『運命の人』

 私の運命の人はいつもどんなときだって、私の隣で、私と同じ歩幅で歩いてくれる人。
 そりゃ、最低限の生活能力はあってほしいし、顔だって良いに越したことはないけれど。 だけどやっぱりこの条件だけは譲れない。
 私が無理して相手の歩幅に合わすのも逆に相手がそうするのも、私には到底我慢できないことなんだ。

 残念ながら、この条件を見事クリアした人はまだ一人もいない。

 それでも私だって人間だ。恋をする生き物だ。素敵な人たちにもたくさん出会った。その人たち全てを私は本気で愛したし、その人たちも私を愛してくれたと思う。もう結婚してもいいかって真剣に考えた人もいた。

 けれど結局はダメだった。
 歩幅のずれは二人の関係にも影響しているのかもしれない。これは経験の中で私が生み出した持論。あながち間違ってはいないはずだ。
 それを証明するってわけでもないんだけど、私が生まれて初めて好きになった人、つまり初恋の人のことを少し話そう。

 私は中学二年生、相手は新任の国語教師。すごくハンサムで明るくて、休み時間はいつも女子生徒に囲まれていた。
 要するに憧れの先生といったところだろうか。だけど、私が好きになった理由はハンサムだからとか、そんな表面的なことじゃなかった。

 新学期の始業式の日。登校途中に私は出会った。
 その頃から、私は人の足を見て歩くのがクセになっていて、気だるそうに進むたくさんの靴の群れを眺めて歩いていた。
 そんな中で、たった一対の足だけが場違いなほど元気良く、弾むように進むのを見つけた。私はとてもびっくりした。

(歩幅が同じだ!)

 私とは歩き方が全然違うのに、歩幅がずれることはなかった。
 何とか近寄ろうとして、私は必死にその足を追った。だけど人の波がそれを許さない。私は流されるまま校門をくぐり抜け、その人の顔を確認することなく別れてしまった。

 次に出会ったのが始業式の壇上。あのウキウキ≠ニいう表現がぴったり似合う足の運びを見たとき、私は思わずパイプ椅子から立ち上がってしまいそうになった。

(見つけた!)

 心の中で何度もガッツポーズする私。思い切り叫びたかった。

(あなたこそ私の運命の人です!)

 そのあと、本当はすぐにでも告白したかった。したかったけれど、その勇気がなかなか持てなくて、先生を囲む積極的な女子生徒たちのうしろからこっそり付いていくのがやっと。それでも先生の歩幅はいつも私と一緒だった。

「あなたたちは誰一人、先生と歩幅が一緒じゃないんだから……」

 先生と楽しそうに会話する女子生徒たちがうらやましくて、そんな負け犬の遠吠えみたいなことを呟いた覚えがある。

 ────しばらくして。
 季節も変わり、ようやく告白する決心がついた頃、私は教室でその噂を耳にした。

「ねえ、知ってる? 現国のあいつ結婚するんだって!」
「うそぉ! 相手誰よ?」
「それがさぁ、聞いたら絶対驚くよ! 三組の担任、ほら、英語のあれよ!」
「えぇ? ホントにぃー! あんなののどこがいいのかなぁ? あたし結構タイプだったのに、ショックー!」

 下品に笑う女子生徒たち。

「本当なの?」

 彼女たちとはあまり親しくなかった私だが、ことがことだけにとっさに話しかけてしまった。
 案の定、彼女たちは何も答えず、ただ訝しげな視線を向けている。

(私の方がショックに決まっているじゃない!)

 私は教室を飛び出した。
 ちょうど廊下の向こう側を先生が歩いていた。私は駆け出す。だけどすぐに立ち止まった。

(そんな……)

 信じられなかった。あんなにピッタリと合っていた私とあの人の歩幅がずれている。無理に合わそうとしても、いくらがんばっても、どうしてもズレてしまうのだ。

 私の初恋はそこで終わった。

 あの日、私は初めて死ぬほど苦しい°C持ちを味わって、泣いて、泣いて、気がつくと眠っていた。
 しばらく立ち直ることができなかったけれど、今思うとあれがきっかけで私はほんの少しだけオトナになれた気がする。
 それからは歩幅が合う人を見つけると自分から告白できるようになったし、失恋してもあのときほど苦しみはしなかった。

 そういえば付き合った人の中にこんな人もいたっけ……。

   高校に入ってすぐだったと思う。学校帰りによく立ち寄る本屋で、私は声をかけられた。
 他校の制服を着た男の子。
 私は彼を知っている。朝、いつも私の前を歩いている子だ。
 私が家を出るのと同じくらいに近くのマンションから出てきて、決まって私の約十メートル先を歩くのだ。そう、私と同じ歩幅だった。
 何度か話しかけようとしたけれど、すぐに道が分かれてしまうので、タイミングが掴めなくて。だから声をかけられたときはすごくうれしかった。
 彼が最初に言った一言。はっきりと覚えてる。

