ツポレフTu-104
1955年 ソビエト連邦 ツポレフ設計局



モニノ空軍博物館のTu-104 宇宙飛行士の無重力訓練用の機体だったらしい

世界最初のジェット旅客機は、イギリスのデハビランド コメットということになっている。確かに、ジェットエンジンをつけた飛行機で、最初に商業輸送を始めたのはコメットであることは、そのとおりだ。しかし、コメットは、欠陥商品だった。木造飛行機になれたデハビランド社は、金属製胴体についての造詣は深くなかった。金属疲労への対応が足りなかった設計に加え、金属製の胴体を作るのに慣れていなかった製造現場のミスも加わり、3回の空中分解を起こしてしまう。 確かに、この空中分解の原因は、金属疲労であって、直接ジェットエンジンで飛ぶこととは関係がない。レシプロエンジンのプロペラ機でも与圧して、高高度を飛ぶのであれば、理論上は起こりうる事故である。しかし、高高度を高速で飛ぶのがジェット機の売りであるので、ジェット機としての十分に成熟していなかったと言ってもいいと思う(もっとも、それ以前に、飛行機としての適格を欠いているかもしれないが。)。 このような、欠陥機に世界最初のジェット旅客機などという栄誉ある地位を与えていていいのか疑問である。

そんな、ダメダメなコメットに対し、ソ連のツポレフ104はコメットに遅れること6年の1955年に世界で4番目のジェット旅客機として初飛行をし、1956年からアエロフロートの定期便に就航、1980年代に至るまで飛び続けた。 世界で2番目に飛んだジェット旅客機アブロカナダC-102は、試作機だけの不発プロジェクト。Tu-104より世界で3番目に飛んだジェット旅客機は、有名なダッソー・カラベルであるが、初飛行で3週間Tu-104に勝ったものの就航はTu-104よりも数年遅い。欠陥対策後のコメットの再就航は1958年のことなので、2年ほどは、世界唯一のジェット旅客機として、活躍をしたことになる。しかも、復活したコメットは胴体をほぼ再設計したコメットMk4であり、世界最初のタイトルを持つ、コメットMK1は欠陥機として消えていってしまったわけなので、ツポレフ104こそ 、世界で始めて、安全な商業輸送を実現した、事実上の世界最初のジェット旅客機としていいのではないだろうか。

さて、このツポレフ104とはどのような飛行機であったのだろうか。ツポレフ104は、爆撃機ツポレフTu-16をベースに、主翼と尾翼を流用して開発された。


ツポレフTu-16爆撃機@モニノ空軍博物館 


参考 ボーイング307 B-17の主翼、尾翼を流用し開発された旅客機 昔はこうした旅客機は多かった。

Tu-104は、シェルエットを見ると、現在のジェット旅客機と同じような雰囲気だ。後退翼の付いた主翼と尾翼は強い後退角がついていて、後退角のゆるいコメットが過渡期的な雰囲気なのとは違っている。実際に、最高時速はコメットより150キロも早かった。エンジンは、翼の根元に埋め込まれている。このエンジンは、当時の他のジェットエンジンに比べ、太く見える。また、いかにも爆撃機なのは、機首の航法士席の窓。これでは、旅客機というより、一式陸上攻撃機やB-17のような第二次世界大戦中の爆撃機のようだ。また、機首の航法士席の窓ほど目立たないが、主脚を胴体に畳まずに、翼から後ろに突き出た主脚格納用のポッドに後ろに蹴り上げるように畳むのも特徴的だ。この格納方法は、ツポレフ16に始まり、ツポレフTu-154にいたるまで、軍用機、民間機双方で採用されたツポレフ特有の車輪格納方法だ。これらの特徴は、すべてツポレフ16そのまんまである。


参考 Tu-154の主脚格納用ポッド 同じようなものがTu-16、22、95、114、124、134、154に付いている。

Tu-104は、1956年に就航後、世界唯一のジェット旅客機として、ソビエトの技術力、社会主義の勝利を宣伝すべく、国際線にも投入された。残念ながら、爆撃機改造で、社会主義国の製品でもあるので旅客機としてはアヤシイところのある飛行機であった。とはいえ、ソ連の技術力をナメきっていた西側では、ジェット旅客機をソ連がものにしたことは、驚きであった。200機ほど製造された機体は、ほとんどがアエロフロートで使用され、大々的に輸出されることはなかったが、チェコスロバキアに6機が輸出された。

ツポレフ104はめちゃくちゃうるさく、また、中央翼(左右の翼をつなぐ部分。普通の旅客機では床下を通る。)が客室内にはみ出して、段差ができていたなど、爆撃機出身の出自を臭わせるアヤシゲなところがあった。また、事故も何度か起こした。しかし、事故はコメットのような致命的な機体の欠陥というよりも、ジェット旅客機という技術が未成熟であったことに起因する。西側でも初期のジェット機は、技術的に未成熟なために事故を起こした。また、爆撃機出身といえば、ボーイング314、307、377と初期のボーイングの旅客機でも同じようなことがあった。事実上の世界初の旅客機として、ツポレフ104はもっと評価されてもいいのではないかと思う。
ツポレフ104が初飛行をしたのは、第二次世界大戦終了から10年。B-29を文字通りパクったツポレフ4の初飛行からたった8年である。B-29をようやっとパクってから、たかだか8年で世界の最高水準にまで航空技術を高めたソ連、一時期は確かに強い国であったのではないだろうか。


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