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霊山寺 (りょうぜんじ) いかるがの富の小川の絶えばこそ わが大君の御名忘らえめ 古い歌にこんなのがあると聞いていますが、この歌の中に出てくる「富(とみ)の小川」。どうやら奈良市の西部を流れている富雄川のことのようで、富雄(とみお)という地名のルーツとなっているようです。「富(とみ)」は、「鳥見」や「登美」という地名にもなっているようですし、地名を考えながら地図を眺めてみるのも一興。特に奈良県は古い地名が残っていますから。 その富雄川のそばに霊山寺があります。ゴルフの練習場やバラ園があったり、温泉施設があったりと少し異色のお寺。しかし古建築が残っているあたりはさすがに古寺の趣があって、なかなかの雰囲気を漂わせています。 霊山寺の歴史はとても古いようで、奈良の大仏造立の時代にまで遡ります。天平8(736)年に聖武天皇の勅命で、行基とインドの婆羅門僧・菩提僊那(ぼだいせんな)によって開山されたものです。菩提僊那は東大寺大仏開眼供養で大導師をつとめた僧です。 鎌倉時代にはかなり繁栄していたようで、国宝の本堂もこの頃の建物です。江戸時代には幕府より御朱印寺として知行を与えられて、坊舎も21を数えるなど栄えます。そんな霊山寺も明治時代に入ると廃仏毀釈で大打撃を受けたようですが、現在では復興して、再び大きなお寺となっています。 |
2003年4月20日作成。 ○撮影時期:2003年2月下旬。 ○アクセス: |
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霊山寺本堂(国宝) 入り口にある赤い鳥居をくぐって参道をしばらく歩いていきますと古刹らしい雰囲気が出てきますが、参道の右手にある少し高くなったところに本堂が建っています。正面五間・側面六間で入母屋造・本瓦葺。棟札に記載されていることより、1283年の建立と考えられているようです。
霊山寺はそうそう知名度のあるお寺ではありませんけれども、古建築に興味のある方なら、霊山寺本堂の名は聞いたことがあるのではないでしょうか。日本建築史の概説書には必ずといっていいほど登場しているようですし・・・。ほぼ同年代に建てられた長弓寺本堂(国宝、1279)と比べるような形で登場しています。
正面には一間の向拝(こうはい)が付いていまして、ここにめずらしい部分があります。普通、向拝の組物は三斗(連三斗とも呼ばれ、斗が4つ並ぶ)。しかし霊山寺本堂では、出組(でぐみ)のような感じで前後に肘木が出てきており、さらにその上に肘木や斗が載っています。
この向拝の組物は前後で形が違っていまして、なんだか複雑な構造。手前側は菱形に組まれた小天井が入れてあります。後ろ側には支輪が入っているのですが、これがまためずらしい形で、七宝形とよばれる支輪なのだとか。こう色々見せてくれると、なかなか楽しいですねぇ。
本堂の正面に蔀(しとみ)を使ってあるのをはじめとして、和様を貴重とした落ち着いた感じになっています。その一方で、鎌倉時代の建物らしく所々に大仏様(だいぶつよう)の木鼻も見られます。内部へは正面右端から入れますので、是非内部も見てみましょう。
内部は手前側二間が外陣となっており、奥に三間四方の内陣や脇陣、後陣が配されています。この本堂内部の特徴は、外陣・内陣ともに天井を張り巡らせてあるという点でして、梁などの構造材をまったく見せていません。このため初めてこのお堂の中に入ったときは、とても新鮮な印象を受けました。 |
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霊山寺鐘楼(重要文化財) 本堂の正面に建っている朱色の建物が鐘楼。二階建て構造で一層目は袴腰を付けている、よくある形の鐘楼です。一間四方の入母屋造・桧皮葺(ひわだぶき)、室町時代の建物と考えられています。一層目の中備にあるのは蟇股(かえるまた)のようですが、束の特殊型だそうです。いつぞやのギャラクシアンとかいうゲームの敵キャラみたいで、妙に印象的・・・。
この鐘楼、平地に建っているように見えますが、実は段になっている地形の上に建っています。ですから北側が本堂と同じ高さの地面の上にある一方で、南側は一段低くなった地面の上まで柱を伸ばしています。なんだか舞台造のような感じがして、これまた面白い建物。
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霊山寺三重塔(重要文化財) 本堂や鐘楼がある場所とは少し離れたところに三重塔があります。三重塔はどれもだいたい同じような形をしているのですが、霊山寺の三重塔も同じです。高さは約17メートル。屋根は桧皮葺。鎌倉時代に建てられたとされています。
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