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興福寺 (こうふくじ)

南都の大寺といわれれば、私はこの興福寺を思い浮かべます。こういう古建築関係の本を読んでいますと、当然のことながら歴史に関する言及もあります。そのなかで「興福寺」という三文字が出てくることはしばしば。それほど歴史上に登場してくるということは、それだけ興福寺がいろいろな意味で巨大なものだったということでしょう。

興福寺は平城京・外京の一番東側に位置していまして、東北方向には現在と同じように東大寺がありました。南側には三条大路と猿沢池をはさんで、元興寺がありました。元興寺は現在ではだいぶ小さくなってはいますが、かつては興福寺のような広大な寺域を誇っていました。

JRの奈良駅から三条通り(平城京の三条大路に相当)を東に歩いていけば、興福寺の南大門跡の前にたどり着きます。ここは奈良公園への入り口。興福寺の境内に入ると、さっそくシカさんたちのお出迎えです。このお寺の境内は外界と厳密に区切られているわけではないので、あちこちから入れます。すなわち境内を歩くことは自由。これは実にありがたいことで、国宝建築物を自由に間近に見ることができるんですね。

710年に都が平城京に遷されますが、それと同時に藤原不比等(ふじわらのふひと)が現在地に興福寺を造営します。それからは藤原氏の氏寺ということもあり、一気に伽藍の造営が進み、巨大寺院となりました。しかしこのお寺はとにかく火災に遭っています。歴史上有名なものは、平家による南都焼き討ち(1180年)で、ほぼ全域を火災により焼失したようです。江戸時代(1717年)にも火災に遭っていまして、現在礎石のみが残る南大門などはこのときに焼失しています。

興福寺といえば春日大社とのつながりが重要です。春日大社との一体化により、興福寺がますます強大な力を持つようになったようです。このことは明治時代に神仏分離令が出されると、興福寺に大打撃を与える原因にもなり、五重塔までが取り壊しの対象になっていたようです。奈良のシンボルともなっている五重塔を取り壊すなど、現在では考えられないことですが・・・。


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2003年8月24日作成。
2004年10月1日更新。

○撮影時期:
2001年9月下旬
2002年8月下旬
2003年6月中旬。

○アクセス:近鉄奈良駅より徒歩5分。


興福寺三重塔(国宝)

私はいつも登大路側(北側)から境内に入っていくことが多いのですが、今回は三条通り側(南側)から入っていきましょう。猿沢池の西端のところにある石段を少しだけ登りまして左に曲がりますと、三重塔があります。

興福寺といえば五重塔がよく知られていますけども、是非三重塔も見てください。境内のすみっこのほう、すこし土地が低くなったところにひっそり建っていますので、なかなか気付きにくいところ。かくいう私も、つい最近まではこの存在を知りませんでした・・・。

興福寺1
興福寺三重塔。

五重塔よりも古いもので、平重衡(たいらのしげひら)による南都焼き討ちの後、鎌倉時代に再建されたものと考えられています。高さは約18メートル、三間四方の塔。すこし小さめですけど、三重塔の基本通りの建物です。

軒の大きさは各重でそこまで変わらないのですけど、初重にすこし幅をもたせてあるので安定した感じが出ています。その初重の軒下組物は出組(でぐみ)となっていて、三手先(みてさき)の二重、三重とは異なっています。三重塔といえば初重も三手先が普通です。

興福寺2
下から見上げた軒下の様子。組物の違いがわかる。



興福寺南円堂(重要文化財)

2棟の円堂のうちの南側にあるのが南円堂(重文)。平安時代初期に藤原冬嗣により創建されていますが、何度か被災の後、江戸時代初期にも大火災により西金堂や南大門とともに焼失。現在のはその火災の後の再建です。

興福寺3
興福寺南円堂。

いわゆる八角円堂といわれる形式の建物。江戸時代に建てられたものということで、少し背が高くて(建築では「建ちの高い」というらしい)、正面には唐破風(からはふ)の拝所がついています。軒下は三軒(みのき)となっていて、めずらしいですね。どうやら後述の北円堂を手本にして建てられたようです。

