子連れの海外旅行
育児休業中の育児「休業」
家事の機械化と夫婦関係
お父さんはどこにいる?
育児期のセックスレス
夫婦の時間
男の育児が少子化救う?!
娘は1年半前にアメリカ・ボストンで生まれた。つれ合いは育児休業、私は自分の好きな勉強をすればよいだけなので、子育てだけではなく、いろんなことを吸収したいし、旅行にも行きたい。それには赤ん坊は足手まといなのだが、消極的にならずに連れて行けばいいんだと考え直した。ニューイングランドの厳しい冬が明けた頃から本格的に活動開始となった。
まず最初の旅行はワシントンDC。ボストンからなら普通飛行機だが、ちょっと先まで行くことにしてあえて鉄道、それも個室寝台にした。12時間ほどの旅だったのだが、これが意外にも子連れ旅行にはなかなか便利だった。ぐずったら寝かしておけるし、泣き叫んでも迷惑にならない。
食堂車の簡単なディナーまでついていて、ワインもついでくれた。気取ったところではなかったので、逆に赤ん坊連れでも気を遣わずにすんだ。考えることは同じなのか、となりの個室の客も赤ちゃん連れである。このころ娘は、英語で「clap,clap!」というと手をパチパチ叩くという芸を習得していて、これはいたるところで大活躍をした。黒人のウェートレスは、「うちの子供は3歳よ」と娘の相手をしてくれ、久しぶりの少しおしゃれな外食となった。
ホテルに着いたらまずフロントでスーパーを確認し、離乳食とおむつを調達するのが最初の作業である。夕食はオープンサンドやスーパーのサラダバー。チーズとワインを買えば、充分ディナーになる。観光に疲れてそれも面倒なときはルームサービス。アメリカの巨大な肉料理を1品頼めば2人で食べるのにちょうどよい量だった。
生後8ヶ月の頃、せっかくだからとヨーロッパに2週間ほど行った。オランダに1週間、コペンハーゲンに1週間。オランダにいる間にベルギーに行って帰り、コペンハーゲンからはノルウェーのフィヨルドやスウェーデンに足を伸ばした。
新しい街に着いたら離乳食とおむつ、という行動は同じなのだが、今度はオランダ語やデンマーク語に苦労した。離乳食の瓶をじっと眺めながらしばし熟考。まぁ月数や内容物の説明なので、中身を見ればなんとかわかるものだ。
子連れ旅行のレストラン、世界中で困ったら中華に行くとよい。人数が少ないと食べにくいのが難点だが、子どもの泣き声は幸せを呼ぶと考えられているので、あまり気にしなくていいのだ。ただ連日中華というのも芸がない。中華は最後の手段にして、なるべくおしゃれなレストランを探した。
日の長い初夏のヨーロッパでは、オープンテラスの店を選んだ。屋外なら娘が騒いでも迷惑にならないからだ。まずフランスパンを持ってきてもらい、切れ端を与えるおとなしくなる。欧米では子供の格好の離乳食だ。乳母車に乗ったまま、固い皮を夢中でゲジゲジ噛んでいる娘の横で、夫婦はワインで乾杯!アメリカよりもずっと美味しい食事に感激した。
日本への帰国便を含めて、結局去年は娘を連れて飛行機に15回、長距離列車に8回乗った。世界8カ国、日本では北海道から鹿児島まで連れ回したのだ。もちろん娘が健康で機嫌がよかったらからできたことだが、まぁやってみれば何とかなるものだ。
水平飛行の間中、私がトイレで娘の相手をしたり、新幹線の個室では、目の前の高さにある赤い非常ボタンを押してしまい、「あ゛!」なんてこともあったが、過ぎてみれば楽しい思い出だ。特に歩き出す前の旅行は安全でおすすめですよ!
