| Schwedenplatz なんやらな?本館 | ||
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東寺 (とうじ) 平安京(当初)と平城京の歴史地図を見比べていて気付く点は何でしょうか。そのひとつは巨大寺院が都の中にどれ程あるかという点。平城京の地図を見ていますと、都の中に巨大寺院がたくさんありまして、いくつか挙げてみますと、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺などなど・・・。 ところが平安京の歴史地図を見ていますと、都の中にあるお寺は、南端の東寺と西寺だけ。桓武天皇が都の中にお寺を造ることを禁じた、というのは良く知られている事です。そのなかで東寺と西寺は都の守護の役割を与えられて、特別に建立されました。 都が平安京に遷され、東寺と西寺も建立がスタートしたとはいえ、あんまり進捗度が芳しくなかったようでして、東寺が大々的に発展するには、かの弘法大師の登場を待つことになります。弘法大師は823年に嵯峨天皇より東寺を賜って、伽藍の整備を進めていきました。 西寺が1233年に焼失して以降は再建されなかった一方で、東寺のほうは歴代の権力者の庇護を受けました。五重塔は過去4回も焼失していますが、そのつど再建されています。弘法大師に対する、いわゆる「大師信仰」というものがそのようにさせたのでしょうか。 東寺は京都駅からわりあい近いところにあります。玄関口に近いこともあってか、京都のシンボル的存在になっているようですね。東寺へは八条口(新幹線の改札口があるところ)あたりから歩いていってみましょう。近鉄の高架をくぐって住宅地を抜けていきますと、東寺東門前にでます。 |
2003年6月1日作成。 ○撮影時期: ○アクセス: |
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東寺慶賀門(重要文化財) 東寺の東面には二つ門がありますが、北側のが慶賀門。この門の前にあるバス停が「東寺東門前」。四条通りや東福寺から来る循環バスはここに到着します。京都駅から一番近い門でもありますし、すぐ北側に駐車場の入り口がありますので、東寺で一番人の出入りがありそうな門です。
建てられたのは鎌倉時代と考えれられています。東寺の他の門とも比べてみるとよいのですが、基本的な構造は同じになっています。側面は二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)。そこにぶら下がっている懸魚(げきょ)が、面白い形をしています。
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東寺東大門(重要文化財) 東側の大宮通りに面しているもう一つの門が、東大門。慶賀門と同じく鎌倉時代(1198)のものです。「不開門(あかずのもん)」とも呼ばれていまして、その名の通り門扉は閉ざされています。なんでも、敵に攻められた足利尊氏が門を閉めて危うく難を逃れることができた、というお話が由来だとか。
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東寺宝蔵(重要文化財) 駐車場横の池のほとりに、京都ではめずらしい校倉造の宝蔵が建っています。三間四方の寄棟造・本瓦葺。奈良のお寺にありそうな感じの建物。この建物は、一説には京都府下で一番古い古建築といわれているようですが、どうなのでしょうねぇ。
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東寺講堂(重要文化財) さて、それでは東寺の中心伽藍へと入っていきましょう。そこには三棟の巨大古建築が他を圧するかのごとく、しかし落ち着いた雰囲気でもって建ち並んでいます。その三棟の中で一番北のが講堂。正面九間・側面四間、入母屋造の本瓦葺で、室町時代(1491年)に建てられたものです。
和様建築ということで、巨大であっても静かな落ち着きというか、優美さを感じる外観をしていますが、内部に入ってみると天井を支える木組みなどが、巨大建築らしい力強さをたたえていて、空間の広さと共に圧倒されます。
この建物の内部の凄いところは安置してある仏像でして、中央の大日如来(だいにちにょらい、重要文化財)を中心に、全部で21躯の仏像が立体曼荼羅(まんだら)を表現しています。21躯のうち15躯は平安時代前期のもので、国宝に指定されているという、仏像に興味のある方ならぜひ見ておきたいところ。 |
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東寺金堂(国宝) 講堂の南側にある堂々の大建築が国宝金堂です。豊臣秀頼(とよとみひでより)が、片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として建てさせたものです。東西五間・南北三間(裳階を入れると東西七間・南北五間)入母屋造の本瓦葺。1603年に完成した桃山建築です。
大仏様(だいぶつよう)を取り入れて建ててありますので、一部に独特な外観が見られます。大仏様が取り入れられているのは裳階(もこし)の軒下で、挿肘木(さしひじき)による三手先(みてさき)となっています。京都で大仏様を取り入れた建築といえば東福寺の三門がありますし、今は無き方広寺大仏殿も大仏様が使われていたそうです。
大仏様以外にも禅宗様や和様も使われていまして、上の軒下は和様による四手先(よてさき)。四手先というのは普通のいわゆる仏殿建築ではめずらしいように思います。このように色々な様式が混ざりますと、だいたいは細部装飾がごちゃごちゃする傾向があるように思いますが、この金堂は細部も以外にスッキリしていまして、東寺の建築物に共通した古式が保たれているようです。