「僕、知ってます!」
「え?」
「あの、だから、その……あなたのこと知ってます」
「はぁ、私も知ってるよ、君のこと」
「本当に?」
「うん。いつも私の前、歩いてるよね」
「そ、そう! 歩いてる! ……あの」
「何?」
「僕と付き合って下さい!」

 顔を真っ赤にして言う彼がすごく可愛かった。ホントは年も同じなんだけど、弟みたいで。

「いいよ。こちらこそお願いします」
「や、やった……やった!」

 彼があんまり大声で叫ぶもんだから、本屋の店員さんがやってきて、彼何度も頭を下げて、それでも小声でずっと、やった、やった、って言ってた。
 ────。

 それからおよそ一年間、私は彼と付き合った。
 学校が違うのに、彼はわざわざ遠回りしてまで私と一緒に通学してくれた。休みの日になると二人でいろんな場所に出かけた。映画、買い物、遊園地。彼の趣味で美術館とかにもよく行ったっけ。
 昼も夜も、晴れの日も雨の日も。
 私はずっと彼と共に過ごした。すごく幸せだった。たぶん彼が私の運命の人に一番近い存在だったと思う。
 いつもどんなときだって私と彼の歩幅がずれることはない。

(彼は間違いなく私の運命の人)

 彼と過ごした尊い時間の中で、そのことを疑ったことなど一度だってなかった。なのに……。

 その日、彼は言った。
 土曜日でもなく日曜日でもなく、国民の記念日でもなく、まして二人の特別な日でもない。
 ごくありふれた平日で、空は梅雨入り前のきれいな青空が広がっていて、私は彼に、

「今日は自主休校にして、どっか行きたいね」

 とか言ってた気がする。だけど彼は何も返事してくれなくて、黙ったまま私の隣を、同じ歩幅で歩いてた。

「どうしたの?」

 私は彼の前に回り込んで、彼の顔を覗き込む。
 彼も私の目を見つめた。
 今だから言えることなのかもしれない。私の目にはそのときの彼が、他人よりも遠い存在に映ったのだと。

「もうやめよう……」
「やめるって?」
「僕たちのことだよ。疲れたんだ」
「え? ちょっと待ってよ、いきなりどうしたの?」

 私は混乱していた。頭の中で、ぐるぐると同じ言葉が繰り返される。

(どうして? どうして? どうして?)

「別れてほしいんだ」
「そんな……、やだよ。私の何が気に入らないの?」
「そうじゃなくて……」
「あのね、私と君の歩幅ってピッタリ一緒なんだよ……」

 そうだ。私と彼の歩幅は今も同じ。私の運命の人なのにこれでおしまいなんて信じたくない。

「私、小さい頃から決めていたの。私の運命の人は私と同じ……」
「知ってる」
「え?」
「僕、知っていたんだ」

 それは彼が私に声をかけたとき初めて言ってくれた言葉で、そして今は終わりを告げる言葉になろうとしている。
 忘れたくても決して忘れられないその言葉。

「実は……」

 そう言って彼は語った。私が知らなかった事実というものを、淡々と。

 彼はかなり前から私のことを知っていたそうだ。少なくとも私が彼に気付くよりも前に。
 その頃、私はクラスメイトに運命の人≠フことを話してしまっていたらしい。そしてそのクラスメイトの中の一人が、偶然にも彼と知り合いだった。
 すでに私のことが気になり始めていた彼は、そのことを聞いて実行したのだ。
 毎朝、建物の影に隠れて私を待つ。私の姿を見つけると飛び出し、その前を歩く。私と同じ歩幅で。
 私は彼が運命の人だと思い込む。彼は頃合を見計らって私に告白する。もちろん私は疑うことなくOKする……。
 ちなみに、私がよく行く本屋のことも彼は知っていたんだって。

 何だ、全部彼の計画だったのか。私はまんまと騙されて一年も……バカみたい。

 そんな残酷なことを平気でやってのけた彼に私は腹を立てた。彼の顔を思い切り殴ってやりたいと思った。でも、それ以上に悲しかった。騙されていたとはいえ、彼と過ごした時間は私にとって確かに幸せなものだったのだから。
 私は彼に言った。

「さよなら。私は君のことが、大好きでした」

 ────。

   私の運命の人はいつもどんなときだって、私の隣で、私と同じ歩幅で歩いてくれる人。
 地球上にこんなにたくさんいる人たちの中で、私はいまだに出会うことができないでいる。
 私はたくさん恋をした。初恋の先生も、私を騙した彼も、あれ以来、会うことはなかったけれど、きっと今もどこかで私の知らない人たちに囲まれて、小さな幸せを見つけながら日常を過ごしているんだろう。
 人生とはそういうものだ。恋をして、別れて、そしてまた恋をする……。その繰り返しが私たちの生きた証になる。
 私の運命の人よ。
 大切な人よ。
 早く私の前に現れて下さい。
 そしてお互いに語ろう、私たちを成長させてくれた、生きた証の数々を……。


おわり



もどる