興福寺4
三重塔前より見た南円堂。。

この南円堂は西国三十三所の第9番札所となっていますので、興福寺の中でも人が多い場所です。巡礼の方々が朱印を受けにたくさん来られます。ちなみに8番札所はボタンで有名な長谷寺、10番はアジサイで知られている京都宇治の三室戸寺です。



興福寺北円堂(国宝)

南円堂の北側にあるもう一つの八角円堂。藤原不比等の供養のために奈良時代に建てられたのが始まりですが、当時のものは火災で焼失。現在の建物は1208年のものだそうで、興福寺の建物の中で最も古いものになります。垂木は三軒です。

興福寺5
興福寺北円堂。柵の外から撮影。

北円堂は普段は公開していないので、そばに近づくことができませんが、毎年特別拝観が行われているようです。私も遠くからしか見たことがないので、特別拝観の折には行ってみようと思う今日この頃・・・。内部には本尊として弥勒仏坐像(国宝)が安置されています。



興福寺五重塔(国宝)

奈良といえば東大寺大仏殿が真っ先に思い浮かぶかもしれませんが、この興福寺の五重塔も負けてはいません。京都東寺の五重塔に次ぐ、高さ約50メートル(基壇をのぞく)は、古建築五重塔で2番目の高さ。至近から見あげてみるとかなりの迫力があります。

興福寺6
興福寺五重塔。

高さでは東寺五重塔には及びませんが、古さでは興福寺五重塔に軍配が上がります。興福寺のは1426年に完成したものですから、江戸初期完成の東寺のものより200年ほど早く建てられたということになります。室町の建物ですけど古い様式をよく守って建てられています。

興福寺7
南円堂の辺りから見た五重塔。

古い様式にのっとって建てられているとはいえ、やはり室町時代の様式はでているそうです。さすがにこの辺までくると私も勉強不足ゆえに、どこが室町様式か分からなくなってきます。これからの課題ですな・・・。

興福寺8
建物が大きいので、木組も大きくて力強い。

先にも述べましたが、興福寺は境内に自由に出入りできますので、いつでも近くまで寄ってじっくりと見ることができます。そのためか私は京都に住んでいながら、東寺のよりも興福寺の五重塔に結構親しみを感じています。東寺のはあんまり近くで見た記憶がないような・・・。



興福寺東金堂(国宝)

五重塔の北側に建っている大きな仏堂です。東金堂という通り、伽藍の東側にありますから正面は西になります。南北七間・東西四間、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺。写真では雰囲気が伝わりにくいかも知れませんが、実際に見てみるとかなりの大きさがあります。

興福寺9
興福寺東金堂。

五重塔とほぼ同時期の再建で、東金堂の方が少し早い1415年の完成。そのためか軒下の木組みの様子などが良く似ているように感じます。五重塔と同様に古い様式を守って建てられているのですけれども、やはり室町時代の細部様式は出ているそうですね・・・。

興福寺10
正面の様子。

東金堂の北側に国宝館があります。もとこの場所には食堂があったのですが、神仏分離の影響をもろに受けた興福寺では保存することもかなわず破壊されてしまいました。有名な八部衆立像(阿修羅像は特に有名・国宝)や十大弟子立像(国宝)、旧山田寺仏頭(国宝)など、さまざまな宝物が収蔵されています。



興福寺大湯屋(重要文化財)

大湯屋というと一瞬何のことだか判りにくいですが、浴室、つまりお風呂のことですね。お風呂といっても、大きな釜で沸かしたお湯から立ちのぼる蒸気にあたる蒸し風呂。興福寺の大湯屋は五重塔の東の方にぽつんと建っています。

興福寺11
興福寺大湯屋。北西側から撮影。

室町時代に建てられたもので、京都の東福寺浴室(重文)とともに中世の浴室建築として貴重なもの。南北四間・東西四間の本瓦葺。西側は入母屋造、東側は切妻造となっています。あまり近づいて見ることができないですけれども、外壁の白壁に柱と貫が印象的な建物です。



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