Schwedenplatz なんやらな?別館

唐招提寺 (とうしょうだいじ)

このお寺の知名度は抜群です。奈良県内では法隆寺、東大寺についで知られているのではないでしょうか。所在地は奈良市五条町。地名が示している通り、ここは平城京右京の五条(二坊)だったところです。唐招提寺の北側を四条大路が、西側を二坊大路が通っていました。平城宮朱雀門から直線距離で1.5キロ。お寺の周りにはため池や古墳(垂仁天皇陵)などがあって、かつてこのあたりに整然とした都市街路があったというのは、想像しにくいことです。

唐招提寺はなんで有名なのか。いうまでもなく、鑑真和上=唐招提寺というような式が成り立っているからでして・・・。確かに鑑真和上と言われると、唐招提寺が頭の中に思い浮かびますねぇ。国宝の鑑真和上像のイメージとともに。

でも私としては、唐招提寺といえば、その建築物群を忘れずには居られません。金堂を筆頭とした5棟の国宝建築物は、なかなか興味深いものがあります。

鑑真和上が何度も渡日を試みて失敗し、そのなかで失明してしまったという話はよく知られていますが、753年にようやく日本の地に立つことができました。鑑真和上は754年に東大寺大仏殿で受戒を行い、758年には大和上の号を賜ります。そしてその翌年の759年、この唐招提寺を創建することになります。

境内の広さは約2万坪。かつては五重塔を含め堂々の大伽藍が広がっていましたが、時代の流れと共に少しずつ失われていきました。それでも金堂などの主要伽藍建造物は、天平の創建当時の威容を見る者に伝えてくるような、威厳に満ちています。


Schwedenplatz
Schwedenplatzのトップページへ

なんやらな?別館のINDEXへ

2003年5月20日作成。
2005年1月5日更新。

○撮影時期:2003年3月下旬。

○アクセス:JR・近鉄奈良駅からバス、唐招提寺下車すぐ。


唐招提寺金堂(国宝)

唐招提寺の建造物といえば、やっぱり金堂。でも残念ながら現在のところ解体修理中で、大きな屋根に覆われています。私は小学校の頃に2回ほどこの建物を見たことがあるのですが、さすがにその頃のことはあまり覚えておりません。それ以来この建物を見ていないわけでして、修理が終わる日を心待ちにしております。

唐招提寺1
南大門から金堂を撮影。修理中・・・。

金堂は正面七間・側面四間、寄棟造の本瓦葺。正面の一間が吹放しとなっています。建造時期については諸説があるようなのですが、奈良時代末という説が有力なようです。奈良時代の建物というのは、そうそう残っていませんから、この唐招提寺金堂はとても貴重な存在です。

創建時の復元図を見ていますと、現在の姿は当時とはかなり違った印象になっています。こういう古建築は後世の修理において、その時代の様式などを取り入れられて改変されることがあるのですが、この金堂も例外ではなく・・・。大きく変わっている部分の一つが屋根の高さでして、外観に大きな変化をもたらしています。昔は屋根が低かったので、もっとスマートに見えていたのではないでしょうか。

内部に安置されている仏像もただものではありません。本尊は国宝の盧舎那仏坐像です。天平時代のもので、脱活乾漆造(だつかつかんしつづくり)。その右側に立つのが国宝・薬師如来立像で、こちらは木心乾漆造。

本尊の左側には同じく木心乾漆造の、国宝・千手観音立像。5.4メートルもある巨大な像でして、本当に千本の手をそなえていました(現存953本)。普通ですと、千本も手をつけるのは大変なことですので、42本に略されることが多いです。普段私たちが見かける千手観音像は、この手が42本のものです。

金堂に関しましては、修理が終わり次第、写真と共に色々書いてみたいと思っています。

金堂が修理中のため、講堂へは金堂の覆いの下を通って行くようになっているのですが、そこでガラス越しに金堂修理の様子を見ることができるようになっています。ガラスのところには金堂の写真が掲示してあり、その写真を見る限りでは、木組などがかなり傷んでいたようです。