娘はNYのテロ事件のちょうど1年前にアメリカ・ボストンで生まれた。というより親の都合で、その頃生まれるように仕向けられたといった方が正確かもしれない。
私の方は1年間のアメリカ留学が決まったのだが、会社勤めのつれ合いと一緒に行く手段がなく、結局赤ん坊を道連れにすることにしたのだ。いや、娘が連れて行ってくれたのだから道案内というべきか。いわば育児休業の戦略的活用である。一度辞めると元の会社には戻れないという奇妙な雇用慣行のある日本の社会で、つれ合いが私に合わせて退職でもしたら、彼女のキャリアはめちゃくちゃになる。1年間合法的に休みが取れる育児休業は、勉強や留学にも実はけっこう使えるのだ。復帰後と合わせると育児休業給付金も本給の4割。これは彼女の勉強の費用に回すことにした。
とはいえ慣れない外国での出産育児は、ペースをつかむまでに時間がかかる。生まれてから最初の3ヶ月程度は、夫婦が交代で時間を作るしかなかった。でもこれではつれ合いの方が窒息してしまうし、赤ん坊の相手をしているだけなら、無理してアメリカまで来た意味もない。ベビーシッターと私の時間のやりくりで、なるべく彼女を一人にする時間を増やすようにした。
そんなある日、彼女が大学のセミナーに出ていき、予定の時間を過ぎても帰らないことがあった。こちらも出たい講義が始まる時間になり、少しイライラする。しかしこのときだけは深呼吸をして、怒ったりしまいと気をつけた。私だって悪意はなくとも予定の交代時間に遅れることはあるかもしれない。どんな会合でもつい長居をしてしまうことくらいある。ここで怒るのは自分で自分の首を絞めるような行為なのだ。
逆に言えば専業主婦なら、「それはおまえの仕事だろ」といわれて、子供から離れられないことになる。子供といることは楽しいが、長時間ずっと向き合うのは気詰まりだ。ところが下手をすると気詰まりだと表明することさえ許されない。この大変さを理解していない男性が多すぎるのだ。特に働いていた女性も育児休業期間中は、専業主婦になってしまうため、夫の側が任せきりになりやすい。本当は育児休業を交代で取ることが望ましいのだが、だめなら1週間でも1日でもいい、父一人で赤ん坊の面倒をみる経験をするべきだ。お母さん育児休業中の育児「休業」、大事だと思う。
ベビーシッターさんに頼んで、二人で夕食や観劇に出かけたりする時間も作るようにした。母親が子供のそばにいるべき、という百年前に生まれた近代の育児観に未だに縛られている日本では、ベビーシッターはなかなか普及しないが、保育所の少ないアメリカのような社会では、これが最も手軽な解決方法だ。現地では日本人の夫婦も多用しており、近所の日本食品スーパーの掲示板では、日本語で書かれたベビーシッター募集の張り紙をよく見かけた。
というわけでつれ合いは、産前休暇から育児休業あけまでの1年をアメリカで過ごして職場復帰となった。TOEICの点数もだいぶ上がったようなので、日本で公園デビューの心配をするよりは、ずっと得るところの大きな「休暇」だったはずだ。それでも彼女は「ちょっと退屈した。今度は自分で海外転勤がいいな」という。韓国人で別姓の彼女が、いきなりMrs.Sechiyama扱いされたことにも原因はあったのだろうが、やはり彼女の方に負担をかけたかと思うと残念だ。育児休業時の負担の平等化はなかなか難しい。
共働きの私たちは、夜の家事が結構大変だ。私の職場にある保育園から一歳半の子供を連れて帰ると、夕食の準備。途中でつれ合いが帰宅し、子供の世話を交替でしながら夕食だ。しばらくすると遊び食いが始まり、「あ゛!」食いちぎられた肉団子が床に散乱する。こっちが恐い顔すると、しばらく神妙に私を見つめたあと、小声で「(ご)めんね」と私の顔をのぞき込む。「可愛いなぁ、許したろ」と笑うと、見透かしたようにまた同じことを始める。
