澤井農場の紹介
澤井農場といっても個人の農家です。あしからず。この地に居を構えて12代目に成ります。多摩川と秋川の合流地点で東京では「ここだけ!」といわれるくらい水田が残っている地域です。しかし、合流地点ということで昔から水害に悩まされたところでもあるようです。
我が家では代々水田での稲作と多摩川を越えて現在の昭島市拝島町の畑を耕作していたようです。江戸時代には多摩川を使って材木のいかだ流しをする仕事をしていた時期もあったようです。また、明治から昭和38年ごろまでは養蚕もかなりやっていたようです。
そんな我が家で父の代から庭先養豚をはじめました。高度成長期に豚肉の需要が増えたのと、野菜づくりに必要な堆肥を作るために何処の農家にも2ー3頭の豚が飼われていました。庭先養豚から母豚を飼いはじめ自家生産した子豚を育てる経営に成長していきました。
いつしか農業を継ぐことになった私は、農業の大学を卒業し経営に参加、10年目に節目ともいえる研修に参加して現在の経営スタイルになってきました。10年目、平成4年に「多摩ライフ21」という東京都の区部以外の地域(これを多摩地域といいます)が神奈川県から東京都へ移管され100年目の記念イベントの一環でドイツのミュンヘンへ2週間農業の研修に行ってきました。
当時のドイツでは、飲料水としている地下水の汚染が進み、その原因たる農業に改革の波が押し寄せていました。それまでの農薬や化学肥料を多量に投入して収量を確保する農業では、地下水の汚染が進んでします。低投入で持続可能な農業への改革が求められていました。
一方、日本では「農業は環境を守っている産業」と認識されていたように思いますが、実際の現場では???と思うところがありました。いつしか日本も環境に配慮した農業に変革を迫られるのではないかという思いを強くもちました。また、当時地域で水田の耕作放棄が増えてきていて、その耕作依頼が増えてきました。「水田がふえてもなー」という現実とドイツでの研修が結びつき、「水田での合鴨による環境に配慮した農業」としてアイガモ水稲同時作を始めることになったのです。
合鴨による栽培を始めたのが、あの平成5年の大冷害の年でした。東京での合鴨農法ということでマスコミの注目を受け、お客さんもドンドン増え翌年からの栽培面積も倍倍に増えていきました。こうなると、野菜もこだわった栽培のものを欲しいという人たちが押しかけてきて、自然農法の基準による栽培と宅配が始まり、そうこうするうちに経営の柱である養豚でも「TOKYO-X」というこだわりのブランド肉が東京都畜産試験場で育種され農家に普及されるようになりました。育てるのが難しい豚なのでだいぶ悩みましたが、他の部門でこだわっているのに養豚だけが普通では筋が通らないと思いいっきにすべての豚をTOKYO-Xに切り替えました。      HOMEにもどる