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二条城二の丸御殿 (にじょうじょう・にのまるごてん) 現在の二条城は、徳川家康が京都における宿泊所として造りました。1603年に完成しています。二条城を地図で見ると、西半分が若干南北に狭くなっていますが、こちらの部分は徳川家光による拡張部分だそうです。家康の造営した部分は、東半分ということになります。 二条城への出入りは、堀川通りに面した東大手門(重要文化財)が使われています。同じく重要文化財の東南隅櫓とあわせて、映画などのロケに使われることもあるようです。東大手門を入って南側へまわると、二の丸御殿への入り口である唐門(重要文化財)に至ります。
二の丸御殿は代表的な武家風書院造の御殿で、国宝に指定されています。唐門のところから見ると、まず車寄があり、その後ろに遠侍(とおざむらい)が位置します。遠侍の西側に式台(しきだい)があり、さらに北西側に大広間、蘇鉄の間を挟んで黒書院、さらに北側に白書院が建っています。つまり、遠侍および車寄・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院の6つの建物から構成されています。 遠侍は城に参上した大名の控え室だったところで、南西側の3室は障壁画に虎が描かれているので、虎の間と呼ばれています。1611年に豊臣秀頼が徳川家康と会見したのは、この遠侍の中だったそうです。北東側には勅使の間があります。
式台には南半分に式台の間があり、その名の通り老中が参上した大名と挨拶した場所だそうです。北半分は老中の間と呼ばれ、老中の執務室だったようです。 大広間にある三の間は外様大名の控え室だったところだそうですが、ここには厚さ35センチの檜の一枚板の両面透かし彫りがあります。その技術もすごいですけど、これほどの一枚板を作れる檜なんて、現代の日本にあるのでしょうか。
大広間の一の間は将軍が諸大名に対面したところで、もっとも格式ある部屋になっており、天井も二重折上格天井になっています。ここで1867年に徳川慶喜が諸大名を前に大政奉還を発表しました。 蘇鉄の間は渡り廊下のような感じで、大広間と黒書院をつないでます。
黒書院は親藩や譜代の大名が将軍に対面したところ。建物の規模は大広間よりも若干小さく、その分距離も近くなりますので、大広間での外様大名との対面と比べると、いくらか親しい感じの対面になっていたのではないでしょうか。
白書院は将軍が居間や寝室として使っていたプライベートな建物になります。そのため他の建物とは雰囲気が違う感じがしますかね。
このように二の丸御殿は6つの部分からなる大規模な建物ですので、障壁画もなんと3000点を超えるそうです。そのうち954点が重要文化財となっているそうですが、ものすごい数ですね。この障壁画の模写が2007年現在進められており、オリジナルは保存のため収蔵庫に移し、模写障壁画とはめ替える作業が行われています。 大広間の西側あたりに、特別名勝に指定された二の丸庭園があります。小堀遠州の作と伝えられてるそうです。回遊式庭園となっており、池には中心に蓬莱島を、南側に鶴島、北側に亀島を配置してあります。庭園の南側に後水尾天皇の行幸御殿があったそうですから、第一には南から見ることを前提に造られていると思います。それに加えて、大広間や黒書院から見ることも想定して工夫して造ってあるそうです。
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2008年1月14日作成。 ○撮影時期:2007年9月下旬。 ○アクセス○ ○関連項目○ ○関連サイト○ |
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