Schwedenplatz なんやらな?本館

知恩院 (ちおんいん)

京都東山の浄土宗総本山、知恩院。もともとは浄土宗の開祖である法然が念仏の教えを説いた場所(吉水中房という房舎)で、法然の流罪後には荒れ果てててしまうのですが、再び戻ってきた法然は現在の勢至堂のある辺りに新たな房を借り受けます。

法然の死後、房のそばに御廟が建てられますが、比叡山の宗徒により破壊。その後法然の弟子である源智が御廟を再建し、小さな伽藍を建立したのが知恩院のはじまりです。鎌倉時代後期あたりには、それなりのお寺としての基礎を確立したようです。

応仁の乱の兵火を含む、幾度かの火災によって伽藍を失ったようですが、そのたびに復興。現在見られるような巨大寺院になったのは江戸時代になってからでして、徳川家康が母である伝通院殿の菩提を弔うために、寺域を拡大。家康のあと秀忠によって整備が続けられ、寛永の火災後には家光により伽藍が復旧されました。

地下鉄東山駅から東大路通りを下がっていきますと、北から順に古門・総門の二つの門があります。これが知恩院への入り口。そこから神宮道までの参道は300メートルはあるでしょうか。参道沿いには塔頭やら学校やらが建ち並び、歩きながら知恩院の大きさを改めて感じる場所。南の総門からまっすぐ歩いていくと、つきあたりに三門が見えてきます。


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2003年3月24日作成。
2005年1月4日更新。

○撮影時期:
2001年8月上旬
2001年12月中旬
2002年2月中旬
2002年9月上旬
2002年12月下旬。

○アクセス:
地下鉄東西線東山駅下車徒歩600メートル。
四条河原町より市バス201系統など知恩院前下車徒歩300メートル。


知恩院三門(国宝)

→→→知恩院三門(建築細部)

三門をじっくり眺めましたら、後ろ側にある急な石段を登っていきましょう。石段を登りつつ後ろを振りかえりますと、三門を見下ろす格好になりますので、また違った感じで味わうことが出来ます。石段を登りきると、左手に御影堂や経蔵が見えてまいります。

知恩院6
石段より三門を撮影。


※三門については、三門(なんやらな?資料館)もご覧ください。

※仁和寺仁王門については、仁和寺もご覧ください。


知恩院御影堂(国宝)

三門も巨大ながら、本堂はそれにもまして巨大でして。大殿という別名があるくらいです。本堂にあたる建物は、御影堂(みえいどう)と呼ばれています。1639年に三代将軍徳川家光によって建立されたもの。東西十一間・南北九間もあって、建物まわりの縁だけで3メートルもあるのだとか。単層の入母屋造・本瓦葺。入母屋造の高い屋根が印象的な建物です。

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知恩院御影堂。

和様を基調とした建物ですが、ところどころに禅宗様がちりばめられています。この建物は、左甚五郎の忘れ傘でも有名です。建物正面向かって右手の軒下に、見えにくいですが、確かに傘が置いてあります。よくもあんなところに・・・(^^)。

知恩院8
御影堂向拝付近の様子。江戸時代の建物という感じを受ける。

この御影堂の裏にある渡り廊下が、方丈拝観の入り口となっています。方丈のお話しは、またの機会にいたしましょう。


※左甚五郎の忘れ傘は、知恩院七不思議の一つです。知恩院七不思議については、知恩院の公式ホームページに書いてあります。→こちら


知恩院鐘楼(重要文化財)

経蔵へと行く前に、鐘楼へと寄って行きましょう。小さな池の横にある道から階段を上っていくと、大きな鐘楼が見えてきます。1678年に建てられたもの。形を見ていますと、どうやら東大寺の鐘楼(国宝)を参考にしたのでしょうか。

知恩院9
知恩院鐘楼全景。

中に吊られている鐘は、重さが70トンもあるという、超ド級の梵鐘です。高さ3.3メートル、直径が2.8メートル、厚さも30センチあるのだとか。17人がかりで突く光景は、除夜の鐘で有名ですね。こちらも重要文化財です。

知恩院10
重文の梵鐘。方広寺のものよりも大型である。


※巨大梵鐘といえば、この知恩院以外に東大寺(奈良)・方広寺(京都東山)も有名。
東大寺鐘楼(なんやらな?別館)
豊国神社(方広寺鐘楼)


知恩院経蔵(重要文化財)

知恩院の伽藍の中で一番優美な姿をたたえているのが、この経蔵。禅宗様が使われていますが、完全な禅宗様建築ではないところが面白いところ。1619年に建てられたもので、単層・裳腰つきの、宝形造・本瓦葺。

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知恩院経蔵。

この経蔵は、裳階にあたる部分に壁がありませんので、四面とも柱の列が並ぶことになります。めずらしい形ですが、このことが見る側によい感じを与えているのでしょう。上層の禅宗様組物を見ていても、繊細で優美。詰組にしていないので、なおさらでしょうか。

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経蔵細部。二層は禅宗様の三手先で詰組ではない。
一層は禅宗様の出三斗(でみつど)で詰組。

内部には輪蔵が置かれていて、なんでも一回転させると、納められたお経を全て唱えたのと同じになるのだとか。なんだかよく分からないですけど、そういうありがたいものだ、ということで・・・。ただ、内部は非公開になっていますので、普段は見ることはできません。



知恩院唐門(重要文化財)

御影堂の東側を歩いていると、奥に唐門が見えます。いわゆる向唐門(むかいからもん)とよばれる形式で、前後の軒に唐破風(からはふ)があります。江戸時代初期(1633年)に建てられたものということで、桃山様式の装飾を用いているとはいえ、何だか地味な印象です。方丈の表玄関にあたる所なのですが、普段は閉じられています。

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知恩院唐門。



知恩院勢至堂(重要文化財)

さて、唐門を見た後は、さらに石段を登っていきましょうか。登りきったあたりが、知恩院でも一番古いところです。奥にある建物が勢至堂で、1530年のもの。内部には自由に入れます。外陣と内陣を区切るのに蔀戸を用いていますが、浄土宗に特徴的な形式です。

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勢至堂がある辺りは、たいてい静か。

比較的大きな建物ですが(七間四方、一辺が約20メートル)、組物は舟肘木(ふなひじき)、軒下の垂木は二軒(ふたのき)の疎垂木になっており、住宅風の感じが漂っています。現在では本瓦葺となっていますが、当初は桧皮葺だったと考えられています。このあたりまで来ると、訪れる人もまばらですので、じっくりその雰囲気を味わってみてください。

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知恩院勢至堂。

勢至堂横の高いところに建っているのが、法然上人の御廟。勢至堂からさらに置くに行くと墓地があるのですが、そこにはあの千姫のお墓があります。


※千姫(1597-1666)は徳川秀忠の長女で、1603年に豊臣秀頼に嫁ぐ。1615年の豊臣家滅亡後再婚するが、1626年に死別。余生40年を江戸で過ごす。


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