう。
 がんの痛みの主要な部分は、がん細胞が内臓や神経、脊髄などを圧迫して起きる。この激しい痛みを取り除くためには、モルヒネなどのあへん系麻薬がもっとも有効だ。あへんが鎮痛に使われたのは1920年代、イギリスの病院が開胸手術の術後の痛みを取り除くためにモルヒネやコカイン、アルコールなどを混ぜたカクテルを患者に飲ませたのが先駆け。50年代末には、同じくイギリスのホスピスで、末期ガン患者にモルヒネを定期的に投与することで、痛みを取り除くことに成功している。「緩和ケア」と呼ばれる痛みの治療は、欧米では60年代から積極的に取り組まれている。
 モルヒネといえば、危険な麻薬というイメージも強い。いったん使用すれば、必要量もだんだん増えていって耐性ができ、最後は効かなくなる。おまけに麻薬中毒になってしまう――延命治療が放棄された後の最後の手段、というイメージだ。モルヒネに対して、そんな印象を持っている人も多いだろう。だが日本での痛み治療の指導者的存在として知られる武田文和・埼玉医科大学客員教授は、
 「痛みがある状態でモルヒネを使用する場合、耐性は形成されず、精神依存も起きないことが過去の臨床結果から証明されている。適正に使用している限り、麻薬中毒のようなことになる心配はまったくありません」
 と説明する。最近はモルヒネだけでなく、フェンタニルやオキシコドンなど副作用の少ない医療麻薬も承認され、医療現場で使われはじめている。皮膚に貼るだけで痛みが取れる「パッチ」形状の使いやすい薬も登場している。痛みに苦しんでいるがん患者にとっては、まさに救世主のような存在と言えるだろう。
 それではなぜ、日本では麻薬を使った治療が進まないのだろうか。
 「WHOのガイドラインに沿って、厚生労働省は麻薬治療を推進しようとしている。しかし現場では、医療麻薬を使いにくくするような規制や障壁が平気でまかり通っているからです」
 とA医師は憤然とするのだ。
 まず第1に、モルヒネをはじめとする医療麻薬は、薬価がきわめて高い。欧米諸国の3倍程度ともいわれているほどだ。なぜこれほど高価なのだろうか。前出の武田教授は、
 「80年代までは医療麻薬の国内消費量は現在の20分の1程度しかなく、麻薬の使用を増やすことが行政の課題だった。厚生省では『この程度の量しか消費されていない現状では、製薬メーカーが麻薬を作らなくなってしまう可能性がある』と考え、メーカーに利益を上げさせるために政策的に薬価を高止まりさせた」
 と証言する。当時はこの政策も有効だったのだろうが、状況は変わった。現在、もっとも一般的に使われているモルヒネ製剤の「MSコンチン」は、60ミリグラム錠が1450円もする。1日1200ミリグラムの投与を受けている患者の場合、月に30万円近い負担になってしまうのだ。自宅で緩和ケアを受けている末期ガンの患者が外来にやってくると、帰りに薬剤部でずっしりと重い財布を取り出し、数十万円の現金を支払っていく。そんな光景は珍しくないという。
 医薬品の負担に関しては、都道府県の高額医療費負担制度があり、患者は払い戻しを受けることができる。しかし薬価が高止まりしている影響を受けるのは、患者の側だけではない。病院の負担が麻薬製剤によってきわめて重くなっており、これが病院の麻薬使用を妨げる要因になっているというのだ。
 医療麻薬は盗難や横流しなどを防ぐため、厳格に管理することが病院に対して求められている。一般の薬品と異なり、メーカーへの返品は事実上不可能で、おまけに金庫に保管しなければならない。さまざまな痛みに対応した医療麻薬が市場に投入されても、高価な麻薬のデッドストック化を恐れる病院側は、購入に及び腰になってしまうのだ。
「MSコンチンの100錠入りの箱が10錠程度を使っただけでデッドストックになると、それだけで病院にとっては数万円の損になる。小規模な病院では、できる限り麻薬は購入したくないと考えてしまう」(A医師)
 健康保険の審査にも問題があるとA医師は指摘する。
 モルヒネは投与量の個人差が激しく、成人ひとりあたりの適当量というのが存在しない。患者によっては、平均投与量の数倍を必要とするケースも少なくない。ところがレセプト(診療報酬明細書)審査で「過剰に薬を使いすぎている」と指摘され、減額されてしまうケースは少なくない。減額されるまでに至らなくても、始末書の提出を求められるのは、痛み治療の現場では日常茶飯事になっている。
