皇居外苑(桜田門〜和田倉橋一帯)

現在の皇居外苑は西の丸下と呼ばれ、江戸城の東南を守るために日比谷の入り江を埋め立てて築かれた。

また、東へ通じる行幸通りと北方面へ通じる内堀通り、南方面へ通じる祝田橋は存在していなかった。

そのため、江戸城へ入るためには桜田門、馬場先門、和田倉門を通る以外になかった。

桜田門楠正成像二重橋皇居正門正門鉄橋

坂下門と宮内庁桔梗門巽櫓と桔梗門和田倉橋和田倉噴水公園

桜田門。

江戸城南部を防衛する重要拠点だった。

今の門は1663年に造られ、関東大震災でダメージを受けたので補修された。

1860年3月3日に安政の大獄を引き起こした大老の井伊直弼が水戸浪士の襲撃を受けて殺された。

その現場はこの門のすぐそばの警視庁前である。

楠正成像。

愛媛の別子銅山創業200年を記念して、経営者の住友家が1897年に造った。

建武の新政達成に貢献した正成が後醍醐天皇の前駆として京都に入る際の姿だという。

正成像は高村光雲、馬は後藤貞行の作。

この像は銅無垢(中にもすべて銅が詰まっている)だという。

二重橋。

宮内庁によるところの正式名称は正門石橋。

昔は奥にある正門鉄橋が二重橋と呼ばれていた。

後ろに見えるのは伏見櫓。

名前の由来は西の丸を造る際に京都の伏見城から解体して持ってきたからという(確証なし)。

皇居正門。

江戸城西の丸大手門に当たる。

昔は西の丸大手橋という木橋が架かっていたが、1887年に石橋に架け替えられた。

欄干にかかる電燈が江戸東京たてもの園に移設されている。

二重橋の奥にある正門鉄橋。

かつての江戸城西の丸下乗橋。

1964年に新宮殿が建設されることに伴い、それまであった鉄橋を架け替えた。

坂下門と宮内庁。

現在の坂下門は宮内庁への通用門として使用されている。

朝廷と幕府の公武合体運動を推進した老中安藤信正は、この門の目と鼻の先に屋敷を構えていた。

孝明天皇の妹である和宮を14代将軍家茂に降嫁させたことで反感を買い、

1862年1月15日に水戸浪士の襲撃を受けた(坂下門外の変)。

肩先と背中に傷を受けただけで安藤は門内に逃げおおせたが、

後ろから切られるという武士からぬ態度を咎められ、失脚させられてしまった。

桔梗門。

名前の由来は、大田道灌の家紋である桔梗が門の屋根瓦に残っていたからとか、

寛永年間(1624〜44)に将軍上洛からの帰郷を祝ってこの門を建設したとか(確証なし)。

内堀通りを背に、巽櫓(桜田二重櫓)から桔梗門を望む。

江戸城全体で19の櫓があったというが、現存する櫓はこの巽櫓と富士見櫓、伏見櫓の3つだけである。

和田倉橋。

かつてここには江戸城東部を防衛する和田倉門があった。

和田倉噴水公園。

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坂下門と宮内庁桔梗門巽櫓と桔梗門和田倉橋和田倉噴水公園



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