俳句のコツ
三村純也主宰がノウハウ公開!
俳句上達の近道です!
<第七回 「類似を避ける」こと>

ある歳時記に、私の「万緑にしてなかんづく朴大樹」という句が収載されています。
この句について、投書があり、皆吉爽雨先生の作に先行類句があると指摘されました。
「○○にして」とか「なかんづく○○」などという表現は、その内容は異なっていても
類型的であることは否めません。このページで「型に入る(第二回)」のが俳句上達の
コツと書きましたが、型に入れば入るほど、こうした問題は出てきます。
ですから、それを活かすにはよほど新しい内容を盛りこまなければなりません。
自分でもこの句はわりに好きでしたから、いささか残念でしたが、さっさと引っ込め、
句集にも収めていません。
もちろん、以前に爽雨先生の句を読んでいたわけでもありませんし、真似をしたわけで
もありません。
では、類型、類想を避けるにはどうすればいいのでしょう。
正直に言いますと、この問題はこうすればいいという明確な答えを私は持ち合わせてい
ません。むつかしいと思っています。
そこで、私が作句のうえで、いつも心がけていることをお話しましょう。
それは、実に単純なことですが、よく対象を見る、凝視するということなのです。
ですから選句の場合でも、その人の凝視に独自の捉えかたがあるかどうかを基準にして
います。
どちらも、ものの有り様、感じを自分の言葉で捉えるということに尽きるのです。
たとえば「曼珠沙華」。まるで飛び火したように、あちらにもこちらにも・・・・
私の20代のころの句ですが、
陵へ飛火せりけり曼珠沙華
というのがあります。
飛火との取り合わせはすでにあるかもしれませんが、これは敢えて句集に残しました。
その理由は、当時ご指導いただいていた清崎敏郎先生が選評で、
「中七の『せりけり』の間がいい。この間によって、この陵が大和のどこかだろうとい
う感じがする」とおほめくださったからでした。
間がいいかどうか、今でもよくはわかりません。ただ私としては濠を隔てた陵の中にも
曼珠沙華が咲いていたという「驚き」を、自分の表現として「飛火」と使ったことは確
かです。
俳句は型の文芸ですから、類句、類想は宿命ともいえましょう。第一、これは類句、こ
れも類想と斬り捨ててしまうと、初心の方にはなにもできなくなってしまいます。
なにより、その人らしい実感、表現があるかどうか、それが答えかもしれません。
「山茶花」で取り上げた作に、こんな句がありました。
通院の母を日傘の影に抱く 松川恵理子
「通院の母に付き添ふ日傘かな」とか「退院の母に日傘を差しかけて」などの句は、毎
月のように見受けられます。
同じように日傘を差しかけている情景ですが、「日傘の影に抱く」という表現は、類似
表現を抜け出していると思います。
類句を避けるというのは、誰も思いつかぬことを言ってのけることを考えるより、むし
ろ「ちょっとした表現の工夫」だと思います。
ちょっとした工夫で、人の心をうつ句ができる。だから俳句は面白い!のです。