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仁和寺 (にんなじ) 仁和寺は御室(おむろ)というところにある。御室のあたりは住宅街となっているが、仁和寺から半径1キロ以内には古墳のある双ヶ丘、龍安寺や妙心寺や等持院といったお寺、宇多野・衣笠・花園などの地名があり、歴史を感じる土地でもある。 仁和寺は真言宗御室派の大本山で、醍醐寺や東寺とならぶ名刹である。創建は平安時代の半ばまでさかのぼり、光孝天皇が国家の安泰を願って、この地に伽藍を建立しようとしたことに始まる。光孝天皇は伽藍の完成を見ることなく亡くなったが、第三皇子の宇多天皇がその事業を引き継ぎ、金堂が完成。ときに仁和4年(888年)。天皇御自らが年号をとって、仁和寺と命名された。 宇多天皇はその後、若くして帝位を皇太子(醍醐天皇)に譲り、法皇となった。宇多法皇は仁和寺の境内に「御室(おむろ)」なる建物を建てて、そこに移ることとなった。この「御室」が現在の仁和寺あたりの地名、御室の起源であると察しがつく。 皇室との関係の深さから仁和寺は隆盛を極めたが、鎌倉時代に武家政権が誕生したりすると、徐々に衰え始める。そしてかの応仁の乱では東軍側の襲撃を受けて、仁和寺の主要伽藍もことごとく焼失するという大被害を蒙った。再興が行われたのは、江戸時代の初め、徳川家光の時代である。現在の仁和寺の古建築はたいていこの再興の時に建てられたものである。 仁和寺といえば御室桜が有名である。京都でも有数の桜の名所で、ソメイヨシノよりも遅く咲くために、4月10日から20日あたりはものすごい人出になる。静かな仁和寺を散策したいならば、こういう観光シーズンをはずすとよい。日によっては、ほんと静かだ。 仁和寺二王門(重要文化財) バスを降りると目の前に巨大な二王門が建つ。高い基壇の上に建っているために、実際の大きさよりもさらに巨大に感じるであろう。京都では知恩院三門(国宝)や南禅寺三門(重要文化財)にならぶ巨大門とされている。三棟とも江戸時代初期のため、比較されたりすることも多いようだ。
同時代に建てられた三棟であるけど、様式は大きく異なっている。知恩院と南禅寺の三門が禅宗様とよばれる様式で建てられているのに対して、仁和寺二王門は和様とよばれる様式で建ててある。このため仁王門の表情には、大きいながらも優しさが感じられて面白いところ。組物や高欄の違いから来る雰囲気の違いはもちろん、足もとの礎盤があるかないかだけでも、雰囲気は変わってくる。
建てられたのが江戸時代であるから、もちろん和様といってもその時代の影響をある程度受けたものになっている。繰型や拳鼻が付いている。もう少し古式を重んじるならば、仁和寺五重塔(重要文化財)のような組物になるだろう。もう少し江戸の様式を取り入れていれば、仁和寺経蔵(重要文化財)のような組物になったであろうか。
五間三戸、重層、入母屋造・本瓦葺。1644年に建てられたものである。 |
2003年6月25日作成。 ○撮影時期: ○アクセス: ○関連項目○ ○参考文献○ ○関連サイト○ |
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仁和寺本坊表門(重要文化財) 二王門を入ってすぐのところにある門。白書院や黒書院といった御殿への入り口である。何気なく重要文化財の建物がある。それが京都で、この門も国指定の文化財とはあまり知られていないようである。1614年に建てられたものらしい。
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仁和寺中門(重要文化財) 二王門から北に少し離れて建っている門。少し高いところに建っている。江戸初期に建てられたもので、三間一戸の八脚門(やつあしもん、はっきゃくもん)、切妻造(きりづまづくり)・本瓦葺。この門を入ってすぐ左側に有名な「御室桜」がある。
→→→仁和寺金堂(建築細部) |
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