金堂の北西側にある鐘楼には、重要文化財の梵鐘が吊られています。結構古いものだそうで、平安時代のものだとか。

唐招提寺2 唐招提寺3
左:金堂北側にある鐘楼。
右:重要文化財の梵鐘。


※金堂安置の仏像は修理中で見ることができないのですが、薬師如来立像は現在、奈良国立博物館に特別出陳されています。
小さな画像ではありますが、奈良博のホームページにて、お顔を拝見できます。トップページから、展示・催し物>平常展、とクリックして特別出陳のところへ。
奈良国立博物館ホームページ


唐招提寺講堂(国宝)

講堂は金堂のすぐ後ろに建っています。金堂ほど有名な建物ではないですが、奈良時代の宮殿建築の遺構として知られています。正面九間・側面四間、入母屋造の本瓦葺。後世に大きく姿を変えられていますので、どこから見ても仏堂にしか見えません。造られた当初は切妻造で、一部が壁であったほかは扉とかの柱間装置も無く、内部も天井は無くて化粧屋根裏とよばれるものだったそうです。

唐招提寺4
唐招提寺講堂。金堂修理の大屋根のおかげで暗い・・・。

金堂と同じく後世の改変が多い建物ですが、もともとは平城宮の朝堂院朝集殿のひとつだったわけで、他にはなかなか見ることのできない建物です。内部には弥勒菩薩坐像(重要文化財)などの仏像が安置されています。

唐招提寺5
講堂正面。鎌倉時代にも改造されていて、
桟唐戸など当時の特色が見える。



唐招提寺鼓楼(国宝)

金堂の北東側にあるこじんまりした建物で、今でこそ「鼓楼」と呼ばれていますが、もとは経蔵あるいは舎利殿だったのだとか。造られたのは鎌倉時代。南北三間・東西二間の入母屋造・本瓦葺。いわゆる楼造といわれるものでして、初層部分にも縁を設けるなど、すこしめずらしい姿をしています。

唐招提寺6
唐招提寺鼓楼。右に見えているのは金堂修理の大屋根。
左に見えているのが、後述の礼堂。



唐招提寺礼堂・東室(重要文化財)

鼓楼の東側に、南北にやたら長い建物が建っていますが、これが礼堂・東室です。南北十九間・東西四間、入母屋造の本瓦葺。礼堂というのは、西側にある鼓楼に対してのものです。ですから東側が正面になるそうです。

唐招提寺7
唐招提寺礼堂・東室。
金堂修理の大屋根がいかに大きなものか分かる。

礼堂と呼ばれている部分は、南から数えて八間の部分。その北側に馬道(めとう)とよばれる一間の土間の通路を挟んで、さらに北側の十間が東室と呼ばれる部分となります。鎌倉時代の再建で、細部には鎌倉期の様式が見られます。

唐招提寺8
馬道(めとう)とよばれる通路。
左が礼堂部分、右が東室部分。



唐招提寺経蔵(国宝)

礼堂・東室のさらに東側に、2つの校倉造(あぜくらづくり)の建物があります。このうち南側の小さいほうが経蔵です。校倉造といえば正倉院のものがすごく有名ですけども、この経蔵は正倉院のものより古い、現存日本最古の校倉造と考えられています。

唐招提寺9
唐招提寺経蔵。



唐招提寺宝蔵(国宝)

経蔵と似ていますが、一回り大きな建物です。経蔵よりは新しくて、唐招提寺創建のころに建てられたと考えられています。経蔵にも見られますが、腰の部分には「鼠返し」とよばれる材があります。実際は鼠を追っ払うためのものではなくて、雨水を流す工夫なのだそうですが・・・。校倉造についてはいずれ、別のところで書こうかと思っています。

唐招提寺10
唐招提寺宝蔵。

この宝蔵の北側にある道を東側に歩いていくと、新宝蔵(収蔵庫)に出ます。正倉院を模したような外観の建物でして、内部には彫刻など数々の寺宝が展示されています。その中でも破損している仏像などは、興味のある人には面白いのではないかと。春と秋に公開されます。

唐招提寺11
唐招提寺新宝蔵。別に拝観料要。



なんやらな?別館のINDEXへ

Schwedenplatzのトップページへ
(C) Copyright 2003-2005 Suzume. All Rights Reserved.