このページでは沢木さんがお住まいの鎌倉の街の四季折々の様子を当サイト管理人が紹介します。
鎌倉便り2000.10〜2001.9
鎌倉便り2001.10〜2002.5 鎌倉便り2002.6〜2003.5
 
2004.3.28 春の海

年末からの忙しさに、パソコンの故障が重なって、季節をずいぶん通り過ぎてしまいました。
再開する気持ちでまた書き始めようと思っています。よろしくお願いします。

気温が低く、ぐずついた空模様が続いた一週間の後に久しぶりの日射しと春らしい暖かさが戻ってきました。
散歩の足が、しばらく遠のいていた海岸方向に自然と向いてしまいました。

いつもの浜辺へ降りると、大きなブルドーザが置いてあるのが目に入りました。砂浜を整備するためのものでしょう。
近年日本のあちこちで海岸線が後退していることは広く知られています。原因は、洪水や土砂災害を防ぐために河川の上流域に造られた砂防ダムによって、海に流れ込む土砂が減少した結果、沿岸流の作用で海岸に堆積する砂の量よりも流失する砂の量が多くなってしまったことなのですが、それはここ鎌倉でも悩みの種です。
砂浜が減少し続けたために、去年の夏には市内の稲村ケ崎海水浴場が閉鎖されました。
映画「稲村ジェーン」の舞台にもなった、あの稲村ケ崎にある海水浴場です。
ここ由比ケ浜海岸は毎年春になると、大量の砂を外から補給して砂浜の後退を防ぎながら運営されているのです。こんな見えない努力で“海水浴発祥の地”由比ケ浜海水浴場は守られています。

この暖かさで東京や横浜では桜が一気に開花したようです。今日あたりは満開だったのでしょう。
鎌倉は少し遅く、若宮大路・段葛の桜はまだ咲き始めたばかりで、期待して訪れた方には肩すかしだったかも知れません。
鎌倉の桜の名所のひとつ、鎌倉山に住んでいた知人夫婦が、東京の向島に引っ越しました。やはり桜の名所、隅田川の近くです。昨日は電話口から「明日には満開じゃないかしら」と弾んだ声が聞こえました。住まいも仕事も変わり、4月から新しい生活が始まるとのこと。
4月になれば全国のあちこちで新しい生活をスタートさせる人が大勢いらっしゃることでしょう。
新しい生活が希望に満ちたものでありますように。

 

 

 ちょっと場違い?海岸のブルドーザ

 

 

 

 
2003.10.31 「山の音」

長谷にある甘縄神明宮の鳥居の向かって左側の少し奥まったところに、文豪・川端康成が戦後ずっと暮らしていた家があります(非公開)。
川端康成氏が昭和20年代に書いた傑作「山の音」は鎌倉を舞台にしていますが、その主人公一家の住む家の描写を読むと、その家は川端康成氏自身の家をモデルにしていることに気がつきます。

『・・・信吾の家の裏山は神社のところで切れている。その小山の端をひらいて、神社の境内になっている。公孫樹はその境内に立っているのだが、信吾の家の茶の間からは、山の木のように見える。』
『大通りから小路に折れると、信吾はその公孫樹に向かって帰るわけなので、毎日眺めていた。茶の間からも見ていた。「公孫樹はやはり、桜よりも強いところがあるんだね。長生きする木は違うのかと思ってみているんだ。」と信吾は言った。』・・・

小説の中に描かれているように、甘縄神明宮の境内にはイチョウの大木が立っています。しかしながらこのイチョウの木は、一昨年、長く伸びた枝が危険ということになり丸太のようになるまで枝払いをしたため、こぢんまりとしてしまいました。素人眼にはそのまま枯れてしまうのではと心配になるほどの枝払いでしたが、びくともせず健在です。本当に強い生命力を感じます。
さて、この主人公は東京へ通う勤め人ですが、鎌倉駅から歩いて帰宅途中に魚屋や八百屋に立ち寄り店主と雑談し、買い求めた魚を夕食に料理する描写があるなど、今よりゆったりとした生活ぶりが伺えます。
もちろん、小説の主題は老境にかかった(と言ってもまだ62歳です)主人公と家族の心理的な葛藤にあるのですが、主人公の暮らしぶりや感情を仔細に描いている分、その時代の鎌倉の空気までが感じられるように思え、街の描写に至るまで念入りに読んでしまいます。
公孫樹の生命力の話も含め、主人公は日々の暮らしの色々な場面で“死”を意識します。50年前の鎌倉は、今よりずっと静かで陰影に満ちていて、この小説に描かれた「日本古来の悲しみ」に相応しい舞台だったのでしょうか。

