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佐々木俊尚 Toshinao Sasaki


 「ナボコフの小説『ロリータ』を思わせる事件ですね」と指摘するのは、小田晋・帝塚山学院大学人間文化学部教授(社会精神医学)だ。「ロリータ」は、ロリータコンプレックス(ロリコン)の語源にもなったロシアの亡命作家、ウラジミール・ナボコフの小説。下宿先の12歳の娘に心を奪われ、破滅へと向かう仏文学者を描いた衝撃的なストーリーだ。
 犯行現場で死亡していた吉里容疑者は、女子中学生にわいせつ行為をしていた容疑で警視庁が行方を追っていた人物。自殺の理由は判然とはしないものの、少女性愛の虜になっっていた異常な人物であったのは間違いないだろう。
 小田教授は、
 「ペドフィリア(小児性愛)とサディズム、マゾヒズムを兼ね備えていた異常性愛の犯罪者だったのではないでしょうか」
と推測する。吉里容疑者は少女幻想をこころの中で肥大させていき、それが監禁という異常な行為となって現れた。
 「手錠をかけていたという情報から推察すると、ペドフィリアに加えてサディズムの傾向があったのは間違いない。そして少女たちを監禁して妄想を実現化し、ゆがませていき、空想の中で手錠をかけた少女たちと自分を入れ替えてしまい、自分が監禁されたような気持ちになってしまう。そのマゾヒスティックな妄想の結果が、自殺という帰結になったのではないかと思います」
 と小田教授は推論を展開する。「本当は自分が死んで少女も死ぬというのが、死亡した容疑者の妄想の完成形だったのかもしれないですね」
 だがその妄想は何らかの理由で破たんし、自分だけが死んで終わるという結末を迎えた。

 一方、被害者の少女たちも、なぜこれほどまでに安易に、異常性愛を持った男の誘いに乗ってしまったのだろうか。
 小学生高学年から中学生にかけて、子供は大人の監督する場所から逃れ、自立しようとするようになる。長崎の男児誘拐殺人事件で補導された少年は12歳の中学1年生だった。今回の被害者の少女たちは小学生。前思春期の段階では、少女の方が1〜2歳は早く精神的な成長を遂げるといわれている。今回の被害者の少女たちは、長崎事件の加害少年と同じようなきわめて不安定な前思春期にあったとみてもおかしくない。
 教育評論家の尾木直樹氏は「少女はひとりではなく、4人で行動していたというのがひとつのポイントになるだろう」と指摘する。
 この時期の少女たちは、仲間とべったりとくっついて行動したがるのだという。グループを作ることで、たとえばクラスを支配してしまったり、教師を完全に無視したり、あるいは授業を勝手に抜け出したりと、学校経営に支障が出てしまうような行動をしてしまう。今回の事件のように、ひとりでは決してしないような思い切った行動を、怖さを忘れて仲間と一緒にしてしまうというのだ。
 大人の監視から逃れて仲間と一緒に突出した行動をする――尾木氏によれば、こうした行動は本来、大人になるための通過儀礼としては必要な段階だという。
 「だが情報化社会の中で大人社会と子供の世界との境界線が曖昧になっていき、子供たちが安心して大人から逃れて自由を楽しめる場所、というのがなくなってしまっている。危ない場所に足を踏み入れず、大人社会への通過儀礼を経験するということは今では至難の業になっている」
 尾木氏はそう指摘する。
 田中敏明・福岡教育大教授(児童心理学)も、少女たちのグループ行動の危うさを指摘する。
 「ひとりでは決してしなかったようなことを、4人というグループを作ることで突っ走ってしまったのではないでしょうか」
 ひとりでもその行動にブレーキをかける仲間がいれば、今回のような事態は招かなかったかもしれない。だが田中教授は、
 「この世代の年齢の少女たちは、非常にアンバランスになってしまっている」
 と指摘する。そのアンバランスさが少女たちを暴走させ、大人たちの想像もしていなかったような行動に走らせてしまう。
 「性への関心や仲間意識の強さなど、思春期の特徴のある部分は低年齢化している。しかし恥じらいなど他の思春期の特徴は少女たちから欠落してしまっているようにみえる。それが非常にアンバランスになっている原因だと思います」
 ではわれわれ大人は、そんな不安定な子供たちにどうすれば対処すればいいのか? だがそんな質問を投げると、前出の尾木氏は呆然と空を仰ぐのだった。
 「うーん、本当に困りましたね。ここまで事態が進行してしまうと、もう教育や家庭の問題ではない。社会のあり方自体を変えないといけない」
 尾木氏は、今回の事件は氷山の一角で、男たちの誘いに子供たちが簡単についていってしまうような事態はすでに常態化しているのではないかと推測している。大人たちが考える以上に、子供たちの世界はたいへんな速度で変質しようとしているのだろう。