Xプロジェクト始動B         TOKYO X物語 TOPへ 
 発育については北京市農林科学院でのデータよりはるかに良い成績であった。その理由を考えたが、おそらく日本の配合飼料の質が優れていること、豚舎や気温などの良い環境が大きな理由であろうと思われた。
 
 味については客観的に判断する必要があると考え、都立立川短期大学食物科の女子学生に味覚検査をお願いした。つまり、一般豚肉と食べ比べてもらった。結果は予想したとおり、北京黒豚肉が圧倒的に美味しいと判断された。これで味については自信が持てた。 
 
 生まれた子供の数も多かった。初産(初めてのお産)では一般の白豚、LW( ランドレース×大ヨークシャー) が平均10頭であるのに、北京黒豚は平均12頭も生まれた。子育ても少し違った。哺乳期の子豚を計量するため人が抱き上げると、母豚は人に向かって突進して来た。改良が進んだ豚ではほとんど見られないが、子供を守ろうとする本能が強く残っているのだ。猪ではこうした本能がよく見られ、子育てのときは近づかないのが常識だ。  母性本能が強すぎるのは、子育てはうまいが、人が世話をする豚としては欠点になる。さらに、背脂肪と腹脂肪が厚い。これを解決しないと肉屋さんから相手にされない。なぜなら、精肉の販売には余分な脂肪を切り落とすので売れる赤肉の部分が少なく、歩留りが悪いのだ。 この豚の課題もわかった。

 真っ白で粘りのある脂肪の品質の良さや霜降りが多い個体がいることが確認できたことで、美味しい豚肉である新しい豚を造る自信がついた。霜降りが多いという特性は全く予期しなかった。大変嬉しい報告であった。
     北京農林科学院での会食会。兵頭氏と北京黒豚肉との出会い。
 当時、東京の養豚農家が次々に廃業するという追い詰められた状況があった。それを解決するため、何としても新しい豚を造り出そうと心に決めた。当然、北京黒豚を改良の素材豚の一つとする計画を作った。 
 
 畜産試験場は研究機関ではあるが役所でもあり、この時期、農家の減少にともなって研究予算の査定は厳しく、新規の予算の獲得は容易ではなかった。それにもかかわらず、話が具体的に進み、美味しい豚を造るための予算がついた。 X豚プロジェクトと呼ばれた。口の悪い人からは何ができるかわからない未知のXだねと言われた。
 
 自分では十分な準備をした研究計画であったが、本心はうまく出来るだろうかという不安と、農家の期待に応えなければならないという気持ちで、背負った肩の荷は重かった。 それも当然と言えた。何しろ品種間の交配で豚を改良するのは日本で初めてだったのだ。
 
 家畜の改良を担当する農水省からは、当初反対された。今まで誰もやっていない、もちろん国の研究所もやっていない。地方の研究機関に、成功するかしないかわからないリスクのある改良は許可できないと。
 
 しかし、引き下がらなかった。東京の養豚農家の経営が成り立つような新しい豚を今何としてもつくる必要があるとの信念を通した。
 筑波にある農水省畜試に足を運び、育種部の西田朗・古川力両博士から、最新の世界の豚肉研究やアドバイスを貰って選抜計画を作った。また、集めたデータから改良量を計算してシミュレーション(模擬実験)したり、佐藤正寛博士の開発したばかりの新しい改良プログラムソフトを用いて5世代選抜する具体的な計画を練り上げていた。
 幸運であったのは、当時わが国の豚改良の指導的立場にあった元農水省畜試場長の阿部猛夫博士の応援を頂いたことだ。ほどなく条件つきで許可された。 それは、改良途中のデータの公開であった。隠す必要もなかったし、消費者に知って貰える機会にもなるので情報公開はむしろ望むところであった。
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