どちらかが子供と一緒にお風呂に入り、その間に洗濯。おむつも使わないで、いちいちおしっこのたびに服を着替えさせてくれる保育園なので、いつもズボンが6、7本返ってくる。「泥沼で泳いだんか?」と言いたくなる真っ黒なシャツや、袖の間から出てくるうどんの切れ端に、昼間の格闘ぶりが偲ばれる。本当にいい保育所だ。
朝の早いつれ合いが先に寝てしまうことが多いので、子供に本を読んでやり、寝かしつけ、食事の片づけをしていると、気がつけば十時過ぎ。結局勉強の時間はとれずに、一日が終わってしまう。「これじゃろくな研究でけへんなぁ」とちょっとブルーになる。小さな子供のいる家ならどこでもこんな戦争状態なのだろうし、私なんか働くお母さんたちに比べれば、ずっと楽なはずなのに、ときどきこんな愚痴が出る。
そんな状況だから当然家事はなるべく省力化している。そもそも凝った料理は作らない(作れない)し、冷凍食品や宅配を活用し、食器洗い機や衣類乾燥機もフル稼働だ。機械にできることはなるべく機械化して時間を作りたい。
ただ恥ずかしいことに、私は整理整頓ができない。小学校の通信簿の所見欄にも必ず書かれていたので、どこか脳の部品が壊れているのかもしれない。掃除担当のつれ合いはいつも呆れかえっている。子供と私が散らかすので、床は見えない状態、脱衣室には乾燥の済んだ洗濯物がとぐろを巻き、玄関にはパーティの時みたいに靴が並んでいる。私の書斎は掃除をする人もいないので、地震でファイルケースが倒れてきたオフィスのようだ。こないだは福岡出張の航空券が行方不明になり、懸命の捜索活動も空しく買い直すハメに。悲しかった。
新聞でお掃除ロボット開発中という記事をみつけ、高くても買いたい!と思ったのだが、内容を読んでがっかりした。障害物を避けて床を掃除してくれるらしいのだが、障害物で床が見えない我が家には何の役にも立たないのだ。結局人を雇うしかないのか?でも他人に上がっていただくにはその前に片づけでもしないととなって、堂々巡りを繰り返す。そうこうするうちに「パーティの参加者」がまた増えていく。
そんな家事との戦争から逃避すべく、先日高価なマッサージ椅子を買った。もともと私はつれ合いによくマッサージをしていたのだが、私はしてもらえないので、自分のために「なるべく機械化」と導入したものだ。確かに気持ちよく、二人で愛用している。ただその分私がつれ合いのマッサージをする機会は大きく減り、楽な半面、片づけに伴うつれ合いの怒りを鎮めるチャンスが減ってしまった。喧嘩の仲直りやコミュニケーションの大きな武器が、機械化の波に洗われているのだ。夫婦関係の危機管理には由々しい状況かもしれない(笑)。
代わりに添い寝の度に子供にマッサージをしていたら、最近私の顔に足を突き出して、「う゛」といい、マッサージを要求するようになった。おまえは一体何様じゃ!
「パパァ!」と1歳9ヶ月の娘が声を上げた。指さす方向にあったのはSAMが赤ん坊を抱いたポスター。「育児をしない男を父とは呼ばない」というコピーが話題となった旧厚生省のものだ。「へぇー」。いやいや、もちろん私はSAMみたいにかっこいいわけではない。でもとりあえずあんなロングヘアを束ねた男性を見てもすでに性別(というよりパパとママの違い)を認知するのだなぁとおもしろかった。
ポスターを指さしたのは、歯科検診の会場。私たちは外国で出産をし、乳児検診は完全予約制だったので、日本の集団検診はやたら不便に思える。こないだの予防接種では1時間も待たされたあげく、突発性湿疹が出てから4週間以内なので受けられませんといわれ、思わずそんなことはどこかに書いておいてくれとブーたれてしまった。事前にわかれば、仕事を休んで接種にきたりしないのに。今回もただ漫然と1時間ほど待たされる。その合間に廊下を走り回った娘が、ポスターを見つけたのだ。
そしてまさにポスターが疑問視するとおり、会場にいた数十人の親子の内、父親は私だけだった。お父さんはどこにいるのだろう。保育所が私の職場にある関係で、私は毎日自転車に娘を乗せて、通勤をしている。検診の際には、仕事の合間を縫って職場を抜け出し、また保育所に戻ったりする。