消防署の角を曲がり甘縄神明宮へ向かう小道を、かつて川端康成氏も毎日のように歩き、同じように山の景色を眺め近所のお店で雑談をしていたのかしらと想像するだけで、世界的作家が何か身近に感じられてきます。

 

甘縄神明宮に隣接する川端記念館(非公開)

川端邸の庭と収蔵庫(写真右)

(上)『大通りから小路へ折れると信吾はその公孫樹に向かって帰るわけなので、毎日眺めていた。』・・・今は住宅の陰になり、見えにくくなっていますが、昔はよく見えたことでしょう。甘縄神明宮の春の写真です。

(右)再び枝を張り、葉を茂らせた境内の公孫樹。
    なんと強い生命力。

 
2003.8.31 夏の終わり

8月に入り低温が続き、夏らしい暑い日が少なかった今年の夏も、もう終わり。
開け放った窓から見る南の夜空には6万年ぶりという大きな火星が赤い光を輝かせ、涼しい夜風が部屋を抜けていくようになりました。
昼間は蝉の声が盛んに響いていても、夜になると秋の虫の声が取って代わり、季節が確実に秋に向かっていることを音でも感じさせてくれます。

低温と雨に祟られた湘南の夏は、8月になっても海へ向かう人波が少ない日が多く、浜辺は閑散とした日が続いたようです。
幸い12日の鎌倉花火の日は天気も良く、昼頃から多くの人が海岸へと向かい、夕方7時には材木座から坂ノ下まで人波で埋まりました。今年のフィナーレの水中花火は特に盛大で、いつもなら花火を見つめながらゆく夏を惜しむ気持ちを強く感じるのですが、今年はこれから天候が回復し、浜辺が賑わうのを祈るような気持ちでした。
残念ながら、そんな期待を裏切る夏休みの空模様になってしまいました。

海の家が営業を終えるのは毎年8月31日。今年は日曜日でした。前日に引き続いて天候は晴れ。気温もかなり上昇したので、浜辺は最後の賑わいを見せていたことでしょう。
そんな今年の夏の海岸の一コマです。

夏休みに入って始めての夏らしい暑さになった日曜日。太陽と涼を求めて鎌倉の海岸にも多くの人が訪れました。(8/3)

 

8月に入り、やっと夏らしい暑さになった日曜日。どっと繰り出した人で海岸は大賑わい。無料シャワーの前には長蛇の列が出来ていました(8/3) 夏も終わりに近づいてやっと戻ってきた夏らしい暑さ。サルサパーティにロックライブと、思い思いのかたちでゆく夏を惜しむ人たちで、ビーチは大盛り上がりでした。(8/23)
 
2003.7.4 梅雨の晴れ間
鎌倉観光協会の調査では、一年で一番観光客の多い月はやはり1月ですが、二番目はなんと6月なのだそうです。
多くの観光地が梅雨で客足の遠のく6月、鎌倉は紫陽花を楽しむ人たちで今年も賑わいました。
ただ、今年は平年より雨が少ないことが影響したのか、早々と紫陽花の色が褪せてしまったように感じました。紫陽花の名所のひとつ、成就院に22日の日曜日に行ってみたのですが、今年は一輪も咲いていませんでした。
ところで紫陽花は花が終わったあとすぐに刈り取って整えるなど世話をしないと次の年に綺麗に咲かないそうで、花の季節が終わった後も気が抜けないのだそうです。

6月は紫陽花の他にもアヤメをはじめ色々な花がお寺の庭を彩っています。
北鎌倉の浄智寺では、たくさんのユキノシタが咲いていました。雨空でほの暗い谷戸の岩肌に白い花びらが舞うように伸びています。
ユキノシタは、その名の通り寒さに強く、雪の積もった下でも生育するといいます。その花びらを雪に例えたとも・・・梅雨の曇天の下では、その花の可憐な白さが際だちます。ロマンを感じさせる名前もあってか、印象に残る花です。
鎌倉には「雪ノ下」という地名がありますが、昔そのあたりにユキノシタがたくさん咲いていたからその名がついたとも言われています。

雨の多いこの季節は鬱陶しくもありますが、山も庭もあらゆる緑がいきいきと感じられる時でもあります。雲行きを気にしながら、ついつい散歩に足が向いてしまいます。

ほの暗い谷戸の岩肌に咲くユキノシタ

 
紫陽花に寄り添われてポストも嬉しそう
  
 
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