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東大寺 (とうだいじ)

奈良=大仏=東大寺。こんな等式をつくってしまってあれですが、多くの方のイメージはこれじゃないですかね。奈良は東大寺だけではないですけど、この寺の存在感は抜群です。京都に住んでいる私は何かと奈良に遊びに行く機会がありますが、東大寺には何度も行ったことがあります(すぐそこの清水寺よりも訪問した回数が多い)。

歴史についてはそう長々と書く必要もないかと考えますが、一応少しだけ書いておきましょう。金鐘山寺というお寺が平城京の東山にありました。これが東大寺の前身にあたるお寺で、現在の法華堂のあたりにありました。この寺は後に詔によって、大和国(やまとのくに、現在の奈良県)の国分寺となります。

743年に聖武天皇は盧舎那仏造顕の詔を発します。これによって大仏の造営が開始されたわけですけど、はじめは現在の場所ではなくて近江国紫香楽(現在の滋賀県信楽町)で開始されました。その後いろいろあって大和国分寺の寺域内、すなわち現在の大仏殿の位置に場所が移されます。

場所が移されたのが745年のこと。まだ東大寺の名前は出てきません。東大寺の名前が古い文書のなかに見出されるのは、747年のことになります。752年に大仏開眼供養。この後も東大寺の工事は続けられ、堂々の七堂伽藍が造られていったようです。

地震で大仏が損壊したり台風で建物が壊れたりといったことはあったようなのですが、東大寺最大の受難は平家による南都焼き討ち(1180年)でした。これによって天平の大伽藍はことごとく焼失してしまいます。しかしこの出来事は、日本建築史上注目すべき大仏様(だいぶつよう)の登場につながります。

平家焼き討ちの後、僧侶重源によって再び大建築(大仏様と呼ばれる様式による)が姿を現します。現在の南大門はこのとき再建されたものです。大仏殿のほうは戦国時代にもう一度受難がありました。三好・松永の戦によって兵火に遭い焼失してしまいます。そのため現在の大仏殿は江戸時代になって再建されたものです。

近鉄奈良駅から歩くと20分はかかるでしょうか。興福寺や国立博物館のあたりを散策しながら進んでいきますと、土産物屋が建ち並ぶ大仏殿への参道に出ます。その正面に見えてきます巨大な門が南大門です。


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2004年2月15日作成。
2005年1月5日更新。

○撮影時期:
2001年9月下旬
2001年12月中旬
2002年6月中旬
2002年10月中旬
2003年3月下旬

○アクセス:近鉄奈良駅より徒歩20分ほど。

○関連項目○
東大寺南大門(建築細部)
東大寺鐘楼(建築細部)
東大寺法華堂(建築細部?)


東大寺南大門(国宝)

巨大な門は私の住んでいる京都にもあるのですが、やはり東大寺の南大門が一番のように思います。まず鎌倉時代の建築であるという点。江戸時代の建物はなかなか鎌倉時代の建物には勝てません。それに日本には二棟しか現存していない純粋な大仏様(「だいぶつさま」ではなくて「だいぶつよう」)建築です。

東大寺1
東大寺南大門。

正面に立って見てみましょう。大きさもさることながら、その建築様式からくる印象も強いものがあります。多少のものなら見慣れている現代の我々でも、結構独特なものを感じるのですから、和様の建物しか見たことのなかった当時の人々は、その異様さに驚いていたでしょうね。

東大寺2
南大門の組物。

上で少し書きましたが、平家による南都焼き討ちにより、天平伽藍の大半は灰燼に帰してしまいます。しかし鎌倉時代に入ると復興事業が開始されます。東大寺大勧進職(だいかんじんしき)・俊乗房重源(ちょうげん)が復興に際して、大仏様という建築様式を導入し、その結果1199年に完成したのが現在の南大門。

東大寺3
南大門の北側。

南大門といえば金剛力士像でしょうか。巨大な南大門に安置されるのにふさわしく、その高さは8メートルを超えます。あまりにも有名な像ですので、南大門を訪れた人はみんなこの像ばかり見ているような感じですけど、南大門もそれに匹敵するだけの価値がありますよ。



東大寺中門(重要文化財)

南大門からさらに参道を歩いていきますと、大仏殿の前に中門があります。昼間は扉が開いていますので、ここから巨大な大仏殿を見ることができます。大仏殿の前に建っているだけあって、楼門と呼ばれる形式では日本最大の門。ほぼ純粋な和様で建てられていますので、落ち着いた外観をしています。

東大寺4
東大寺中門。



東大寺大仏殿(国宝)

世界最大の木造建築といわれる大仏殿。本当にデカいです(笑)。これは三代目の大仏殿ですけど、天平の大仏殿、鎌倉再建の大仏殿はもっと巨大だったんですよ。高さは現在のとほぼ同じだったようですが、正面から見た幅が1.5倍ほどありました。かなりどっしりとした印象だったのだと思います。

東大寺5
東大寺大仏殿。

現在の建物は、鎌倉復興時の大仏殿とおなじく大仏様(だいぶつよう)という建築様式が使用されていますので、軒下の辺りとかは南大門に似た雰囲気を持っています。でも江戸時代の再建ということで、純粋な大仏様建築ではなく、和様とかが混ざっています。

東大寺6
大仏殿の軒下。

構造形式は正面五間・側面五間、寄棟造・本瓦葺、一重の裳階付きとなります。これじゃ大きさがよく分からないので少し書きますと、東西の幅は約57メートルあります。基壇下からの高さは約50メートル。これは興福寺の五重塔の高さに匹敵します。