それはおまえが恵まれているのだ、という人もいるが、行動が制約されて、買い物も自由にできないのは辛い。子供を連れて帰って夕食の支度をしなければいけないので、居残って勉強するわけにもいかず結構ストレスになる。まぁでもそれは世の働くお母さんたちがみんな経験していることで、別に特別なことをしているわけでもないとも思う。
「母性」が本能だという人がいる。無防備に全身で依存してくる生き物に対し、慈しみを感じる心性を指して「母性」と呼ぶのなら、それが多くの人に備わる感情だということは認めてもいい。だがその意味でなら、「母性」は性別とは無関係だ。娘を持つまで私は、新幹線や飛行機で大泣きする子供が大嫌いだったが、今ではそれが「生きる力の発露」のように聞こえるようになった。夜泣きをしたときにすぐ目が覚めるのも私の方だ。保育所のお迎えで両手をあげて抱きついてくる子供を前にした時のいとおしさに、母性も父性もない。
母親のパチンコ中に車内に置き去りの子供が死んだ事件に対して、「本能がおかしくなっている」という議論まであった。子供と四六時中向き合っていれば、腹が立つことはいくらでもある。父親不在で母親のみに育児が任され、ベビーシッターや保育施設に預けて遊びに行くことすら許されない日本の状況こそが悲劇の根源なのに、母親のみが責められて、問題の構造が強化されてしまうというこの逆説。
他方父性の復権を主張する保守派も、父親の不在を嘆く、という意味では厚生省のポスターと同じ構図に立っている。父親不在はかくも人気がなく、周囲の若い父親もみんな子供といたいというのに、検診会場はいつも母親ばかり。どうすれば変わるのだろう。
検診の後半は育児相談やトイレトレーニングの話だというので、お断りをした。いずれも保育所がしっかりやってくれているのでうちは心配ない。それよりも保育所の仲間との昼ご飯を娘は楽しみにしている。自転車に乗せて、「楓ちゃんに会うよ」というと娘は「あえで!」と叫んだ。
「ママねんねたった!」夜8時過ぎ、いつものように母親を寝かしつけた2歳の娘が、布団からはい上がってきた。ここから9時半頃まで片づけをしながら、たわいもない遊びの相手をする、楽しいのだが、少し寂しい時間だ。
こんな風に連れあいが早寝をするようになって、どれくらい経つだろう。別に朝の早い仕事ではないのに、夜7時前に帰ってきて、夕食が終わるか終わらないかという頃には寝てしまう。朝は彼女の出社する8時頃に私が起きて、保育園に連れて行く。
時間が完全にすれ違うので、寝室も別、会話も少なくなった。重要な連絡は昼間職場からのメールのやりとりですませたりする。週末に出張があったりして帰ると、やはり9時前には寝ている。たまの休日には、連れあいが娘を連れてすぐそばの実家に行っていたりして、起きると誰もいない。家事育児はきちんと分担しているつもりなので、この上どうすればいいのかと気が滅入るときがある。
こう書くと離婚寸前の冷たいカップルのようだが、そんなに悲惨なわけでもない。相変わらず子連れでよく旅行に行く。今年に入ってからもサイパン、沖縄、信州、タイと動き回った。仲が悪いわけではないから、喧嘩が絶えないなんてこともない。子育てにはお互い積極的に関与しているから、信頼関係もある。おまけに「2人目の子どもそろそろほしいね」などと言うので、驚いてしまった。「あのなぁ、子どもはコウノトリが運んでくるんとちゃうんやで」。セックスはおろか、話もろくにしてないのに、どうしたら子どもが生まれるというのだ。
NHKの調査でセックスレス(セックスの回数が1ヶ月1回未満)のカップルの比率は30代で19.3%、40代の15.9%より高く出る。何を隠そう、私は子供が生まれる前、この調査を元にした番組で、教育テレビに出て解説までしたことがあるのだ。
