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下醍醐 (しもだいご) 醍醐寺は山の上の伽藍と麓(ふもと)の伽藍とに大きく分かれます。麓にある下醍醐から山の上の上醍醐までは、山道で徒歩約1時間かかります。この項目では下醍醐を取り上げてみましょう。 醍醐は地下鉄東西線が開通してから、早く行けるようになりました。以前は三条京阪からはバスで行けたのですが、市内でも有数の渋滞ポイントが途中にあったため、1時間以上かかることもよくありました。現在では三条京阪から地下鉄で18分です。観光にも便利になりました。 醍醐駅周辺は地下鉄開通を前後してがらりと変わりました。地下鉄醍醐駅から門前まで、歩いて10分か15分ほど。最近は醍醐コミュニティーバスなるものが運行していて、これに乗ると門前まで行くことができます。門前のあたりは以前とあまり変わってないですかねぇ。 さて、醍醐寺はとても長い歴史を持っています。京都府内最古の木造建築とされる五重塔(後述)があるくらいです。874年、聖宝という僧(弘法大師の孫弟子にあたる)が上醍醐(笠取山、聖宝が醍醐山と名付ける)に小さなお堂を建てて、准胝(じゅんてい)観音と如意輪(にょいりん)観音を安置したのがはじまりのようです。907年には勅願寺となり、上醍醐の伽藍が造営されていきます。 勅願寺となってからはやはり隆盛を極め、下醍醐(山の麓)にも伽藍が造られるようになり、現存の五重塔ができたのは951年のこと。その後も醍醐寺は栄えたようで、1115年に三宝院が建立されます。しかし京都の市街地や多くの寺院が焼失した応仁の乱では、醍醐寺も例外ではなく、下醍醐はほとんど焼失してしまったそうです(五重塔だけは残って現在に至っている)。 醍醐寺を有名にしたのは、秀吉の花見(1598年)ではないでしょうか。秀吉は花見をするにあたり、三宝院に表書院などを建てさせ、その庭園も造らせます。荒れていた上醍醐も再建されました。諸大名も参加して催された花見は、さぞ絢爛豪華なものだったのでしょう。 醍醐街道に面した門をくぐると、桜の植えられた参道が続いています。京都でもよく知られた桜の名所になっていますが、ピークの土日にはものすごい人出になります…。つきあたりにある赤い門は、豊臣秀頼が建てさせた仁王門。ここで拝観料を払って、さらに奥へと進んでみましょう。 |
2002年10月30日作成。 ○撮影時期: ○アクセス:烏丸御池・三条京阪から地下鉄東西線醍醐駅下車、徒歩10分ほど。 |
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仁王門をくぐってしばらく続く参道を道なりに歩いていくと、木々の間に五重塔が見えてきます。Suzumeのお気に入りの五重塔(国宝)です。法隆寺五重塔・瑠璃光寺五重塔(山口県)とならんで、日本三名塔といわれます。先述の通り、951年に建てられたものでして、数々の兵火などに遭った下醍醐において、1000年以上の時を生き抜いてきたのは奇跡といえるでしょう。
高さは約38メートル。そのうちの三分の一に相当する、長い相輪(そうりん、屋根の上にあるアンテナみたいな形のもの)がつけられています(約13メートルある)。長いだけでなく太く造られているので、逓減率(五重塔では上層にいくほど屋根が小さくなるが、その割合のこと)が大きめの本体と合わせて、視覚的にかなりの安定感をもたらしています。
この五重塔と拝殿を挟んで向かい合って建っているのが、醍醐寺の鎮守社である清滝宮の本殿(重要文化財)です。現在の建物は1517年のものです。三間社流造、檜皮葺(ひわだぶき)。
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五重塔の正面あたりから北の方に目を向けてみると、広い空間に大きな金堂(国宝)が建っています。広い敷地にゆったりと伽藍が並んでいるのが、下醍醐でしょうか。金堂はもともと和歌山の満願寺にあった建物で、豊臣秀吉の遺志をついだ豊臣秀頼によって1599年に移築されたものです。正面から見ると、屋根が大きいため堂々とした感じがありますが、それと同時に綺麗にまとまった感じ。正面七間・側面五間、入母屋造・本瓦葺。内部に重要文化財の薬師如来および両脇侍像が安置されています。
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