東大寺7
直近より見上げる。



東大寺鐘楼(国宝)

大仏殿のすぐ東側にある高台に、軒のそりが非常に印象的な建物があります。これが東大寺の鐘楼で、鎌倉時代に建てられたもの。構造は一間四方の入母屋造・本瓦葺。よくありそうな構造ですが、これほどの大きさのものは、なかなかありません。

東大寺8
東大寺鐘楼。

大きさもさることながら様式的に見ても、このような独特のものは他にないでしょう。まずは大仏様(だいぶつよう)の力強い構造。それに禅宗様やら和様が加わって、見事な鐘楼がつくりあげられています。あと組物が他では見られない特殊形をしています。

東大寺9
鐘楼細部。

吊られている梵鐘も国宝に指定されていて、奈良時代のものです。25トンを超える巨大梵鐘の別名は「南都太郎」。この重さを支えるためにも建物が力強くある必要があり、これほどの鐘楼建築につながったのでしょう。鐘楼の中に入って、間近で梵鐘の大きさを感じることが出来ます。どんな音がするのでしょうか・・・。

東大寺10
南都太郎。



東大寺法華堂(国宝)

南大門、鐘楼と、こうやって見ていると東大寺にもなかなか興味深い建築物があるものですねぇ。鐘楼からさらに斜面を登って行きますと、またまた面白い建物と出会うことができます。それが法華堂。三月堂という呼び名の方が通りがいいかも知れません。西側から建物を見ると、ちょっと変わった形をしていますが、北側の正堂部分と南側の礼堂(らいどう)部分をつなげたものだからです。

東大寺11
東大寺法華堂を西側から。

正堂部分は奈良時代に建てられたもの。一方の礼堂は鎌倉時代に建てられたものです。双方には400年もの時代差がありますので、当然のことながらその建築様式にも差が出てきます。軒下の組物あたりに違いが見られて、興味深いところです。

東大寺12
法華堂の接続部分には、別のお堂だった頃の名残が…(雨どい)。

内部(正堂側)には多くの仏像が安置されています。国宝の不空羂索(けんじゃく)観音像を中心とした仏像の数々。日光仏立像や月光仏立像(共に国宝)も有名ですね。12月16日のみに特別開扉される秘仏、執金剛神立像もこの法華堂に安置されています。

東大寺13
法華堂北側。寄棟造が奈良時代のお堂らしい雰囲気。



東大寺二月堂(重要文化財)

法華堂のすぐ北側の高くなったところに大型の建築物がありますが、これが東大寺の二月堂。修二会、いわゆるお水取りで有名な建物でして、現在の建物は江戸時代の再建です。南北七間・東西十間、寄棟造の本瓦葺。

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東大寺二月堂。

二月堂は西側が正面になります。その西側は斜面の上にありますので、舞台造りとなっています。ここからの眺めはとても良くて、大仏殿の巨大な屋根の彼方に生駒山(奈良県と大阪府の境にある)を見渡すことができます。



東大寺開山堂(国宝)

二月堂の舞台から見下ろすといくつかのお堂が見えますが、そのなかの一つが開山堂。外から見ていると三間四方・宝形造の本瓦葺と、よくありそうなパターンのお堂ですけども、ちょいと面白い建物です。当初は現在の内陣にあたる中心の一間四方のみの建物だったようで、移築された際に現在の三間堂になったものです。

東大寺15
二月堂から見た東大寺開山堂。

当初の一間四方のお堂は、南大門と同じく重源によって建てられたそうで、三手先の組物には、皿斗や通肘木、繰型など大仏様(だいぶつよう)のものとなっています。内部は12月16日のみの公開ですので、なかなか行く機会が無いのが残念なところですが・・・。

東大寺16
開山堂。特別公開時に撮影。



東大寺大湯屋(重要文化財)

鐘楼の北側は土地が低くなっていますが、そこの階段を下りていったところに目立たなく建っているのが大湯屋。大湯屋とは、いわゆるお風呂のことでして、蒸気にあたる蒸し風呂です。正面五間・側面八間、正面入母屋・背面切妻の本瓦葺の建物で、横から見ると船のような形をしています。

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東大寺大湯屋北側。鹿がいますな…。

中世の湯屋というのは、あまり現存してないので貴重なものです。その中でも東大寺の大湯屋は、規模が大きなもの。東寄りの屋根の上には、煙を出すための櫓が付けられています。二月堂からもこちらに降りてくる石段がありますが、この石段から見上げる二月堂はなかなか良いアングル。よく写生している人を見かけます。

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大湯屋の正面。



東大寺転害門(国宝)

広大な東大寺の北西の隅に、大きな八脚門(やつあしもん)が建っています。これが転害門(てがいもん)。東大寺天平創建当時の遺構で、とても貴重な建物。構造は切妻造の本瓦葺。妻は二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)となっており、蟇股は奈良時代の様式をよく出しています。

東大寺19
東大寺転害門。

天平創建当時の建物とはいえ、鎌倉時代に屋根を高くする大改造が加わっていますので、あちらこちらに鎌倉時代の様式が見られます。側面が二重虹梁蟇股なのは書きましたが、その下に長い肘木が入っています。これが鎌倉改造のときのもので、この分だけ高くなったということになります。

別名は佐保路門(さほじもん)とも景清門(かげきよもん)とも。平景清(たいらのかげきよ)が、鎌倉の大仏再興の際、東大寺を訪れた源頼朝(みなもとのよりとも)を討とうとして隠れていたからだとか。



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