その時の説明の主旨はこうだ。子育て期に子どもの相手で手一杯になり、セックスどころじゃないという人がいることは不思議なことじゃない。ただそれ以外のコミュニケーション手段がきちんとあるかどうかが、夫婦関係の分かれ目となる。
その通り。いまでもそう思う。そしてまさに我が家の場合、それ以外のコミュニケーション手段が、揺らいでいることが問題なのだ。二人で食事の時間をと頼んでいるのだが、忙しいといわれて、結局実現しない。まさか自分のところがこんな風になるとは。ヤレヤレ(笑)。
でも彼女にしてみたら、要するに異性に興味がないのであって、別に別れたいわけじゃない、二人もいいけど、それより一人でボーっとする時間がほしい、というだけらしい。まぁ、わからなくはない。
思いあまって離婚相談で有名な池内ひろみさんの事務所を訪ね、カウンセリングを受けたのだが、基本的には私一人でできることはもうほとんどない、ということだった。あとは相手の気持ちが戻ってくるまで、ゆったり構えるしかないでしょう、とのこと。ふー。
「パパァ、こっち、ママァ、こっち」お散歩に出かけると娘は両手を片方ずつ両親に握られてブランコしてもらうのが大好きだ。「子はかすがいって言うけどほんとに…」と彼女。「その言葉好きじゃないからやめてくれないかなぁ…」。
おっと、あかん、ゆったり構えるんやった。
アメリカ暮らしの1年は、連れあいは育児休業、私の方も仕事はさほど忙しくなかったので、夫婦の会話の時間がそれなりにあったのだが、日本に帰ってからそれがとたんに難しくなった。妻は職場復帰をし、毎日私より早く家を出て、私より遅く帰ってくる。私は保育園の送迎をし、家に帰って夕食の支度を始めていると相手が帰ってくるという感じだ。これなら普通のサラリーマン家庭よりは時間があるはずだが、なんせ妻は9時頃には寝てしまう。週末に出張があったりすると、ろくに話もせずに1週間が過ぎることになるのだ。
子どもができる前、狭い2DKに住んでいた頃は、仕事の帰りに落ちあって駅前の居酒屋に行ったり、食後にたわいもないテレビを見たりしていたのだが、そういうのもなくなってしまった。あのころより通勤も近くなり、便利になったというのに。
早く寝る理由を聞くと、「眠いから」(笑)。途方に暮れたが、疲れているからだろうと、まず彼女の負担を減らすことを考えた。掃除担当の彼女は私と娘が散らかしまくることがストレスの原因だったので、思い切って外注することにした。掃除業者で働く方に、仕事の後で個人的に家に寄ってくださるようお願いしたのだ。週3〜4回来ていただくだけで、部屋は見違えるほどきれいになり、彼女の機嫌もよくなり、私も少し負い目から解放されることになった。これは費用対効果抜群。ただし彼女は案の定、きれいになった部屋で気持ちよさそうに早寝をした(笑)。
というわけで次の対策として、外で食事する機会をつくることにした。といってもわざわざ時間をとってとなると、結局いつもだめになるので別のやり方が必要だ。
私が仕事で遅くなる関係で、週一回は保育園のお迎えをすぐ近くの妻の実家にアルバイトでお願いしている。仕事を終えてすぐに実家に迎えに行くようにしていたのだが、これをあまり遅くなければ、仕事帰りに二人で食事をし、時間によっては、そのまま娘を翌朝まで預かってもらうようにしたのだ。実際に一緒に外食ができるのは、月に1、2回だが、保育園のお迎えの関係で外でお酒を飲む機会が大幅に減った身としては、ありがたかった。またこれはリタイアした祖父母の側にも好評のようで、娘も喜んでおり、とりあえず三方丸く収まっている。
あとは旅行。昨年は連れあいの勤続十周年の記念休暇があったこともあり、けっこう長期の休みが取れた。そこで海外に行ったり、私の仕事にあわせて沖縄に行ったり、温泉に行ったり。もちろん全て子連れだ。
子連れのレストラン、長時間の飛行機、アメリカにいた頃からあちこちに行っているのでもうかなり慣れた。おかげで娘は2歳にしてすでに北は北海道から南は石垣島、世界は10カ国に行き、計24回飛行機に乗っている。