あと変わったところといえば、正面の扉の位置かと。ふつう、七間のうち三間に扉を設けようとすれば、たいてい中央に扉を寄せて造りますが、この金堂では「窓・扉・窓・扉・窓・扉・窓」と交互に造ってあります。北側の講堂と比べてみてください。
内部は広い空間が生み出されていまして、なかなか印象深い場所です。大仏様が多用されている構造物を見ていますと、大建築を支える技術に感心してしまいますねぇ。ここには重要文化財の薬師如来などが安置されています。 |
※東寺金堂につきましては、東寺金堂細部(なんやらな?資料館)においても掲載しています。 |
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東寺五重塔(国宝) 三棟の巨大建造物の残りの一棟は、あまりにも有名な五重塔です。銀閣や清水の舞台以上に知名度はあるかもしれませんね。 五重塔というのは古都(あるいはその地域)のシンボル的な存在として扱われるようで、法観寺五重塔は八坂の、興福寺五重塔は奈良の、法隆寺五重塔は斑鳩のシンボルとなっているように、東寺の五重塔は古都京都のシンボル的存在です。時代劇で京の都の遠景シーンが出てくると、必ずといっていいほど五重塔が映っています。そういうシーンを見ていますと、なんだかよく分からないですけど、「京都だなぁ」と思ってしまいます・・・。
東寺の歴史は平安遷都まで遡りますが、五重塔がはじめて造られたのは少し遅れて835年。塔はとにかく被災しやすい建物でして、東寺のも例外ではなく、再建されては焼失してしまうというのを4回繰り返しています。現在我々が見る塔は、江戸時代の初め(1644年)に徳川家光の寄進によるものです。
木造古塔では最高の55メートルを誇っています。江戸時代に建てられた塔ですけども、木組の細部に装飾を入れずに古式で建てられていまして、逓減率もありますので、すっきり安定した感じの良い建築だと思います。 |
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東寺大師堂(国宝) 中心伽藍の大建築や見事な仏像をゆっくり味わいましたら、境内の西のほうへと歩いていって見ましょう。昭和になって再建された食堂(じきどう)の前を通って、正面に見えてくる門をくぐりますと、大師堂があります。その名の通り弘法大師像が安置されていまして、大師信仰の中心となるお堂です。
お堂と申しましても、蔀(しとみ)戸や低い床、高欄をめぐらした縁など、住宅建築のような雰囲気を持った建物です。南側が1380年の再建で、その10年後に北側が増築されています。そういう過程を経ていますので、屋根の形がすこし複雑ですね。
東西が七間、南北が八間となっていていますが、増築を経ていますので、複雑な平面図になります。そのために東西南北どこから見ても、異なった外観をしています。 |
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東寺蓮華門(国宝) 大師堂の西に小さな門があるのでくぐってみますと、道が西へとまっすぐに伸びています。この道を800メートルほど歩いていくと、平安京内に造ることが許されたもう一つの寺、西寺の跡があります。今は公園になっていまして、その中央に石碑と礎石が置かれています。途中千本通りを南に行ったところには、羅城門跡もありますので、興味のある方は歩いてみてはいかがでしょうか。 今回は東寺のお話しですから、門を出たところで南に曲がり、道を下がって行きましょう。すると左手に上記の慶賀門とよく似た八脚門(やつあしもん)が見えてきます。これが知る人ぞ知る東寺4棟目の国宝建造物です。こんなところにありますので、見に来る人なんてあまりいないようですね・・・。
近づいて見ることはできませんが、基本的な構造は慶賀門と同じです。側面は二重虹梁蟇股。鎌倉時代の建物と考えられています。 |
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東寺南大門(重要文化財) 蓮華門からさらに下がりますと、九条通りとの交差点に出ます。この九条通り(九条大路)が平安京の最南端だったわけですけど、現在の市域はさらに南へと広がっています。この九条通りとの交差点から南へと延びる広い道が国道一号線。交差点にある歩道橋からは、東寺の五重塔と南大門を一緒に見ることができます。
その南大門は、東寺に現存する門の中で最大の規模。古式を守って建てられている東寺の建造物の中では、細部に装飾を多くほどこしている異色の建物です。それもそのはずでして、蓮華王院(三十三間堂)の西門を明治時代になってから移築したものです。
いわゆる八脚門とよばれるタイプの門で、蓮華王院の西門として建てられたのは1601年のようです。ですから桃山様式による装飾をたくさん見ることができます。この門をくぐりますと、先ほど紹介しました金堂の正面にたどり着きます。 |
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東寺北大門(重要文化財) 最後に東寺の北門について書いておきましょう。この門は八脚門で、上述の慶賀門・東大門・蓮華門と同じような形。鎌倉時代の建物と考えられています。4つとも似ているようで細部は微妙に違っていまして、それが建てられた時期の微妙なずれを示しているようです。
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