 「あまりにも大量に始末書を書かされる結果になり、モルヒネの投薬を医師が面倒に感じてしまう。レセプトの審査委員がモルヒネの投薬量の幅についての知識が欠如していることに問題があると思います」
 と、A医師は憤然とするのだ。
 さらに、厚生労働省と各都道府県の薬務課で、指導の基準が統一されていない実情もある。麻薬による痛み治療の推進という政府の施策にも関わらず、都道府県レベルとなると、「麻薬使用は取り締まりが基本で、なるべく安易に使わせないように指導する」という指導方針がまかり通っているところが少なくない。
 関東南部のある病院の医師は、こう証言する。
 「抜き打ちの麻薬査察の際に『なるべく麻薬製剤を使いやすくするように運用している』と説明したら、県の係官に『使いやすくして乱用されたらどうするんですか』と詰め寄られ、『麻薬の使用には、もっと厳格な手続きを踏むように』と釘を刺されました」
 在宅ホスピスケアに取り組んでいる「日本ホスピス・在宅ケア研究会」事務局長を務める梁勝則(リャンスンチ)医師も、
 「都道府県の薬務課は、不正使用されるということを前提にして犯罪予防として麻薬業務を行っている。私も以前、モルヒネの座薬を1個紛失しただけで、始末書を書かされたことがあります。厳しい管理も必要なのかもしれないが、私のような開業医のレベルでは100%の完全な麻薬の管理は難しいのが現実」
 と打ち明ける。
 厚労省の医薬食品局監視指導・麻薬対策課も、
 「米国では医療関係者からの麻薬の横流しが問題化しており、適切な管理が必要で、いたずらに管理をゆるやかにすればいいというものではない。ただ都道府県の麻薬行政が一部で厳しく行われているのも事実で、一概には不適切だとは思わないが、困惑する医師がいるのも事実でしょう」
 とちぐはぐな行政の問題を認めているのだ。
 もちろん厚労省が指摘するように、管理をゆるくすれば麻薬が外部に横流しされたり、盗まれる危険性はゼロではない。だが流用の危険性を気にかけるあまり、がんの激痛に苦しんでいる数十万人の人々を放置してしまうのはいかがなものだろうか。
 本来、この問題については、がん治療にあたる医師たちが先陣を切ってキャンペーンを行っていくべきだろう。だがそうした医師たちの「痛み」に対する理解は、実はあまりにも低いのだという。
 「最大の原因は、麻薬治療に対する無理解が医師の間に蔓延していることです。痛みの治療など、オマケ程度にしか考えていない医師が圧倒的に多い」
 と、A医師は指摘するのだ。たとえば最近、こんなことがあったという。同じ病院の医師ががん患者にモルヒネの投与を決め、患者とその家族への説明にA医師の立ち会いを求めた。その時、医師は患者にこう話したというのだ。
 「モルヒネを使うと、中毒になる可能性もあるし、耐性ができてだんだん効かなくなってしまいます。それでもこれを使えば痛みが取れるので、本当に最後の手段として投与しますけど、よろしいでしょうか?」
 がん治療に携わっている医師とは思えないほどの無理解、無定見いうべきか。実際、厚労省の昨年度の「麻薬白書」でも、モルヒネが普及しないのは次のような原因があると、はっきり記されているのだ。
 @がんの痛みの治療法が確立している事実を、多数の医療関係者が認識していないA麻薬がひんぱんに使われると、“乱用”が発生すると医療関係者などが恐れているBがんの痛み治療の系統的な教育が、医師ら医療関係者に対して行われていない――。
 A医師が続ける。
「若い医師たちの間では積極的に痛みについて学ぼうという姿勢が出てきているが、大病院の封建的な社会の中で、痛み治療を軽視している古株の医師に『モルヒネを使いましょう』と言い出しにくい雰囲気がある。有形無形の圧力が、モルヒネの使用を妨げているのです」
 もっとも、問題は医師の側だけではないだろう。患者の側にも、いまだに「痛みは我慢しなくてはならない」と考える人は少なくない。痛みは除去できるもの、という考え方が広まっていないのだ。
 日本ホスピス・在宅ケア研究会の梁医師は、
 「決して医師だけが怠けているわけではないと思います。日本ではがん患者の家族の多くが告知に反対し、延命治療を最優先で求めている。そういう状況下では、何も知らない患者にモルヒネを投与するのは難しい。モルヒネの問題だけでなく、告知や延命のあり方も含めた医療全体の問題だと思います」
 と話す。末期がんに対する理解を、国民の側ももっと深めていかなければならないということだろう。
(ジャーナリスト・佐々木俊尚)