旅のメリットは何よりも、夫婦が向き合う時間が長くなること。ホテルのベビーシッターに預けて、夫婦でお酒を飲んだこともある。普段の不満をぶつけ合うので、口調が激しくなることもあるけれど、コミュニケーション不足の解消には、これがきっと大事なプロセスなのだ。旅行から帰るときには、お互いが少し相手に優しくなっていることを感じる。また翌日からの日常の中で腹を立てるのだろうけれど。
とりあえずどこに連れ回しても病気一つせず、何料理にも何語のベビーシッターにも対応してくれる娘に感謝しなければ。
「パパ(育児が)イヤなんて許されませんよ!」ポーズをとるパパイヤ鈴木を、愛娘が見上げている。厚労省が昨秋作った新しいポスターだ。私はとぼけた雰囲気が気に入って、研究室の扉に貼っている。
男性の育児参加といっても、この国ではまだまだ課題が多いようだ。本誌のアンケート等でも、子育ての担い手が母親に偏り、そのことが母親の側の強いストレスとなっている状況がよくわかる。そのストレスは一歩間違うと子どもに向かう。児童相談所の児童虐待の相談のうち、実母による虐待のケースは6割を超えている。ところが一方で、今の30代から40代の男性は、仕事よりも家族との団らんに生き甲斐を感じる人の比率が高く、残業するよりも早く帰って子どもの相手をしたいという人は決して少数派ではない。出産前の両親学級には、若い夫婦が揃って出かけており、男性も熱心に沐浴の練習をしている。
厚労省は男性の育児休暇取得を10%まで引き上げるとの目標を示しており、ポスターもそのキャンペーンの一環だ。現在は1%にも満たない状況なので、目標達成は最初から「?」という感じだが、これは決してとりたい人がとればいいといったレベルの話ではない。個人の生活に介入するものだといった批判もあるが、現状のような極端な不均衡は、個人の自由を越えて問題とされるべきなのだ。
なぜ、「個人の自由」だけではだめなのか?いま日本中に二種類の林業者がいるとしよう。片方の林業者は植林をすすめながら出荷をする。もう一方は植林をせずにとにかく木を伐り倒して出荷するだけ。こうすると植林をしない業者はその分の手間を木を伐る方に回せるので1日に切り出せる木材が多くなり、その分木材が安い。自由に任せると、買い手が安さにつられて、植林をしない業者の木ばかり買い、植林をする業者は淘汰され、結果として日本中がはげ山になってしまうのだ。子育ては植林であり、男性の働き方はまさにこの植林しない業者と同じだ。男中心の長時間労働の職場では女性は排除され、植林もできず、少子化(=はげ山化)が起きているのだ。植林をしながら働ける環境整備は急務である。
長期の休暇が無理なら、五日間でもいいから夫も産休をとれるようにしたい。忙しい職場でも親の葬式で仕事を休んで文句を言われることはない。家族の死と誕生以上の大事件など人生にそうはないとすれば、家族が生まれる瞬間に仕事を休むことは、忌引きと同程度には当たり前であっていいはずだ。不景気でダメだというなら賃下げで人を増やして、時短をすすめればいい。
収入の減る分、家計は共働きで乗り切ることになる。これから先、専業主婦を対象とする控除や手当は減り続けることが予想されるので、夫の収入のみに頼ることは、夫を残業に駆りたてることに等しい。夫が残業をするより、早く帰って家事を分担し、その分妻がフルタイムで働いた方が、家計はずっと楽になるはずだ。そしてそうやって共稼ぎの夫婦が自然に子育てができる社会を作らなければ、日本中が「はげ山」になるのであり、1・33という異常な低出生率は、まさにそれに対する警告信号である。仕事と家庭の両立は、女ではなく男の、そして日本の大問題なのだ。
孤独な育児に疲れているお母さん、あなたの抱える問題は、決して「女子どもの問題」ではなく、夫婦が、そして社会が解決すべき問題なのです。「赤ちゃんとママ」パパは読んでいますか?